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第一章 辺境伯領

バルテンシュタッド辺境伯領2

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 執務室のドアをノックする音が響く。

「入れ」
「失礼します」

 レオニダスが返事をすると、赤い髪の軍服を着た男が背中を丸めワゴンを押して入って来た。ワゴンには茶器とサンドウィッチなど軽食が載せられている。

「クラウス、ありがとう」

 アルベルトが片手を上げてワゴンを置く場所を指し示す。

「侍女を入れるなと言うことでしたので私がお持ちしましたが……」
「いいよいいよ、自分でやるから」

 アルベルトはワゴンから手際よくサンドウィッチやお茶をテーブルに並べ、レオニダスの隣に腰掛けた。

「閣下、お帰りなさいませ」

 クラウスは胸に手を当てレオニダスに向けて礼を取る。

「それで今回は……」

 視線だけソファに座るナガセに向けた。

「今回の拾い物だよ。ナガセって言うんだって。可愛いよね」
「……ついに人間ですか」
「ホント、次は何拾って来るんだろうね。魔王?」
「魔王は閣下だけで十分です」
「確かに~」
「お前ら……」

 レオニダスは眉間に深く皺を寄せて軽口を叩く部下を睨んだ。上官を馬鹿にしている。

「拾い物じゃない、保護したんだ。身元を調べる間は俺が面倒を見る」

 今度はクラウスが眉根を寄せてレオニダスを見つめた。やっぱり馬鹿にされている気がすると、レオニダスも眉根を寄せる。

「それは……身元の分からない人間を領地内に留め置くと言うことですか?」
「他国の間諜の可能性も考えられるだろうが、言葉も通じない上にこんな目立つ容姿では不向きだ」
「目立つ容姿?」
「ナガセ」

 レオニダスはナガセに向かって帽子を取るよう促した。
 ナガセが慌てて白いニット帽を脱ぐと、現れた艶やかな黒髪とその相貌にアルベルトとクラウスが息をのんだ。

「……」
「俺がナガセを保護する」

 文句はないな、と二人に無言で問えば、アルベルトは深いため息を吐いてソファに背中を預けた。

「なるほどね……確かにこれじゃあ間諜は考えられないね。言葉も通じない上に見た目の珍しさも相まって、色々考えた結果レオの庇護欲が目覚めたんだね」
「おい、変な言い方をするな」
「じゃあ父性?」
「俺はまだ独身だ!」
「オッテとウルみたいな感覚ですか? 動物とは違いますよ」
「お前たち俺をなんだと思っているんだ!」
「はははっ!言うなクラウス~」
「ありがとうございます」

 いつものように軽口を叩く二人は、間違いなく部下のはずなのだが。怒鳴りそうになったが、不安そうに座ってじっとしているナガセを怖がらせまいとグッと言葉を飲み込み、益々眉間の皺を深くして耐えるように目を瞑った。

「それにしても、色は変わってるけど綺麗な顔した子だよね。人攫いの被害者かな」
「入国記録を調べて行方不明者がいないか調査します」
「行方不明の届けが出ているかもしれないが、不当に連れて来られたとしたら人買いの組織が動いている可能性もある。他の被害者もいるかもしれないから、慎重にやれ」
「はい」
「面倒見るって、レオの邸で? エーリクはどうするの?」
「邸には大人しかいないからな、エーリクにとってもいい刺激になると思うが」
「随分ナガセのこと買ってるね? 知らない人間を簡単に邸に置いていいの?」
「そんなんじゃない。ナガセが演技してるとしたら大したものだが、ここに来るまでの様子からまずそれはないだろう。大体うちの邸の人間はほとんど軍部出身者だ。子供が一人増えたところで、エーリクに危険が及ぶことはない」
「ふうん?」
「なんだ」
「別に。僕もナガセは間諜とかそういうんじゃないと思うよ。だから早く身元を確かめてあげて、帰る場所があるなら帰してあげたいなって思ってさ」
「……そうだな」
「あ、ほらナガセ、これ食べなよ美味しいよ~」

 アルベルトは会話に全くついて行けず居心地悪く座っているナガセに、慣れた手つきでお茶を淹れた。ほらレオも、と言ってレオニダスにも勧める。
 レオニダスが眉根を寄せながらサンドウィッチを掴んで食べる姿を見て、やっとナガセも恐る恐るサンドウィッチに手を伸ばした。
 食べてみると思ったより空腹を感じたのか、夢中になってお茶も口に運んだ。美味しいらしく、頬を染めながら食べている。
 そんな様子をアルベルトは膝に頬杖をつきながら眺めていた。

「……所作は綺麗だけど貴族のとは違うね。手も髪も手入れされて綺麗だし、労働者には見えない。服も変わってるね、靴も、身に着けてるものは高価なものに見えるんだけど、お金持ちの家の子かな? 商家とか」
「確かに、それなら珍しい品を身に着けていても不思議ではないかもしれません。ズボンの形が変わっていますね。随分細身のデザインですが、この色は藍染でしょうか」
「にしても可愛いなあ。警戒心いっぱいだったのに餌付けされちゃって、本当、拾って来た子猫みたいだね、お父さん?」
「うるさい」
「砦や教会に任されないので?」
「教会と言ってもあそこの神父は通いだ。日中しかいない。まだ一人にするわけにはいかないし、砦にも手の空いている者などいないだろう。邸には使用人も多くいるから様子を見るのに人の目があって丁度良い。クラウス、ナガセに丁度良さそうな着替えを何着か倉庫から見繕ってきてくれ」
「分かりました」
「ん? 着替えって、うちの兵士の?」
「そうだ。配給する着替えで予備があるだろう。サイズは大きいかもしれんが、ないよりはマシだ」
「……ええ? 大きいどころじゃないし、兵士の配給品って…」
「それでは私の実家から、弟たちのもう着ないものをいくつか見繕ってきます」
「え、クラウスも?」

 アルベルトは天井を仰いではあ~っと、大きく息を吐き出し片手で目を覆った。

「……そうかあ」
「何だ」
「いいや? ただちょっと、自分の能力を思い出しただけ」

 そう言うとアルベルトは身体をグッと前に起こし、お茶を飲んで一息つくナガセの頭をよしよしと撫でた。

「ナガセ、楽しくなりそうだね」

 王国一と言われる美貌の男は、それは楽しげにキラキラと満面の笑みを浮かべた。


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