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第二章 王都

終幕

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 ――天蓋の薄いカーテン越しに朝日が薄らと差し込む。


 ぼんやりと明るい日差しに照らされて艶めく漆黒の髪を指で梳く。絹のような手触りの髪はサラサラと溢れるように真っ白なシーツに広がった。

 随分と伸びたものだ。
 初めて会った時は耳が見えるくらい短く切り揃えられ、少年のような長さだった。

 髪を弄っていた指をするりと移動させ、小さな耳に触れる。
 カレンは耳が弱い。
 以前耳元で息を吹き掛けながら話をしたら、声にも弱いと言っていた。これはもう、最大限に利用する他ない。

 少しひんやりする耳から、今は固く閉じられた瞳をぐるりと囲む睫毛に触れる。長く、自然にカールした睫毛はカレンの大きな瞳を更に際立たせる。ふるりと長い睫毛が揺れた。

 真っ白な肌をカーテンから差し込む柔らかな日差しが優しく包む。
 スッキリと通った鼻筋を辿り、熟れた桃のような唇を撫でる。
 少し赤いのは昨晩の名残か。ぷっくりと弾力のある唇を少し押すと赤い舌が覗いた。
 あんなにも貪るように何度もキスをしたのに、また食らいつきたい衝動に駆られる。

 すうすうと寝息をたて眠るカレンは、今は安らかな表情をしている。


 昨晩の、タウンハウスの裏庭に戻ってきたカレンの表情は、感情が抜け落ちて虚だった。
 話していることは理解しているのに、瞬きもせずあの魔物の死体を凝視していた。目が離せないのだ。

 視界を塞ぎ視線を合わせると、みるみる瞳に涙が溢れてきた。零すまいと耐える姿に、胸が苦しくなった。

 カレンは、俺に一緒にいてほしいと言った。

 その言葉に応えない筈がない。
 だから俺はカレンに応えた。
 愛を伝え、側にいると身体に刻んだ。



「……ん……」

 ふるりと長い睫毛が震えて、ゆるゆると瞼が持ち上がる。
 ゆっくりと開かれていく様を心に留めるように見詰めた。
 日に当たり琥珀色にゆらゆらと揺らめく瞳に俺が映る。

「……れお…」
「おはよう、カレン」

 目を合わせたまま、ほんの少しだけ唇が触れるキスを贈る。
 段々と焦点が合ってきた瞳が少し瞠かれ、やがて状況を理解したのかみるみる真っ赤に染まっていった。

「れ、れれ、レオニダス、わた、わたしっ」

 昨晩の大胆さが嘘のような初心な反応だ。
 つい笑ってしまう。可愛らしい。
 グイッと腰を引き寄せるとお互いの肌が直接触れ合い、そこで裸であることを思い出したらしいカレンは益々赤くなった。

「風呂を用意させてある。入るか?」

 腕の中でカクカクと頭を振る。
 洗ってやろうかと言うと、ブンブンと頭を横に振る。面白いな。

「昨日は洗ったのに?」

 耳元で囁くとギュッと肩を竦めた。髪から覗く耳が真っ赤に染まり俺を甘く誘う。はむ、と無意識に耳を食んでしまった。

「んぁっ」

 む、その反応はダメだぞ。もっとしたくなる。

 肩を揺らして笑っていると、ぽこっと胸を叩かれた。
 それすら可愛らしいと言うのに。

「身体は辛くないか」

 腕の中に閉じ込めて頭頂部にキスをする。

「だ、大丈夫、…です」

 大丈夫なのか。なるほど、砦の訓練は無駄ではなかったな。

「俺はまた出掛けなければならないが、今日はこのままゆっくり過ごすといい。アンナに後で来るように言ってあるから心配するな」
「……ここは?」
「中心部にあるホテルだ。タウンハウスが駄目になったからな、ここを貸し切った」
「……貸し……」
「使用人も護衛も皆ここに来ている。暫くはここを拠点にする」

