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第一章 辺境伯領
アルベルト
しおりを挟むレオニダスがついに、人間を拾って来た。
それは、日々退屈していた僕にとって面白い出来事以外の何物でもなかった。
レオニダスは元々面倒見のいい男だ。
邸で雇っている使用人だって元兵士が殆どだし、砦の兵士の家族や街の者たちの仕事の面倒を見ることもある。
毎年深淵の森に行く度に変わったものを見つけては持ち帰っていたけど、何年か前に仔犬を拾って来て自分で躾けて世話を焼いていた。
そして更に何年か後にはウルを拾って来た。
面倒見のいい男は二匹をうまく躾けて、今では主人の言うことを良く聞く忠実な賢い犬たちとなった。
ある年は子猫だったこともあるし(文官の娘が欲しがったのであげていた)、生き物ではなくよく分からない布や、なぜか鉢植え、見たことのないガラスの入れ物。
あんまり何でもかんでも拾わないで欲しいと思うけど、でもそれらを見るのを僕は毎年楽しみにしている。
それが、今年は人間とか。
何それすごい。
しかも凄く珍しい色の子だ。黒い髪に黒い瞳。初めて見た。
言葉が通じなくてビクビクして、じっとこちらを伺っている。レオニダスが話しかけた時だけ、少し表情が緩んで。まるで猫だなぁ。可愛い。
でも、レオニダスが言った一言に僕は首を傾げる。
「ナガセに丁度良さそうな着替えを何着か倉庫から見繕ってきてくれ」
うん? 倉庫?
待って待って、この子、女の子だよ? 兵士の配給品とかあんまりだよ?
でもクラウスも弟のお古を持ってくるという。
嘘でしょ、男の子だと思ってるのか2人とも! こんなに可愛いのに!?
確かにナガセはこの国の一般的な女性とはかけ離れた姿をしている。
この国の女性たちは皆、肉感的で小柄。髪も腰近くまで伸ばしている。
対してナガセは、女の子としては細く長身だ。すらっとしたその体躯は少年のようで、しかもズボン姿。
そして極め付けはその短い髪だろう。
耳もすっかり出るほど短く切り揃えられ、襟足もスッキリとしている。艶めく黒髪はサラサラと、少し目にかかる程度の長さで黒曜石の瞳を際立たせる。
白い頸も耳元も顕で、何だったら色っぽいというのに。
こいつらの目は節穴なんだろうか。
でも、レオニダスがこの子に対して特別な感情を抱いているのはすぐに分かった。変な意味ではなく、自分の執着心に困惑していると言った方がいいのか。
ウルを拾った辺りにいたと言っていたが、多分違う。
レオニダスの母上、ラケル様が消えた最奥の、深淵の側にいたのだろう。
ラケル様がいなくなった場所に現れた人間。
レオニダスにとって、僕にとって、特別じゃない訳がない。訳も分からずここに来た怯えるあの子に、庇護欲を掻き立てられるのも仕方ないよね。
でもそれが少年ではなく、女の子だと分かったら。
レオニダスはどうするのかな。討伐と執務に追われいい歳して婚約者もいない男。陛下の甥というだけで、王都の御令嬢たちに狙われているというのに、割り切った大人の付き合いしかしない。
そんな男が初めて、自分の心を占める人間に出会ったんだ。男の子だと思えば世話を焼いていても遠慮がないだろうけど、じゃあ女の子だったら?
それは僕の、ちょっとしたお節介というか。
レオニダスとあの子に、柄にもなく運命を感じてしまったものだから、僕はナガセのことを黙っていることにした。
半分くらい、面白がってのことだけど。
けれどそれは浅はかだったと、すぐに知ることになった。
レオニダスは第五防壁で発生した魔物の討伐に小隊を伴い出発した。規模はそれほどでもなく、何もなければ三日ほどで戻ってくる。
その間、執務室では僕が代理で執務を執行する。
子供の頃から一緒にいて同じ学問を修めているが、レオニダスには敵わない。だから最低限の代理としてだけど。
そんな時、午前の鍛錬を終えて帰宅したはずのエーリクから急ぎの遣いがやって来た。
何事かと思ったら、邸からナガセがいなくなったという。
僕はすぐに執務室を飛び出して防壁の天端から望遠鏡を使って街を見た。
レオニダスの邸から伸びる街への道沿いで、王都から来ている見習い達の隊服が見えた。一人、囲まれている人物がいる。
気がついた時には走り出し、ラウルを呼んだ。
「お前たち!! 何をしている!!」
ラウルの怒声が響き渡る。
瞬足のギフトを持つラウルは状況を知るや否や、馬から飛び降り見習い騎士たちの元へ駆けて行った。
ちなみに速いだけじゃなく、強い。
一人が勢いよく横に吹っ飛ぶ姿が見えた。
続けて周囲にいる者たちも一気に蹴り上げる。大きな躯体を更に膨らませ、額には青筋を立て殺気を放つ。
一緒に連れて来た他の兵士たちも状況を把握し、一気に殺気が膨れ上がった。
見習い達の何人かは恐怖に慄き腰を抜かしている。
「ナガセ!!」
馬を飛び降り倒れているナガセに駆け寄る。
ナガセは顔を腫らして血を流し、泥だらけになって転がっていた。上着は脱がされたのか離れた場所に落ちていて、着ているニットは破れて腹部が顕になっていた。
白く薄い肌には蹴られたらしい痣が広がる。自分の上着を脱いでナガセに掛け、抱き起こした。
安心したような表情を浮かべ、ナガセはそのまま気を失った。
僕の人生で、こんなにも、震えるほど怒りが湧いたことはない。
一緒に来た兵士たちも、最早魔物と相対する時と同じ殺気を放っている。
僕はこの馬鹿どもをラウル達に任せ、ナガセを抱えてレオニダスの邸へ向かった。
邸へ到着しヨアキムに医者を呼ばせる。真っ青になったアンナに救急箱や毛布を用意するように指示を出し、エーリクにナガセの部屋へ案内させた。
エーリクは震えていた。
「どうしてナガセが一人でいたんだ?」
なのについ、咎めるような口調になってしまった。
ナガセの傷を確認しながら、怪我のせいだけではなく顔色も悪いことに気がついた。エーリクから昨夜から体調不良であったこと、一人でいなくなったことを聞いて……思い至った。
そうだ、これは僕のせいだ。
僕の浅はかな考えから、ナガセを一人にしてしまった。本当なら味方が必要だったのに。
知っていて僕は、気楽に考え過ぎていたんだ。
ごめん、ごめんナガセ。
辛い目に合わせてしまった。
どんなに怖かっただろうか。
ごめん。
ナガセのことを隠す必要なんてない。でも先ずはナガセの意志も確認しないと僕が周囲に言いふらす事ではない。
今はアンナの助けが必要だから先に話をして、僕がナガセとちゃんと話そう。最近はナガセもこちらの言っていることが分かるようになって来たし。
そう思って先にエーリクを退室させようとしたんだけど。
「アルベルトは、ナガセが女の子だって知ってたの?」
怒りを湛えたエメラルドの瞳が、僕を射抜いた。
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