【完結】夢見る転生令嬢は前世の彼に恋をする

かほなみり

文字の大きさ
上 下
26 / 40

ユフィール16

しおりを挟む

 その夜は、夢を見ることはなかった。

(疲れ? ……いいえ、違うわね)

 恐れたのかもしれない。
 まるで白昼夢のように見た、自分が死んだ瞬間の夢。その詳細を知りたくないと、心が拒んだのだ。

(……転生、なんて気軽に思っていたけれど、一度死んでいるのよね。そうよ、当たり前だわ)

 ただ、その死を迎えた瞬間が想像と違った。
 穏やかな老後を迎え、家族や大切な人たちに見守られて天寿を全うしたのだと、当然のように思っていたし信じていた。それが、違ったのだ。

(だから、ショックを受けてるのよ)

 膝の上で手のひらをこすり合わせる。冬の季節のように冷え切っているのに、鼓動がいつもより早く感じる。額にじわりと汗が滲んだ。

(もう、過ぎたことよ……)
 
 コンコン、と室内にノックが響き、意識が現実に引き戻された。アナが扉を開け対応すると、シャツにベストというラフな姿のアレク様が現れた。

「おはようございます、ユフィール」
「アレク様、おはようございます」

 立ち上がろうとするとすぐに傍にやってきたアレク様が手で制し、私を座らせる。

「少しは眠れましたか」

 心配そうに私の顔を見る彼の様子に、チクリと胸が痛む。

「ええ、お陰様で。ご心配をおかけしました」
「いいえ、あなたがお元気ならそれでいいんです」

 そう言いながら、彼は私の髪を撫で頬を触り、そして膝の上の手を握った。当然のように触れるその仕草に、顔が熱くなる。慣れていない。

「手が冷たい。寒くはありませんか?」
「大丈夫です。少し指先が冷たいだけで……」
「朝食は取れそうですか? ガゼボに用意しようと思ったんですが、まだ難しいなら……」
「ガゼボ」
「え?」

 きゅっと無意識に握られていた手を握り返すと、アレク様が少しだけ目を見開いた。

「私、ガゼボで朝食を取りたいです」

 あの周囲に咲き誇る花も、そばにある池も、飾りすぎず自然な姿でとても美しい。このモヤモヤと落ち込んだ気持ちを抱えたまま閉じこもるよりは、外の空気を吸ったほうがいいかもしれない。
 アレク様は私の顔を見てふふっと優しく笑うと、「わかりました」と私の手を取り立ち上がらせた。

「では、一緒にガゼボで朝食をいかがですか、ユフィール」
「ええ、喜んで」

 そう返事をして笑うと、アレク様は目許をほんの少し赤く染めて、私の額に口付けを落とした。

 *

 ガゼボにはすでに朝食の乗ったワゴンが用意されていた。使用人はおらず、アナが紅茶を淹れるとすぐにその場を立ち去り、今は私たち二人しかいない。
 そよそよと気持ちよく吹く風が時折アレク様の髪を揺らし、長いまつ毛を伏せ手元に視線を落とした彼の頬を撫でていく。
 アレク様は器用に桃の皮を剥くと、食べやすくカットして皿に乗せていった。

「すごいわ、お上手なんですね」
「学園では自分で何でもしなければならなかったので」

 嬉しそうに笑うアレク様は、お皿を私の前にそっと置いた。
 
「以前、桃がお好きだと聞いたので、ちょうど時期だからご用意できました」
「ええ! 嬉しいわ、よく覚えてらっしゃいますね」
「あなたのことならすべて覚えていますよ」
「……まあ」

 なんと返していいのかわからず、俯く。こんな甘いやりとりに慣れていなくて、恥ずかしくてカップの持ち手をいじっていると、ふふ、とアレク様が小さく笑う。

「どうぞ」

 その声に顔を上げると、アレク様は小さなフォークに桃を刺し、私に差し出している。

「あ、ありがとうございます」

 受け取ろうと手を伸ばすと「違いますよ」とその手をやんわりと握られる。

「え?」
「口を開けて」

 その言葉の意味が、一瞬わからなかった。

「……っ、え」
「はい、ユフィール」

 口許に差し出された桃の甘い香りが鼻腔をくすぐる。この意味がわからないほど、私も無知ではない。

(あ、あーんしてってこと!?)

 アレク様はフォークを私に向けたまま、小さく首を傾げた。その瞳はキラキラと嬉しそうに輝いている。そしてとにかく顔がいい!

(待ってどうしようそんなに期待に満ちたお顔で見られても! 自分で食べられますって断れる雰囲気じゃないわ!)

 多分、顔が真っ赤なんだろうと思う。心の声が漏れていたのか、アレク様はふふっと笑うと私の唇にちょん、と桃を付けた。

「……あーん、ですよ? ユフィール」
「あ……っ!?」
(これはあれよ、前世でよく読んだ小説にあった、ヒーローによる餌付けシーンよ! 私餌付けされてる!?)

