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 穏やかな午後の日差しを受けながら、寮の敷地を出てすぐそばにある大きな公園へ向かった。公園内にある道には点々と屋台が出ていて、甘い焼き菓子の匂いが漂っている。屋台の前で楽しそうに過ごす家族を横目に、やがて大きな池の前に辿り着いた。ここは、騎士団が外周を走り込む場所だ。
 無意識に来てしまうほど、馴染のある場所。対岸に走り込んでいる騎士の姿がパラパラ見える。

「手紙には落ち着いたら連絡しますと書かれてありましたが、その、断られるのではないかと思って……」
「断る?」
「ええ、お恥ずかしながら、よくあるものですから」
「まあ」

 ヨルクは困ったように眉尻を下げ目を細めた。目尻の笑い皺が彼の穏やかな性格を物語っているようだ。
 
「断られるなら、……せめて貴女には一度お会いしたかったんです」
「私に?」

 第一印象は気の弱い人なのかと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。黙って次の言葉を待つと、ヨルクはふっと一つ息を吐きだして私を見た。薄水色の瞳が日の光に眩しそうに細められる。

「貴女は仕事で辛い目に遭ってもお辞めにはならないでしょう? この話に食いつく様子もない」
「普通なら結婚に逃げると?」
「聞こえは悪いですが、悪い話ではないと思うので。あ、決して騎士の仕事を軽んじているわけではありません」

 すみません、と小さく謝りぽりぽりと頬を掻く。
 貴族ではない彼の言葉は、無駄な装飾や遠回しな言い方がなくストレートだ。私はなんとなく、そんな彼に好感を持った。

「確かに、結婚の話が挙がっていてその気があれば、怪我を機に辞めるというのはいい機会だったでしょうね」
「でも、貴女はお辞めになるつもりはない」
「……迷っているだけです。私なんて夢もなく、ただ漠然と騎士をやっているだけだから」

 ヨルクの家は王都では有名な老舗の大店だ。取扱品目は王都一を誇り、最近では店舗数を増やすなど勢いに乗っていると聞いている。そんな大店の若き主が、このヨルクなのだ。
 貴族ではない彼が、たとえ田舎であろうと貴族籍を持つ私と籍を入れたいと考えるのは当然だろう。
 貴族社会というのは、繋がりと血筋を重視する古い世界だ。事業をしていれば新参者の肩身の狭さは身をもって知っているはず。
 そう考えると、私との婚姻は彼にとってメリットがある。

「……貴方なら、もっと名の知れた貴族のご令嬢とご縁がありそうなのに」

 そんなことをぽろっと話せば、ヨルクは少しだけ目を見開いてから笑った。

「いえ、決して貴族籍だけが大事なわけではないんです。でも、僕も今の店を大きくしたいという向上心はあるので、ただ漠然と結婚だけを夢見るようでは、きっと後悔する」
「貴方と結婚しても、そう簡単に楽はできないとおっしゃりたいのね」
「そうですね……、少なくとも結婚を腰掛け程度に考えるようでは困ります」
「ふふっ、貴方がなぜまだ独身なのかわかる気がするわ」
 
 そうやって相手を見てきたのだろう。上がった話に食いつくだけではない、見極めるのは大事なことだと思う。そんなことを正直に話すから、相手も見つからないのだろうけれど。
 ヨルクはふっと笑顔を消すと、私の正面に立った。あまり高くない背、細い体躯。けれど彼から感じる芯の強さは見た目とは違うものを感じる。

「僕はきっと仕事に生きると思います。家庭を顧みないこともある。けれど、共に事業を大きくする夢を持てる相手と結婚したいというわがままな夢もある」
「……私とそれができると?」
「そうです。家庭に入るだけの人生を求めているわけではないでしょう?」
 
 新しい人生、新しい生き方。
 騎士であることしか知らなかった私が、違う人生を歩む?

「……わからないわ」
「今すぐ答えを出してくれなくても構いません」

 ヨルクは私の手を取り、そっと指先に口づけを落とすふりをした。
 決して美しくない、私の手。節くれだって剣ダコのある、手入れなんてしていない手に宝物のようにそっと触れるその仕草に、くすぐったい思いが生まれる。

「今度、うちの店を見に来てください。これから力を入れたい事業や店の様子を見ていただけたら嬉しいです」
「……どうして私にそこまで?」
「騎士団で何年も過ごし世間を見てきた貴女は、普通のご令嬢とは違う。一緒に楽しめそうだなと思ったんです。……人生を」
「今日会ったばかりなのに」
「ふふ、本当ですね」

 ヨルクは笑うと、どうしてかな、と首を傾げた。

「ありがとうヨルクさん、私……」
「ゾーイ」

 そこへ不機嫌に低い声がかけられた。驚き振り返ると、走り込んでいたのか訓練着のレンナルトが私たちを見つめて立っていた。額から汗が流れ落ち、シャツの襟を濡らしている。

「レン?」
「何してる、こんなところで」

 不機嫌に寄せられた眉の下の緑の瞳が、握手をしたままの私たちを見て剣呑に光る。

「何って」
「まだ療養中だろう。そんな顔で出てくんな」

 そんな顔、という言い方にカチンとくる。最近はいつもこうだ。レンナルトの一言にいつも腹を立てている。
 
「こんな顔を見たくないなら早く行ってよ」
「は?」

 みっともない顔なのは十分承知しているし、私だって見られたくない。
 少し離れた場所で、レンナルトに気がついた女性たちが頬を赤らめてこちらを見ている。

「ほら、あちらで可愛らしいお嬢さんたちが待ってるわよ」
「あ? 知らねえよ」
「少なくともこんな顔を見るよりずっといいんじゃない? 行きましょう、ヨルクさん」

 レンナルトから顔を背けてその場から立ち去ろうとすると、腕を掴まれ後ろに引き寄せられた。

「ちょ……っ!」
「ヨルク、さん? 話は終わりましたか」

 レンナルトは私の睨みなど無視したまま、不躾にヨルクに問いかけた。ヨルクは一瞬目を丸くし、すぐにまた眉尻を下げた。

「ええ」
「じゃあ、あとは俺がコイツを送りますんで」
「ちょっと!」
「分かりました。では、ゾーイさん。またご連絡します」

 ヨルクの言葉を最後まで聞くことなく、レンナルトに腕を捕まれ、引き摺られるようにその場をあとにした。
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