3 / 40
ユフィール3
しおりを挟む
「街を?」
翌日、さてどう過ごそうかと思案していると道中をずっと警護してきた護衛騎士が部屋を訪れた。
「はい。退屈するだろうからご案内するようにとアレク様から仰せつかっております」
「まあ、それは嬉しいけれど」
大きな体躯の騎士は白金の髪を短く刈り上げた頭を下げ、じっと動かない。どちらかと言うと、窺いよりも行くべきだと言われている気がする。
「……わかったわ、では侯爵様にお伝えしなくては」
手にしていた本を置き立ち上がると、ソワソワと様子を見ていたアナがさっと近づいてきた。
「お嬢様、わたしもご一緒していいですか?」
「もちろんよ。色々見て回りましょう」
「はい!」
嬉しそうに頬を赤らめる彼女に、せっかく来たのだから少しは楽しもうと、ほんの少し落ち込んでいた気持ちを前向きに切り替えることができた。
(この子と一緒に来てよかったわ)
肩身の狭いこの屋敷で一人でいてはきっと考えすぎて気持ちが塞いでしまう。二人で出掛けたら、きっと街も楽しめるだろう。
「どこか行きたいところはある?」
「え、それはもう……あの、お嬢様はどうですか?」
「そうね……本屋に寄りたいわ」
王都には大きな書店がある。以前来た時にも足を運んだ場所だ。
「雑貨や細々した文具用品も置いているのよ」
「まあ! 私、新しい便箋とペンが欲しいんです」
「ふふ、じゃあ必ず寄りましょうね」
アナからストールを受け取り肩にかける。これはアレク様が昨年誕生日に送ってくれた繊細なレースのストールだ。白いレースにフリンジ部分の鮮やかな緑がアクセントとして控えめに入ったもので、気に入っている。
「もうすぐ夏ね」
窓の外を見ると、高い位置に刷毛で引いたような白い雲が青い空に伸びていた。
*
「本当にいろんなものがありますねぇ!」
馬車から降り、護衛騎士の案内で街を歩く。
アナが嬉しそうに声を上げキョロキョロと見渡しているのを見て、出かけてよかったと思う。せっかく王都へ来たのだから、閉じこもっているのももったいないわ。アレク様に配慮していただいたお礼が早く言いたい。
街を観察しながら三人で歩くと、以前は気が付かなかった風景が見えてくる。
石造りの建物には大きな窓ガラスが嵌め込まれ、チーズやベーコンが吊るされた店、生活雑貨、酒屋など、様々な専門店が立ち並び、通りには買い物を楽しむ人で溢れている。入口にはそれぞれの取扱商品を模した看板がぶら下がり、鉄格子の窓には色とりどりの花が飾られ、通りを華やかに演出していた。
「ここは市井の者たちが普段から買い物をする通りです。あの中心にある噴水の左手にはバザールが続きます」
私の隣を歩く騎士が説明をしながら、周囲に視線を向ける。街歩きだからと控えめな格好をしてきたのでそんなに目立たないはずだけれど、胸当てと篭手を嵌めた騎士は腰に剣を佩いている。その姿では逆に目立ち、通り過ぎる人々がチラチラとこちらを見ていくのだ。
(私の容姿では、誰が貴族かなんてわからないでしょうけど)
ストールはとてもいいものだけれど、身に纏う服は町娘のようなそれ。髪の色もなんの特徴もない明るめの栗色に、茶色い瞳。
(こんな私があの侯爵家の後継者と婚約関係にあるなんて、誰も思わないでしょうね)
騎士に先導され噴水のある大きな広場に出る。
赤や黄色の鮮やかなタープを張ったワゴンがあちこちに並び、噴水を囲むように人々が腰掛け談笑している。深い緑のパラソルの下ではワインを楽しみながら食事をしている人の姿もあった。
「ここはいつ来ても賑やかね」
「ええ、新しく店も増えたので時間を問わずいつも人で賑わっています」
噴水通りを横切り、右手に伸びる通りへと入る。
こちらは大きな石造りの建物が立ち並び、やや高級な雰囲気に変わる。ワゴンや話題に見当たらず、店先の窓には高級なドレスやタキシードを纏ったマネキン、シルクハットの専門店や宝石が並ぶ店もあり、店の入口にはドアマンの姿もある。
「ユフィール様は来たことがあるんですか?」
アナが後ろからそっと訪ねてきた。雰囲気に飲まれたのか、先程までの興奮した様子から大人しくなっている。
「ええ、王都へ来る時は寄らせてもらっているの」
「おしゃれなレストランも多いですね」
「そうね、私も入ったことはないのよね」
王都には友人どころか知り合いもいない。まさかあの侯爵家の人々と来るわけにもいかないので諦めているけれど、話題のカフェや素敵なレストランには行ってみたいといつも思っている。
(結婚してこちらに移れば……アレク様と来ることができるかしら)
レストランの入口を見上げると、二階のテラス席で談笑する若いカップルの姿が見える。赤いパラソルに鮮やかな新緑が映え、とても美しい絵のようだ。
(いい関係を持てたら……)
期待と不安。
ここに来てからずっと、私につきまとい離れない二つの感情に、心が揺れ動いている。
翌日、さてどう過ごそうかと思案していると道中をずっと警護してきた護衛騎士が部屋を訪れた。
「はい。退屈するだろうからご案内するようにとアレク様から仰せつかっております」
「まあ、それは嬉しいけれど」
大きな体躯の騎士は白金の髪を短く刈り上げた頭を下げ、じっと動かない。どちらかと言うと、窺いよりも行くべきだと言われている気がする。
