13 / 40
ユフィール9
しおりを挟むすっきりと目が覚めた。
重たい瞼を何とか開けて起きるような朝ではなく、瞬きのようにふと目を開き、すぐに身体を起こすことができた。
天蓋のカーテンをめくりベッドから降りて窓を開ける。見上げた空は薄水色に輝き、小鳥のさえずりと動き出した人々の気配に満ちていた。
ソファに腰かけ窓から吹き込んでくる朝のひんやりした空気を吸い込み、ふうっと吐き出す。なんとか心を落ち着けようと深呼吸を繰り返してみるけれど、――ダメだった。
(……高槻レンにTL好きがバレた夢……!)
思わず頭を抱え悶えた。
どうしてわざわざ人生で一番恥ずかしかった思い出を夢に見るんだろう! 見なければ思い出すこともなかったのに!
羞恥が蘇り、けれど前世の話だ、何もできることはない。この苦しい羞恥心に一人耐えるしかないのだ。
呻き声を上げそうになりながら、無意識に視線がベッド脇のチェストへと向く。
あれに興味を持った自分を今とても後悔している。
鍵付きの引き出しとはいえ、あの本を持っていることが人に知られたら、またとんでもなく恥ずかしい気持ちになるし、たぶん前世よりも失うものが多い気がする。
(王都で人気かもしれないけど、ここに来たばかりの私がすでに手に入れて読んでいるのってなんか……なんか……)
『いいじゃん、好きなもの好きって堂々としてても』
複雑な瞳の輝きを持つ彼の声が頭に響く。
私のこんな悩みを彼が知ったら、明るく笑い飛ばすだろうな。そう思うと、なんだかどうでも良くなってくる。
(――彼がいれば、きっともっと生きやすいのかもしれないわね)
彼はあの後、どんな人生を歩んだのだろう。
教師になりたいと言っていた、明るくてよく笑う彼。コミュ力が高くて、肉まんが好きな男の子。
(ふふ、肉まん……)
ふかふかの肉まんを思い出し、思わず一人で笑ってしまう。本当に毎日買って帰ったな。寒かったのもあるけど、あれは彼が単純に肉まんが好きだったのだと思う。あとコタロー。あの子を撫で回すのが好きだったみたい。
ふうっと息を吐き出し、窓の外に視線を向ける。
涼しげな影を落とす梢の間から、まばゆい光が差し込んできた。
――あの時のことばかり思い出して、その先の自分のことを思い出さないのは、なぜかしら。
私はぼんやりと、少しづつ昇る日の光を見つめた。
*
「まああ! なんて素敵なんでしょう! とてもお似合いです、お嬢様!」
アナが瞳を輝かせ両手を胸の前で組んだ。なんなら瞳を潤ませている。そんなに? 大げさじゃない?
促され姿見の前に出ると、確かに今まで身に着けたことのないデザインの、美しいドレスだ。
あまり派手なものが好きではないことをわかってなのか、シンプルな白一色で編み上げた総レースのドレス。腰から裾に向けゆったりと広がり、ボリュームは抑えめなのにトレーンがたっぷりと後ろへ流れるようになっている。花や蔓を象ったレースには、ところどころに砂粒のようなビーズが縫い留められており、動くときらきらと光り輝く。アンダードレスに灰色がかった光沢のあるキャミソールドレスを合わせ重ねることで、全身が銀色に輝いているように見える。
(これってつまり、アレク様の色、ということよね)
夫人と同じ美しい銀色の髪を持つアレク様。
『あのドレスを見たら……、いえ、何でもないわ』
何かを言いかけやめた、昨夜の夫人。
(夫人が言っていたのはこのことね……)
このドレスを見たら。
(私への執着がわかる……)
自分でそんな考えに至り、顔が熱くなる。自意識過剰じゃないかしら。単純に侯爵家の一員としての色かもしれないし。
鏡に映る顔が赤くなった自分から、姿見の横に置いた天鵞絨の箱へ視線を移す。中には私にはもったいない、高級な宝飾品が収められている。それは、まるでその執着の強い現れと言っていい品だった。
(私なんかにこんな素晴らしいものを準備してくださるなんて……)
私はその思いに相応しい婚約者なのだろうか。
チクリと小さく、胸が痛む。
「そちらも身に着けてみますか?」
アナの楽しそうな声に首を振り辞退する。
「これはいいわ。とても高級なものだし、本番まで取っておきましょう」
「そうですか? でも、ふふ、婚約者様のお気持ちが感じられますね!」
「そう?」
「そうですよ! だって今まではちょっと貴族の贈り物としては控えめなものばかりだったじゃないですか!」
「それは、私がそのほうが嬉しかったからよ」
「でも、婚約者って恋人と同じですよね? だったら宝石のひとつでも渡したいと思うのが普通です!」
――恋人。
アレク様は七年前と変わらず、私をあんな瞳でまっすぐ見つめてくるのだろうか。
先日のご令嬢方を見るに、恐らくとても人気のある方なのだろう。侯爵家嫡男であり騎士学園を首席で卒業、卒業生代表として式典では近衛隊長直々に騎士の宝剣を授かるそうだ。
そんなアレク様を年頃のご令嬢方が注目しないはずがない。何としても近付きたいと思うだろうし、その隣を狙うのは当然こと。
けれど、そんな素晴らしい男性には年上の、私のような田舎から出てきた婚約者がいる。彼女たちにしたら納得もいかないだろうし、嫌味も言いたくなるだろう。
(アレク様と同じ年頃の美しいご令嬢は大勢いるわ。社交の場に出ているのなら、もしかしたらいいお相手と出会ってるかもしれない)
なぜ私なのか。
そればかりが頭を過る。
特になんの取り柄もない私。家柄も特別良いわけでもなく、容姿だって地味で平凡だ。しかも領地は遠く、互いに顔を合わせることもないまま七年もの間手紙のやりとりだけで交流してきた。
そんな私なんかよりも、何度か出席した夜会で出会う素敵な女性と恋仲になる方が普通だろうと思う。
(ううん、違うわね……)
手紙だけとはいえ、彼はそんな人ではないと知っている。
きっとそんな出会いがあれば、すぐにこちらへ言ってくるだろう。
アレク様とはそのくらい誠実で素敵なやり取りをたくさんしてきた。そう思えるほど、彼の手紙はまっすぐでいつも待ち遠しかったし、私は彼に会えることを、卒業式に参加できるのを楽しみにしていた。
――だというのに。
『ゆふセンセ!』
思い浮かぶのは、彼の……高槻レンの、輝くような眩しい笑顔ばかり。
私が今会いたいと思うのは夢の中の、彼の笑顔だ。
――こんな私が、アレク様の婚約者でいいのだろうか。
鏡の中のアレク様の色を纏った自分の姿に、言いようのない違和感を感じた。
91
お気に入りに追加
199
あなたにおすすめの小説
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
私は既にフラれましたので。
椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…?
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜
氷雨そら
恋愛
婚約相手のいない婚約式。
通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。
ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。
さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。
けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。
(まさかのやり直し……?)
先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。
ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる