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最終章 深淵

辺境の夏

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 空の色が濃く、雲もむくむくと空高く登っている。
 バルテンシュタッドの夏。

 王都はもっとジメジメと暑くなるらしく、避暑地としてひと夏をバルテンシュタッドで過ごす貴族もいるのだとか。
 でも北国出身の私からすると十分暑い。
 だって蝉が鳴いてる。あっちこっちで凄く鳴いてる。それだけで暑い。耳から暑い。
 バルテンシュタッドも北国のはずだけど、夏の暑さは私の知らない暑さだった。

 そもそもこちらの普段着は割としっかり着込む。
 夜会のドレスの方が露出が多くてよっぽど涼しかった。長いスカートが下半身だけサウナスーツを着ているみたいで、実際、暑さに負けて熱中症になり倒れた私を見兼ねて、アンナさんが涼し気な生地でチュニックとパンツを作ってくれた。
 バルテンシュタッドは地域の特色として、女性もパンツを履く人が多い。軍部出身者も多く雪国でもあるからか、抵抗がないみたい。パンツスタイルの女性は王都では殆ど見掛けなかった。

 あーでも、サンダル! サンダルが履きたい! 絶対足が蒸れて大変な事になる…。


 バルテンシュタッドに戻って来てから、街で過ごしたり砦に行っても、皆、意外と早く私を受け入れてくれた。
 アンナさんから聞かされていたヨアキムさんも全く動揺せず以前と同じ対応だし、邸のみんなも相変わらず気さくだった。言葉をちゃんと話せるようになった事もみんな喜んでくれて、でも何故か少しガッカリする人もいた。
 オーウェンさんにはもの凄く驚かれたけど「なるほど」とニヤリと笑ってレオニダスの肩を叩いていた。変わらず演奏はしたいこと、料理もしたいことを伝えて、回数は減るけどまた通えることになった。



 私が唯一涼しい格好ができるのは夜、部屋で一人になった時。
 ただし、朝アンナさんが来る前に夏用の部屋着を着ないと、はしたない!と猛烈に怒られるので注意が必要。
 みんなこんなに暑いのにどうしてるのかな? 平気なの? 慣れ?


 夜になり風が涼しくなって、部屋の大きな窓を開ける。ひんやりとした風が室内に入って来て、やっと火照った身体が冷やされる。
 私がいない間に調律をしてくれていたピアノは、王都のピアノとは違う音色を奏でる。湿度や気温にも左右される繊細な音は、私をバルテンシュタッドにいると実感させてくれる。


「またそんな格好をしているのか」

 ピアノを弾いているとレオニダスがオッテと一緒に帰宅した。

「お帰りなさい」
「ただいま」

 後ろから包み込むようにきゅっと抱き締めて頬にキスをくれる。

「誰か人が来たらどうする」

 レオニダスは私の部屋着をそっと撫でる。
 なんでもないワンピースの部屋着なんだけど、生地の薄さが気になるみたい。

「でもこの上にもう一枚なんて着れない…」

 レオニダスは私が熱中症で倒れたのを見たから強くは言わないけれど(その時のレオニダスの慌てぶりが凄かったらしい)、私の暑がりをなんとか出来ないか頭を悩ませている。

 途中、ヨアキムさんがやって来て果実水を置いて行ってくれた。
 オッテはそのヨアキムさんと一緒に部屋を出て行く。ウルたちの元に戻るのだろう。
 ウルと子供たちは使用人の出入り口横に居場所を得て、そこを拠点に毎日活動の場を広げている。ウルは育児に忙しくて私にあまりついて来なくなったけど、お母さんをしているウルもとっても可愛い。

 レオニダスが果実水を手渡してくれる。
 これも、私の熱中症対策の一つ。ナサニエルさんに熱中症予防について話した時、毎日用意してくれるようになったもの。訓練をする騎士や砦の兵士にも好評らしく、今では毎日すごい量のレモンを仕入れているんだとか。


 レオニダスは自分のお酒を用意するとソファに深々と腰掛けため息を吐いた。
 珍しい、疲れてるのね。じゃあ、こんな時は優しい音楽を。


 ピアノの優しい音色と室内を通り抜ける夜の風が心を落ち着けてくれる。
 一日で一番、好きな瞬間。またこうして、レオニダスの帰りを待ってピアノを弾く事が出来る幸せ。


「カレン、明日からしばらく帰りが遅くなる」

 ひと通り弾き終わったところでレオニダスが切り出した。

「夜は帰りを待たなくていいから、先に眠っていろ」
「そんなに遅くなるの?」
「ああ、場合によっては泊まることもあるだろうな…」

 手元のグラスに視線を落とし、難しい表情のレオニダス。多分、ベアンハート殿下と調べている件で何か進展があったんだろう。

「分かった」

 レオニダスの隣に腰掛け、意外と柔らかな髪を撫でる。

「無理しないでね」

 レオニダスはふっと笑うと、グラスを置いて私を横抱きに膝の上に乗せた。

「暫く会えない分、補充しなければ」
「補充」
「……もう帰って来て二週間だぞ? そろそろお預けは無しだ」

 えっ! そう言う話!?

「でも……」

 レオニダスの熱い掌がスルスルと部屋着の裾から入り込み肌を撫でる。

「邸の者に気まずいのは分かるが、俺の我慢も限界だ」


 バルテンシュタッドに帰って来てから、私はレオニダスの部屋の隣に移った。
 レオニダスは同じ寝室を使うつもりのようだったけれど、ヨアキムさんアンナさん、お義兄様の猛反対に遭い渋々従った形。
 帰路での野営時や宿場町では一緒に寝ていたから、急に人肌がなくなり淋しかったけれど、私の熱中症騒ぎや月のものもあり、夜は特に何もなかったのだ。それに帰路だって本当に一緒に寝ていただけで(テントはもちろん、壁の向こうに人がいる宿の部屋でそんな事ムリ!)、レオニダスの言うところの、我慢の限界なんだろう。

「体調は?」
「だ、大丈夫、暑いだけ……」

 レオニダスの掌は明確な意図を持って部屋着の中に入り込む。するすると太ももを上がり肌着に触れた時、ふと手が止まった。

「……」
「?」

 レオニダスが固まっている。

「レオニダス? どうし…」

 突然私を横抱きにしたままガバッと立ち上がったレオニダスは、その勢いのまま私室に駆け込んだ。

 ベッドの上にドサリといつもより乱暴に横にされて、驚いて見上げると目許を赤く染めたレオニダスが眉間に皺を寄せ覆いかぶさって来た。

「レオニダス?」
「……これは」

 私の部屋着の裾をスルスルと私の胸元まで捲り上げた。

「……あ」

 そうだった! 忘れてた!

 今日の私は、もう寝るだけだから、と、王都にいた時にオリビアさんが私のの肌着の話を聞いて、面白がって作ってくれたものを着ている。
 そう、ブラジャーとパンツ。

 ドレスを作った時に余ったレースで作ってくれたもので、こちらの下着よりずっと布面積も小さくて涼しい。紐で縛るだけだから身体も楽なので、こんな夜にだけ着ている。

「レ、レオニダス待って! これは…!」

 恥ずかしくなり慌てて部屋着を掴んで下ろそうとするも、レオニダスがあっという間にすっぽりと頭から部屋着を抜き去った。

「こんな心許ない姿でウロウロするとは、余程お仕置きされたいんだな?」

 お仕置きってなんですかー!

「レオ!」
「ダメだ、今日は許さないぞ」

 煽った責任を取ってもらおう、そう言って齧り付くようにキスをした。
 煽ってないし!


 結局その夜は一晩中離してもらえず。
 翌朝、レオニダスの部屋で寝ていた私を見て、アンナさんが呆れていた。
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