12 / 29
この気持ちの名前2
しおりを挟む
皿の上のものをひとつずつ食べていく。うん、美味しい。温野菜のサラダを口にした時、僅かに胸に不快感が沸いた。
「……これ」
「うん?」
私の食事をじっと見つめていた王太子が青い瞳を真っすぐに私へ向けた。
「……味、じゃないわ」
彩りのいい温野菜サラダは癖のない野菜ばかり。けれど、そこに使われたドレッシングの味が、なんだか胸にモヤモヤと嫌な気持ちを思い出させた。
「味じゃない?」
「はい。私、このサラダが……ドレッシングが苦手なのだと思います。でも、味が苦手だからではないわ」
――思い出だ。
ドレッシングの味で、嫌な思い出が蘇るのだ。
あの晴れた日に、美しい池のほとりで今みたいに食事をしていた。素晴らしく美しい日に、大好きな人と共にする食事。
久しぶりに会った彼は、以前より少し背が伸びて声も変わっていた。初めはなんだか恥ずかしくて照れ臭かったけれど、少しずつ話をして一緒に過ごして、また同じように笑いあった。庭を散策して領地の街を一緒に歩いて、王都のこと、学校のこと、可愛がっている馬のこと……夜もずっと一緒に過ごし、たくさん話をした。
時間が開いてもすぐに埋められる、私たちの関係。
『ルディ、今日は何をしようか』
日の光が眩しい朝のガゼボで、そう言って笑う彼。
それに応えようと笑顔を向けると、突然、彼の表情がごっそりと抜け落ちた。
そして次の瞬間、口から真っ赤な血を吐き出しテーブルクロスを掴んだまま床に倒れた。クロスと共に床に散らばり割れるお皿、グラス。
他人事のように遠くに聞こえる私の悲鳴、彼の服を染め上げる真っ赤な血――。
「――ルドヴィカ!」
名前を呼ばれハッと意識が引き戻された。
目の前に青い顔をした王太子の顔がある。いつの間にか床の上で王太子の腕の中にいる私。
「わ、わたし……?」
「大丈夫だ、大丈夫。ゆっくり息をして」
私を抱き締める逞しい腕が微かに震えている。抱き締められた腕の中で聞こえる王太子の心臓の音、冷えた私の指先。見上げて私を抱き締めるその人の顔を見ると、不安げに揺れる真っ青な瞳と目が合った。
『エドアルド様! エドアルド様しっかりして! 誰か、誰か来て! エドアルド様!』
遠くに誰かの声が聞こえた。必死に呼ぶのは、彼の名前。
「……エドアルド、さま……」
「……っ、思い出した……?」
あの日、久しぶりに王弟殿下の屋敷を訪れていたエドアルドは、私の目の前で血を吐き倒れた。食事に混ぜられた毒で、その後十日間ほど生死を彷徨った。
苦しむエドアルドの傍で必死に叫んだ私。意識がもうろうとしていたエドアルドに声を掛け続けた私。
「エディ……」
あの日食べた食事の味を、あの、エドアルドを染めた真っ赤な血の色を、私はよく覚えている――。
*
「――そんな理由で嫌いだなんて知らなかった」
エドアルドは私を膝の上に抱きかかえたまま、ベンチに腰掛け池を見つめていた。記憶が蘇った際に気を失っただけなのだけれど、エドアルドは私を離そうとしなかった。
なので今も彼の気が済むまでと思い、大人しく膝の上で抱かれている。なんだか猫になった気分だ。膝の上は思ったよりも落ち着く。
「エドアルド様は味なんて覚えていないでしょうから」
「それどころではなかったからね」
眉尻を下げ笑う彼は、ゆったりと私の髪を梳く。その手つきにうっとりと目を瞑ると、ちゅっと額に口付けが降って来た。
「嫌なことを思い出させてしまって、すまなかった」
「でも、名前を思い出せたでしょう?」
「うん」
嬉しそうに微笑むエドアルドはぎゅうっと私を抱き締めて、すりすりと私の首に額を擦りつける。
「……嬉しいよ、ルディ」
思い出したのはエドアルドの名前とその日のことだけ。それ以外は相変わらずぽっかりと記憶に穴が開いたように、何も思い出せていない。
けれど、あの日の思い出と共に思い出せた、私が彼に抱いていた気持ち。
(私、本当にこの方が好きだったんだわ……)
エドアルドが倒れ苦しむ姿に、心が引き裂かれそうだった私。生きてほしいと願い、必死に手を握り呼び続けた名前。不安に押しつぶされそうだった日々。
ずっと呼びたかった彼の名前。
「エドアルド様……エディ」
そうやって名前を呼ぶと、顔を上げたエドアルドが私の顎を捉え、優しく、柔らかく唇を合わせた。その柔らかさに答えるように私も彼の口付けに応えた。
胸に溢れる気持ち、想い。名前を呼びたかった理由。
これは、愛おしさという気持ちだ。私は彼が、愛おしくて仕方なかったのだ。
私たちはそのまま、陽の光を遮るガゼボの下で抱き合い続けた。
「……これ」
「うん?」
私の食事をじっと見つめていた王太子が青い瞳を真っすぐに私へ向けた。
「……味、じゃないわ」
彩りのいい温野菜サラダは癖のない野菜ばかり。けれど、そこに使われたドレッシングの味が、なんだか胸にモヤモヤと嫌な気持ちを思い出させた。
「味じゃない?」
「はい。私、このサラダが……ドレッシングが苦手なのだと思います。でも、味が苦手だからではないわ」
――思い出だ。
ドレッシングの味で、嫌な思い出が蘇るのだ。
あの晴れた日に、美しい池のほとりで今みたいに食事をしていた。素晴らしく美しい日に、大好きな人と共にする食事。
久しぶりに会った彼は、以前より少し背が伸びて声も変わっていた。初めはなんだか恥ずかしくて照れ臭かったけれど、少しずつ話をして一緒に過ごして、また同じように笑いあった。庭を散策して領地の街を一緒に歩いて、王都のこと、学校のこと、可愛がっている馬のこと……夜もずっと一緒に過ごし、たくさん話をした。
時間が開いてもすぐに埋められる、私たちの関係。
『ルディ、今日は何をしようか』
日の光が眩しい朝のガゼボで、そう言って笑う彼。
それに応えようと笑顔を向けると、突然、彼の表情がごっそりと抜け落ちた。
そして次の瞬間、口から真っ赤な血を吐き出しテーブルクロスを掴んだまま床に倒れた。クロスと共に床に散らばり割れるお皿、グラス。
他人事のように遠くに聞こえる私の悲鳴、彼の服を染め上げる真っ赤な血――。
「――ルドヴィカ!」
名前を呼ばれハッと意識が引き戻された。
目の前に青い顔をした王太子の顔がある。いつの間にか床の上で王太子の腕の中にいる私。
「わ、わたし……?」
「大丈夫だ、大丈夫。ゆっくり息をして」
