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第108話 暗闇。そして見知らぬ青年
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辺りは真っ暗闇。
右を向いても左を向いても後ろを向いても闇。
闇闇闇の連続。
自分の立ち位置すら見失う漆黒の闇に塗り込められている。
「で、殿下? どこですか……」
辺りは静寂に包まれ、あれほど色とりどりに着飾っていたたくさんの人たちも、豪華絢爛だったパーティー会場もなく、そして――殿下の姿も目の前にはなかった。
「ユ、ユーナ! オーブリーさん! ディアナ様! エリーゼ様! エミリア様! み、皆!」
一体何が起こっているのかと茫然としていただけの状態が次第に恐怖へと変わって行く。
「み、皆っ、ど、どこなの!?」
今の状況を掴むべく歩きだそうと足を少しずらすと、ガリッと音を立てるものに気づく。私は音につられるようにその場にしゃがみ込んだ。
段々と暗闇に目が慣れてきた私はそれを拾い上げると、ガラスの欠片のようだった。
「ヴィヴィアンナ・ローレンスさん」
足音すらなく、不意に誰かの声が降ってきて、びっくりした私は思わずガラス片を落とし、はっと顔を上げる。
そこに立っていたのは、何やらランプのような物を手にした黒い髪に赤い瞳を持つ端正な顔立ちの青年だった。
身を包んでいるのは黒い衣服なのに、暗闇の中でも浮かび上がるような存在感に圧倒される。
彼は私が呼びかけに反応できずにぼんやりしているのにも構わず、にっこりと笑顔を浮かべた。
「長年のおつとめご苦労様でした」
彼とは会ったことがない。けれど、この声はどこかで……。
あ。それよりも。
「あ。あの、ここは! わたくしはどうしてここに! 皆はどこに! おつとめとは何でしょうか!」
矢継ぎ早に尋ねる私にも彼は笑顔を崩すことはない。
「そうだね。まずは立とうか」
彼は少し身を屈めると私に手を差し伸べたので、何気なくその手を取った。
その手に温もりは感じられないけれど、震え上がるような冷たさもまた感じられない。
立ち上がったのを見計らってゆっくりと彼が歩き出すので、それに従うとすぐに足を止めて手を離し、こちらにどうぞと指し示す。
ランプは彼自身を照らすだけで、辺りは暗闇に沈んだままでよく見えないけれど、手の先に座る所があるらしい。私は恐る恐る腰掛けた。
私が落ち着いたところで彼は話を切り出す。
「まずこの世界のことを説明しようか。ここはね、君たちの世界の言うところでの『地獄』だよ」
「じ、地獄!? 地獄ですって!?」
突飛な事を言い出す彼に、私のような反応をする者は少なくないのだろう。彼にとっては想定内のようで、穏やかに笑っている。
「そう。罪を犯した者が裁きを受けて、最終的に行き着く場所。人間は世界には天国と地獄があると言うのを聞くんだけど、勘違いしているんだよね。地獄はあっても、天国という世界は無いんだよ。善行を積み重ねたら天国に行けるっていうのは、まあ言うなれば人の希望的観測といったところかな。ただし色んな審議を受ける前の一時待機所があるから、そこが天国だと思っているのかもしれない。綺麗なお花畑があって――」
「す、少しお待ちください! 天国とか地獄とか待機所とか、本当に訳が分からないのですが!」
彼は言葉を遮られたことにも嫌な顔をせずに、そうだねと頷く。
「聞くだけでは実感できないよね。希望者には地獄巡りツアーもあるけど、いかがですか? ――って、やっぱり止めておこう。お嬢様には見るに堪えない光景だから」
「いいえ。行きます!」
決して挑発した言い方ではなかったのだけれど、何だかムキになってしまう。むしろ自分の目で見なければ信じられないと言った方がいいかもしれない。
「じゃあ、一箇所だけご案内しようか」
彼が立ち、再び手を差し伸べてきたので私はその手を取った。
先ほどいた所を一歩外に出ると辺りは比較的明るく、目を慣らすのに数回瞬きを繰り返す。
その明るさに昼間なのかと天を仰いだけれど、太陽は出ておらず、空は不気味に赤黒く濁り染まっているだけだ。さらには人の悲鳴のような、動物の鳴き声のようなものが入り混じって聞こえてきて、ぞくりと肌が粟立ち、立ち竦んでしまう。
「大丈夫? 無理をしないでいいよ」
「い、いえ。大丈夫です。行きます」
「……そう? じゃあ、少し歩こう」
私の肩に手を置かれ、促されて歩くと、周りの景色が見えてくる。
見渡す限り建物はなく、青々とした植物さえ生えておらず、ひたすらごつごつした岩肌の山々ばかりだ。生き物が棲んでいる気配もない。
今のところは寒くもないけれど暑くもなく、肌に当たる風もなく、匂いも漂って来ず、季節を何一つ感じさせない。
周りに気を取られ、体勢を少し崩しかけて足元に目をやると、地面は決して整備されておらず、素足で歩けば傷つきそうな尖った石がごろごろと転がっている。
「その靴では歩きにくそうだね。良かったら抱き上げようか?」
「いえ。ありがとうございます。ゆっくり歩けば大丈夫です」
「そっか」
少し残念な様子の彼は、私の足並みに揃えてくれた。
一歩、一歩と歩く度に少しずつ実感できる。
ここは私の知るどこの場所でもないということが。
異様な雰囲気に、普通の人間が住まう場所ではないということが。
「ここでいいかな」
いつの間にかうつむいて沈黙のまま歩いていたけれど、彼の声で顔を上げる。
気付けば景色は変わっていて、流れの速い川の前まで来ていた。
「ここですか?」
「うん。あの辺りを見て」
