婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里

文字の大きさ
上 下
109 / 113

第109話 本当の罪と罰

しおりを挟む
 彼の指す方向へと目をこらしてみると……。

「た、大変! 子供が溺れているわ! た、助けなきゃ」

 駆け出そうとしたけれど、彼に腕を掴まれて止められた。
 さほど強い力とは思えないのに振り解くことはできない。

「な、何をしているの? 離してください。子供が溺れているのですよ!」
「助けられないよ。刑罰が終わるまではね」
「刑罰? あんな小さな子が? あの子が一体何を?」

 自分の目つきのせいで睨んでいると思われたのだろうか。彼は肩をすくめた。

「……親より先に亡くなった罪だよ」
「何ですって?」
「親より先に亡くなった罪。あの子は川で溺れて亡くなったんだよ」

 彼の言っていることが分からない。誰かともみ合って亡くなったのだろうか。

「事故ではないの?」
「事故だよ。特に事件性のない事故」
「事故なのになぜ? 酷いわ! なぜあの子に罪があると言うの。あまりにも理不尽だわ」

 今度こそ非難の口調で尋ねると、彼は少し不本意そうに眉をひそめた。

「それがこの世界の規則だから。でも僕も納得できなくて、不慮の事故には適応すべきではないと上に意見書を出しているよ。もう六十年は無視されているけどね」

 六十年! 二十代くらいに見えるけれど、一体彼は何歳なのだろう。もしくはここには年齢という概念はないのかもしれない。

「この世もあの世も理不尽なのは同じなのね。どうやったらあの子を助けられるの?」
「あの子の刑期は五年だから、あと三年かな」
「五年!? 五年間もあのままなの!?」

 再び子供に目をやったその時、その子と目が合う。
 こちらに助けを求めるように手をばたつかせているのを目にして、遠くて届くはずもないのに思わず私も手を伸ばしたけれど。

 ――バシッ!

 見えない壁に手が弾かれた。

「無駄だと言ったよ。刑期が終わるまでは誰も手を出せない。僕ら番人でさえね」
「でもあの子は!」

 目が合ってしまったんだもの。
 助けてと手を伸ばされたんだもの。
 助けてと叫んでも誰も助けてくれなかった私と重なったんだもの。

 感情が高ぶって震える私を彼は支えてくれる。

「戻ろう」

 私の肩を優しく抱くと促した。


 元いた暗い場所に戻ると自分から話を切り出した。
 遠い、はるか遠い記憶を思い出したからだ。

「わたくしは投獄された時に死んだのね。あの冷たい監獄で。自ら……命を絶って」

 無意識に手首を強く押さえる。

「そう。それから君は刑罰として、同じ苦しみの人生を何度も繰り返すことになった。罪が許されるその時まで。君が自害に使ったガラスで創られた空間の中でね」

 彼は腰を屈めると、さっきのガラス片を手に取って私に見せる。
 本来、牢屋には危険物は全て排除されているはずだけれど、隠すように角に置かれていた。前囚人の物だったのだろう。それを見つけた時は……救いのように感じたものだ。

「わたくしの刑罰は何年だったのかしら」

 あれから何年経ったのだろうか。皆はまだ健在なのだろうか。

「自ら命を絶った者の刑罰は四百年が基本。人生を繰り返し、そこから己を見つめ直して、気持ちを入れ替えて前向きに生きようとすれば減刑を受けられる。君の場合は刑期一杯かかってしまったけど」
「四百年」

 だとしたら私が知る者は誰も生きてはいないわね。
 自嘲の笑いを漏らした。

「……そう言えば。あの声はあなただったのね」

 これは刑罰なんだよ。
 だから君は何度も罰を受けないといけないんだ。
 君が前向きに生きようとするその時まで。

「ああ、あれ。覚えていたんだ」
「ええ。おぼろげだったけれど、今、はっきりと思い出しました」

 彼は視線を逸らし、ばつが悪そうに頬を掻いた。

「本当は対象者に声をかけることすら、御法度なんだけどね。あまりにも君が不器用な生き方だったから」
「え?」
「誰からも愛されていないと感じていた。違う?」

 私は思わずふっと意地悪っぽく笑みを零す。

「あの当時、一体誰が私を愛してくれていたと言うの? 家族にさえ見捨てられた私なのに」
「愛していたよ。君の家族は君のことを」
「嘘! わたくしが収監されている時、誰一人会いに来てくれはしなかったわ! 冷たい人間だったのよ!」

 彼の言葉が信じられなくて、私は叫んだ。

「それはたとえ大きな力を持つ家とは言え、無実が証明されるまでは面会することを禁じられていたからだよ。だけど陰で君の家族は君を助けるためにずっと走り回っていた。繰り返しの人生だって、君以外も全て本人そのものの本質なんだ」
「嘘。だって……」

 ――お前が出した言葉に嘘いつわりはないと思っているよ。私はお前を信じている。
 ――自分の身体にも気を配りなさい。
 ――ヴィヴィアンナも自覚を持って頑張っていますよ。

 家族の言葉を思い出す。
 愛してくれていたのだろうか。愛されていたのだろうか。

「そ、れで。それからうちはどうなりましたか」
「君の家族は、ローレンス公爵は君の死を大いに嘆き悲しみ、憤り、そして王家に反旗を翻した」
「っ!」
「国を転覆させるほど王家には多大な傷痕を残したけど、最後は……」

 彼は言葉を濁したが、きっとそれは滅ぼされた……ということ。
 いつの間にか握りしめていた手をさらに強く握った。

「わ、わたくしが命を絶たなければ、そんな事にはならなかったのかしら」
「ならなかったかもしれない。あるいは、それでもなったかもしれない。でも、もうそれを知る術はどこにもない」

 淡々と述べられる言葉が胸に深く突き刺さる。

「ただ一つ言える事は、君が生きてさえいれば君の家族の未来を変えられたかもしれないということだけ。未来を変えられるのは、生きている者だけの権利だから」
「あ……」

 私の本当の罪は、私を愛してくれた人たちを傷つけ、その人たちの未来を奪ってしまったこと。
 そして本当の罰は、私が愛した人たちに謝罪し、その人たちの未来を変える機会を永遠に失ってしまったこと。


 私は膝から崩れると、あらん限りの大声で泣き叫んだ。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

処理中です...