「……わかったわ、では侯爵様にお伝えしなくては」
手にしていた本を置き立ち上がると、ソワソワと様子を見ていたアナがさっと近づいてきた。
「お嬢様、わたしもご一緒していいですか?」
「もちろんよ。色々見て回りましょう」
「はい!」
嬉しそうに頬を赤らめる彼女に、せっかく来たのだから少しは楽しもうと、ほんの少し落ち込んでいた気持ちを前向きに切り替えることができた。
(この子と一緒に来てよかったわ)
肩身の狭いこの屋敷で一人でいてはきっと考えすぎて気持ちが塞いでしまう。二人で出掛けたら、きっと街も楽しめるだろう。
「どこか行きたいところはある?」
「え、それはもう……あの、お嬢様はどうですか?」
「そうね……本屋に寄りたいわ」
王都には大きな書店がある。以前来た時にも足を運んだ場所だ。
「雑貨や細々した文具用品も置いているのよ」
「まあ! 私、新しい便箋とペンが欲しいんです」
「ふふ、じゃあ必ず寄りましょうね」
アナからストールを受け取り肩にかける。これはアレク様が昨年誕生日に送ってくれた繊細なレースのストールだ。白いレースにフリンジ部分の鮮やかな緑がアクセントとして控えめに入ったもので、気に入っている。
「もうすぐ夏ね」
窓の外を見ると、高い位置に刷毛で引いたような白い雲が青い空に伸びていた。
*
「本当にいろんなものがありますねぇ!」
馬車から降り、護衛騎士の案内で街を歩く。
アナが嬉しそうに声を上げキョロキョロと見渡しているのを見て、出かけてよかったと思う。せっかく王都へ来たのだから、閉じこもっているのももったいないわ。アレク様に配慮していただいたお礼が早く言いたい。
街を観察しながら三人で歩くと、以前は気が付かなかった風景が見えてくる。
石造りの建物には大きな窓ガラスが嵌め込まれ、チーズやベーコンが吊るされた店、生活雑貨、酒屋など、様々な専門店が立ち並び、通りには買い物を楽しむ人で溢れている。入口にはそれぞれの取扱商品を模した看板がぶら下がり、鉄格子の窓には色とりどりの花が飾られ、通りを華やかに演出していた。
「ここは市井の者たちが普段から買い物をする通りです。あの中心にある噴水の左手にはバザールが続きます」
私の隣を歩く騎士が説明をしながら、周囲に視線を向ける。街歩きだからと控えめな格好をしてきたのでそんなに目立たないはずだけれど、胸当てと篭手を嵌めた騎士は腰に剣を佩いている。その姿では逆に目立ち、通り過ぎる人々がチラチラとこちらを見ていくのだ。
(私の容姿では、誰が貴族かなんてわからないでしょうけど)
ストールはとてもいいものだけれど、身に纏う服は町娘のようなそれ。髪の色もなんの特徴もない明るめの栗色に、茶色い瞳。
(こんな私があの侯爵家の後継者と婚約関係にあるなんて、誰も思わないでしょうね)
騎士に先導され噴水のある大きな広場に出る。
赤や黄色の鮮やかなタープを張ったワゴンがあちこちに並び、噴水を囲むように人々が腰掛け談笑している。深い緑のパラソルの下ではワインを楽しみながら食事をしている人の姿もあった。
「ここはいつ来ても賑やかね」
「ええ、新しく店も増えたので時間を問わずいつも人で賑わっています」
噴水通りを横切り、右手に伸びる通りへと入る。
こちらは大きな石造りの建物が立ち並び、やや高級な雰囲気に変わる。ワゴンや話題に見当たらず、店先の窓には高級なドレスやタキシードを纏ったマネキン、シルクハットの専門店や宝石が並ぶ店もあり、店の入口にはドアマンの姿もある。
「ユフィール様は来たことがあるんですか?」
アナが後ろからそっと訪ねてきた。雰囲気に飲まれたのか、先程までの興奮した様子から大人しくなっている。
「ええ、王都へ来る時は寄らせてもらっているの」
「おしゃれなレストランも多いですね」
「そうね、私も入ったことはないのよね」
王都には友人どころか知り合いもいない。まさかあの侯爵家の人々と来るわけにもいかないので諦めているけれど、話題のカフェや素敵なレストランには行ってみたいといつも思っている。
(結婚してこちらに移れば……アレク様と来ることができるかしら)
レストランの入口を見上げると、二階のテラス席で談笑する若いカップルの姿が見える。赤いパラソルに鮮やかな新緑が映え、とても美しい絵のようだ。
(いい関係を持てたら……)
期待と不安。
ここに来てからずっと、私につきまとい離れない二つの感情に、心が揺れ動いている。
90
お気に入りに追加
199
あなたにおすすめの小説
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
恋がしたいなら、ネタバレ禁止!~自分の幸せを最優先して、すべてぶちまけた悪役令嬢ですけど何か文句あります?~
待鳥園子
恋愛
なんと、乙女ゲームの悪役令嬢イリーナに生まれ変わったと気がついた私。
王太子であるランベルトにすべてをぶち撒けて、自分は悪役令嬢にならず、安全に逃げることにした!だって、悪役令嬢なんて面倒そうだし貴族令嬢に生まれ変わったからには省エネで生きたい。
いよいよ乙女ゲームのハッピーエンドの卒業式で、何故かランベルトから名前を呼ばれることになって!?
〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる