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第一章 辺境伯領
クラウス
しおりを挟む討伐を終え閣下と共に砦へ戻ると、ナガセが襲われたと文官から報告を受け、閣下は馬から降りずにそのまま屋敷へ向かった。
襲った人間は既に捕らえているという。
砦の様子が異様に殺気立っており何事かと思ったが、どうやらそれを知った兵達が殺気を放っているようだ。馬房の馬が興奮している。
ナガセの容態は分からない。詳細はアルベルト殿が知っているという。兵達の殺気に中てられたのだろう、文官も青い顔をしている。まるで討伐の最中のようだ。
報告書を読み、ナガセを襲ったのが見習い騎士の者達だという事に驚いた。騎士がそんな事をするのか? しかも5人で暴行を加えたという。
捕らえた見習い騎士達は、地下の独房に収容されたとある。あそこは凶悪犯を収容する場所だ。
何があったのか確かめようと、地下牢へ向かった。
「オラ! さっきの勢いはどうした!!」
聞き慣れた声で放たれる聞き慣れないセリフが聞こえて来た。くぐもった呻き声と肉を打つ音。
これは不味い。
「アルベルト殿!!」
開け放たれた扉に飛び込んだ。
横たわる大きな身体の上に中腰で跨り、胸ぐらを掴んで拳を振るアルベルト殿が、普段からは考えられない口調で怒鳴っていた。
「やめてください!」
アルベルト殿を後ろから羽交締めにするも、全くいう事を聞かない。ギフトは視力とは言え、閣下の補佐をするお方だ。その辺の兵士より強いのは当たり前だ。
入り口横にラウルが控えている事に気がついた。
「ラウル!!」
だが、ラウルも微動だにしない。
額に青筋を立て最早魔物のような殺気を放ったラウルは、ただ黙って立っている。その唇は強く噛み締めているせいか血が滲んでいた。この二人がここまで怒るなど考えられない。
一体、ナガセに何をした?
何とかアルベルト殿を引き剥がし、ラウルも独房の外へ追いやる。殴られていた男は顔が腫れあがり、誰だか分からない状態だった。
顔が分かったところで誰だか知らないが。
耳を澄まして呼吸音を確かめる。まあ、大丈夫だろう。周りの独房にいる者達も息を殺し、泣いている者もいる。
アルベルト殿にここまでされたのだ、余程の所業に違いない。だからこの男を、この者達を憐れになど思わない。
私は身の内にぞわりと怒りが湧き上がるのを感じた。
そして同時に、ゾッとした。
閣下が今回の件を知ったら、と。
ナガセは閣下が深淵の森で拾って来た子供だ。
ヒョロリと細長く、猫のような目でビクビクと周りを窺っていた。他国の間諜も考えられたが、閣下はあり得ないという。
それはナガセの色が珍しいからだ。
確かに初めて見る色だった。しかも黒とは。
魔のものの色。
その見た目から、兵士たちはかなり嫌悪感を示した。
当たり前だ。普段自分達が討伐する魔物の色を纏っているのだから。だが閣下はナガセを自分の邸に引き取り保護する事にした。恐らく兵士たちの感情を分かってのことだろう。閣下が保護した者を害する者などここにはいない。
面倒見のいい閣下らしいと、感じたのはそれだけだった。
ある時、ナガセのギフトを知る機会があった。
音楽のギフトだ。
素晴らしい演奏、才能だと素直に感じた。音楽を聴いて久々に湧き上がる喜びの感覚。素晴らしい。こんなにも耳に心地よい音楽に出逢えるとは。私は心から感動した。
しかも、それだけではなくナガセは掃除や料理まで出来るという。その腕前も素晴らしかった。ナガセの作った料理を食べ、ナガセの音楽を聴く。
それだけでこんなにも心が満たされ幸福を感じるとは。何と素晴らしいギフトであろうか。
ナガセはそうして少しずつ、街に溶け込んでいった。
オーウェン殿の店で出される新しい料理と音楽という喜びをもたらす存在として。オーウェン殿の店に足繁く通う者も出始め、また、皆がナガセの素直さに絆されていった。
私も夜が非番の日、ナガセの演奏がある時はオーウェン殿の店に行くようになった。オーウェン殿は特に何も言わず、いつもカウンターに座る私に酒とナガセの作ったつまみを出してくれる。
至福のひと時だ。
ナガセは私の生活に彩りを与えてくれた。
ある時から閣下が弁当を持参するようになった。ナガセの手作りだという。
羨ましがるアルベルト殿には一口も分けず、自慢しながらいつも綺麗に食べ終える。我々が閣下より先にナガセの料理を口にした事を根に持っているらしい。
それから暫くして、ナガセは砦の者達にも差し入れを持ってくるようになった。
エーリク殿が言うには、訓練に参加させてもらっているお礼らしい。マフィンやクッキーなどの甘いものの時もあれば、肉を「かつれつ」と言うものにして特製の濃厚なソースに絡めたサンドウィッチの時もある。私はこれが好きだ。
店で出した事がないと聞いたが、これなら専門店でもやっていけると思う。私なら毎日買いに行く。このナガセの差し入れを楽しみにしている兵も多い。ラウルもその一人だ。
今やナガセは、ここで愛される存在だ。
閣下やエーリク様だけではなく、皆に見守られている。
屈託なく笑う姿も、真剣に訓練に参加する姿も、全て好意的に受け止めている。色など関係ないのだ。
ナガセに暴力を振るったとされる見習い騎士達は、二度とこの地にやってくる事はないだろう。すぐに王都へ返される筈だ。
ああでも、生きて帰れるといいが。
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