 本当は二人だけで過ごしたいが。

「朝食を隣の応接室に用意させよう。その間に風呂に入るといい。それともやっぱり一緒に入って洗おうか?」
「い、いいえ!大丈夫、一人で入れます」

 顔を赤くしたまま小さく縮こまる。俺に抱きついてくれたらいいのに。敬語に戻ってるな。

「カレン」

 顎に指をかけ上を向かせる。

「昨日のおねだりは最高だった」

 わざと唇に触れさせながら囁く。

「きっ、昨日のことは、忘れて…っ」

 真っ赤な顔でギュッと目を瞑り俺の腕に縋る。

「なぜ?」
「だ、だってあんな…」
「俺はカレンが求めてくれて嬉しかった」

 ちゅ、と音を立ててキスをする。

「またおねだりをして欲しいな」
「も、もうしまてん!」
「ふうん?なら、おねだりしたくなる状況にしてやろう」
「ななななに言って…! ダメ、ダメです!」
「昨日みたいに脚をか……むぐっ」
「ダメ! レオニダス! もう黙って! しーっ!」

 しーって。
 俺の口を真っ白な手で塞ぎ、腕の中で身悶えるカレン。
 なんだこの可愛さは。俺を殺す気か。

 俺の口を塞ぐカレンの掌に舌を這わせて指の間を舐めしゃぶった。

「ひゃあぁっ」

 今度こそカレンはシーツを剥ぎ取り頭から被ると、浴室まで走って行ってしまった。
 走れるとか。そうか、なるほど。

「はははっ」

 声を上げて笑うと、何やら浴室から抗議の声が上がった。可愛いな。
 起き上がりシャツを羽織ると、寝室と繋がった応接室でフィンを呼び朝食を持ってくるよう伝えた。

「アルベルト様がフロントにお越しです」

 朝食が載ったワゴンを押したローザと共にやって来たフィンが言いにくそうに伝える。
 何だそのタイミングは。アルベルトの奴、わざとなのか。

「ラウンジで待つよう伝えろ」

 溜息を隠さずそう伝え、浴室のカレンに先に食べるよう伝えてラウンジへ向かった。



 * * *



「おはよう、レオニダス」

 ラウンジの大きな窓から差し込む日差しを浴びて、キラキラと無駄に金髪を輝かせる男がラウンジのソファで一人、優雅に脚を組み新聞を読んでいる。

「要件を」
「えー、何それ連れないなぁ!」

 あはは、と声を上げて笑う。

「ナガセはどう?」

 使用人が運んできたお茶を口にしながらアルベルトが視線を向けて来る。

「昨日は不安定だったが、今朝はいつも通りだった。多分な」

 暗に嫌味を含ませるが効果はない。

「……腑に落ちない」

 ポツリとアルベルトが呟いた。



 今回、あの男にタウンハウスを急襲され被害が出てしまったのは、完全に想定外だった。
 男が雇い主から切られたと判断し、早急に回収しようとバーデンシュタインの影数名が男の寝泊まりしている宿に向かったが、逃げられ見失った。しかもその際、影が一人殺されている。

 そんな能力のある男ではなかった。
 違和感を拭えないまま、男はすぐに薬を求めるだろうとあの男が利用していた売人を探したが、売人は腕が引きちぎられ背中から切り付けられた状態で見つかった。側には娼婦の遺体も。

 アルベルトが屋敷の警備を更に固め、影と共に男を探し回ったが全く見つける事が出来なかった。
 アルベルトが見つけられない。
 こんな事は今までなかった。
 今になって背後の人間が動いたのか、それとも協力者が出たか。
 身辺を洗い直している所で思わぬ横槍が入った。


