上 下
220 / 831
連載

無力③

しおりを挟む
 絶望に染まるロッシュを押し退けて、見たことのないポーションを振りかけたのはユイだ。
 シュタインの傷口から、白い煙があがる。先程とは比べ物にならないくらいの。そして肉が一気に盛り上がる。ユイはラーヴから千切飛んだシュタインの腕を受け取り、僅かに残ったポーションで繋ぎ合わせた。
 一気に絶望から這い上がる、まさに一条の希望だ。
 ユイは更にポーションを取り出し傷口に。これは先程ロッシュが使った上級ポーション。
 だが、ふいに、煙が上がらなくなる。
 再び止まる時間。

 シュタインの、命が、尽きた。

 ロッシュの中で、力が抜け落ちていく。
 ラーヴは項垂れ、マアデンとハジェルは叫ぶ。
 再び絶望が包み込んだ瞬間。
 ユイだけが、諦めていなかった。
「これを脱がせてッ、早くッ」
 それは、その場にいた誰もが、圧倒される。
(この人なら、シュタインを救える)
 かつての恩人の言葉が浮かぶ。
 勘っていうのは、時に命を救う。
 ロッシュはナイフを取り出し、シュタインの革の鎧の繋ぎ目に入れて剥がし取る。
 そして、ユイはシュタインの胸に、手のひらを重ねて押し始める。肘を曲げず、まっすぐ、シュタインの体に沈み込む様に。
 知識としてはあった。ユリアレーナの基礎を築いたユリサエキが残した知識の1つだ。だが、それは回復魔法やポーションに頼る世界では浸透せず、忘れられかけている技術。
 心臓を外部の刺激で動かす。今では正確な知識が伝わらず、誰も使いこなせない技術。
 ユイは、迷わずそれを使っている。
 ロッシュ自身、それが正しい技術か分からないが、ユイは、間違っていないと確信した。
 誰もが諦めているなかで、ユイだけが気を吐いている。どこにでもいる様な女性が、大の男達が、冒険者達や警備兵達が何もできない中で、ユイだけが、諦めていない。
 その横顔は、短い付き合いでも初めて見る。誰も口を挟めない程に、気迫に満ちている。
 回復魔法をかけていた警備兵達ですら、口を出せない程に。
(俺が諦めてどうする)
「シュタインッ、しっかりしろッ、帰って来いッ」
 叫ぶしかない。だが、何かしなければと叫ぶ。
「ごふぅ…………」
 シュタインが血を吐いた。
 途端に再び上がる白い煙。上がる歓声。
(嘘だろ? 本当に、胸を押しただけで?)
 半信半疑の自分の勘が、本当にシュタインを救った。だが、ロッシュはユイの次の行動には、思わず絶句する。
 ユイがシュタインの口に噛みついた。そう見えた。そして次に、ユイは口から真っ赤な血を吐き出す。シュタインが吐いた血を、口で吸い上げて、吐き出している。なんの躊躇いもなく。
 それが、救命処置だと、誰もが分からず、見ていた誰もがユイを異常な目で見始める。
 す、と影が差す。
 ユイを隠すように立ったフォレストガーディアンウルフとクリムゾンジャガーが、そんな異様な視線を産む連中に、鋭い睨みを放つ。
 すると、誰もが視線を外し、下を向く。

