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第一章
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しおりを挟む『……白き光……酔い、黄金の花咲く池……』
枕元の明かりを頼りに、飴色に光る皮の表紙を開き古びた紙に書かれた文字を指でなぞる。馴染みのない文字は装飾文字のように華やかで複雑、一つひとつが美しく神秘的だ。
古くから伝わる古代文字。
それは、今はもう使われていない古代魔法を発動させるための言葉。一文字の複雑な造形から何が描かれているか、何を意味しているか読み解き、正確に唱えると魔法を発動させることができる。けれど、その意味の複雑さと発声の難しさから、どんな大魔術師であっても唱えられない、今はもう失われた言葉。
私は子供の頃から、この古代文字が好きだった。
見ているだけでも飽きない美しい造形、一文字に込められた物語のような意味。それらを読み取るこの時間が、何より大切で好きだった。
亡くなったお母様とよく一緒に絵本のように眺めていた古代文字は、たとえ不可解でも、私にとって懐かしさを感じるものだった。
「はあ……」
だと言うのに、漏れるのはため息ばかり。何をしても、どうしても気分が晴れない。
侍女長のマリアが心配して淹れてくれた、気持ちの落ち着くお茶もあまり効果を発揮してくれない。
「……今日はもうやめましょう」
表紙をパタンと閉じて、私は諦めて枕元の明かりを消した。
*
――ぐわん、と大きく身体が揺れた気がして覚醒した。
重たいまぶたを開け周囲を見渡す。まだ早い時間なのだろう、室内は青白く鳥の声が遠くに聞こえる。
視線を天蓋に向けしばらくぼんやりしていると、――何か、おかしい。
「……何かしら」
自分の掠れた声に喉が乾いていることに気がつく。ぼんやりする頭をなんとか働かせて、もう一度周囲を見渡した。見慣れた天蓋の模様、カーテンの柄、シーツの手触り。いつもより遠く感じるサイドテーブル、水差しとコップ。
(――あの天蓋は何故あんなに高い位置にあるのかしら……)
いつもより遥か高い位置にある天蓋の模様は、見慣れているはずなのに遠い。
――そう、天井が高い。
「えっ?」
急に意識がはっきりとし、飛び起きた。いつも眠るベッドがとても広い。ベッドの縁が遠くにある。
「どういうこと!?」
大きな枕、大きな本。見下ろせば寝衣は眠っていた姿そのままにベッドの上に広がり、私は裸だった。
「ち、小さくなってる!?」
周りが大きくなったのではない。
私が、小さくなったのだ。
「どうして……」
慌てて寝衣を引っ張り上げてももちろん大き過ぎて身に纏えるはずがない。
「ええと、落ち着いて! そうよ落ち着くの、まずは、えっと……ドレスよ! そう、そうだわ確か、子供の頃のお人形があるはず!」
とにかく何か身に着けたい。人形の服なら着られるかもしれない。
(なんだかよく分からないけれど、こんな姿で人前に出られないわ!)
キョロキョロと辺りを見渡し、ベッドサイドにあるテーブルの引き出しにハンカチがあるのを思い出した。いくら小さいとはいえ全裸で室内を歩くのは抵抗がある。昨夜寝る前に髪を結んでいたリボンが落ちているのを見つけて、とりあえずグルグルと身体に巻きつけた。
そして転がるようにベッドの上を移動し、サイドテーブルにたどり着く。
「……ど、どうしよう」
いつもは気にも留めないサイドテーブルを見て、私はぺたりと座り込んだ。私よりも遥かに大きなサイドテーブルの、ぴっちりと閉められた引き出しは、当然この身体で開けられるわけがない。
「悪い夢……これは夢なのよね……?」
何故こんなことになっているのだろう?
昨夜はいつものように本を読んで眠りについた。何か薬を盛られたとか、そんなことではないと思う。
(分からない、一体何が起こっているの?)
