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第109話 本当の罪と罰
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彼の指す方向へと目をこらしてみると……。
「た、大変! 子供が溺れているわ! た、助けなきゃ」
駆け出そうとしたけれど、彼に腕を掴まれて止められた。
さほど強い力とは思えないのに振り解くことはできない。
「な、何をしているの? 離してください。子供が溺れているのですよ!」
「助けられないよ。刑罰が終わるまではね」
「刑罰? あんな小さな子が? あの子が一体何を?」
自分の目つきのせいで睨んでいると思われたのだろうか。彼は肩をすくめた。
「……親より先に亡くなった罪だよ」
「何ですって?」
「親より先に亡くなった罪。あの子は川で溺れて亡くなったんだよ」
彼の言っていることが分からない。誰かともみ合って亡くなったのだろうか。
「事故ではないの?」
「事故だよ。特に事件性のない事故」
「事故なのになぜ? 酷いわ! なぜあの子に罪があると言うの。あまりにも理不尽だわ」
今度こそ非難の口調で尋ねると、彼は少し不本意そうに眉をひそめた。
「それがこの世界の規則だから。でも僕も納得できなくて、不慮の事故には適応すべきではないと上に意見書を出しているよ。もう六十年は無視されているけどね」
六十年! 二十代くらいに見えるけれど、一体彼は何歳なのだろう。もしくはここには年齢という概念はないのかもしれない。
「この世もあの世も理不尽なのは同じなのね。どうやったらあの子を助けられるの?」
「あの子の刑期は五年だから、あと三年かな」
「五年!? 五年間もあのままなの!?」
再び子供に目をやったその時、その子と目が合う。
こちらに助けを求めるように手をばたつかせているのを目にして、遠くて届くはずもないのに思わず私も手を伸ばしたけれど。
――バシッ!
見えない壁に手が弾かれた。
「無駄だと言ったよ。刑期が終わるまでは誰も手を出せない。僕ら番人でさえね」
「でもあの子は!」
目が合ってしまったんだもの。
助けてと手を伸ばされたんだもの。
助けてと叫んでも誰も助けてくれなかった私と重なったんだもの。
感情が高ぶって震える私を彼は支えてくれる。
「戻ろう」
私の肩を優しく抱くと促した。
元いた暗い場所に戻ると自分から話を切り出した。
遠い、はるか遠い記憶を思い出したからだ。
「わたくしは投獄された時に死んだのね。あの冷たい監獄で。自ら……命を絶って」
無意識に手首を強く押さえる。
「そう。それから君は刑罰として、同じ苦しみの人生を何度も繰り返すことになった。罪が許されるその時まで。君が自害に使ったガラスで創られた空間の中でね」
彼は腰を屈めると、さっきのガラス片を手に取って私に見せる。
本来、牢屋には危険物は全て排除されているはずだけれど、隠すように角に置かれていた。前囚人の物だったのだろう。それを見つけた時は……救いのように感じたものだ。
「わたくしの刑罰は何年だったのかしら」
あれから何年経ったのだろうか。皆はまだ健在なのだろうか。
「自ら命を絶った者の刑罰は四百年が基本。人生を繰り返し、そこから己を見つめ直して、気持ちを入れ替えて前向きに生きようとすれば減刑を受けられる。君の場合は刑期一杯かかってしまったけど」
「四百年」
だとしたら私が知る者は誰も生きてはいないわね。
自嘲の笑いを漏らした。
「……そう言えば。あの声はあなただったのね」
これは刑罰なんだよ。
だから君は何度も罰を受けないといけないんだ。
君が前向きに生きようとするその時まで。
「ああ、あれ。覚えていたんだ」
「ええ。おぼろげだったけれど、今、はっきりと思い出しました」
