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5.新しい日々
しおりを挟む「いらっしゃいませ」
店の扉が開くベルが鳴り、落ち着いた声が対応する。客は顔を綻ばせて帽子を取りながら店内に入って来た。帽子の下から現れた丸い耳に、リリーシュはほっこりと気持ちが温かくなる。
「やあリリー、今日はこの間の煎じ茶を買いに来たよ」
「ありがとう。お口に合った?」
「妻が美味しくて飲みやすいと喜んでいたんだ。また用意して貰えるかな」
「いいわ、少し待っていて。何か飲む?」
「じゃあおすすめの紅茶を」
婚約を解消して国を飛び出してから、半年が経とうとしていた。
リリーシュはリリーと名乗り、マリーアンから借りた離れで暮らしていた。
ユージーンに紹介してもらったギルドに登録し、指定の薬草を採取する。学園での勉強で特に薬草学が得意だったリリーシュは、これで生計を立てることを決めていた。
ギルドの依頼で薬草を採取し、さらに自分のためにも様々な薬草を採取する。調合し、薬や煎じ茶を依頼品と合わせてギルドに納品すると、リリーシュの仕事はすぐに噂となった。
宣伝のためにサービスで渡していた煎じ茶や薬にも注文が来るようになり、噂を知ったギルド長がリリーシュの作ったものに値段をつけてくれた。これで、薬草採取だけではなく薬の依頼でも報酬が手に入るようになったのだ。
カラン、とまたベルが鳴る。
「ギルド長! いらっしゃい、どうしたの?」
背の高い大きな男が、窮屈そうに身体を縮こまらせて店内に入って来た。赤黒い縮れた髪を後ろでひとつにまとめた浅黒い肌の男は、いかにも冒険者といった風情だ。大きな怪我を負い、今はギルド長としてこの辺りの統括を行っているが、その腕は丸太のように太く現役の冒険者たちに引けを取らない。
縮れた髪から飛び出た大きな三角の耳が真っすぐリリーシュに向けられた。
「ああ、今日はアンタに話があってな」
「話?」
「いい物件、見つけたぞ」
「本当!?」
リリーシュは顔をぱっと輝かせた。
リリーシュはマリーアンの自宅の離れの二階で暮らし、一階で店を開いている。
小さな店はカウンターひとつに椅子が四脚あり、乾燥させている薬草が所狭しと天井からぶら下がっている。基本的には作業場だが、こうして店まで買いに来てくれる客も増え、自然と喫茶店の様な風情になった。
そこでリリーシュは、店を開くことを決めた。
定期的に入る依頼をこなし、店でも薬草を売って行けば十分な収入になる。店の裏で薬草を育てれば供給も安定し、薬草採取に時間をそれほど割かなくても調合に時間をかけられる。
物件の条件を伝え、ギルド長にいい物件はないか頼んでいたのだ。
「リリー、店を開くのかい?」
カウンターで待っている丸い耳の客が目を見開いた。せわしなく尻尾を揺らしている。
「そうなの。出来ればお店を大きくしたいと思って」
「それは嬉しいことだが……、その、大丈夫なのかい? ほら……」
客が気まずそうにギルド長に視線を向ける。ギルド長は大きな体をカウンターの椅子に載せた。ぎしりと椅子が悲鳴を上げる。
「俺もリリーは自立したほうがいいと思ってる。今じゃ順番待ちが出るほどの人気だからな、うちの調合師は。街中で店を構えてここから通えばいいだろう」
「ここも出る予定よ?」
「は?」
ギルド長が目を見開き耳をぴんと真っすぐに立てた。
「いつまでもマリーアンに甘えていられないわ」
「それは駄目だ」「それはやめた方がいい」
客とギルド長が同時に声を上げた。リリーシュは驚いて二人の顔を見比べる。
「どうして?」
「どうしてって……」
「絶対にダメです!」
バンっと扉を大きく開けて、金色のくるくるした髪の女性が入って来た。
「マリーアン、おはよう」
「おはようではありません! 絶対に絶対にここから出ては駄目です!」
「今日は調子どう? おなかの赤ちゃんのためにもちゃんと食べなきゃだめよ」
「リリーさまのお薬のお陰でちゃんと食べられるようになりました!」
「それは良かった」
リリーシュは笑顔でカウンターの三人に紅茶を淹れると、手際よく紙袋に乾燥させた煎じ茶を計りながら入れていく。
「リリー、一年は大人しくしていろって言われてるだろう」
ギルド長が紅茶を啜りながら上目遣いでリリーシュを窺い見た。リリーシュは驚いてギルド長を見る。
「よく知ってるわね。そんな事までユージーンは言ってたの?」
「ああ、まあ……物件は紹介するが、一人で暮らすのはまだ駄目だ」
「どうして? お店と自宅が一緒になってる方が何かと楽だわ」
「アンタは……人間だから。この辺の事をよく知らないだろう」
「何かまずいことでもある?」
丸い耳の客がハラハラとギルド長に視線を向ける。
「この辺りには獣人が多いし冒険者の出入りも多い。人に良くない感情を持つ者もいるしな、店が開いている時間は俺たちが目を光らせることが出来るが時間外は難しい」
「だからってここにいても同じでしょう?」
「「「違う!」」」
三人の声が揃い、リリーシュは口を噤んだ。
「マリーアンは人間だが夫が獣人だ。奴は耳も嗅覚もいいからな、アンタに何かあってもすぐに分かるし、庇護下にあれば誰も手出しできない」
「手出しって……」
「ここはねリリー、若い女性が一人暮らしするような場所じゃないんだよ」
「……分かった、分かったわ。でも、なんで一年なの? 一年が過ぎたらいいの?」
リリーシュの言葉に、三人はそっと目を合わせため息をついた。
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