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第一章 辺境伯領
音楽とお酒と3つの月と
しおりを挟む店内に響く、物凄い大合唱。
ジョッキを片手に赤ら顔のおっさん達が肩を組みそれはもう楽しそうに歌っている。
ピアノを披露したナガセはオーウェンが奥から持って来た楽譜を渡されて、弾け、と身振りで示されるといとも簡単に弾いてみせた。
楽譜に興味を示したらしく、延々と弾き続ける。開店前だがいつの間にか店に入り込んでいた酔っ払いが、入り口で拍手をする。そしてその歓声にまたナガセが応えてピアノを弾く。
嬉しそうに、楽しそうに。
それからずっと、弾いている。
楽譜を見て、歌に合わせて即興で、知らない曲をたまに挟んで、外が暗くなってもそんなことにも気がつかないくらい、ナガセはずっとピアノを弾いた。
「ナガセのギフトは音楽なんですね。素晴らしい演奏です」
ワインから紅茶に変えたクラウスが、ピアノの前で楽しそうに演奏するナガセを見つめてポツリと呟いた。
「掃除も料理もできて貴族じゃないのは間違いないけど、ピアノは弾ける。本当、どんな環境で育ったのかな」
アルベルトはもう何本目かのワインを傾けた。こいつはザルだ。
「あれだけ弾けるなら、名のある演奏家に師事していたはずだ」
「オーウェン、あんた仕事はいいのか」
「いい。料理人と給仕に任せる」
チッ、と隠すことなく舌打ちをする。
父と同じ歳のこの男は、自分とアルベルトの剣の師匠であり元部下、クラウスの元上官だ。眉毛のないこの顔は悪役にしか見えない。
剣を持たせると輪を掛けて凶悪になる。
「なんだ」
「ピアノを弾かせるだけでよかったんだ。掃除や料理までさせるなんて」
「ふん、お前があのガキに何もさせず囲ってるようだから手助けしただけだ。あのガキだって生きていかなきゃならん。何が出来て何が出来ないか、生きていく術を見つけさせるのも拾ったお前の責任だろう」
「ここでは働かせない」
「レオニダス、ここほど安全な場所もないと思うよ? 客はほとんど兵士だし」
「未成年だぞ」
「開店前の準備だけでいい。あれだけピアノが弾けるなら、時折演奏の仕事だって頼める。音楽は娯楽だからな」
「ナガセが弾く日は私も店に来たいですね」
「ほらな、いい客寄せになる」
「……」
「お前はあのガキをどうするつもりだ? 邸に囲ってずっと閉じ込めるのか? 賃金を得て自立することの何がダメなんだ」
「ダメではないし、別に囲ってなどいない」
「なら口を出すな。どうするか選ぶのはあのガキだろ」
チッ、とまた舌打ちをしてジョッキを呷る。
「レオニダス、ナガセは働くことを苦にしていない子だよ。掃除も料理も生き生きして取り組んでた。街だって初めて来て楽しそうに見てたよ? もう少し自由にしてやりなよ」
「自由にしているだろう」
「選択肢は与えてないだろ」
レオニダスはジョッキの持ち手をギリっと握り締めアルベルトを睨む。アルベルトは目を細めて横目でレオニダスを見遣った。
「やめろ、いい歳して」
オーウェンがため息を吐き、タンッと音を立ててグラスをテーブルに置いた。
「何なんだ、お前たち。あのガキの何にそんなに囚われているんだ」
「「何も」」
「とにかく、あのガキが望むならここで雇うのは問題ない。賃金も払うしガキの帰りが遅くなるほど働かせるつもりもない」
「じゃあ、ナガセにどうするか聞いて……」
「おいっ! 誰だナガセに酒飲ませてるやつは!!」
「えぇっ?」
視線を向けたその先でナガセがジョッキを両手で持ち嬉しそうに口に運んでいるところだった。
ぷはぁ、とか言ってる。
「閣下! これは果実水ですよ!」
「んな訳あるか! そんな瀟洒なもんこの店にはない!!」
「おいお前さらっと失礼だぞ」
「偉大な演奏家への俺たちからの感謝の気持ちで~す!」
「お前! 第三部隊のやつだな!」
椅子を倒し凄い勢いで立ち上がるとナガセの元まで駆けていき、手からジョッキを奪い取る。「あぁ~」と、ナガセが残念そうに取り上げたジョッキを取り返そうとする。
子供はダメだ!
「ダメだナガセ、これは酒だ! おいお前ら、子供に酒なんか飲ませるな!!」
「ジュースですって!」
「どう見てもビールだろう!」
「アルコールなんて飛んじゃってますから!」
「飛ぶか!」
「お父さん! 閣下がお父さんみたいだ!」
「お前にお父さんなんて呼ばれたくないわ!」
完全に酔っ払った客は隙を見てナガセにジョッキを渡そうと奮闘している。
その根性を普段から示せ! 今じゃない!
ぶふっ、とアルベルトが盛大に吹き出した。
「あーあ、お父さん気が抜けないなぁ」
「随分口の悪い辺境伯だな」
「師匠が口の悪い男だったんでね!!」
悪かったな! と、オーウェンを睨む。何の効果もないが。
もう帰る! と宣言して、ナガセを連れて店を出た。
アルベルトにはちゃんとナガセに話をするようしつこく言われた。言わないなら自分が言うと。
うるさい。俺より先にナガセの料理を食べたくせに。
残り物しか口にできなかったが、美味かった。
外はもうすっかり暗くなり、あちこちの街灯がほんのり灯って道を照らしている。肌を刺す空気は冷たく、火照った体にちょうどいい。
今日は久しぶりに分厚い雲が消えて月が出ている。月明かりに照らされた道は銀色に輝き、視界をクリアにしてくれる。こんな夜は魔物は出ない。静かな夜だ。
いつも帰る時間よりは早い時間だが夕食の時間は過ぎている。エーリクはまだ起きているだろう。
酔ったナガセを見てエーリクは、ヨアキムは何と言うか……自分のせいではないのに責められる予感しかしない。
酔っ払ったナガセはチョロチョロと先を行ったり戻って来たり、街を見渡してニコニコしている。ウルはそんなナガセの後を同じようにチョロチョロしている。
思えば、初めに深淵の森でナガセの存在を感じ取ったのはウルだった。すぐに魔物の存在も感知し、ナガセを守るために行動した。何か感じることがあるのだろうか。同じ森から拾われた者同士。
ふと気がつくと、ナガセが道の先で立ち止まり空を見上げている。
「ナガセ、大丈夫か?」
酔いが回ったのかと前に回り込み顔を覗き込むと、少し伸びた黒い前髪の向こう、黒曜石の双眸が瞬きもせずぼんやりと空を見上げている。
俺はその表情を知っている。
「ナガセ」
もう一度呼ぶと、ノロノロと腕を上げて空を指差した。
「レオ、ニダス、……そら」
「空?」
ナガセから目を逸らせない。
その表情をしていた人間を、俺は知っている。
「…つき……みっつ」
そう言うと腕を下ろして、ナガセは細く息を吐いた。
白い息が夜空に昇る。
空に浮かぶ三つの月。
その瞳にそれを映して、やがて諦めのような感情を静かに浮かべた。
それはかつて母が、夜空の三つの月を見て浮かべる表情と同じだった。
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