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第二章 王都

襲撃

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 エーリクから遣いが来たのは日も落ちかけた頃。
 ウルが産気づいたという知らせだった。

 急いで支度をしてタウンハウスに行く準備をしたけど、お義母様は私が行くのを渋った。

「せめてアルベルトが帰ってくるのを待てないかしら」

 お義兄様はまだ帰宅していない。
 バーデンシュタインの護衛もいるし、多分レオニダスが付けてくれた護衛も見えない所にいる。
 大丈夫だからどうしても行かせて欲しいと懇願すると、お義母様は眉尻を下げたまま、頷いた。

「アルベルトには遣いを出しておくわ。真っ直ぐ貴女を迎えに行くように伝えるから」

 気を付けて、そう言ってお義母様は頬にひとつキスをくれた。



 * * *



 タウンハウスでは使用人のみんなが息を呑んでウルの出産の瞬間を見守っていた。
 エーリクとアンナさんがウルに付きっきりで、苦しそうに時々立ち上がったり座ったりを繰り返すウルを宥めるように撫でている。
 オッテはずっと室内をウロウロと歩き回っていた。

「ウル、ウル頑張って、大丈夫だよ」

 頭を撫でてあげると、クゥンと弱々しく答える。

 頑張れ、頑張れ。
 エーリクも真剣な表情でずっとウルを撫でてあげていた。



 生まれた仔犬は全部で三匹。
 真っ黒な体に茶色の靴下を履いているような模様の仔、白い模様が首輪のようにぐるりとある仔と、白と茶色の靴下を履いているような模様の仔。

「まあまあ、みんなそれぞれ模様があって分かりやすいわね!」

 良い仔達だわ! とアンナさんは楽しそうに笑った。
 私とエーリクは安心してその場に座り込んだまま動けず、でも赤ちゃんがすぐにウルのおっぱいを探して元気に飲み出したのを見て、安堵と嬉しさから顔を合わせて声を上げて笑った。
 オッテはずっと、ウルの顔を舐めていた。



「エーリク、連絡をくれてありがとう」

 応接室で久しぶりにアンナさんの淹れてくれたお茶を飲む。見守っていただけなのになんだか一仕事終えたような達成感。

「ナガセなら絶対に立ち会いたいと思って」

 エーリクも心なし、ぼんやりとしている。

「ふふ、赤ちゃん可愛かったね」
「うん。白い模様の仔もいるんだね」

 ウルもオッテも白い色はないのに不思議だなぁ、とエーリクがマドレーヌに手を伸ばした時。
 外が騒がしくなっている事に気が付いた。
 アンナさんがすぐに扉から外の護衛騎士に確認する。

「何?」

 エーリクは立ち上がり窓の外の様子を伺う。

「ナガセ、移動しよう」

 エーリクはさっと私を立たせる。
 エーリクのその雰囲気に、私の心臓がドクドクする。
 何? 何かあった?

 廊下からバタバタと数人の騎士が走って来た。ザイラスブルクの騎士だ。

「ナガセ、エーリク様、移動します、こちらへ」
「待って、ウルは……」
「大丈夫です、私が連れて行きます」

 アンナさんが籠を用意して一人の騎士と共にウル達のいる部屋へ向かった。


 ドォン

 地響きがして、建物がグラグラと揺れる。

「何があったの」

 エーリクが騎士に確認する。

「急襲です。バーデンシュタインの影が応戦しています。我々は閣下の元へ」

 失礼、と言って一人が私を抱きかかえた。

「閣下のお小言は後で貰いますので」

 パチンとウインクした騎士はきっと緊張している私を宥めようとしたのだろう。震えるわけにはいかない。
 私はこくんと頷いた。

「みんなは?」

 エーリクは一緒に走りながら冷静に確認する。

「皆既に避難しています。我々は腐ってもバルテンシュタッドの人間ですから。アンナも元軍人です」

 安心してください、と騎士は軽やかに言う。

 もうすぐ外への出口というところで、先の廊下の壁が突然吹き飛び誰かの身体が反対の壁に打ち付けられた。ガラガラと音を立て崩れた壁から人影がゆらりと現れる。薄暗い廊下の先、土埃が舞い視界が悪いその先に。


 ――なに、これ。

 この、酷い匂いは。

 王都でする筈がない、この匂い。


 


 駆け付けた騎士達が私たちの前に出る。エーリクと私を抱えた騎士は後ろに下がった。


「馬鹿な」

 誰かが呟く。
 そう、そこにいるのは魔物ではなく。

 ただの人間。

 けれど、その瞳は灰色に濁っている。
 瞬きもせずこちらをひたりと見据え、ふわっと笑った。


「……見つけた。穢れた黒いガキ」
「逃げろ!!」

 誰かが叫び、周囲にいた騎士達が一斉に飛び掛かる。
 私を抱えた騎士は反対方向へ駆け出した。
 エーリクとエーリクを護る騎士も一緒に走り出し、先を行く。後ろから人の叫ぶ声、呻き声、何かが壊れる音、倒れる音。


 ――あれは何。あれは誰? ……人間?


 心臓の音がうるさい。
 落ち着いて、足手纏いになっちゃダメ。何もできない、ならせめて足手纏いにならないように。


 突然身体が前に放り出され、受身を取れず転がるように落ちた。


 振り返ると私を抱えていた騎士が剣を抜き、後ろから襲って来た人間と剣を合わせている。ギインッと激しく剣が交わされる音。
 
「逃げてください!!」

 騎士が私を見ながら叫んだ。

 灰色の瞳の男は騎士の剣を素手で掴み、反対の手で騎士の首を絞めた。
 他の騎士がその腕を目掛け剣を下から振り上げるが、ギィンッと剣を跳ね返す。

「ぐっ! 身体強化か!?」

 後方から追って来た騎士が背中に剣を突き刺したが、灰色の瞳の男は首を絞めていた騎士の身体を後方の騎士へ叩きつけ、二人もろとも飛ばされた。

「一斉にかかれ! そいつは身体強化している!」

 後方から更に追って来た騎士が大声で叫ぶ。
 背中に剣が刺さったまま、灰色の瞳の男は私を振り返った。

「ナガセ! 立って、逃げよう!!」

 エーリクが私の腕を掴み立ち上がらせた。

「グアアオオオオッッ!!!!!」

 灰色の瞳の男が咆哮を上げると、身体がぶくりと一回り大きくなった。刺さっていた剣が弾かれたように抜け床にガランと音を立てて落ちる。


「その穢レタ黒を、ヨコセ!」
「逃げろ!!」

 騎士達が一斉にそのに襲いかかった。

 グイッと腕を引っ張られる。
 エーリクが私の腕を引っ張り、二人、手を繋いで走った。

 走って走って、でもあちこち建物が崩れていて上手く進めない。

「こっち!」

 エーリクに手を引かれ裏庭に面する廊下へ出た。

「ナガセ」

 エーリクが立ち止まり振り返る。
 息ひとつ乱れず、汗もかいていない。
 その瞳は黄金色に輝いている。
 私の心臓の音がうるさい。
 耳元でずっとうるさく鳴り響いていて、エーリクの声が聞き取りにくい。
 落ち着け、落ち着け、落ち着け。


「ナガセはこのまま逃げて。外にアンナがいるから」
「やだ! 何言ってるのダメだよ、エーリクは!?」
「僕はここで」


 ガシャン! と、廊下の奥から何かが割られる音が近づいてくる。

 いつの間にか廊下の先にあのが立っていた。
 暗い廊下の先、シルエットが近づいて来る。
 窓の前までゆったりと歩いて来て外から差す月明かりに照らされ、その灰色の瞳をうっすらと細めた。

「エーリク」

 エーリクの腕を引っ張る。

「ナガセ、僕は、僕のギフトは身体強化だ。伯父上と同じ。だからそう簡単には怪我をしないし、疲れないんだよ」

 そう言って優しく、私のエーリクを掴む手を離す。
 黄金色の瞳は確かに、レオニダスと同じで。


「もうすぐ伯父上が来る。それまでだから、大丈夫」

 エーリクのふわふわが月明かりに照らされて煌めいた。


「グアアオオオオッ!!」


 咆哮と共にあのがこちらに向かって飛び込んで来た。エーリクは躊躇する事なくその身体の下に飛び込み、下から一気に蹴り上げた。
 男の身体は天井に激突し、ガラガラと瓦礫と共に落ちて来る。
 エーリクは身体を回転させ更に強い力で蹴り、壁に叩きつける。
 ガラガラと崩れる壁、舞い上がる土埃で視界が利かない。

「この力は人に使ってはいけないんだ。でも、お前は……この匂いは魔物だ。お前は人ではない!」

 瓦礫の中から立ち上がり、の男は頭から血を流しながらニタリと笑った。

「俺は、オレ、ダ。怖いモノナド、ナイ」

 男はエーリク目掛けて物凄い速さで飛び掛かった。
 エーリクはそれを躱し両手を組んで魔物の男の背中を打ち付ける。グシャリと床に打ち付けられるも直ぐに腕を立て、下からエーリクの顔目掛けて掌を打ち付ける。
 エーリクはそれも躱すと後ろに後転して間合いを取った。
 だが魔物の男は直ぐに間合いを詰めて来る。

「ハハ、ハ、ヨワイ、弱いナ、チカラがまダ」

 魔物は嘲るように笑いながらエーリクに攻撃するのではなく捕まえようと追い詰める。
 エーリクはギリギリのところで躱しながら、私から距離を取るように離れていく。

 ――逃げろって事だ。
 エーリクは私を逃がそうとしている。

 でも!

 行けない、エーリクを置いて行けない。
 足手纏いなのは分かってる、何もできないけど、でも!!

 エーリク!!


 その時、真っ黒な影が二つ、廊下の奥から飛び込んで来て魔物の男に食らい付いた。

「ギャアアアアッ!!」
「ウル! オッテ!」

 ウルとオッテは唸り声を上げ魔物の男の耳に、腕に、噛み付いて離さない。ウルは耳を食いちぎった。

「ギャアアッ」

 魔物の男は腕を振りウルの身体を床に叩きつけた。
 ギャインッ
 ウルの悲鳴が上がる。

「ウル!!」

 オッテが猛烈に吠えたて首に食らい付いた。

 魔物の男は悲鳴をあげオッテを掴み引き離そうとする。それでも離れないオッテに、男は腰に刺していた短剣を突き立てた。

「やめろーーっ!!」

 エーリクが思い切り魔物の男の腹部に体当たりをした。

 吹き飛ばされた魔物の男は床でのたうち回り口から大量の血を吐いた。先程より身体が小さくなり、ダメージを受けている。

 奥からまた何人か騎士達が集まって来た。

「さっきより身体強化が弱くなってる!」

 エーリクが騎士に叫んだ。
 騎士達が一斉に飛び掛かる瞬間、魔物の男は懐から赤い包紙を取り出し、包紙ごと口に入れ飲み込んだ。

 一瞬でビクンと魔物の男の身体が大きく膨れる。


 飛び掛かった騎士達が一瞬で吹き飛ばされ壁に打ちつけられた。
 ガラガラと壁が崩れ騎士達が瓦礫に埋もれる。


 土埃と瓦礫の山のなかで、魔物の男は口からダラダラと涎を垂らし天を仰いで恍惚の表情を浮かべ立っていた。その灰色の目は何も映していない。
 食いちぎられ無くなっている耳も、首から流れ続ける血も、痛みなど感じないかのように。

「ナガセ逃げて!!」

 エーリクが魔物の男に飛び込んでいった。
 魔物の男はエーリクの蹴りを躱すと腕を掴み、まるでおもちゃを投げるように裏庭へ投げつけた。エーリクはガラス窓を破り向こうの塀へ打ち付けられる。
 ガラガラと塀が崩れ落ちた。

「エーリク!!」

 裏庭に出て走り寄ろうとすると、後ろから髪を鷲掴みにされ、庭の芝に押し倒された。

「……っ!!」

 見上げると月を背にした灰色の濁った瞳がこちらを見下ろしている。
 酷い匂い。
 ボタボタと涎が落ちて来て吐きそうになる。

「オマエ、女ダッタのか」

 髪を片方の手で掴みながら身体の上にのし掛かり、全く動けない。
 酷い匂いに顔を背けた。

「アノ時、結局タシカメられなカったかラな」

 くくく、と笑い声を上げる。

 ……あの時?


 ――まさか。
 あの時の、あの身体の大きなーー騎士見習いの……?


 ぞわりと恐怖が蘇る。

「オマエのせいで…オレはヒドイ目にアッタ。だが、それも、モウ、スギタコト、だ。イマ、オレはオレをトリモドシタ。オレは、ナニモコワクナイ」

 恍惚とした表情で私の顔を撫で、その手は胸に降りて来る。

「……やめて」

 震える声で睨みつける。
 触るな。触るな。

「オマエを犯してイイらしい」

 そう言って魔物は私のブラウスを引き裂く。
 涙が滲んで、でも怖いからじゃない。

 こんな奴。
 みんなを傷つけたこんな奴なんか。
 絶対に許さない。
 魔物の指が身体をなぞり、胸を乱暴に鷲掴みにした。
 爪が食い込み血が滲む。


「ナア、カワイソウなオレを、ナグサメテく」

 その瞬間、魔物が視界から消え、目の前が真っ暗になった。
 離れた場所から衝撃音と叫び声がする。


 ーーああ、この匂い。私を包む大好きな森の香り。


「ーーカレン」


 目を開けると、目の前には黄金色の瞳をした大好きな貴方が。


「レオニダス」


 その名を声に出すと、ポロポロと涙が溢れた。

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