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003 「僕はきみのものだ。きみの好きにするといい」
しおりを挟むアイオン——そう名乗った赤髪の女性は、おもむろに立ち上がると手と手をあわせ、合掌した。
なにを……そう言葉を発するまえに、地が揺れる。
地面の奥底からなにかが這い上がってくるような感覚。事実、地面が砕けることなく盛り上がっていき、やがてトンネル状の虚空が姿をあらわした。
「穴? これは、いったい……?」
「ダンジョンよ。即席だから、魔物が産まれるのはすこしばかり時間が必要だけれど。……さて、邪魔が入るまえになかへ這入りましょう」
「あ、え、は……い?」
神秘的な雰囲気はそのままに、少々砕けた口調の彼女は重ね合わせていた手のひらをはがした。
「シリル。さ、手を握って」
「は、はいっ——て、あ、アイオンさん、なんで僕の名前を?」
「くふっ。ステータス確認は基本にして鉄則でしょう? ああ、それと。私のご主人様なのだから、アイオンと呼び捨てにして構わないわ」
「わ……わかり、ました……?」
ぎこちなく頷いて、差し出された手のひらを握って僕は立ち上がった。
暖かい手のひら——ミスラお姉ちゃんとは違って、なんだか新鮮だ。
「——はい、到着」
「え、はやっ」
虚空に足を踏み入れ、全身を襲う浮遊感を乗り越えたさきには——きらびやかな装飾が施された広間があった。
天蓋付きのベッドから一目でわかるふかふかのソファ。身分の高い人の家にありがちな長テーブルに彩られた食事。
ほかにも真っ赤な絨毯やシャンデリアなど、部屋に存在する調度品あわせて一級品だと凡俗の僕から見てもわかった。
「手持ちじゃこんなのものね。——お座りになって、シリル。食事をしながらお話をしましょう」
*
それから、アイオンにこれまでの経緯を説明した僕は、膝の上で拳を握りしめ、唇を噛み締めていた。
見たことも食べたこともない眼前の高級料理なんか気にならないぐらい、瞼の裏にはっきりとあの光景がこびりついていた。
燃え盛る村と、生きたまま焼かれ殺されていった幼馴染。そして、僕を逃すために戦うことを選んだミスラお姉ちゃん。
「周辺から生命反応はないわ。残念だけど、あなたの姉はもう……」
その言葉をきいて、僕はみっともなく涙を流した。
そんな僕をアイオンは優しく抱きしめて、耳元でささやいた。
「あなたの気持ち、すごくわかるわ。だから泣きたいなら好きなだけ涙を流しなさい。そして忘れちゃダメよ。いまの気持ちと……卑しい魔族に奪われた、あなたの大切な人たちのことを」
スゥッと、体の奥底に染み入るような違和感——
脳髄から足の指先まで、甘美な感覚が血管を巡って満たしていく。
「可哀想に、可哀想な子。——そう。愛していたのね、ミスラお姉ちゃんを。大好きだったのね、カレンのことが」
ミスラお姉ちゃんに抱きしめられているかのような温かさにしがみついて、僕は嗚咽を止めることをやめた。
「ミスラ、お姉ちゃん……カレン……ッ」
「これからは、そのお二人に代わって私があなたを守るわ。シリルは、ただ生きていてくれたらそれで十分だから」
「ッ……」
その言葉に、胸が張り裂けてしまいそうな痛みが走った。
アイオンが、僕を守る……?
あのふたりに代わって、僕を?
——また、僕は守られるのか。
ぎりっと歯を噛み締めて、僕はアイオンから体を半ば無理やりに引き離した。
「僕は……僕は、強くなるよ」
「……はて、あなたは強くなって、なにがしたいのかしら?」
「それ、は……」
「強くなる理由はなに? このダンジョンにいれば危険はないし、万が一、ここにたどり着いた者がいたとしても私が退ける。
ここにいれば安全。寿命が尽きるまで、私がそばにいる。外は危険なことばかりで、つねに死の危険性が伴う。進んで出るべきではないわ」
アイオンの言葉の羅列に、僕は声がでなかった。
でも、だからといって引き下がれない。燃えるような疼きが胸中で迸っている。
「僕は、もう誰かに守ってもらうのは嫌なんだ。守られてばかりの人生は、もうこりごりだ」
気の強い幼馴染がそうしてくれたように。
愛しい姉がそうしてくれたように。
今度は、僕が。
理由は、それだけで十分じゃないのか?
「仮に外へ出たとして、もし魔族が現れたら?」
フラッシュバックする二人組の影。
胸の呼応が激しく高鳴った。次いで、渦巻く黒い感情。
「魔族は強いわよ。数は人間に比べ少ないけれど、個々の力はおおきい。なかでも、魔王と呼ばれる存在は常軌を逸している」
「——そんなの、決まってるよ」
あいつらはカレンとミスラお姉ちゃんを殺したんだ。
僕から日常を奪ったんだ。その報いは、必ず受けさせてやる。
「殺すよ。魔族は、殺さなきゃ……奪われたなら、奪ってやる」
堰き止めていた感情が、その一言で流れ出した。
そうだ、魔族は世界の癌。なら消し去らなければいけない。そうしなければ、また僕は奪われる。
「魔族は殺す……魔族は殺す……魔族は、僕が殺す……」
「——くふっ」
「そのために、僕は外へ出る」
それが間違いだとしても。死んでいった彼女たちが悲しむとしても、僕は止まらない。
そうしなければ、僕の気は治らない。
だから——
「僕に、戦い方を教えてほしい。魔族を殺す力を、僕に」
「——御意に、我が主」
僕の決意を後押しするような、悪魔的な魅了をたずさえた微笑みを浮かべて、アイオンさんは続けた。
「魔族を己が手で滅ぼすという願望、聞き届けたわ。必ず私が導いてあげる。——その対価に」
暖かい両手が僕の頬を包み込んだ。とっさに目を伏せた僕に、アイオンは対価を要求した。
「私は悪魔だから、それに見合うだけの対価を要求するわ。構わないかしら?」
「……かまわないよ」
「よろしい。では——あなたの身も心もすべて、私に委ねなさい。私を愛し、私の為に死ぬ。それがシリルの支払う対価……異論は?」
「ないよ」
即答して、赤髪の悪魔に面と向かって言った。
「僕はきみのものだ。きみの好きにするといい」
「——あぁ、素敵。ではさっそく」
瞳を閉じたアイオンの顔が近づき、僕の唇がやわらかい感触に密封された。
そして、視界の隅で魔法陣が輝き……僕と悪魔は、契約を交わした。
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