彼は少し気遣うように笑むと指さした。
右を向いても左を向いても後ろを向いても闇。
闇闇闇の連続。
自分の立ち位置すら見失う漆黒の闇に塗り込められている。
「で、殿下? どこですか……」
辺りは静寂に包まれ、あれほど色とりどりに着飾っていたたくさんの人たちも、豪華絢爛だったパーティー会場もなく、そして――殿下の姿も目の前にはなかった。
「ユ、ユーナ! オーブリーさん! ディアナ様! エリーゼ様! エミリア様! み、皆!」
一体何が起こっているのかと茫然としていただけの状態が次第に恐怖へと変わって行く。
「み、皆っ、ど、どこなの!?」
今の状況を掴むべく歩きだそうと足を少しずらすと、ガリッと音を立てるものに気づく。私は音につられるようにその場にしゃがみ込んだ。
段々と暗闇に目が慣れてきた私はそれを拾い上げると、ガラスの欠片のようだった。
「ヴィヴィアンナ・ローレンスさん」
足音すらなく、不意に誰かの声が降ってきて、びっくりした私は思わずガラス片を落とし、はっと顔を上げる。
そこに立っていたのは、何やらランプのような物を手にした黒い髪に赤い瞳を持つ端正な顔立ちの青年だった。
身を包んでいるのは黒い衣服なのに、暗闇の中でも浮かび上がるような存在感に圧倒される。
彼は私が呼びかけに反応できずにぼんやりしているのにも構わず、にっこりと笑顔を浮かべた。
「長年のおつとめご苦労様でした」
彼とは会ったことがない。けれど、この声はどこかで……。
あ。それよりも。
「あ。あの、ここは! わたくしはどうしてここに! 皆はどこに! おつとめとは何でしょうか!」
矢継ぎ早に尋ねる私にも彼は笑顔を崩すことはない。
「そうだね。まずは立とうか」
彼は少し身を屈めると私に手を差し伸べたので、何気なくその手を取った。
その手に温もりは感じられないけれど、震え上がるような冷たさもまた感じられない。
立ち上がったのを見計らってゆっくりと彼が歩き出すので、それに従うとすぐに足を止めて手を離し、こちらにどうぞと指し示す。
ランプは彼自身を照らすだけで、辺りは暗闇に沈んだままでよく見えないけれど、手の先に座る所があるらしい。私は恐る恐る腰掛けた。
私が落ち着いたところで彼は話を切り出す。
「まずこの世界のことを説明しようか。ここはね、君たちの世界の言うところでの『地獄』だよ」
「じ、地獄!? 地獄ですって!?」
突飛な事を言い出す彼に、私のような反応をする者は少なくないのだろう。彼にとっては想定内のようで、穏やかに笑っている。
「そう。罪を犯した者が裁きを受けて、最終的に行き着く場所。人間は世界には天国と地獄があると言うのを聞くんだけど、勘違いしているんだよね。地獄はあっても、天国という世界は無いんだよ。善行を積み重ねたら天国に行けるっていうのは、まあ言うなれば人の希望的観測といったところかな。ただし色んな審議を受ける前の一時待機所があるから、そこが天国だと思っているのかもしれない。綺麗なお花畑があって――」
「す、少しお待ちください! 天国とか地獄とか待機所とか、本当に訳が分からないのですが!」
彼は言葉を遮られたことにも嫌な顔をせずに、そうだねと頷く。
「聞くだけでは実感できないよね。希望者には地獄巡りツアーもあるけど、いかがですか? ――って、やっぱり止めておこう。お嬢様には見るに堪えない光景だから」
「いいえ。行きます!」
決して挑発した言い方ではなかったのだけれど、何だかムキになってしまう。むしろ自分の目で見なければ信じられないと言った方がいいかもしれない。
「じゃあ、一箇所だけご案内しようか」
彼が立ち、再び手を差し伸べてきたので私はその手を取った。
先ほどいた所を一歩外に出ると辺りは比較的明るく、目を慣らすのに数回瞬きを繰り返す。
その明るさに昼間なのかと天を仰いだけれど、太陽は出ておらず、空は不気味に赤黒く濁り染まっているだけだ。さらには人の悲鳴のような、動物の鳴き声のようなものが入り混じって聞こえてきて、ぞくりと肌が粟立ち、立ち竦んでしまう。
「大丈夫? 無理をしないでいいよ」
「い、いえ。大丈夫です。行きます」
「……そう? じゃあ、少し歩こう」
私の肩に手を置かれ、促されて歩くと、周りの景色が見えてくる。
見渡す限り建物はなく、青々とした植物さえ生えておらず、ひたすらごつごつした岩肌の山々ばかりだ。生き物が棲んでいる気配もない。
今のところは寒くもないけれど暑くもなく、肌に当たる風もなく、匂いも漂って来ず、季節を何一つ感じさせない。
周りに気を取られ、体勢を少し崩しかけて足元に目をやると、地面は決して整備されておらず、素足で歩けば傷つきそうな尖った石がごろごろと転がっている。
「その靴では歩きにくそうだね。良かったら抱き上げようか?」
「いえ。ありがとうございます。ゆっくり歩けば大丈夫です」
「そっか」
少し残念な様子の彼は、私の足並みに揃えてくれた。
一歩、一歩と歩く度に少しずつ実感できる。
ここは私の知るどこの場所でもないということが。
異様な雰囲気に、普通の人間が住まう場所ではないということが。
「ここでいいかな」
いつの間にかうつむいて沈黙のまま歩いていたけれど、彼の声で顔を上げる。
気付けば景色は変わっていて、流れの速い川の前まで来ていた。
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「うん。あの辺りを見て」
彼は少し気遣うように笑むと指さした。
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