とにかく、このままぼんやり待っていても仕方ない。ハンカチは諦めて、私は意を決してベッドから降り移動することにした。
*
「んん~っ!」
ドサッと音を立てて、やっと枕が床に落ちた。
「やったわ!」
もうすでに全身汗だくだ。
枕を引っ張り、背中で押し、こんなに全身を使ったのは一体いつ以来だろう。
ベッドの縁から床を見下ろす。下に落とした枕に飛び降りればなんとかなりそう。あとはクローゼットまで一気に駆け抜けて、その奥にしまってある子供の頃のおもちゃ箱からドレスを引っ張り出せばいい。それでその後はどうするかなんて、今は考えられない。
そんなことをしているうちにもとの大きさに戻るかもしれないし。なんの根拠もないけれど!
「よし、行くわよ!」
えいっ! と勢いをつけて枕に飛び降りれば、柔らかな羽毛の枕に身体が沈み、けれど思っていたよりも跳ね返る力が強く、勢い余って床に転がった。
「きゃあっ! いっ……たい!」
ゴロゴロと床を転がり頭を打って、一人で頭を抱え呻く。
「もう! 一体どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」
床の上に大の字になり、なんだか腹が立って叫んでみる。そんなことをしたところで、私の声は広い室内に吸い込まれ、室内はすぐに静かになった。
ノロノロと痛む身体を起こし、部屋を見渡す。青白かった室内は次第に明るくなり、もうすぐ侍女たちが支度のために部屋へやってくるだろう。
こんな姿を見られては、どんな大騒ぎになることか。侍女長のマリアなら気絶しそう。そもそも今日やって来る王太子に、こんな姿を見せられるわけがない。陛下だってきっとお怒りになる。役に立たないと、見放されるかもしれない。
(どうしよう……。とにかく早く、人に会える姿に……せめて服を身に着けて、落ち着いて状況を整理したいわ。他のことはそれから考えましょう!)
私は立ち上がり、いつもより何倍も広い部屋の向こうにあるクローゼットに向かって、猛然と走り出した。
「はあっ、はあっ、……っ」
やっとたどり着いたクローゼットは扉の下に隙間があり、身体を滑り込ませて入ることができた。薄暗く視界が利かないクローゼットで、試しに呪文を唱えてみる。
掌にふわっと光の玉が浮き、辺りを照らす。当然だけれど私の身体の大きさに合った小さな光なので、中を全て見通せない。
「確かこの辺に……」
クローゼットを奥へ進み、光をふわふわと高い位置まで飛ばしておもちゃ箱を探し当てた。
「……まあ、そうよね」
目の前にそびえ立つ大きな青い箱を前に、腰に手を当てひとり言を漏らした。
サイドテーブルと同じく、この身体で箱の蓋を開けられるわけがない。それでも周囲を見渡すと、ドレスの陰に落ちていたハンカチを見つけた。身体に巻いてリボンで腰の辺りを結び安定させると、自然とため息が漏れる。
「やっと人間に戻れた気がするわね……」
小さいままなのだけれど。
その時、コンコン、と室内にノックの音が響き、複数の足音が響いた。その音に慌てて飛ばしていた光を消し、クローゼットの扉まで戻って下から覗き込む。
侍女たちだ。
「姫様、おはようございます。本日のお支度に参りました」
侍女長のマリアが天蓋に向かい頭を下げている。今日はアレクシオス殿下と会うために、早くから支度をする予定だった。いつもより侍女の人数も多い。
えっと待って、この姿で出ていっていいかしら。少なくとも私がいなくなったと思われるよりいいわよね?
――でも、でも。
「……姫様? いかがされましたか?」
マリアが訝しげに声をひそめる。
早く、早く出ていかないと大騒ぎになる。けれど、頭では分かっていても足が動かない。
――出ていきたくない。出ていかなくちゃ駄目? このまま、このまま私は……
「姫様? ひ……、姫様!?」
天蓋のカーテンを開け空っぽのベッドを見たマリアの悲鳴が室内に響き渡る。侍女が何人か、慌てた様子で扉前の護衛に何事か説明し、周囲が突然慌ただしくなった。
私はクローゼットの隅に身を隠して耳を塞ぎ、一人蹲ったまま動けずにいた。
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