小さな魔法の物語

かほなみり

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第一章

ダグザ

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 ルアドの仕事部屋から転移し、取り返した古代魔術書を机に置く。飴色をした皮の表紙が鈍く光った。

「やれやれ」

 ダグザは一人掛けのソファに身を沈めると小さく息を吐きだした。
 
 ――禁忌書が部屋から持ち出されたことには気が付いていた。それがルアドの手にあったことも、そしてそのままユーリエ姫の手に渡ったことも。暫くは何も起こらず、ダグザもそれ以上何か対策をしようとは思っていなかった。

(いや、違うな。少しは期待したのも事実だ)

 未だ誰も解き明かすことができない古代文字、古代魔法。
 それはかつて、古代魔法を操り長らく世界に君臨していた超大国が生み出したものだ。
 恐ろしいほどの魔力と魔術を駆使し、この世の栄華を誇っていた王国は、ある日忽然と歴史からその姿を消す。様々な憶測が囁かれているが、正確なことは誰にも分からない。
 そしてその謎を解き明かし超大国に取って代わろうと、各国が我先にと血眼になり古代魔法の研究を進めていた。だが、何百年と経った今でも古代文字はごく一部の解読が進んだのみで、そこからは停滞している。

 ユーリエ姫を産んだ、今は亡き第三側妃。他国の王女である彼女は、わずかだが古代魔法を操ることができる人物だった。
 だが彼女はそのことを誰にも明かさなかった。国王の知るところですらなかったのだ。
 それは、彼女が古代魔法を使えることを知られることで、故国が侵略され脅かされる可能性があると考えたからだった。
 もちろんその可能性はユーリエ姫にも及ぶ。例えこの国の後ろ盾があろうと、古代魔法に取り憑かれた他国が何をするか分からない。彼女はそんな憂いを一人で抱え、秘密を守っていた。度々共にお茶をし、魔法学が好きだという彼女と時間を過ごしていたダグザにすら、明かすことはなかった。
 だがある日、病に臥せ死期を悟った側妃に呼ばれたダグザは、その秘密と共に彼女の唯一を託された。

『ユーリエを……』

 最後の吐息と共に吐き出されたユーリエ姫の名前。彼女から最後まで言葉は紡がれなかったが、ダグザには何を言いたいのかよく分かった。
 そして、側妃があらかじめかけていたのだろう銀色の美しい魔法が最後に発動し、ダグザの手にこの本が託された。
 飴色に光る一冊の本。
 これまで見たことのない古代文字が書かれ、呪文が記されたいにしえの本。
 その多くが、ダグザには読み解けないものばかりだった。

(彼女は読めたのだろうか。この本を故国から持ち出し、どこに保管していたのだ? 一体何が書かれている?)

 ダグザの好奇心は強くこの本に引き寄せられた。そしてそのことに自分自身で気付き、恐ろしさに身震いをした。
 例えわずかな時間であっても、共に時間を過ごした数少ない友人が今、目の前で最後を迎えた。だというのに、こうして古代魔法に囚われる己の魔術師としての本能に、恐怖を感じたのだ。

(これは呪いだ)

 ダグザは側妃の死と共に、この件について誰にも口外することなく己の心に封印した。そして、ただ遠くからユーリエ姫を見守ろうと決めた。
 そうは思いつつ、ダグザの古代魔法に対する好奇心は心の片隅に燻ぶり続けた。
 未練がましく側に置き、何度も本を手に取り読み耽った。知っている文字がある、意味の分かる文字もある。だが、結局何の魔法なのか理解できず音にして発することも出来ない。使うことができない、古代魔法の呪文集。
 それは何年もダグザの心に居座り、他のことに没頭していても重く、暗く心の片隅に存在していた。
 だからこそ、ユーリエ姫の手に渡ったと知った時、危険と知りつつも手は打たなかった。
 浅ましくも期待したのだ。
 その能力に、血筋に。

(まさかあんな姿になるとは思わなかったが)

 先ほど会った人形のようなユーリエ姫。その愛らしさに思わず頬が緩む。
 姫は側妃に似ている。彼女の金髪も複雑な輝きを持つ瞳も、長らく遠くから見守るだけにとどめていたダグザに、側妃と共に過ごしたあの日々を鮮やかに思い出させた。
 そして、そのユーリエ姫を守るため、魔術師の本能に従わなかったルアド。ダグザはそのことに、驚きと共に感動すら覚えた。

(あの好奇心の塊のルアドが、ユーリエ姫を守ることを優先したとは)
 
 魔術師の本能、それは純粋な好奇心だ。
 政治や権力、金に興味はない。
 そんなことを持ちだされては、永遠に分かるものも分からないだろう。未だ古代文字が解読できない大半の原因が、国による干渉のせいだとダグザは思っている。政治が邪魔をするのだ。
 大体、仮に誰かが解読したとして、それは恐らく、すぐに全魔術師に知れ渡り共有されるだろう。何故なら、誰も独り占めしたいなどと思わないからだ。知らせたい、話したい。共有し分かち合いたい。
 

(強大な魔法がどんなものか。この目で見て確かめ、使いたい)

 それが世界を滅ぼすものだとしても。
 それこそが魔術師の本能であり、原動力だ。善も悪もない。
 ルアドの魔力量は恐らくダグザに匹敵するほどだろう。まだ若く未熟だが、研鑽を積めば素晴らしい能力を発揮する。そして魔術師は、魔力が高ければ高いほど好奇心が強い。
 だが、その本能の前に、古代文字を読めることでユーリエの身に何が起きるのか、勘のいいルアドは察したのだろう。だからこそすぐにダグザに知らせず、その場から立ち去ったのだ。隠すにはどうしたらいいのか、すぐに答えを出せないルアドが取った最適解はあれだった。拙いが、よくやったと褒めてやりたいと本当は思っている。そんなことを言おうものなら、あのお調子者は得意になるので言わないが。
 そしてルアドが隠すと決めたのならば、共に楽しいひと時を過ごしたあの儚い女性から託された大切な姫のために、ダグザも好奇心を殺すことに決めた。
 あの女性の面影を残すユーリエ姫を見て。

(この私が、古代魔法を隠そうとしているのだから)

 純粋な魔術師としての好奇心を殺し、第三側妃の故国とやらのために、託されたユーリエとルアドのために動こうとするダグザ。これまででは考えられない己の行動に驚くばかりだった。
 だが、あの姫の力が政治や国の思惑に利用されるのは我慢がならない。せめて、どんな道を選び進むのかは本人が選ぶべきなのだ。
 自分が何故そんなことを思うのか。ダグザはそのことについて明確に考えないよう、思考を止めた。

「――歳を取ったな」

 自虐的に呟いたその言葉に、壁際に置かれた水晶がまるで慰めるかのように、じんわりと光を放った。
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