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 寮を出発した頃には明るかった空が、いつの間にかピンクと青のグラデーションに変わっている。
 ソワソワと落ち着かないまま乗り込んだ馬車で、レンナルトとぎこちない会話を交わし、まともに顔を見ることもできないまま馬車は目的地のレストランに到着した。

「ゾーイ」

 名前を呼び手を差し出される。
 これまで聞いたことのない優しい声に、恥ずかしさが勝って顔を直視できない。目を逸らしたまま差し出された手に手を乗せて馬車を降りると、頭上からふっと笑い声が聞こえた。

「……なによ」
「いや、かわいいなと思って」
「か……っ! ば、馬鹿にしてる?」
「してないって。なんですぐそんなふうに受け取るかなぁ」

 ふはっと笑い声を上げるレンナルトの顔をムッと睨み返しても、レンナルトは益々嬉しそうに笑うばかり。
 
「何年一緒にいたと思ってるの? こんなふうに過ごしたことなんて一度もないのよ、恥ずかしいに決まってるでしょ!」
「ふうん?」

 レンナルトはいつもの意地悪そうな顔で私の顔を覗き込んだ。

「な、何よ」
「恥ずかしがってくれるんだ」
「!」

 その言葉にかあっと顔が熱くなる。
 
「わ、悪かったわね不慣れで!」
「俺だって慣れてないよ」
「よく言うわ。ファンの女性がたくさんいるって自分で言ってたじゃないの」
「勝手に集まってくるだけだ。こんなことするのはゾーイが初めてだけど」
「はいはい、そうですか」
「なんでそんなに信用ないかなぁ。俺なんかした?」

 レンナルトは不思議そうにしながら、慣れた様子で入口に立っていたドアマンとにこやかに挨拶を交わし、知り合いらしいその雰囲気に、何度もここに来ているのが分かる。
 足を踏み入れた店内は落ち着いた照明がオレンジ色の明かりを灯し、あちこちに活けられた花の香りで満ちている。
 見渡せばカップルが語り合っている姿ばかり。レンナルトは近づいてきた接客係に軽く手を挙げてさっさと店の奥へと歩き出す。もうどこの席につくのか分かっている様子だ。

(ほら、やっぱり慣れてるじゃない)
 
 モヤモヤする。うまいことを言って結局レンナルトはこんな状況をスマートにこなせるのだ。
 薄暗い店内を迷うことなく進み、やがて奥の個室へと辿り着いた。オーク材の重い扉を開き中へと案内され室内に足を踏み入れると、目の前に広がる美しい景色。

「……わあ、すごい」

 大きな窓ガラスが一面にある個室は、美しい中庭が一望できるようになっていた。
 小さな池の周りにある低木には小さな白い花が咲き、枝を横に広げた大きな木の新緑がキラキラと陽の光を落としている。個室内の窓際にはライラックの花が大きな花器に生けられ、ここも甘く爽やかな香りに満ちている。
 レンナルトは個室中央に置かれたテーブル席の椅子を引き、私を座らせた。その動きに思わず身構え、ぎこちなく腰を下ろす。

(いつものガサツな動きはどうしたのよ……)

 美しい顔をした貴族令息でありながら、そんなことを微塵も感じさせない口も悪くガサツなレンナルト。
 それが私の、騎士団員たちの知るレンナルトの姿だ。けれど今日は完全に別人。
 美しい顔そのままに、洗練された服装、スマートな身のこなし、そしてエスコート。王城の舞踏会で漠然と感じた、私とレンナルトの住む世界の違いを今、目の前で見ているような感じだ。
 目の前にいるのに、遠い。
 席について程なく、接客係がやってきてレンナルトはワインリストを示した。そしてすぐにボトルとグラス、オードブルが運び込まれる。