私を抱き締める逞しい腕が微かに震えている。抱き締められた腕の中で聞こえる王太子の心臓の音、冷えた私の指先。見上げて私を抱き締めるその人の顔を見ると、不安げに揺れる真っ青な瞳と目が合った。
『エドアルド様! エドアルド様しっかりして! 誰か、誰か来て! エドアルド様!』
遠くに誰かの声が聞こえた。必死に呼ぶのは、彼の名前。
「……エドアルド、さま……」
「……っ、思い出した……?」
あの日、久しぶりに王弟殿下の屋敷を訪れていたエドアルドは、私の目の前で血を吐き倒れた。食事に混ぜられた毒で、その後十日間ほど生死を彷徨った。
苦しむエドアルドの傍で必死に叫んだ私。意識がもうろうとしていたエドアルドに声を掛け続けた私。
「エディ……」
あの日食べた食事の味を、あの、エドアルドを染めた真っ赤な血の色を、私はよく覚えている――。
*
「――そんな理由で嫌いだなんて知らなかった」
エドアルドは私を膝の上に抱きかかえたまま、ベンチに腰掛け池を見つめていた。記憶が蘇った際に気を失っただけなのだけれど、エドアルドは私を離そうとしなかった。
なので今も彼の気が済むまでと思い、大人しく膝の上で抱かれている。なんだか猫になった気分だ。膝の上は思ったよりも落ち着く。
「エドアルド様は味なんて覚えていないでしょうから」
「それどころではなかったからね」
眉尻を下げ笑う彼は、ゆったりと私の髪を梳く。その手つきにうっとりと目を瞑ると、ちゅっと額に口付けが降って来た。
「嫌なことを思い出させてしまって、すまなかった」
「でも、名前を思い出せたでしょう?」
「うん」
嬉しそうに微笑むエドアルドはぎゅうっと私を抱き締めて、すりすりと私の首に額を擦りつける。
「……嬉しいよ、ルディ」
思い出したのはエドアルドの名前とその日のことだけ。それ以外は相変わらずぽっかりと記憶に穴が開いたように、何も思い出せていない。
けれど、あの日の思い出と共に思い出せた、私が彼に抱いていた気持ち。
(私、本当にこの方が好きだったんだわ……)
エドアルドが倒れ苦しむ姿に、心が引き裂かれそうだった私。生きてほしいと願い、必死に手を握り呼び続けた名前。不安に押しつぶされそうだった日々。
ずっと呼びたかった彼の名前。
「エドアルド様……エディ」
そうやって名前を呼ぶと、顔を上げたエドアルドが私の顎を捉え、優しく、柔らかく唇を合わせた。その柔らかさに答えるように私も彼の口付けに応えた。
胸に溢れる気持ち、想い。名前を呼びたかった理由。
これは、愛おしさという気持ちだ。私は彼が、愛おしくて仕方なかったのだ。
私たちはそのまま、陽の光を遮るガゼボの下で抱き合い続けた。
195
お気に入りに追加
1,108
あなたにおすすめの小説
あなたの側にいられたら、それだけで
椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。
私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。
傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。
彼は一体誰?
そして私は……?
アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。
_____________________________
私らしい作品になっているかと思います。
ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。
※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります
※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】
王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。
しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。
「君は俺と結婚したんだ」
「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」
目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。
どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。
殿下の婚約者は、記憶喪失です。
有沢真尋
恋愛
王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、いつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。
王太子リチャードは、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。
たとえ王太子妃になれるとしても、幸せとは無縁そうに見えたアメリア。
彼女は高熱にうなされた後、すべてを忘れてしまっていた。
※ざまあ要素はありません。
※表紙はかんたん表紙メーカーさま
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
貴方の記憶が戻るまで
cyaru
恋愛
「君と結婚をしなくてはならなくなったのは人生最大の屈辱だ。私には恋人もいる。君を抱くことはない」
初夜、夫となったサミュエルにそう告げられたオフィーリア。
3年経ち、子が出来ていなければ離縁が出来る。
それを希望に間もなく2年半となる時、戦場でサミュエルが負傷したと連絡が入る。
大怪我を負ったサミュエルが目を覚ます‥‥喜んだ使用人達だが直ぐに落胆をした。
サミュエルは記憶を失っていたのだった。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※作者都合のご都合主義です。作者は外道なので気を付けてください(何に?‥いろいろ)
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる