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 コンコン、と扉をノックする音が遠くに聞こえ、意識が浮上した。
 昨日はレンナルトと別れてから寮に戻ると、待ち構えていた同僚たちにあれこれと追求され大変だった。適当にあしらい逃げるように部屋に戻って、でも胸に燻るもやもやした気持ちをなんとか振り払いたくて、結局またランニングに外へ出た。どのくらい走ったか分からない。暗くなるまで走り込み、夕飯も食べずにそのままベッドに倒れ込んで、いつの間にか眠ってしまったようだ。
 視界に飛び込んできた花瓶に生けたブーケが、私の意識を現実に引き戻す。
 のそりと重たい身体を起こすと、またノックされた。

「……待って、今開けるわ」
「ちょっとゾーイ、アンタに来客だよ!」

 扉の向こうからやや興奮気味の寮母の声がする。
 
「また来客……? 誰なの、こんな時間に」
「何言ってるの、もう昼だよ! とりあえず降りてきな!」
「分かった。支度してから降りるから」

 重たい身体を起こして身支度を整える。
 顔を洗って鏡の自分を見ると、目の周りに痣のある赤毛の女が見つめ返す。何でもない平凡な茶色の瞳に真っ赤な髪。

「……切ってしまおうかしら」

 邪魔だと感じながらそれでも伸ばし続けていた。髪をひとつに結わえるしかしないのに、もう腰近くまで伸びている。

『本当に真っ赤な髪だよなぁ』

 そう言って私の髪に触れるレンナルト。いつも気がつくと後ろで私の髪に触れていた。

(邪魔くさいだけだわ)

 冷たい水でもう一度顔を洗い、私は来客が待つラウンジへと降りた。

 階下へ降りると、寮住まいの同僚たちが物陰に隠れるようにラウンジの方を見ていた。

「何してるの?」
「あっ、ゾーイ!」
「やっぱりアンタたち……!」
「え? なに?」

 興奮し、でも声を押さえた同僚たちにわっと囲まれ口々にやっぱり、とかよかったね、なんて言われる。

「何が? なんのこと?」
「いいからホラ! 楽しんできなよ!」
「は? ちょ、ちょっと……」

 数人の同僚たちにグイグイと背中を押され理由も分からないままラウンジへ押し出された。
 そこには、大きな窓の前に置かれた応接セットの一人掛けソファに、長い脚を組み座る一人の男性の姿があった。少しだけくせ毛のふわふわした金髪が、窓からの日差しで白く輝いている。
 
「……レン?」

 それはいつもとは違う、正装したレンナルトだった。ライトグレーの上品なジャケットにスリムなパンツを合わせ赤い石の付いたラペルピンを留めている。
 手元の新聞を読んでいたレンナルトは私の声に顔を上げ、立ち上がると足早に近づいてきて、大きな花束を私の前に差し出した。

「!?」
 
 紫やピンクのライラックをメインにした花束からは私の好きな甘い香りがする。

「おはよう、ゾーイ」
「お、おは……?」

 グイッと押し付けられて反射で受け取るとレンナルトは満足そうに笑った。

「綺麗だろ。実家の屋敷に咲いてる花なんだ」
「え、え?」
「今日は花束にしたけど、今度は庭を見に来るといい」
「ちょ、ちょっとレン、一体何を……」
「これ、悪いんだけど預かっておいてくれないか」

 私の動揺などお構いなしに、レンナルトは様子を窺っていた同僚たちに声を掛ける。一人が元気よく飛び出してきて私の手から花束を奪った。

「さて、行こうか」

 そう言って私の前に手を差し出すレンナルト。

「いっ、行こうってどこに?」
「デートだよ」
「はあ!?」

 背後からきゃあー! と騒がしい歓声が聞こえる。
 ああもう、うるさいわね!
 振り返り睨みつけるとみんなでニヤニヤこちらを見ている。

(もう! なんなのよ!?)

 いつまでもここにいては見世物になるだけだと、差し出された手に慌てて手を乗せて、そそくさと寮を出た。


 寮の眼の前に横付けされた馬車は、レンナルトの家の家紋が入った立派な馬車だった。柔らかな布張りの座席に腰を下ろし、向かいに座るレンナルトの顔を見る。私の視線に気がついたレンナルトは小さく小首をかしげた。

「どうした?」
「説明して」

 腕を組んで睨みつけると、パチパチと瞬きをして不思議そうに私を見返した。

「デートだよ」
「たからなんで!?」
「ゾーイが言ったんだろう、優しくされたり労られたり、デートもしたいって」
「は? ……まさかそれであの花……」
「ライラックが好きだろう? あの小さな白い家を覚えてるか?」

 その言葉に、ふわりと甘い香りが脳裏に甦る。

 ――見てレン、あの家の庭
 なに? ……ああ、ライラックだな
 庭をすごくきれいにしてる。かわいいお家だわ
 あの花が好きなのか?
 何よ、花が好きなのが意外とか言うわけ?
 そんなこと言ってないだろ。酒以外にも好きなもんあるんだなって思っただけ
 うるさいわね!
 ははっ!
 
 郊外での任務の時。
 小高い丘の上に建つ白い小さな家の庭で、枝をのびのびと横に広げ風に揺れていたライラック。薄紫色と濃い紫色の花から漂う、甘く爽やかな香り。青い空に映えてとてもきれいで、なんだか幸せの象徴のようだった。あんな家で余生を過ごせたら。そんな気持ちになったのだ。

「前にライラックを見てそう言ってたろ」
「よ、よく覚えてるわね」
「覚えてるよ。ゾーイのことならなんでも」
「~っ、レン! 一体何なの!?」

 調子が狂って仕方ない。いつものレンナルトとは見た目が違うだけじゃなく、なんだか接し方も違うのだ。
 少し意地悪で、少し優しく……そして、なんだか甘い。
 私の動揺を分かってか、レンナルトはふわりと口元を綻ばせた。その顔に見つめられると恥ずかしくなる。

「ゾーイに意識してもらうことにした」
「意識?」
「俺のこと」

 レンナルトは身を乗り出して私の顔を覗き込んだ。馬車窓から差し込む光に、緑の瞳がキラキラ光る。
 胸がドキドキして気まずくて、なんと返したらいいのか分からなくて口をパクパクと開け閉めしている私に、レンナルトは瞳を細めた。
 
「どうやら間違ってはいないみたいだ」
「な、なにが」
「よし、まずはドレスだ」
「え?」
「楽しみだなぁ」

 レンナルトは背中を背もたれに預け、楽しそうに笑った。
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