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第111話 また一から
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生きていれば辛いこともあるだろう。
時には逃げ出したっていい。
でも、今度こそは後悔しない生き方をして。
誰かの優しい声が頭の中に響く。
誰がそう言ってくれるのだろう。
だから生きろと、誰が私にそう言ってくれるのだろう。
一体誰が。
その正体を知りたくて目を開くと、見覚えのある天井がまず目に入り、次に無意識に上げていた右手が見えた。すぐにその手は力強い温もりに包まれる。
ここは……どこ。
私はもやがかかった頭で考え、何度も瞬いた。
すると。
「ヴィ、ヴィヴィアンナ!? 目を、目を開けたぞ!」
その声の直後、血相を変えた複数の顔が私の顔を覗き込んだ。
「私が分かるか、ヴィヴィアンナ!」
「ヴィヴィアンナ! 良かっ……良かった」
「ヴィ、ヴィヴィ……」
ぽとぽとと頬に落ちてくるいくつもの熱い雫を頬で受ける。
ここは私の部屋? 私は一体どうなったの?
確か私は婚約破棄をされ、牢獄に入れられ、そして……自害した。それから罰として何度も同じ人生を繰り返して……そうだ。刑罰を終えた私は番人の彼と会って、話をして。生まれ変わると。――いえ、待って。今、私をヴィヴィアンナと呼んだ? 私はヴィヴィアンナ・ローレンス?
次第に頭が冴えてきて、見覚えのある顔ぶれに茫然とする。
私は力を振り絞って左手を寄せると、包帯の巻かれた腕が見えた。だとしたら包帯の下はきっと自傷の痕があるはずだ。
なぜ? なぜ私はヴィヴィアンナ・ローレンスなの? だって私は新たに生まれ変わるって。
疑問が頭に渦巻いた時。
――過重労働による疲れのせいだな。大赦を受けた人の魂を元に戻す時空間にうっかり落っことしてしまったみたいだ。意見書と共に休みを申請しておこう。
彼の笑い声がどこか遠くで聞こえた気がした。
うっかりだなんて絶対うそ。
こっぴどくお叱りを受ける上に、休みどころか、今後しばらくは無休で働かされるかもしれない。
……私のためにごめんなさい。ありがとうございます、番人さん。
唯一彼を示す役職名で謝罪と感謝を述べる。
「ヴィ、ヴィヴィアンナ、私たちが分かるかい?」
彼のことを思いやってぼんやりしていた私に、お父様が震えた声で話しかけてきた。
私はようやく目の前の状況に立ち向かう。小さく顎を動かすと、喉から必死に出したか細い声で応えた。
「お、お父様、お母様。お兄様」
その自分の言葉に、なだれ込むように一気に声が上がった。
「そ、そうだ! そうだぞ、ヴィヴィアンナ!」
「ヴィヴィアンナ……っ」
「お、お医者様だ。お医者様を呼んでくれ!」
慌ただしくなった場の中で、あらためて家族の顔を確認すると目が充血し、顔色悪く、すっかりやつれていて、彼らの方がベッドの中にいるべき病人のようだ。
自分がしでかしてしまった事の大きさを思い知らされる。
「お父様、お母様、お兄様」
「な、何だ!」
「な、なあに、苦しいの!?」
「え!? は、早くお医者様を!」
また一斉に上がる声に少し狼狽えながら、私は精一杯、お腹に力を込めた。
「ごめ、なさい」
ごめんなさい。
馬鹿な真似をしてごめんなさい。
迷惑かけてごめんなさい。
家族の愛を疑ってごめんなさい。
「ごめんなさい……」
目からか細い雫が伝うと、両親と兄も同じように、うんうんといつまでも皆で泣きじゃくった。
皆が皆、落ち着いた頃、お父様がようやく笑顔を見せて尋ねてきた。
「何かしたいことはあるかい? 食べたい物は?」
食欲はまだ無いけれど、気になる人はいる。
「ユーナは。ユーナはどうなりましたか」
「……ユーナ? ユーナ・ハートンのことかい?」
お父様が眉をひそめる理由はこの後すぐ分かる。
すぐ側に控えていたらしいユーナに視線を移すと、彼女はおずおずと近付いて来た。
「わた、くしでございますか?」
何か失態でも犯してしまっただろうかと不安げで困惑しきった彼女の表情には、慣れ親しんだはずの快活なユーナの面影はどこにもない。
ああ、そうかと思う。
彼女と交流を深めたのは、あの繰り返しの最後の人生においてのみ。現実の私は彼女と軽口を叩けるほどの付き合いをしてこなかった。だからお父様はユーナとそんなに仲が良かっただろうかと眉をひそめたのだ。それは他の交友関係があった人たちとも同じことだろう。そして……殿下もまた。
その現実が重く苦しい事実として、心にのしかかってきた。
これまでやってきたこと全てが白紙に? 全部が無駄に? 目の前で光景が砕け散ったあの瞬間に、何もかもが無に帰した?