「酒、飲むだろ?」

 レンナルトは接客係をすぐに退室させ、手ずからワインをグラスに注いだ。深い赤の液体がゆらりとグラスに注がれる。

「……ありがと」
「料理は適当に頼んでるから。でも他に食べたいものがあったらそこのメニューから選ぶといい」

 レンナルトはそう言いながらグラスを掲げる。私もそれに倣いグラスを掲げた。一口含めば私の好きな重めのワイン。深い香りと滋味が口の中に広がる。

「大人しいな。どうした?」

 レンナルトの言葉に視線を向けると、じっとこちらを見る緑の瞳と目が合った。

「それはこっちの台詞よ」
「んー?」
「だから、なんのつもりでこんなことしてるの?」
「言っただろ、デートだって」

 なんでもないことのようにサラリと答えるレンナルトにイライラしてしまう。どうして私だけがこんなに振り回さなければならないのだろう。
 
「随分慣れてるみたいだけど、一体何人の女の子とこのお店でデートしてるの?」
「やきもち?」
「違うってば!」

 じろりと睨むと嬉しそうに破顔するレンナルト。怒っても嬉しそうにされて、拍子抜けする。落ち着かない気持ちをごまかすようにグラスを煽りワインを飲み干すと、レンナルトがまた私のグラスにワインを注いだ。
 タイミングよくテーブルに美しく盛られた料理が運ばれてくる。レンナルトは素早くそれらをお皿に取り分け、私の前に置いた。

「シェアして食べるスタイルのお店なのね」
「珍しいだろ? でもこのほうがたくさん種類が食べられるからいいよな」

 ほら、と促されるままキッシュを口に運ぶと、濃厚なチーズの香りとベーコンの燻製の香りが口に広がった。
 
「……すごくおいしい」
「だろ? よかった、ゾーイなら気に入ると思ったんだよ」

 レンナルトは自分も前菜を口にすると嬉しそうに笑顔を見せた。こうして時々、隙を見せるような素の笑顔で、レンナルトは多くの人に愛されてきた。私もそんなレンナルトを好ましいと思っているし、子供のような素直な笑顔を愛している。
 けれどそれは、友愛のような、家族愛のようなものなのだ。それ以上なんて、考えたことがない。
 
(私とレンナルトは唯一の相棒で、家族よりも互いを知っている仲なのよ。デートなんて言っても、いつもと違うだけで、だから……)

 ……だから? だから、なんだろう?
 自分の思考に混乱する。私は今、何を考えた?
 
「この店、兄貴の店なんだよ」

 その言葉にふっと意識がレンナルトに戻った。いつの間にか目の前のお皿にまた料理が取り分けられている。私の様子に気が付いているのか、それでも何事もないように話を続けるレンナルトに慌てて返事をする。

「へえ……、え?」
「なんか記念日とかあるとさ、家族でよく利用してるんだ。兄貴に俺が連れて来たい人がいるっつったら、一番いい席を用意してくれたんだ」
(お兄さんのお店?)

 そう言えば、家族の話をした時にそんなことを聞いたような気がする。レストランやカフェをいくつか経営しているとかなんとか。

「覚えてないだろう、俺の話」
「あー、なんか聞いた覚えはある、けど……」

 視線を彷徨わせると、向かいの席からふっと笑う気配がした。
 
「俺が女性を連れてくるなんて初めてだから、内装にも気合が入ってる」
「へ、へえ……」

 そんなことを言われてもなんて反応をしたらいいのか分からない。レンナルトはそんな私を見て、ニッコリと笑みを見せた。なんだか余裕なのが悔しくて、視線を逸らし中庭を見ながらワインを口にする。
 
「で、どうして私をここに?」
「言ったろ? ずっとゾーイとこういうことをしたかったって」
「……」

 レンナルトはグラスを傾けながら私をじっと見つめた。薄暗い店内ではいつものエメラルドの瞳が黒く見える。

「思い出作りとか?」
「ん? まあ、そうとも言うかも」
「ペアを解消したら、中々こういうことも出来ないものね」
「……ゾーイ」

 レンナルトはテーブルに肘を付くと身体を前に乗り出した。甘い空気にほんの少し、ヒリヒリとした空気が混ざる。

「解消は、するだろうな」

 レンナルトは空を見つめたままぽつりと答えた。
 
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