 ただの傍観者風情が、我が主人を見るな。

 そんな風に聞こえたのは、気のせいではない。
(この人は、シュタインを救おうとしている。ただ、それだけなんだ)
 僅かに胸が上下し始めるシュタイン。警備兵達が回復魔法を再び始める。ユイは口元を真っ赤に染め、ワンピースも血まみれになりながら、シュタインの胸に手を当てる。
 そこにユイの父親が来て、手を外した。
 これ以上は、シュタインがもたないと。
 警備兵が持ってきた担架に乗せられたシュタイン。ロッシュは呆然と見送るユイに頭を下げた。
 これで、シュタインが助かる。そう思ったのに。
 治療院で、シュタインを診察したのは、鑑定能力の高い薬師ギルドマスターのダワーだった。時間をかけて鑑定、そして、ロッシュ達に告げた。
「今夜が山だ、助かっても、冒険者としての復帰は絶望的だ。日常生活にも支障が出る。腕は上手くいけば動く。今、手当てしたから、なんとかなるだろうが、油断するな。感染したら、腐り落ちるぞ」
 ぺたり、とハジェルが床に座る。
「どうしても、無理なんですか?」
 ロッシュがすがるように言い募る。
 ダワーは鑑定能力のある目を覆う眼帯を着けなおす。
「状況から見て、あの状況からよくここまで助かったと言うべきだな。ただ、体力が回復に追い付けんから、上級ポーションを2、3日はこれ以上は絶対に使うな、既に軽度の中毒だ。回復手段はないとは言えないが、おそらく現実的ではないぞ」
 ポーションの利点は、魔法を使わなくても、傷口がふさがる。だが、利点ばかりではない。ポーションは新しい傷口にしか効果がなく、下級ポーションならそうないが、中・上級になると傷口を塞ぐ際何本も使用すると、生じる反動で、逆に体力を削る。そして、傷口が塞がる前に力尽きる。先ほどのシュタインのように。多飲した場合は、ポーション中毒になる。症状は倦怠感と食欲不振、感覚異常だ。そして、中毒を起こしている間、ポーション類がほとんど効かない体質となる。軽症なら数日、重症の場合数年、中には耐えきれない事も珍しくない。
「教えてくださいッ」
 僅かな希望だ。
「エリクサーだな。後は再生魔法。一番現実的なのはドラゴンのポーションだ。ミズサワ殿の従魔がドラゴンを狩れば、希望はある。だが、そうそうドラゴンがいるわけではない。誰もが待ち望んでいるからな」
 エリクサーの名を冠するものだけが、なんの反動もなく傷口や病を癒す事ができる。
 ロッシュは脱力する。
 エリクサーなんて、年に数本ダンジョンから出るかどうかのアイテムだ。無理だ、絶対に市場に出ない。再生魔法も不可だ。これを使いこなせる者はユリアレーナには2人。始祖教の枢機卿と、その極右派の聖女のみ。枢機卿の再生魔法を望む者は多く、とんでもない順番待ちだ。そして極右派の聖女なんて、あり得ない、とてもロッシュ達が支払えない様な額を要求してくるはずだ。枢機卿のほうがまだ、現実的な額のため、それを望む者が集まる。
 ドラゴンのポーション。実際にドラゴンを一撃で仕留めた場面を見たが、あれはたまたまだ。ドラゴンのポーションを待つ悪性腫瘍患者は、ユリアレーナにどれくらいいるか。
 言葉を失うロッシュの肩をダワーは軽く叩く。
「こいつに家族は?」
「家族、確か母親が。いや、既に亡くなっています。シュタインには肉親はいません」
 そう、ロッシュはシュタインから聞かされていた。
 ロッシュは、シュタインの寝かされた部屋に入る。
 真っ青な顔で眠るシュタイン。
 それは再び己の無力さを、痛感させる。
(フェリクスさんは、どんな思いで、冒険者を続けてきたんだ? あの人ならどうする?)
 ロッシュの頭に浮かんだのは、最後まで諦めようとしなかったユイの横顔。
 そして使った見たことのないポーション。
 思い出す、ユイの叫び声が。
 エリクサー、と。
(俺が出来ることすべてをするしかない。ユイさんはおそらくあれをダンジョンで手に入れたはず)
 ロッシュは意を決する。
「皆、聞け。これからユイさんの所に行って、エリクサーの出所を聞いてくる。おそらくどこかのダンジョンだ。総出でダンジョンアタックすることになる。それからユイさんに謝礼を払う必要がある。軍隊ダンジョンでの稼ぎはないと思ってくれ。ラーヴ、今から行くから、ここを頼む」
「………分かった」
 ラーヴは頷く。
「リーダー、シュタインさん、助かるっすか?」
 ハジェルが泣き出しそうな顔だ。マアデンも必死に堪えている。
 ロッシュは赤茶けたハジェルの頭をぐしゃっとする。
「助かるんじゃない、助けるんだ」
 ロッシュは、ラーヴに託して、かつて御用聞きとして通ったパーティーハウスに向かった。
 だが、途中で考えた。
 エリクサーの出所を聞いたりしたら、この人達の事だ、エリクサーを手に入れるために、ダンジョンに潜るのでは? と。
 既に、助かることのなかったシュタインの命を繋ぎ止めてくれたのに。
 咄嗟に嘘をついたが、あっけなく見破られた。
 そして、ユイの提案に、ロッシュは理解が追い付かなかったが、結局頼ってしまうことになる。それが、シュタインを救うことになる。

