2 / 40
ユフィール2
しおりを挟む王都の中心部からやや東に位置する侯爵家のタウンハウス。
タウンハウスと呼んでいいものか迷うほど大きなお屋敷に向かうと、エントランスにはすでに侯爵夫妻、そしてアレク様の妹の姿があった。
まさか出迎えられるとは思わず、護衛騎士の手を借り慌てて馬車を降りる。
侯爵夫妻とお会いするのは約三年ぶり。
「侯爵閣下、夫人、ご無沙汰しております。この度はアレク様のご卒業とご成人、誠におめでとうございます」
膝を曲げ挨拶をすると、侯爵閣下が優しく微笑んだ。
高位貴族であるけれど、侯爵閣下は大変穏やかで物腰の柔らかな方だ。初めてお会いした時、アレク様の優しいお顔立ちは閣下に似たのだと思った。
やや白いものが混じり始めた黒髪に濃い緑の瞳を優しく細めて、閣下は嬉しそうに笑った。
「久しぶりだ。元気そうで安心したよ。ご両親は息災かな」
「はい、おかげさまで両親も元気に過ごしております」
そう答えると、閣下はふふ、と笑顔を見せる。
「王太子殿下の立太子の晩餐会以来だから、三年になるか」
「はい。その節は大変お世話になり、ありがとうございました」
「あの時は本当に、アレクが貴女に会えなくて随分と文句を言っていたよ……。まあ、この話はアレクから直接聞くといい」
「?」
首を傾げると閣下はおかしそうに「なんでもない」と声を上げて笑った。
三年前、王城で開かれた第一王子の立太子を祝う晩餐会に、私は侯爵家の婚約者として兄と共に招待を受け参加した。あの時も侯爵夫妻は私と兄をこのタウンハウスに滞在させてくれたが、アレク様は騎士学園から騎士団の見習いとして任務に就いており、会うことが叶わなかった。
(アレク様に会えなかったのは残念だったのよね)
あれが四年も前のことだなんて。昨日のことのように思い出せる、煌びやかで豪華で、まるで夢の中にいるような一夜。
「ユフィール、道中は何か問題なかったかしら」
「ありがとうございます、イリス様。アレク様のご配慮のおかげでとても快適な旅路となりました」
「そう」
相変わらず無表情のイリス夫人は、氷のような薄水色の瞳を私に向け細めた。その冷たさが美しさに拍車をかけるのか、相変わらず近寄りがたい迫力がある。
「この度のお屋敷での滞在もお許しいただき、ありがとうございます」
「構わないわ」
そしてとても口数が少ない。そのことも、近寄りがたい雰囲気を醸し出す要因のひとつかもしれない。
「アレクは卒業までは寮住まいだ。卒業式典で合流できるだろう」
「はい。楽しみにしております」
「そうか。きっとあれも今にも屋敷に飛んで来たい気持ちだろうな」
「まあ」
閣下にも改めてお礼の言葉を述べ、そしてその一歩下がった位置に立つ、アレク様の妹サーシャ様へ改めて膝を曲げ挨拶をする。
「サーシャ様、ご無沙汰しております」
「……お久しぶりね、ユフィール様。あなたって、せっかく王都に来たというのに冴えないドレスを着ているのね」
「サーシャ」
夫人が鋭く名前を呼ぶと、つん、とサーシャ様は横を向いた。夫人と同じ銀色の髪を持つサーシャ様は、年は十二歳。
四年前にお会いした時から随分美しくご成長されたけれど、私に対する敵対心が初めて会った時と変わっておらず、可愛らしくてつい微笑ましい気持ちになる。そんな顔を見せてはきっともっと嫌われるだろうから、絶対にしないけれど。
「そんな姿ではお兄様の婚約者として恥をかくと言っているだけよ」
「そうですね、申し訳ありません」
(相変わらず、兄上想いなのね)
初めて会った頃はまだ小さかったサーシャ様。私がアレク様の婚約者と知り、兄上を取られると号泣していたのが懐かしい。すっかり背も伸び近寄りがたい美しさを纏う雰囲気は夫人に似ているけれど、今もあの頃の面影を残していて可愛らしさは変わりない。
なんて年頃の女の子に言ったら、益々嫌われそうだわ。
「恥ずかしながらサーシャ様のような素敵なセンスを持ち合わせていなくて……。滞在中にご教示いただけると嬉しいのですが」
「そ、そんな暇はないわ! わたくしだって忙しいのだから!」
「サーシャ」
顔を赤くしたサーシャ様が声を大きくするのを夫人が声だけで窘めると、ぐうっと唇を噛み締めそのまま黙った。夫人は私に視線を戻し、頭から足の先までじっくりと眺め、ふむ、とひとつ頷いた。
何がふむ、なのかしら?
