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アレク3
しおりを挟む「おいおい、見事な素早さだなぁ」
部屋に戻ったライアンが室内を見渡して呆れた声を出した。僕の使用していた部分はもうほとんど荷物はない。
「また戻って片付けなんてしている暇はないからね」
「一刻も早く屋敷に戻る?」
「当然だろ」
式典後の夜の祝賀会を終えたら、僕もユフィールと共に屋敷に戻るつもりだ。寮の片付けなどで戻ってくるつもりなどない。
それに。
手元のメモにもう一度視線を落とす。
そこには、護衛騎士ハンスから彼女に対する付き纏いと拉致未遂があったと報告が書かれていた。対処済みで幸いにも彼女には気付かれていない。
(近頃は見境がないな)
このところ、彼女の周辺が騒がしい。
悪意や人々の不穏な気配が彼女に向けられている。早く父と話をして対応しなければならない。メモをグシャリと握り潰した。
(いっそのこと全て片付けてしまおうか)
捉えた男たちの尋問はやはり自分の手で行いたいが、そのあたりは父が対応しており手が出せない。まだ一人で動ける身分ではないことが歯痒いが、できることはしなければ。
ライアンは、僕の不穏な気配を察してか「ふうん」と一言だけ漏らし、窓の外へ視線を向けた。この窓からみる景色も、今日で最後だ。
「お前が今日賜る宝剣が、ただの飾りであることを祈るよ」
意外な僕の身を案じる言葉に思わずふっと笑いが漏れた。
「どうかな。騎士の剣が抜かれない世の中になるには、まだ時間がかかりそうだ」
「年寄りみたいなこと言うなよ」
彼は、ははっと声を上げて笑い肩を竦めると、手にしていた本を机に置いて腰掛けた。
「俺はまだ腰の剣は抜きたくないね」
「でも僕たちに、その時は選べないよ」
「まあ、な」
彼も今日のこの日に何か思うことがあるのだろうか。普段の彼らしからぬ姿に意外な気持ちになる。
「遅れるなよ」
「はいはい」
鏡の前でもう一度自分の姿を確認する。
濃紺の詰め襟は学園の制服であり騎士見習いのもの。上級生は首元に金のバッチを付けるが、他学年との差はその程度。
そしてこの制服とも今日でお別れだ。
(感慨深いような、そうでもないような)
もっと強烈に、この学園を去ることに何かを、寂しさを感じるかと思っていた。七年もの間暮らしたこの寮から離れ、共に暮らし学んだ仲間と離れ離れになり、皆それぞれの人生を歩む。だが、そのことを悲しんだり惜しんだりする気持ちは思ったよりもない。
なぜなら僕達のその先には、期待と夢が溢れているから。過ぎ去った日々に惜別の想いを抱くよりも、これからの人生に期待が大きく膨らんでいる。
壁にかけたまっ白な隊服へ視線を移す。
これは、今夜の祝賀会で着用する真新しい近衛騎士隊の正装だ。王家の近衛騎士は、学園を優秀な成績で卒業する者たちから選抜される。学園在籍中の全ての素行調査、剣技、学力と全ての条件を満たした者が近衛騎士隊に入隊することができる。
(ユフィールと一緒にあるために努力したんだ)
いずれ転地を命じられ地方へ転任する騎士団と違い、近衛は王城勤務だ。近衛に入隊できれば僕はずっと王都で彼女と一緒に暮らせる。そのために、七年もの間ここで努力を続ける道を選んだ。
そしてそれが、ユフィールと婚約するために両親から出された条件でもあった。
『――子爵令嬢と婚約?』
初めて両親に話をしたのは、僕に高位貴族の令嬢との婚約話が上がっていることを聞かされた時だ。
僕はすぐに両親に僕が婚約したい人について話をした。
「待て、お前は何を言っているんだ?」
父は頭を抱え、ため息を吐いた。
「お前の言う令嬢は七歳も年上なのだろう。そもそもどこでそんな人間を見つけて……」
「ユフィールです。そんな、ではありません」
「……」
父はため息をもう一度吐くと、手元の書類から顔を上げ執務机から立ち上がった。僕に呼ばれ執務室に来ていた母は、応接ソファに腰かけたまま紅茶のカップを傾けている。
「その、ユフィール嬢とはどこで知り合った」
「それは言えません」
「は?」
「ですが、どうぞお調べください。彼女にも彼女の領地、ご家族に至るまでフューリッヒ家の名に泥を塗るようなことは一切ありません」
「そういうことを言っているのではない」
母の隣に腰かけた父は、ちらりと母の横顔を見る。母は特別驚いた様子もなく、ただ黙って僕の話を聞いている。
「どうかお願いします。彼女との婚約を、ユフィール・マクローリー嬢との婚約をお許しください」
「このことを向こうは」
「知りません」
「……一体何だというのだ」
父はついに頭を抱え込んだ。
母はカップをソーサーに置くとじっと僕を見つめた。
きっと、いや絶対に、母はわかっているのだろう。その薄水色の瞳を細め、じっと僕を見つめながら母はそっと口を開いた。
「あなたも私たちと同じなのね、アレク」
一体いつからわかっていたのだろう。
母の言葉に思わず頬を緩めると、僕の顔を見て母は珍しく、優しい笑みを見せた――
「――おい、アレク!」
ライアンの言葉にはっと我に返る。
「何ボヤッとしてんだ、婚約者殿を迎えに行くんだろ?」
「ああ、そうだった。ありがとう」
もう一度鏡に視線を戻し、髪をかき上げて騎士学園の帽子をかぶる。この姿も今日で終わり。
「じゃあ後で、ライアン」
僕は扉を開け、ユフィールが到着したであろう馬車停まで急いだ。
*
卒業式が行われる演武場前には多くの馬車が止まっていた。
すでに家族友人たちが集まり、演武場前の広場には人が大勢いる。行き交う人々に名を呼ばれそれに応えるのも煩わしいほど、僕の気持ちは急いていた。
こんなにも胸が鳴り、そして緊張したことはない。
(ユフィール……ユフィール)
彼女に直接会うのは婚約式以来、七年ぶりだ。
その声も、姿も、優しいほほえみも、いつだって忘れたことはない。
三年前、姿を見ただけで飛び出し抱きしめたい衝動に駆られたあの夜。美しく姿勢のいい彼女が、兄上殿の手を取り楽しそうに踊る姿を血が出るほど唇を噛み締め遠くから見つめた。
そもそも成人していない僕は、あの夜の晩餐会には出席できなかったのだから、姿を見ることができただけでも幸運だ。そう自分に言い聞かせ、許された時間、彼女の姿を見つめ続けた。
(あった、馬車だ)
家紋の入った四頭立ての馬車が二台、馬車停に停まり、両親とサーシャが下りてくる姿が見えた。
もう一台の馬車から彼女の侍女が降り立つ。
僕は急いでその馬車に向かうと、僕を見た侍女殿が目を丸くして一歩下がった。
(中に、彼女がいる)
両親が何やら言った様子だが、答えたかどうかわからない。
心臓の音が激しく鳴り響き、全身の血が沸騰しているようだ。耳も熱いし、目の前がなんだか揺れている気がする。
(――やっと、あなたに触れられる)
開いたままの扉に足をかけ、半身を中へ入れた。
そこには、栗色の緩く波打つ髪を下ろし、ベージュのドレスコートに見覚えのある白いレースのストールを肩にかけた彼女の姿があった。
馬車の座席に腰かけたまま、じっと手元のクラッチバッグに視線を落としている。
「――ユフィール」
声に出したその名。
震える僕の声に、ゆっくりと顔を上げる彼女。
とろりと琥珀が溶けたような、明るいオレンジ色の大きな瞳が驚いたように向けられる。
今、彼女の瞳には間違いなく僕が、僕一人が映し出されている。そのことに全身が震え、今すぐにでも彼女を抱き締めたくて仕方ない衝動に駆られた。
「ユフィール、……手を」
彼女に向けて手を差し出すと、驚いた様子で、だが僕をじっと見つめたまま彼女は手を載せた。なぜ手袋をしてきたのか、悔やんだがもう遅い。彼女を見つめたまま馬車から降りると、明るい日差しの下でさらに彼女の瞳が柔らかく蕩ける。
「……お久しぶりです」
早く声を聴きたい。ずっとそう思っていた。記憶の中の声だけではなく、あなたに触れて声を聴いて、笑顔を見たいとずっと思ってきた。
「……アレク様?」
僕の名を呼ぶその声。
「はい。やっと会えましたね、ユフィール」
僕は触れられない彼女の手の甲に、そっと唇を寄せた。
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