――縁という糸があってもそれをより強く太くするのは君の努力次第だね。
違う。決して無駄などではなかった。
自分が変わりさえすれば、人もまた同じように変わってくれるということを、あの経験で私は知ることができた。私が経験してきた全ての事は、私がこれから前向きに明日へと歩いて行くために後押ししてくれる原動力となるのだ。
そう。また一から絆を深めていけばいい。
「ユーナさん。あなた、わたくしのお世話係になってくださるかしら」
きっと彼女とはまた仲良くなれる。
私は親しみを込めてユーナに笑顔を向けると彼女は目を見張り、そして少しはにかんだ様子ではいと返事した。
これからの事を話し合うために人払いしてもらった。
今はお父様と二人だけだ。
「お父様、わたくしの事ですが」
「ああ。分かっている。お前が潔白だということは」
お父様は私が何も言わない内に即座に答えてくれた。
私を信じてくれる者がいる。それだけで勇気がもらえた気分だ。
「問題はお前がされた事についての殿下への処理についてだ。どう落とし前をつけてもらおうかと考えている。たかだか王位第一後継者の小童ごときがローレンス公爵家を侮辱し、何よりもお前をこんな目に遭わせ、深く傷つけたことは許しがたい。絶対にここのままでは済まさない」
低く凄んだ声で物騒な言葉が並べるお父様に、娘の自分ですらぞっとする。こんな表情のお父様を見たことが無い。彼の言葉は真実だったのだろう。
私はお父様の手に自分の手を置く。
「ありがとうございます。けれどこれはわたくしと殿下の問題です。わたくしが対応いたします」
「しかし」
未来を変えられるのは生きている者だけの権利。その権利を与えてくれた彼のためにも、私は自分の手で対処したい。
「ローレンス公爵家の娘として、けじめを付けさせていただきたいのです。ご準備だけお願いいたします」
生まれ変わったように毅然とした態度を取る私に、お父様は驚きで目を見開くと頷いた。
時には逃げ出したっていい。
でも、今度こそは後悔しない生き方をして。
誰かの優しい声が頭の中に響く。
誰がそう言ってくれるのだろう。
だから生きろと、誰が私にそう言ってくれるのだろう。
一体誰が。
その正体を知りたくて目を開くと、見覚えのある天井がまず目に入り、次に無意識に上げていた右手が見えた。すぐにその手は力強い温もりに包まれる。
ここは……どこ。
私はもやがかかった頭で考え、何度も瞬いた。
すると。
「ヴィ、ヴィヴィアンナ!? 目を、目を開けたぞ!」
その声の直後、血相を変えた複数の顔が私の顔を覗き込んだ。
「私が分かるか、ヴィヴィアンナ!」
「ヴィヴィアンナ! 良かっ……良かった」
「ヴィ、ヴィヴィ……」
ぽとぽとと頬に落ちてくるいくつもの熱い雫を頬で受ける。
ここは私の部屋? 私は一体どうなったの?
確か私は婚約破棄をされ、牢獄に入れられ、そして……自害した。それから罰として何度も同じ人生を繰り返して……そうだ。刑罰を終えた私は番人の彼と会って、話をして。生まれ変わると。――いえ、待って。今、私をヴィヴィアンナと呼んだ? 私はヴィヴィアンナ・ローレンス?