彼は視線を逸らし、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「本当は対象者に声をかけることすら、御法度なんだけどね。あまりにも君が不器用な生き方だったから」
「え?」
「誰からも愛されていないと感じていた。違う?」
私は思わずふっと意地悪っぽく笑みを零す。
「あの当時、一体誰が私を愛してくれていたと言うの? 家族にさえ見捨てられた私なのに」
「愛していたよ。君の家族は君のことを」
「嘘! わたくしが収監されている時、誰一人会いに来てくれはしなかったわ! 冷たい人間だったのよ!」
彼の言葉が信じられなくて、私は叫んだ。
「それはたとえ大きな力を持つ家とは言え、無実が証明されるまでは面会することを禁じられていたからだよ。だけど陰で君の家族は君を助けるためにずっと走り回っていた。繰り返しの人生だって、君以外も全て本人そのものの本質なんだ」
「嘘。だって……」
――お前が出した言葉に嘘いつわりはないと思っているよ。私はお前を信じている。
――自分の身体にも気を配りなさい。
――ヴィヴィアンナも自覚を持って頑張っていますよ。
家族の言葉を思い出す。
愛してくれていたのだろうか。愛されていたのだろうか。
「そ、れで。それからうちはどうなりましたか」
「君の家族は、ローレンス公爵は君の死を大いに嘆き悲しみ、憤り、そして王家に反旗を翻した」
「っ!」
「国を転覆させるほど王家には多大な傷痕を残したけど、最後は……」
彼は言葉を濁したが、きっとそれは滅ぼされた……ということ。
いつの間にか握りしめていた手をさらに強く握った。
「わ、わたくしが命を絶たなければ、そんな事にはならなかったのかしら」
「ならなかったかもしれない。あるいは、それでもなったかもしれない。でも、もうそれを知る術はどこにもない」
淡々と述べられる言葉が胸に深く突き刺さる。
「ただ一つ言える事は、君が生きてさえいれば君の家族の未来を変えられたかもしれないということだけ。未来を変えられるのは、生きている者だけの権利だから」
「あ……」
私の本当の罪は、私を愛してくれた人たちを傷つけ、その人たちの未来を奪ってしまったこと。
そして本当の罰は、私が愛した人たちに謝罪し、その人たちの未来を変える機会を永遠に失ってしまったこと。
私は膝から崩れると、あらん限りの大声で泣き叫んだ。
「た、大変! 子供が溺れているわ! た、助けなきゃ」
駆け出そうとしたけれど、彼に腕を掴まれて止められた。
さほど強い力とは思えないのに振り解くことはできない。
「な、何をしているの? 離してください。子供が溺れているのですよ!」
「助けられないよ。刑罰が終わるまではね」
「刑罰? あんな小さな子が? あの子が一体何を?」
自分の目つきのせいで睨んでいると思われたのだろうか。彼は肩をすくめた。
「……親より先に亡くなった罪だよ」
「何ですって?」
「親より先に亡くなった罪。あの子は川で溺れて亡くなったんだよ」
彼の言っていることが分からない。誰かともみ合って亡くなったのだろうか。
「事故ではないの?」
「事故だよ。特に事件性のない事故」
「事故なのになぜ? 酷いわ! なぜあの子に罪があると言うの。あまりにも理不尽だわ」
今度こそ非難の口調で尋ねると、彼は少し不本意そうに眉をひそめた。
「それがこの世界の規則だから。でも僕も納得できなくて、不慮の事故には適応すべきではないと上に意見書を出しているよ。もう六十年は無視されているけどね」
六十年! 二十代くらいに見えるけれど、一体彼は何歳なのだろう。もしくはここには年齢という概念はないのかもしれない。
「この世もあの世も理不尽なのは同じなのね。どうやったらあの子を助けられるの?」
「あの子の刑期は五年だから、あと三年かな」
「五年!? 五年間もあのままなの!?」
再び子供に目をやったその時、その子と目が合う。
こちらに助けを求めるように手をばたつかせているのを目にして、遠くて届くはずもないのに思わず私も手を伸ばしたけれど。
――バシッ!
