上 下
29 / 29

記憶をなくした私は王太子妃候補を辞退します

しおりを挟む

「ルドヴィカ!」

 王城の美しい中庭に用意されたテーブル。
 冬だというのに緑美しい庭園は、すっかり私のお気に入りとなった。
 今日は友人の公爵令嬢と会うことが許され、こうして場を設けた。席に着き到着を待っていると、騎士に案内された親友が私の姿を見て安堵の表情を滲ませ、そして涙ぐんだ。駆け寄り、私の顔をまじまじと見つめぎゅうっと抱き締める。その震える身体に、どれほど心配をかけたのかと私もまた涙がじわりと浮かんだ。

「よかった……よかった! 本当に心配したんだ!」
「ありがとう。連絡が遅くなってごめんなさい」
「そんなこといいんだ。君が無事ならそれでいいんだ!」

 涙ぐむ互いの顔を見て、ふふっと笑い合う。座りましょうと促して、私たちは二人きりで席についた。
 
 私は、彼女のことを全て思い出せていない。
 記憶の中で見た王太子の恋しい人は私の親友。仲良く寄り添い秘密を共有し、彼らのために一肌脱いだ私は、とにかく親友が大好きだった。その気持ちだけはとても良く覚えている。
 そんな親友の姿は普通の令嬢とは違い、短い髪にジャケット、トラウザーズを身に纏った人。エドアルドに私の親友について知ったほうがいいことはあるかと聞くと「会えば分かるよ」と優しく微笑んだ。

「――そうか、覚えていないんだね」
「ごめんなさい」

 スラリと長い脚を組んだその姿は紳士そのもの。聞けば、公爵家とは関係なく自ら事業を立ち上げ、仕事に没頭する日々を送っているのだとか。
 女性の姿ではやりにくいこともあるけれど、ただ紳士服が好きなだけだとおおらかに笑う親友に、記憶がなくても私はとても好感を抱いた。
 
「君が謝ることではないよ」
「でも、もとはと言えばあの下着を買おうとしたからこんなことになったのよね」
「それはそうだね。とんでもない大騒ぎになったし」
「ええ、本当に」

 そう言うとまた顔を合わせ吹き出すように笑い、美味しい紅茶を口に運ぶ。これも、私の好きな紅茶だ。ちらりと離れた場所に立つユリに視線を向けると、目が合ったユリはニコリと嬉しそうに笑顔を見せた。

「君が候補から外れると聞いたよ」
「ええ。領地で暮らしていくことになったの」
「殿下と一緒に?」
「……ええ」

 瞳を細め私を見つめる親友は、安心したように息を吐いた。

「記憶を失う前と変わらない、殿下を好きな君のままだね」
「そう、なのかしら」
「殿下のことも覚えていない?」
「全部は思い出せていないの」
「なら、もう一度殿下に恋をしたんだね」
「もう一度……」
「素敵だね」

 そう言って微笑む親友に、胸が苦しくなった。なぜかは分からない。

「王太子殿下とは会えた?」
「うん、この後時間を貰ったから少しだけど会って来るよ」
「私、早くずっと一緒にいられたらいいって、本当に思っているのよ」
「ルドヴィカ?」

 私のそんな発言に不思議そうに首を傾げる親友。思い出せない歯がゆさが私を焦らせる。伝えたい、この気持ちをちゃんと伝えたい。

「私、本当にあなたと王太子殿下の幸せを祈っているの。二人が早く一緒になれたらいいって。だから……」
「ルドヴィカ」

 親友は優しく微笑むと、私の手をきゅっと握った。

「ありがとう。大丈夫、私たちはちゃんと乗り越えるから」
「そうだよ」

 少し離れた場所から柔らかい声がかけられる。

「王太子殿下!」

 振り返れば、柔らかく微笑んだ王太子が後ろ手に手を組みこちらを見ていた。

「何してるんだ、時間までまだあるだろう」

 そう言う親友は頬をそっと染めながら、プイッと顔をそらした。王太子はいつものことなのか、笑顔で親友に近付くとそっとその頬に口付けを落とす。益々親友は顔を赤らめる。
  
「君が来るから、急いで仕事を終わらせた」
「やればできるなら、初めからそうすればいいんだ」
「君が原動力なんだよ」
(――なんだか私、お邪魔かしら)

 そっと一歩後ろに下がり二人のやり取りを微笑ましく見ていると、ふわりと金色の粒が周囲に舞う。

「ルドヴィカ」

 そっと耳元で名前を囁かれ、肩を抱かれる。見上げれば、横に立つエドアルドが私を見下ろしニコリと笑った。

「エドアルド殿下、ご挨拶申し上げます」

 親友がエドアルドに気が付き腰を折るのを、エドアルドは手で制した。

「堅苦しい挨拶はいいよ。あなたには感謝している」
「お気に召して頂けて光栄です」

 互いの顔を見てニコリと笑う二人に、なんだか不穏なものを感じるのは何故。

「……お気に召す、とはなんですか?」
「ああ、私も紹介してもらったんだよ。今いくつか注文しているから楽しみにしていてね」
「な、何をですか?」
(待ってそれってまさか……!?)

 ニッコリと笑うエドアルドの顔を見て、顔が熱くなる。
(間違いない、あのお店のことね!?)
 パッと親友の顔を見ると、こちらもニッコリと笑みを見せた。

「顔が赤いよ、ルドヴィカ」
「きっ、気のせいです!」
「何の話だ?」

 王太子が不思議そうに首を傾げるのを、頬を染めた親友が「なんでもない」と小さく答えた。

「ルドヴィカ、ご両親がそろそろ到着するそうだよ。私たちはもう行こう」
「は、はい」

 二人に改めて挨拶をして、私とエドアルドは中庭をあとにした。思わぬ二人きりの時間を得た親友は顔をさらに赤くして、王太子の顔をまともに見られない様子だったけれど、きっと二人きりになればもう少し素直になるのだと思う。
 記憶がなくても、私はやっぱりあの二人を応援したいと感じた。

「私、あの二人をやっぱり応援したいです」

 そう言うと、隣を歩くエドアルドが屈んで私の顔を覗き込んだ。その上目遣いの眼差しにどきりと心臓が跳ねる。
 私、この表情が好きだわ。

「応援する時は、私にも教えてくれるかな」
「もちろんです」
「秘密はなし?」
「秘密はありません。私も覚えていないもの」

 そう言うと姿勢を戻してエドアルドが声を上げて笑う。

「じゃあ、君の秘密を一緒に探っていこう」
「そんなにないと思うわ」
「ご両親が到着されたら聞いてみようか」

 私の記憶はまだ戻っていない。
 ところどころ抜け落ちていたり、全くわからないこともある。家族のことに関しては、ユリがずっと話し続けるので、記憶なのか刷り込みなのかもはや分からない。

「ユリの言っていたことも正しいのか、答え合わせをしたいです」

 そう言って後ろをちらりと見れば、少し離れた位置からついてくるユリが、心外だ! と叫びだしそうな顔で私を見た。その様子に私たち二人で顔を合わせ、声を出して笑う。
 ああ、とても幸せだと感じる。

「私、記憶がなくても平気です」
「そうだね。また少しずつ思い出せばいいし、新しい思い出も作っていこう」
「はい」

 エドアルドは私の耳許に唇を寄せ、そっと囁いた。

「用意させている君への贈り物も楽しみにしていて」
「!!」
(やっぱり、それってあの下着のこと……!?)

 パッと隣を見ると、口端を上げて笑みを見せるエドアルド。この意地悪そうな顔を、以前の私も、記憶のない私も好きだと感じる。
 反応に困り視線を前に戻して無理やり話題を変えてみる。相変わらず隣からはニヤニヤした気配を感じるけれど!

「陛下への謁見は両親が到着してからですか?」
「うん。慌ただしくて申し訳ないけど、議会でルドヴィカが王太子妃候補から外れることが承認されたから、その報告をしなければね」
「記憶をなくした私は、王太子妃候補を辞退いたします、でいいですか?」

 それを聞いたエドアルドはまた声を上げて笑う。

「そこは、記憶を失っても第三王子の婚約者になりたいから、がいいなぁ!」
「ではそれも合わせて」
「合わせるのか!」 

 まだ景色は白く雪が残っているけれど、日差しは春の気配を感じる。ちゃんと春は近付いている。
 私の記憶は相変わらず混沌としていてはっきりしないけれど、春の雪解けのように少しずつ、ほろほろと戻ればいいと思っている。
 私の中に残っていなくても、これから作られる新しい記憶と、エドアルドと二人だけの記憶と、私を形づくる人々に見守られて、私はちゃんと私でいられる。

「あ、あの馬車かしら」

 遠くに止まった場所から転がるように降りて駆けてくる二人を見て、自然と笑顔になる。私の名前を叫んでいる二人。
 そう、私が愛して、私を愛してくれる人々がいれば、大丈夫。
 隣を見上げて優しく笑うエドアルドに「行っておいで」と背中を押され、私も二人に向かって駆け出した。
 
 高いエントランスの天窓から、暖かい日差しが降りてきていた。
    





 お読みいただき、ありがとうございました!
 これにて一旦完結し、後日、エドアルド視点などを投稿予定です。またお楽しみいただけるよう、頑張りたいと思います!
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(5件)

谷 亜里砂
2024.04.25 谷 亜里砂

更新がんばってください!また来ます🐬

解除
RoseminK
2024.04.17 RoseminK

エディとルディって可愛いわ🩷
ウィリーいえ、ウィリアム皇太子殿下ももう少し、しっかりなさって。
でも、お妃様候補いすぎですわねぇ。
ご辞退できないのかしら?
まだ出ぬ第二王子派って曲者なのかしら?
変に勘繰ってしまいましたわ!
おほほほほ
更新楽しみにしております。

解除
RoseminK
2024.04.15 RoseminK

き、気になりますわ。
更新、お待ちしております。

解除
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

拾ったものは大切にしましょう~子狼に気に入られた男の転移物語~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,456pt お気に入り:17,072

皇女は隣国へ出張中

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:817pt お気に入り:50

この結婚は間違っていると思う

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,001pt お気に入り:760

【完結】婚約者様、嫌気がさしたので逃げさせて頂きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,267pt お気に入り:3,105

私が消えたその後で(完結)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:979pt お気に入り:2,406

(完結)やりなおし人生~錬金術師になって生き抜いてみせます~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:184pt お気に入り:776

最推しの義兄を愛でるため、長生きします!

BL / 連載中 24h.ポイント:38,802pt お気に入り:13,355

目覚めた公爵令嬢は、悪事を許しません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,267pt お気に入り:3,175

【R18】英雄となった騎士は置き去りの令嬢に愛を乞う

恋愛 / 完結 24h.ポイント:20,834pt お気に入り:143

【完結】会いたいあなたはどこにもいない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,661pt お気に入り:2,158

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。