婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里

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第112話 いつかまた会えたら

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「殿下、足をお運びいただきありがとうございます。この様な格好で失礼いたします」

 私が目覚めたという知らせを受けた殿下は、ご丁寧に・・・・わざわざお見舞いに訪れてくださったのだ。
 側にユーナを控えさせ、私自身は椅子に座ったままで殿下を迎え入れた。

 ばつの悪そうな表情を浮かべている殿下は、結婚の相手は私でなければ駄目だと言ってくれた殿下と同じ気質を持つ人だけれど、同じ心を持つ人ではない。それがありありと感じられる。
 ……ならば今こそ悪役令嬢を演じる・・・べきだろう。

「その。元気そうだな」

 私はその言葉にぴくりと眉を上げ、皮肉げに唇を歪めた。

「元気そう? あら。殿下の目には元気そうに見えるのですか。だとしたらとんだ節穴でございますね」

 私の態度とその口調に殿下は驚きで目を見張る。
 それはそうだろう。初めて婚約破棄を言い渡された時の私は弱々しく、男性の後ろに二歩も三歩も下がって黙って歩くような人間だった。それが目覚めた途端、別人のようになったのだから。

 殿下は最初の衝撃から立ち直り、威厳を取り戻すためか、一つ咳払いした。

「あれから調査した結果、今回のことはローレンス公爵家を失脚させようと上級貴族が画策したもので、お前に何ら落ち度は無かったことが判明した。だから、今日はそれを伝えにきた」
「そんなご報告なら不要です。わたくしは、わたくしが無実であることを誰よりも存じておりますもの。ここでお話しされるべき事は、潔白のわたくしを罵倒し、牢獄に放り込んだことに対しての真摯な対応と謝罪のお言葉では?」
「――っ。申し訳、なかった」

 殿下は喉から無理矢理絞り出すように言ったので、私はため息をついてみせた。

「薄っぺらい謝罪で許すつもりは毛頭ございませんが、まあ、お言葉だけは頂いておきましょうか」

 椅子に座って殿下を見上げていても、私は上から見下ろすような不遜な態度を取った。けれど殿下は後ろめたさからか、咎めず、むしろ私の視線から逃れるように半ば目を伏せる。

「分かっている。それについてはまた考える。この件に関してもさらに精査し、事の次第により首謀者を厳罰に処すつもりだ」
「厳罰に処すですって? ふふ。首謀者に厳罰を処す者がわたくしを牢獄に放り込んだ張本人だなんて、これは一体何の笑い話でしょうか」

 唇に手を当てて冷たく笑うと、彼は目を見開き、息を詰まらせた。
 少しの張り合いもないこと。……あの日々は憎まれ口を叩きながらも楽しかったのにね。
 思わず過去・・を懐かしみそうになった自分を叱咤する。

「お話はそれだけですか?」
「……いや。発表した婚約破棄の話だが」
「陛下に強いお叱りでも受けましたか」
「なぜそれを」

 動揺する殿下に私は呆れの笑いをもらした。

「婚約破棄に対して、事前に国王陛下直々のお達しはございませんでしたもの。ご自身が勝手になさった事なのでしょう。ですが、王家とローレンス公爵家とが婚姻関係を結ぶのは国の絶対的権力を強固にするもの。いわば家と家との契約のようなものです。それが王位第一継承者と言えども、勝手に破棄することなど到底許されませんわ。違いまして?」

 私が尋ねると彼は落ち着きなく視線を彷徨わせる。

「さらにわたくしに濡れ衣まで着せてローレンス家の名を傷つけました。これはローレンス公爵家に対する宣戦布告と取ってよろしいのかしら?」

 もちろん全面戦争など企てるつもりはない。それでも挑発のために目を細めて薄く微笑むと、殿下は私を正面から見て息を呑んだ。

「そ、それはあの時はお前がした事だと」
「ええ。そうでした。一方的な情報のみで、わたくしの言い分を何一つ聞いていただけませんでしたわね。まさに恋は盲目と言ったところかしら」

 反論できずにぐっと押し黙る彼を横目に私はユーナを呼ぶ。
 これ以上不毛な話し合いをしても時間の無駄で、さっさと話を進めるべきだと思ったからだ。

「ユーナ。あれを」
「はい。ただいま」

 彼女は既に用意してあった資料を手渡してくれた。
 私は確認するように、視線を落としてぱらぱらと捲る。

「お話を戻して婚約破棄の件ですが、双方の同意の下で破棄することは可能です。あなたは既に陛下に申し上げ、ご承認いただいているとのことですから、後はわたくしの方ですね」
「お、お前は破棄に同意してくれるのか?」
「……ええ。もちろん。喜んで。ただし」

 私は殿下にその書類を投げつけるように振りまくと、何枚かが舞い上がり、彼の顔を撫でて落ちた。

「わっ!? な、何をするんだ! 無礼者!」

 懐かしいお言葉だこと。
 咄嗟に腕で庇った後、こちらを睨み付けてくる彼に私は思わず笑みを零してしまった。

「まあ。失礼いたしました。病み上がりで力が入らず、手が滑りましたの。ああ、その書類は殿下への請求書ですから、早急にご確認いただけます?」
「お前っ――せいっ、何?」

 殿下は怒りよりも目の前の疑問が大きくなったのだろう。彼は眉をひそめた。

「どうぞご覧になって」

 一瞬躊躇したけれど、渋々身を屈めて一枚手に取る。すると、それを確認した彼はみるみる内に顔色を変えた。

「な、何だ。これ。まさか他の書類もそうなのか!?」

 辺りに散らばる書類に目をやった後、私に視線を向けた。

「ええ。これまで王家との婚姻を前提として、長年に渡り援助しておりました献上金を全てお返しいただきます。及び持参金、婚約破棄の慰謝料、名誉毀損の賠償金もお支払いいただくことになります」

 書類を持つ手が恐れなのか、私に対する怒りなのか、小刻みに震えている。

「こ、こんなに払えるわけがないだろう!」
「大勢の前で侮辱され、牢獄での日々を思い起こせば、こんな程度の賠償で済むとでも? ――っ。あなたがこの国の王位継承者でなければ、牢獄にぶち込みたいところだわ!」

 高ぶる感情を殿下の前で初めて出して返すと、殿下は驚き固まり、茫然とする。
 一方、私は深呼吸して気持ちを整えた。

「期限は設けません。返済方法は貴族の方々を回り、平身低頭してお借りするもよし、男爵令嬢様・・・・・のお家に援助していただくもよし、みずから身を粉にして働いて返すもよし。お好きな方法でどうぞ。ただし、貴族の方々にお借りするとなると、王家の権威も失墜することでしょうから、今度こそお先に陛下とご相談される方がよろしくてよ」

 陛下がお許しになるはずがないでしょうけれど。

「とにかく、こちらの婚約破棄の条件はそのようなものになりますので、よろしくお願いいたします」
「こっ、こんな事で婚約破棄を阻止すれば、お前だっていつまでもこの状況に縛られ続けるんだぞ!」

 私は再びため息をついて腕を組むと、動きのぶん袖が短くなって、痛々しく巻かれた布が顔を出す。

「お立場が分かっておられませんね。わたくしの方はこの要求を取り下げるだけで、婚約破棄することができるのです。あなたと違っていつでも自由に好きな時・・・・・・・にね。父も、陛下におかれましても既にご了承済みの話です」

 ――憤りはもっともの話だが、たとえ未熟で愚かな人間でも我が息子であり、この国の正当なる王位第一後継者。
 此度の上級貴族の謀略に加え、愚息を牢獄に放り込みその王位継承者の位を剥奪せざるを得ないとなると、王家及び貴族の権威を揺るがしかねない。
 王位継承者としてではなく、ルイス個人へ罰するのならば、目もつぶるし、要求に沿うようできるだけ協力もする。
 どうか怒りを鎮め、国のためにと配慮願いたい。――
 お父様が受けた陛下からのお言葉だ。

 私は絶句する殿下から視線を外すとユーナを見た。

「ごめんなさいね、ユーナ。殿下の書類を集めるのを手伝ってさしあげて」
「はい。承知いたしました」

 ユーナは素早く集めると、殿下にどうぞお納め下さいと手渡した。

「わたくしからのお話は以上です。では殿下、ごきげんよう。ユーナ、部屋の出口までお見送りを」
「はい。で――」
「こんな真似をして! こんな真似をして俺の心がお前に戻るとでも思うのか!」
「戻る? 戻るというのは一度あった時に使うもの。あなたの心がわたくしにあったことが過去一度でもございまして?」

 再び言葉に詰まる殿下をしばし見つめ、私は静かに目を伏せた。

「そうそう。ローレンス家とその周辺に対して妙な動きを少しでも見せたら、今の献上金も全て引き揚げ、全面的に戦わせいただきますので」

 殿下はもう何も答えず身を翻し、扉へと向かう。ユーナが慌てて後を追う。

 結局、宣戦布告した形になってしまったわね。
 苦笑していると、殿下を見送ったユーナがすぐに戻って来た。

「ヴィヴィアンナ様、これで良かっ」

 そこまで言ってユーナは私の顔を見るや、はっと口を閉ざす。そして膝を折って目線を合わせると、私の頬に優しくハンカチを当てた。

「……ヴィヴィアンナ様。わたくし、こう見えても髪結いがとても得意なのですよ。お望みの髪型にしてさしあげます」
「そう。ではロイド・ヴェルナーが手がけた髪型がいいわ」
「それは十年も前の流行になりますが」
「いいの。それがいいの」

 あなたが初めて・・・私にしてくれた髪型だから。

「かしこまりました。ロイド・ヴェルナーなど、もはや過去の人物。わたくしの手にかかれば朝飯前ですよ! わたくしにお任せくださいませ!」
「ええ。わたくしはあなたの腕を誰よりも信じているわ」

 胸に手を当てて得意そうな表情を見せるユーナに私は笑顔を返した。


 私はこれから自分のために生き、たくさんの人と関わっていく人生にする。
 明るく笑顔の絶えない毎日にしてみせる。

 ――そして。

 今生では叶わないかもしれない。いくつもの生まれ変わりが必要かもしれない。けれどいつかまた殿下の生まれ変わりと出逢い、胸張って生きている自分になっていた時にきっぱりすっぱりこう言い渡してやるのだ。

 ずっと。
 もうずっと長くあなたのことを。


 ……お慕いしておりましたと。
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