「滞在中にドレスを仕立てるのはいい考えね」
突然の夫人の申し出に驚き、「えっ」と声が出そうになる。
「あの、ですが……」
「質の良いドレスを持つのも侯爵家の人間としての務めよ」
「は、い」
(だって、玄関で待っているなんて思わなかったんだもの!)
夫人の背後でサーシャ様が小さく笑うのが見え、恥ずかしさに顔が熱くなる。
この格好は馬車に乗っている間、少しでも楽でいたかったから着ていた軽装だ。玄関で出迎えられるのがわかっていたら、もっとちゃんとした格好をしたし、できれば正装に着替えて挨拶に伺いたかったのに!
「二人共、ユフィールを困らせるな。長旅で疲れているんだ、まずは部屋でゆっくり休んでもらおう。ユフィールを部屋へ案内してくれ」
閣下が背後の家令に声を掛けると、白髪の家令が頭を下げた。
「お部屋へご案内いたします」
「ありがとう、お世話になります」
「では、晩餐までゆっくり過ごすといい」
「ありがとうございます。皆さま、お世話になります」
改めて皆の前で膝を曲げ、やっと玄関に招き入れられる。私の背後でアナが小さく息を吐くのが聞こえた。
(なんだか色々大変そうだわ……)
婚約者に会うまでの道のりは、どうやら長い。
90
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜
氷雨そら
恋愛
婚約相手のいない婚約式。
通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。
ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。
さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。
けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。
(まさかのやり直し……?)
先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。
ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。
小説家になろう様にも投稿しています。
あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――
おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。
※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。
元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。
破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。
だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。
初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――?
「私は彼女の代わりなの――? それとも――」
昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。
※全13話(1話を2〜4分割して投稿)
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
王子様と朝チュンしたら……
梅丸
恋愛
大変! 目が覚めたら隣に見知らぬ男性が! え? でも良く見たら何やらこの国の第三王子に似ている気がするのだが。そう言えば、昨日同僚のメリッサと酒盛り……ではなくて少々のお酒を嗜みながらお話をしていたことを思い出した。でも、途中から記憶がない。実は私はこの世界に転生してきた子爵令嬢である。そして、前世でも同じ間違いを起こしていたのだ。その時にも最初で最後の彼氏と付き合った切っ掛けは朝チュンだったのだ。しかも泥酔しての。学習しない私はそれをまた繰り返してしまったようだ。どうしましょう……この世界では処女信仰が厚いというのに!
会えないままな軍神夫からの約束された溺愛
待鳥園子
恋愛
ーーお前ごとこの国を、死に物狂いで守って来たーー
数年前に母が亡くなり、後妻と連れ子に虐げられていた伯爵令嬢ブランシュ。有名な将軍アーロン・キーブルグからの縁談を受け実家に売られるように結婚することになったが、会えないままに彼は出征してしまった!
それからすぐに訃報が届きいきなり未亡人になったブランシュは、懸命に家を守ろうとするものの、夫の弟から再婚を迫られ妊娠中の夫の愛人を名乗る女に押しかけられ、喪明けすぐに家を出るため再婚しようと決意。
夫の喪が明け「今度こそ素敵な男性と再婚して幸せになるわ!」と、出会いを求め夜会に出れば、なんと一年前に亡くなったはずの夫が帰って来て?!
努力家なのに何をしても報われない薄幸未亡人が、死ぬ気で国ごと妻を守り切る頼れる軍神夫に溺愛されて幸せになる話。
※完結まで毎日投稿です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる