【完結】夢見る転生令嬢は前世の彼に恋をする

かほなみり

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ユフィール18

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「肝が座ってますねぇ」

 その声に、瞑っていた目を開ける。
 カーテンが引かれ薄暗い馬車の中では、後ろで手を拘束されたハンスが床で横になっている。真紅の絨毯が張られたそこにどす黒いシミが広がり、怪我をしているのが窺えた。意識があるのか、顔が見えずわからない。
 隣に腰掛けるサーシャ様は俯いて小さく震えたまま。
 向かいに腰を下ろした男は、面白そうな顔で私を見ていた。

「騒いだところで仕方ないでしょう」
「そうなんですけどね」

 男は面白そうにくっと肩を揺らす。

「泣くとか怯えるとか、そういうのを想像していたもんで」
「ご期待に応えられなくて申し訳ないわ」
「ははっ」

 カーテンが引かれていて外の様子は見えない。
 随分と長い時間をかけて移動している。今どこを走っているのか。
 ガタガタと揺れる馬車で把握できるのは、道を曲がる回数と石畳の道から木の道……橋を渡り、あまり舗装されていない道へ出たこと。カーテンの隙間から差し込むわずかな光で影がどちらを向いているか把握して、街の地図を頭の中に広げてみる。

(街の東へ向かってる……、港に向かっているのね)

 ふ、とひとつ息を吐き出すと男に向かって声をかけた。

「橋の崩落はあなたが?」

 男は、深くかぶっている帽子から視線だけ私に向けた。

「だとしたら?」
「随分と念入りに計画していたのね」
「どうでしょうねぇ。でもまあ、侯爵家の護衛の気を逸らすにはいいアクシデントだったな」
(出かけるのは急に決めたのに……誰か、手引きした人がいる……?)

 街の人の被害はどうだったのだろう。怪我人や、街の様子は?
 私を拐うためだけにそんなことをしたの?

(……私が、出かけなければ)

 そんな思いが過ぎり、グッと目を瞑る。今考えるべきことはそこではない。状況に集中しなければ。
 チラリと横に座るサーシャ様へ視線を向ける。肩をすくめ俯いたまま震えるサーシャ様は、一言も発しない。話さないよう男に言われているのだろう。
 なぜ一人で街の往来に立っていたのか。
 恐らく、あのご友人たちの誰かに誘われて屋敷を出たのだろうけれど。そうでなければ、サーシャ様が一人で屋敷を出るなんて考えられない。だとすると、これらを謀った人物はあの中にいた貴族ということになる。
 サーシャ様が屋敷を出てくる時に誰かに声をかけていれば、護衛が付かないはずはないし、あの事故に気を取られたのだとしても、さすがに彼女がいなくなったことには気がついているはず。

(ライアン様に通じたかしら)

 男にライアン様のことを聞かれ、アレク様のご友人だと説明した。警戒した男は何度も馬車の後方を確認し、道を曲がり長い時間をかけて移動していた。けれど、誰にも尾行されていないと判断したのか今はもう気にする様子はない。
 カーテンの隙間からじっと外を見つめていた男は、やがてふっと満足そうに口元を緩めた。

「乗り心地が最高で勿体ないんですけど、この馬車目立つんで馬車を乗り換えます」

 そう言ってからすぐに馬車はゆるゆると速度を落とし、やがて止まった。
 耳を澄ましても何も聞こえない。

(まだ港には着いていないわ。ここで乗り捨てて乗り換えるための場所が用意できるまで待ってた?)

 だとすると、本当に行き当たりばったりもいいところだ。
 男はカーテンの隙間から外を確認すると「着きました、さあ」と私たちを馬車から降りるように促す。私は床に横たわったままのハンスの肩に手をかけた。

「ハンス」
「悪いけどソイツは連れてけないですよ」

 面倒臭そうにため息をついた男が早くしろと私の腕を掴む。
 
「怪我をしているのよ、置いていけないわ」
「そんな図体のデカい男、足手まといにしかなんないんで」
「動けなくしたのは貴方でしょう」
「気が強いのは結構なことなんですけどね」

 男はハンスのそばで膝をつく私の耳元に、ぐっと顔を近づけ低い声で囁いた。

「今ここで死ぬか後で死ぬか、それだけの違いなんですよ、お嬢さん」

 そして男は身体を起こし、横たわるハンスの背中を蹴った。

「ぐぁ……っ!」
「やめて!」

 うめき声を上げたハンスの顔を覗き込もうとするのを、乱暴に引っ張られる。

「のんびりしてらんないんで、ホラ、降りてください」
「ハンス!」

 サーシャ様は顔を覆いガタガタと身体を震わせている。

「おチビさんも来てもらうかな」
「サーシャ様は関係ないでしょう!」
「さあ? どうするかは特に何も言われてないんで」
「だったら開放してあげて!」
「そりゃあ無理かなぁ。このまま生きていても、この先の人生は自責の念に耐えられないと思いますよ」
「何を……」
「自分のせいでアンタが死んだって攻め続ける人生を、おチビさんに背負わせたい?」
「……っ、うっ」

 サーシャ様は歯を食いしばり嗚咽を漏らすまいと必死に身体を震わせた。

「……サーシャ様を騙したわね」
「俺じゃないですけどね」
「私だけでいいはずだわ!」

 男は楽しそうに笑うと私をグイッと抱き締めた。

「離して!」
「いやあ、アンタ気に入った。このまま殺すなんて惜しいなぁ」

 男は私の髪に鼻先を埋め、すうっと吸い込むように香りを嗅いだ。全身がゾワゾワと怖気立ち、吐き気がする。きつい煙草の匂いが鼻を突く。

「貴族の女なんて興味なかったけど、いいニオイするしいい身体してんなぁ。ちょっとくらいいい思いさせてもらおうかな」
「触らないで!」
「んー、そのお高く止まってんのもサイコー」
「離しなさい!」

 その時、突然床に横たわっていたハンスが猛然と立ち上がり男に体当たりをした。

「うがあっ!」

 虚を突かれた男は私の腰に腕を回したまま馬車の扉に激突した。

「きゃああ!」

 サーシャ様が叫び声を上げる。
 私は男の腕が腰から離れた隙に、サーシャ様の腕を取り馬車の扉を開けた。

「サーシャ様、早く!」

 動けないサーシャ様を無理矢理引っ張り、突き飛ばすように外へ出すと御者席から男が一人飛び降りた。
 私は馬車から飛び出し、御者に体当たりをする。横から突然体当たりをされた御者は私と一緒に道端に倒れ込んだ。

「走って!」
 
 サーシャ様は悲鳴を上げ来た道を走っていった。周囲を見ると、郊外なのか辺りは木ばかりで建物は見当たらない。

(乗り換える馬車は?)

 他にも仲間がいるはずだ。
 男の仲間がいないか確認しようと立ち上がると、倒れていた御者が私の髪を掴み地面に押し倒した。

「この女!」

 御者が怒りを、殺意をあらわにした表情で私を押さえつけ、腰の剣を抜いた。馬車からは叫び声がして、けれどそれがハンスなのか男のものなのかわからない。
 
『アンタが白橋ゆふ?』

 目の前を雪が舞う。
 穴のような瞳で私に向けられた、明確な殺意。

『アンタが死ねばいい』

 彼女はそう言った。
 私はただ黙ってその手の中のものを見つめた。抵抗はしなかったし、しようなんて思わなかった。
 だって、私もそう思ったから。
 ――私のせいで。
 愛すべき彼らの、輝かしい人生を奪ってしまったのだから。

『……ごめんね』

 多分それが、私が最後に言った言葉だ。

「――ユフィール!」

 現実に引き戻す、私を呼ぶ声に目の前の雪が消える。
 現実? どちらが現実?

 私に覆い被さっていた男が横に吹き飛び、すぐ入れ替わるように目の前を黒い人影が覆った。私をぎゅっと抱きしめ、鼻先を掠める森の匂い。
 アレク様。
 そう呼ぼうとして、その広い肩の向こうで剣を振り上げる人影を見た。

「危ない!」

 アレク様は振り返ると同時に剣を薙ぎ払い、すぐに剣を返しその男を地面に叩きつけた。悲鳴を上げ地面に転がった男は、すぐに別の騎士が上から押さえつけ捕縛される。
 気がつくと、いつの間にか周囲は多くの騎士たちに囲まれ、他にいたであろう仲間も捕らえられていた。

「ユフィール、怪我は!?」

 アレク様がすぐに私を抱きかかえ腕の中に閉じ込めるようにマントで包んだ。
 激しく鳴る心臓の音が、私のものなのかアレク様のものなのかわからない。

「さ、サーシャ様が!」
「大丈夫、道の先でライアンが保護しました」
「ハンスは!?」
「大丈夫です」

 その声に振り返ると、手首を擦りながらハンスが馬車から降りてきた。口から血が流れているのをグイッと手の甲で拭う。腹部には出血の跡が見え、他の騎士がハンスに手を貸そうとしたが、大丈夫だと手で断った。

「マクローリー嬢」

 ハンスは近くまで来ると膝をつき、アレク様の腕の中で地面に座ったままの私に頭を下げた。

「お守りできず、申し訳ありません」
「そんなことないわ、お願いだから早くお医者様に診てもらってちょうだい」
「そうですね。この怪我では、少し休まなければならなそうだ」

 ハンスはそう言うと、アレク様の顔を見上げ口端を上げた。アレク様が、苦笑を漏らす。

「ゆっくり休んでくれ、ハンス」
「はい」

 立ち上がるともう一度頭を下げ、ハンスは他の騎士たちと共にその場を後にした。

「ユフィール、屋敷に戻りましょう」
「あの、いいえ待ってください、橋、橋の崩落は」
「ユフィール」

 アレク様はそっと私の頬を掌で包み、自分へと視線を向けさせた。見上げると揺れる、美しい瞳。悲しいだけではなく、複雑な輝きを放っている。

(……見覚えがあるわ)

 いつだろう。
 暖かな日差しの差し込む部屋で、見たことがある。

「――貴女のせいではないですよ、ユフィール」

 アレク様は胸に抱くように、私の頭をそっと撫でた。

「でも、私が……」
「大丈夫、貴女のせいではない」

 彼の唇が私の額に押し当てられたまま、柔らかく動く。

「――ね、ゆふセンセ」

 その声は小さく、けれど熱い息と共に私の身体に吹き込まれた。
 
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