 食べてしまうしかない。
 これを断るという、そんな高度な技術は経験不足から持ち合わせていないのだ。もう、ささっと食べてしまえばいいだけよ!
 意を決してぎゅっと目を瞑り、勢いよくその桃に齧り付く。勢い余って歯がカチッとフォークに当たった。
 けれどそんなことを気にしている暇もなく、もぐもぐと一生懸命咀嚼する。

「……ふ」

 震えるような声がして、ゴクリと桃を飲み込みそっとその顔を見ると、口許を片手で覆ったアレク様が肩を震わせている。翠玉の瞳とバッチリと目が合うと、アレク様が頬を赤く染めて破顔した。

「ふふっ! かわいい!」

 そういうと、目許を赤く染め笑った。自然な姿が年相応のような気がして、なんだか新鮮だ。
 
「か、からかってます!?」
「違う、からかってないです! た、ただ……、ふ、あはは!」

 アレク様がとても自然に、楽しそうに笑っている顔を見ているうちに、恥ずかしさから、段々と自分でも可笑しくなってくる。

「仕方ないじゃないですか、こんなことしたことがないんですもの! もう、笑わないでください!」
「ふふ、違います、本当に……かわいくて」
「かわいいだなんて、やっぱりからかっているわ!」

 目尻に溜まった涙を長い指で拭うと、彼はまだ楽しそうに笑いながら私を見つめた。その瞳は甘くとろりと溶けているようで、ドキリと小さく胸が鳴る。

「違いますよ。ふふ、本当に、かわいいです、ユフィール」

 そんなふうに甘い言葉を吐きながら、アレク様は私の手に指を絡め持ち上げると、ちゅ、と手の甲に口付けをした。そのまま唇を押し当て、じっと私を見つめる。
 その姿に言いようのない色気を感じて、怯んでしまう。

「信じられない?」
「そ、んなこと、言われても」
「ん?」
「さ、散々笑ったではありませんか!」
「だって、あなたがかわいすぎるから」

 手の甲に押し当てられた唇の熱がくすぐったい。意外と柔らかいんだな、なんて頭の片隅でぼんやり思う。完全に逃避だ。
 そのお顔を見ていられなくて、プイッと横を向く。

「あ、あなたのお顔が素敵過ぎて、かわいいなんて言われても信じられません」

 ――あ、ちょっと言葉を間違えたかもしれない。

「ユフィール」

 大きな掌が顎を掴み、背けていた顔をアレク様に向けられる。思ったよりも近い距離にあるその顔にかあっと顔が熱くなった。

「本当に、真っ赤になって恥ずかしがるあなたが、とてもかわいいと思ったんです」

 親指がゆっくりと私の唇を撫でる。
 彼の瞳が私の唇を見つめているのを至近距離で見て、恥ずかしさに突き飛ばしてしまいたい衝動に駆られた。そんな気持ちを抑えるためにぎゅうっと手に力を入れると、それは指を絡め繋いでいたアレク様の手。

「あなたにそんな顔をさせることができるなら、この顔も捨てたものじゃないな」
「あ、アレク様」
「ユフィール」

 繋いでいる手をアレク様の長い指がするりと撫でる。すりすり、と何度も擦るように撫でられ、先程まで冷たかった手が熱くなっていることに気がついた。

「僕はもう成人しました」
「は、はい……?」
「あなたの記憶にある、幼い僕ではない」
「……そ、それは」
「だから僕は、あなたに意識してもらいたいんです」
(十分してますけどね!?)
「意識してくれるなら、いくらでもあなたに僕の気持ちを伝えますよ」

 そんなことを言われてなんと返したらいいのかわからず、はくはくと口を開け閉めしていると、顎を掴んでいた手が私の頬を包み込んだ。
 まっすぐ真剣な瞳にたじろいでしまう。
 
「あなたはとてもかわいい」
「!」
「僕はあなたのことをそう思うし、言葉にして伝えたいくらい、あなたが愛しくてかわいくて仕方ないんですよ」
(そんな言葉を恥ずかしげもなく……!)

 益々顔が熱くなる。私は今、一体どんな顔をしているのだろう。なんなら視界も滲んでいるし顔も熱いし、目が回っている。
 
「ど、どうして」
「どうして?」

 アレク様の顔がさらに近づく。その瞳には私が映り込んでいる。

「どっ、どうして私、なのですか」

 話してくれるという約束。それはいつ?

「知りたいと思ってくれますか?」
「もちろん……」 

 会ったこともない年上の私に婚約の申込みをしてきたアレク様。成人したら話してくれると約束した。

「ずっと、待っていましたもの」

 そう言うと、アレク様はふわりと嬉しそうに、ほころぶような優しい笑顔を見せた。

(……あ)

 そうしてそっと、私の唇の端に、柔らかく口付けを落とした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ

こな
恋愛
 公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。  待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。  ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

踏み台令嬢はへこたれない

IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

私が嫁ぐ予定の伯爵家はなんだか不穏です。

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢サリューシアの婚約者は伯爵令息のテオルド。 しかし、テオルドは病弱で跡継ぎには不安があるということで弟のティムが婚約者に代わることになった。 突然の婚約者変更にサリューシアは戸惑う。 なぜならティムは少し前まで平民として暮らしてきた伯爵の庶子だったからだ。 だがティムはサリューシアの婚約者になれたことを喜び、努力を重ねていった。 そんな姿にサリューシアも好感を抱いていくが、ある日ティムの子供を連れた女性が現れて…… サリューシアは伯爵家に嫁いで幸せになれるのか?というお話です。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。

Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。 そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。 かつての自分は同じ大陸のこことは別の国…… レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。 そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、 シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。 しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。 何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。 そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。 当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い! そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。 アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……? 前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?

処理中です...