見えない壁に手が弾かれた。
「無駄だと言ったよ。刑期が終わるまでは誰も手を出せない。僕ら番人でさえね」
「でもあの子は!」
目が合ってしまったんだもの。
助けてと手を伸ばされたんだもの。
助けてと叫んでも誰も助けてくれなかった私と重なったんだもの。
感情が高ぶって震える私を彼は支えてくれる。
「戻ろう」
私の肩を優しく抱くと促した。
元いた暗い場所に戻ると自分から話を切り出した。
遠い、はるか遠い記憶を思い出したからだ。
「わたくしは投獄された時に死んだのね。あの冷たい監獄で。自ら……命を絶って」
無意識に手首を強く押さえる。
「そう。それから君は刑罰として、同じ苦しみの人生を何度も繰り返すことになった。罪が許されるその時まで。君が自害に使ったガラスで創られた空間の中でね」
彼は腰を屈めると、さっきのガラス片を手に取って私に見せる。
本来、牢屋には危険物は全て排除されているはずだけれど、隠すように角に置かれていた。前囚人の物だったのだろう。それを見つけた時は……救いのように感じたものだ。
「わたくしの刑罰は何年だったのかしら」
あれから何年経ったのだろうか。皆はまだ健在なのだろうか。
「自ら命を絶った者の刑罰は四百年が基本。人生を繰り返し、そこから己を見つめ直して、気持ちを入れ替えて前向きに生きようとすれば減刑を受けられる。君の場合は刑期一杯かかってしまったけど」
「四百年」
だとしたら私が知る者は誰も生きてはいないわね。
自嘲の笑いを漏らした。
「……そう言えば。あの声はあなただったのね」
これは刑罰なんだよ。
だから君は何度も罰を受けないといけないんだ。
君が前向きに生きようとするその時まで。
「ああ、あれ。覚えていたんだ」
「ええ。おぼろげだったけれど、今、はっきりと思い出しました」
彼は視線を逸らし、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「本当は対象者に声をかけることすら、御法度なんだけどね。あまりにも君が不器用な生き方だったから」
「え?」
「誰からも愛されていないと感じていた。違う?」
私は思わずふっと意地悪っぽく笑みを零す。
「あの当時、一体誰が私を愛してくれていたと言うの? 家族にさえ見捨てられた私なのに」
「愛していたよ。君の家族は君のことを」
「嘘! わたくしが収監されている時、誰一人会いに来てくれはしなかったわ! 冷たい人間だったのよ!」
彼の言葉が信じられなくて、私は叫んだ。
「それはたとえ大きな力を持つ家とは言え、無実が証明されるまでは面会することを禁じられていたからだよ。だけど陰で君の家族は君を助けるためにずっと走り回っていた。繰り返しの人生だって、君以外も全て本人そのものの本質なんだ」
「嘘。だって……」
――お前が出した言葉に嘘いつわりはないと思っているよ。私はお前を信じている。
――自分の身体にも気を配りなさい。
――ヴィヴィアンナも自覚を持って頑張っていますよ。
家族の言葉を思い出す。
愛してくれていたのだろうか。愛されていたのだろうか。
「そ、れで。それからうちはどうなりましたか」
「君の家族は、ローレンス公爵は君の死を大いに嘆き悲しみ、憤り、そして王家に反旗を翻した」
「っ!」
「国を転覆させるほど王家には多大な傷痕を残したけど、最後は……」
彼は言葉を濁したが、きっとそれは滅ぼされた……ということ。
いつの間にか握りしめていた手をさらに強く握った。
「わ、わたくしが命を絶たなければ、そんな事にはならなかったのかしら」
「ならなかったかもしれない。あるいは、それでもなったかもしれない。でも、もうそれを知る術はどこにもない」
淡々と述べられる言葉が胸に深く突き刺さる。
「ただ一つ言える事は、君が生きてさえいれば君の家族の未来を変えられたかもしれないということだけ。未来を変えられるのは、生きている者だけの権利だから」
「あ……」
私の本当の罪は、私を愛してくれた人たちを傷つけ、その人たちの未来を奪ってしまったこと。
そして本当の罰は、私が愛した人たちに謝罪し、その人たちの未来を変える機会を永遠に失ってしまったこと。
私は膝から崩れると、あらん限りの大声で泣き叫んだ。
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