「すぴー、すぴー……………」
 呑気に寝やがって。
 ロッシュは気絶したユイを背負って送った後に、治療院に引き返した。
 シュタインの寝かされたベッドの横で、目を真っ赤にしたラーヴが静かに待っていた。
「ロッシュ、シュタイン見ろよ、鼻息立ててるぜ」
 そう言ったラーヴの顔には、憔悴と喜びが浮かぶ。
 明らかに顔色がいいシュタインが、眠っている。さっき一瞬だが、目を開けたのを、ロッシュは見た。そして確信した、助かったのだと。
 それを見て、力が抜けていき、ロッシュは床に座り込みそうになった。だが、ユイが崩れ落ちた事で、ロッシュは目が覚める思いだった。
 一生、胸にしまってください。
 そのユイの言葉が理解できた。
 ユイがシュタインを救ったあれは、確信はないが再生魔法だ。回復魔法の最上位魔法。使える者はユリアレーナには僅か2人。そして他国はいない場合もある。ロッシュはユイが『神への祈り』が使えることをしらないために行き着いた考えだ。
 一度の発動で体の欠損を再生する。奇跡の魔法。その奇跡を求める者は行列を成し、その長さは山をも越える。そして、一度の代金は再生部位によるが、数百万は下らない。極右派の聖女は、数千万を要求すると聞いたことがある。
 それを、ユイが使った。
 只でさえ、フォレストガーディアンウルフやクリムゾンジャガーなんて高位魔物を従魔にして、注目を浴びているのに。これで再生魔法まで使えるとしられたらどうなる。始祖教はおそらくユイに友好的に接するだろうが、すべてそうとは言いきれない。極右派なんかにしられたら、あの家族がどんな目に遭うか。優しくて、お人好しな家族が。
(それにリュウタさんだ。あの鑑定能力はダワーさんとは比較にならないぞ)
 人体の鑑定能力がユリアレーナ随一と呼ばれるダワーでさえ、時間をかけてシュタインの状況を見たのに。リュウタは一目見ただけで、シュタインの状況を看破した。パーカーさんの娘さんの為に、薬を模索していた時から、ある程度高いだろうとは思ってはいたが。そして、再生魔法をかけ続けるユイに、絶え間無くアドバイスを続けた。どれだけの鑑定能力か、そして集中力だろうか。
 シュタインの治療に要した時間は、2時間を超えたのだ。
(再生魔法を使うテイマー、しかも従魔はあのドラゴンでさえ一撃で仕留めるフォレストガーディアンウルフとクリムゾンジャガー。リュウタさんには計り知れない程に高い鑑定能力。コウタさんもだ。常識はずれの許容量のアイテムボックスを持っている。ケイコさんだけが、本当に一般人だ。いや、俺が知らないだけでケイコさんも何かしらのスキルがあるのか? なんなんだ、あの家族は?)
 だが、どこにでもいる家族だ。
 気絶したユイを見たケイコの狼狽えよう、いつも飄々としているコウタの慌てぶり。原因が分かっているだろうリュウタも、それでもユイを見る目は心配で溢れている。それがこの家族のすべてを表していた。
「ロッシュ? どうした?」
 考え込んだロッシュに、ラーヴは心配そうに声をかける。
「いや、なんでもない」
 ロッシュは頭を振る。
(俺が出来ることをするだけだ)

 一生、胸にしまってください。

(それが俺の役目だ)
 ドアの向こうでおそらく何が行われていたかを察知しているラーヴ、ここにはいないが、マアデンとハジェル。そして当事者のシュタインに、秘密を守らせる。これだけだ。
「ラーヴ、今日のことだが」
しおりを挟む
感想 639

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は始祖竜の母となる

葉柚
ファンタジー
にゃんこ大好きな私はいつの間にか乙女ゲームの世界に転生していたようです。 しかも、なんと悪役令嬢として転生してしまったようです。 どうせ転生するのであればモブがよかったです。 この乙女ゲームでは精霊の卵を育てる必要があるんですが・・・。 精霊の卵が孵ったら悪役令嬢役の私は死んでしまうではないですか。 だって、悪役令嬢が育てた卵からは邪竜が孵るんですよ・・・? あれ? そう言えば邪竜が孵ったら、世界の人口が1/3まで減るんでした。 邪竜が生まれてこないようにするにはどうしたらいいんでしょう!?

【完結24万pt感謝】子息の廃嫡? そんなことは家でやれ! 国には関係ないぞ!

宇水涼麻
ファンタジー
貴族達が会する場で、四人の青年が高らかに婚約解消を宣った。 そこに国王陛下が登場し、有無を言わさずそれを認めた。 慌てて否定した青年たちの親に、国王陛下は騒ぎを起こした責任として罰金を課した。その金額があまりに高額で、親たちは青年たちの廃嫡することで免れようとする。 貴族家として、これまで後継者として育ててきた者を廃嫡するのは大変な決断である。 しかし、国王陛下はそれを意味なしと袖にした。それは今回の集会に理由がある。 〰️ 〰️ 〰️ 中世ヨーロッパ風の婚約破棄物語です。 完結しました。いつもありがとうございます!

とある断罪劇の一夜

雪菊
恋愛
公爵令嬢エカテリーナは卒業パーティーで婚約者の第二王子から婚約破棄宣言された。 しかしこれは予定通り。 学園入学時に前世の記憶を取り戻した彼女はこの世界がゲームの世界であり自分が悪役令嬢であることに気づいたのだ。 だから対策もばっちり。準備万端で断罪を迎え撃つ。 現実のものとは一切関係のない架空のお話です。 初投稿作品です。短編予定です。 誤字脱字矛盾などありましたらこっそり教えてください。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。

曽根原ツタ
恋愛
 ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。  ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。  その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。  ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?  

いきなり異世界って理不尽だ!

みーか
ファンタジー
 三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。   自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~

紫月 由良
恋愛
 辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。  魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。   ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。