次第に頭が冴えてきて、見覚えのある顔ぶれに茫然とする。
私は力を振り絞って左手を寄せると、包帯の巻かれた腕が見えた。だとしたら包帯の下はきっと自傷の痕があるはずだ。
なぜ? なぜ私はヴィヴィアンナ・ローレンスなの? だって私は新たに生まれ変わるって。
疑問が頭に渦巻いた時。
――過重労働による疲れのせいだな。大赦を受けた人の魂を元に戻す時空間にうっかり落っことしてしまったみたいだ。意見書と共に休みを申請しておこう。
彼の笑い声がどこか遠くで聞こえた気がした。
うっかりだなんて絶対うそ。
こっぴどくお叱りを受ける上に、休みどころか、今後しばらくは無休で働かされるかもしれない。
……私のためにごめんなさい。ありがとうございます、番人さん。
唯一彼を示す役職名で謝罪と感謝を述べる。
「ヴィ、ヴィヴィアンナ、私たちが分かるかい?」
彼のことを思いやってぼんやりしていた私に、お父様が震えた声で話しかけてきた。
私はようやく目の前の状況に立ち向かう。小さく顎を動かすと、喉から必死に出したか細い声で応えた。
「お、お父様、お母様。お兄様」
その自分の言葉に、なだれ込むように一気に声が上がった。
「そ、そうだ! そうだぞ、ヴィヴィアンナ!」
「ヴィヴィアンナ……っ」
「お、お医者様だ。お医者様を呼んでくれ!」
慌ただしくなった場の中で、あらためて家族の顔を確認すると目が充血し、顔色悪く、すっかりやつれていて、彼らの方がベッドの中にいるべき病人のようだ。
自分がしでかしてしまった事の大きさを思い知らされる。
「お父様、お母様、お兄様」
「な、何だ!」
「な、なあに、苦しいの!?」
「え!? は、早くお医者様を!」
また一斉に上がる声に少し狼狽えながら、私は精一杯、お腹に力を込めた。
「ごめ、なさい」
ごめんなさい。
馬鹿な真似をしてごめんなさい。
迷惑かけてごめんなさい。
家族の愛を疑ってごめんなさい。
「ごめんなさい……」
目からか細い雫が伝うと、両親と兄も同じように、うんうんといつまでも皆で泣きじゃくった。
皆が皆、落ち着いた頃、お父様がようやく笑顔を見せて尋ねてきた。
「何かしたいことはあるかい? 食べたい物は?」
食欲はまだ無いけれど、気になる人はいる。
「ユーナは。ユーナはどうなりましたか」
「……ユーナ? ユーナ・ハートンのことかい?」
お父様が眉をひそめる理由はこの後すぐ分かる。
すぐ側に控えていたらしいユーナに視線を移すと、彼女はおずおずと近付いて来た。
「わた、くしでございますか?」
何か失態でも犯してしまっただろうかと不安げで困惑しきった彼女の表情には、慣れ親しんだはずの快活なユーナの面影はどこにもない。
ああ、そうかと思う。
彼女と交流を深めたのは、あの繰り返しの最後の人生においてのみ。現実の私は彼女と軽口を叩けるほどの付き合いをしてこなかった。だからお父様はユーナとそんなに仲が良かっただろうかと眉をひそめたのだ。それは他の交友関係があった人たちとも同じことだろう。そして……殿下もまた。
その現実が重く苦しい事実として、心にのしかかってきた。
これまでやってきたこと全てが白紙に? 全部が無駄に? 目の前で光景が砕け散ったあの瞬間に、何もかもが無に帰した?
――縁という糸があってもそれをより強く太くするのは君の努力次第だね。
違う。決して無駄などではなかった。
自分が変わりさえすれば、人もまた同じように変わってくれるということを、あの経験で私は知ることができた。私が経験してきた全ての事は、私がこれから前向きに明日へと歩いて行くために後押ししてくれる原動力となるのだ。
そう。また一から絆を深めていけばいい。
「ユーナさん。あなた、わたくしのお世話係になってくださるかしら」
きっと彼女とはまた仲良くなれる。
私は親しみを込めてユーナに笑顔を向けると彼女は目を見張り、そして少しはにかんだ様子ではいと返事した。
これからの事を話し合うために人払いしてもらった。
今はお父様と二人だけだ。
「お父様、わたくしの事ですが」
「ああ。分かっている。お前が潔白だということは」
お父様は私が何も言わない内に即座に答えてくれた。
私を信じてくれる者がいる。それだけで勇気がもらえた気分だ。
「問題はお前がされた事についての殿下への処理についてだ。どう落とし前をつけてもらおうかと考えている。たかだか王位第一後継者の小童ごときがローレンス公爵家を侮辱し、何よりもお前をこんな目に遭わせ、深く傷つけたことは許しがたい。絶対にここのままでは済まさない」
低く凄んだ声で物騒な言葉が並べるお父様に、娘の自分ですらぞっとする。こんな表情のお父様を見たことが無い。彼の言葉は真実だったのだろう。
私はお父様の手に自分の手を置く。
「ありがとうございます。けれどこれはわたくしと殿下の問題です。わたくしが対応いたします」
「しかし」
未来を変えられるのは生きている者だけの権利。その権利を与えてくれた彼のためにも、私は自分の手で対処したい。
「ローレンス公爵家の娘として、けじめを付けさせていただきたいのです。ご準備だけお願いいたします」
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