「まさか王太子から待てが掛かるとはな」

 王位継承権第一位、王太子ディードリッヒ。
 現王政の中心人物であり、特に今、綱紀粛正に注力している人物。

 世襲制度による腐敗した貴族社会の悪しき慣習を一掃すべく、行政のみならず法律の制定にも力を入れている。
 そのディードリッヒが、人身売買に薬物の取引と黒い噂の絶えないリヒト・ボーデンに狙いを定めていた。
 今回暴走した、あの魔物と化した男に接触していた売人は末端だが辿ればボーデンの息のかかった組織にぶつかる。
 アルベルトはそこまで洗い出しボーデンを引き摺り出そうとしたのだが、既に内部に捜査の手を伸ばしていたディードリッヒに手を出すなと圧力をかけられた。

 王城に呼ばれ、王族相手に剣呑な雰囲気を隠しもせずアルベルトがディードリッヒに食い下がっている所へ、バーデンシュタインの遣いが慌てた様子でやって来た。

 なんとか間に合ったものの、タウンハウスは半倒壊、護衛も何人も怪我を負い、何よりカレンとエーリクが恐怖に晒された。
 怪我を負っていてもおかしくなかった。
 アルベルトは、とにかくそれが面白くないのだ。
 もちろん俺も。


「薬物が絡んでいる。こちらで対処するような事ではない。ディードリッヒに任せておけ」

 アルベルトの気持ちは俺だって分かる。
 カレンの上にのし掛かっているあの男の姿を見た時の怒りは、今でも内側で燻っているのだから。
 だが、我々は辺境伯領の人間だ。
 これ以上首を突っ込む義理もなければ、手を貸すつもりもない。王都の事は王都でけじめをつけるといい。

「……レオニダスは変なところで政治的な考え方をするよね」

 どういう意味だ。
 俺はカレンの憂いを払いたいだけだ。
 あの男は死に、ディードリッヒに狙われているボーデンの命も今や風前の灯火だろう。命を落とすのも遠くない。

 確かに、己の中に忸怩たる思いがあるのは否定できない。
 あの男が口にしたという赤い包み。間違いなく薬物だろうが、それによる身体強化、それにあの、魔物の匂い。
 追えば追うほど闇が深くなる。
 これ以上の深追いは不要だ。
 それに、あんな物が王都で蔓延るなどディードリッヒが黙っているはずが無い。

 あの男は誰より恐ろしい男なのだから。


「過ぎた欲望は身を滅ぼすだけだ。ボーデンはこの手で殺してやりたいが、ディードリッヒから逃れられるわけがない。そろそろ意識をこちらに戻せ、アルベルト」

 膝の上に肘を乗せ頬杖をつき、アルベルトはジロリとこちらを睨みつけた。

「僕は可愛い義妹のために憂いを無くしたいだけだ」
「ならばもういいだろう。それともこのまま、王都の薬物撲滅のために駆けずり回るのか?」

 アルベルトは王家の影として暗躍するバーデンシュタインの嫡男。その実力は周知の事実。既にバーデンシュタインの影を従え、王国軍兵士とは異なる働きもする男。王家としては喉から手が出るほど欲しい人材だ。

「我々は王国軍兵士だ。護るべきものは国であり民だが、戦う相手は内側にはいない。然るべき人間が然るべき対応をする。これ以上の干渉は辺境伯領にとって良い結果を生まないぞ」
「……分かってるよ」

 アルベルトはぐしゃぐしゃと髪を乱した。

「何もしてないことが不満なだけだよ」
「しただろう」
「手応えがない」
「自己満足だ」
「どうとでも言って」

 ふん、とアルベルトは立ち上がると形のいい眉を片方吊り上げ見下ろした。
 誰もいない高い天井のラウンジで窓から斜めに差し込む朝日を背に、意地の悪い笑顔を見せる。

「母上がすごく心配してる。午後には迎えに来るよ」

 なんだと。
 せめてもう一日。

「僕たちは家族だからね。ナガセのことを心配してるし、側に居てあげたいと思う気持ちは同じなんだよ」

 じゃ、残り時間を大切に、そう言うとひらひらと手を振ってアルベルトは立ち去った。


 ――そうか。まだ朝だしな。
 急いで部屋に戻ろう。
 戻って、カレンと過ごそう。


 大切な愛しい人を甘やかして、沢山の愛を囁こう。

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