婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里

文字の大きさ
上 下
107 / 113

第107話

しおりを挟む
「ヴィヴィアンナ様、この度はご成婚おめでとうございます」

 ……ん?

「また、ヴィヴィアンナ様にはずっとお世話になっておりましたが、お礼を申し上げる機会をつかめず失礼いたしました。この場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました」

 えーと。待って。何を言っているのと遮ろうとする私を前に、彼女の言葉は続く。

「ヴィヴィアンナ様は入学した時からずっと私の事を気にかけてくださっていました」
「エミリア様?」
「覚えておられませんか? 裏庭で私が囲まれていた時に助けてくださったこと。この学院内でも身分差は存在する。注意しなさいとご助言いただいたこと」

 助けたわけではない。それに警告であって、忠告ではない。とんだ勘違いだ。
 今度は私の方が呆気に取られて言葉を失う。しかし次の言葉でさらに驚かされた。

「それだけではありません。私の破かれた教科書を自分の物と替えてくださったでしょう」
「な、なぜ!? 教科書に書き込みはしていなかったはずよ。なぜ替えたことに気付いたの!?」

 言葉に出してからはっとする。自白したようなものだ。

「ヴィヴィアンナ様は、教室を空にする課外学習から私が戻ってくるまでに替えてくださったんですよね。でもそれ以前に、私の教科書は既に切り裂かれていたんですよ。ですから気付かないはずがないんです」
「え!?」
「それに何よりね」

 エミリア嬢はくすくすと可笑しそうに笑った。

「教科書の裏にヴィヴィアンナ様のお名前が書いてありましたから」
「……あ」
「お前って、やっぱり肝心な所が抜けているよな」

 それを横で聞いている殿下は腕を組み、呆れ笑いをする。
 否定できない。

「そのお名前の書き方や梯子の使用中止と書かれた文字を見て、机の中にあった私に対しての忠告文や最初の呼び出しも全部ヴィヴィアンナ様のものだと分かりました」

 あの時、梯子に注目していたのは細工に気付いたわけではなく、私の文字を見ていたのか。あと、手紙は忠告文ではなく、警告文だったはずです……。

「嫌がらせの倉庫での呼び出しも私の身代わりになってくださったんですね」
「な、なぜ。それを?」

 おいそれは一体何の事だと横で殿下が騒いでいるけれど、それどころではない。なぜなら私の目の前で彼女は指を組むと、ぽきぽきと男らしく音を鳴らしたからだ。とてもお美しい彼女がやる仕草ではない。

「ええ。どうも状況が読めなくて現場にいた人に、ちょっと下からお願いしたらすぐに教えてくれました」

 片目を伏せて可愛らしく笑っているけど、皆、若干引いていますよ!

「そうそう。私に嫌がらせを繰り返していた人を蹴散らしてくださったのもヴィヴィアンナ様なんですよね。とある・・・人から聞きました」

 ずっと傍観者でいるつもりではなかったのか。
 私は咄嗟に視線をオーブリーさんにギンッやると、彼はひょいと肩をすくめた。

「お茶会の席でのことも、私を庇ってなどいないとはもう言わせませんよ」

 エミリア嬢は悪戯っぽく笑う。
 彼女の言葉に同意して頷く動作をしている人が目の端に入ったので視線をやると、それはディアナ嬢とエリーゼ嬢だった。

「きっと私が知らない所でももっと、ヴィヴィアンナ様に守られてきたのでしょうね」

 私はそこまで言われて、とうとう諦めた。

「それはわたくしの、自分のためで」
「たとえそうでも構いません。ヴィヴィアンナ様が私を守ってくださったという事実には変わりないのですから。だから今度は私がヴィヴィアンナ様の幸せをお祝いさせてください」

 エミリア嬢は一呼吸すると満面の笑顔を見せる。

「ヴィヴィアンナ様、本日はご卒業並びにご婚姻、本当におめでとうございます。末永く御多幸のほど心よりお祈り申し上げます。――私からは以上です」

 最後の言葉を言い終えると辺りから拍手がわき起こった。

「エミリア・コーラル、挨拶をありがとう」

 殿下は感謝を述べ、彼女は優雅に礼を取って輪の中へと戻っていく。

「で、でも、お二人で密会されていたではありませんか」
「密会ってお前な……。彼女からお前の動向を聞いていたんだよ。お前は危なっかしいからな」

 私がエミリア嬢を見ると、彼女は少しやるせなさそうに微笑んだ。
 彼女は、口では殿下に報告と言っていたものの、本当は彼に好意を寄せていたのだろう。

「聞きたいことはこれだけか?」
「こ、婚約破棄はどうなったのです」
「は? 婚約破棄? 一体何の話だよ。――って言うか、まさかお前、俺と婚約破棄したいのかよ!」

 不機嫌そうに眉をひそめた殿下のせいで辺りがざわめく。
 私としては婚約破棄を前提に今まで頑張ってきたわけで、この展開について行けないのは当然のことというもの。

「でもわたくしの悪事の数々が……」
「悪事?」
「公爵家の威を借りて人を傷つけたり、威張ったりもしましたわ」
「ああ。それな。前者は何か分からないが、後者に関しては感謝の声が上がっているぞ」

 苛めを受けていた人からの感謝の言葉らしい。いくつも殿下の耳に届いたとか。

「さっきのようなトラブルを引き起こしてしまったこともありますよ」

 すると殿下ははぁとため息をついた。

「その点は俺が悪かった。そんな危ない目に遭わせないよう、これからは俺が守る」

 真剣で頼もしい殿下の目に、言葉に、ここまで圧倒されたことは初めてかもしれない。驚きなのか、悔しいのか、嬉しいのか、喜びなのか、複雑な気持ちが押し寄せて言葉にならない。

「他には?」
「で、殿下のお気持ちは。本当にわたくしでよろしいのですか」

 殿下は面食らい、一瞬何やら難しい顔をした。そして上を向き、頭をがしがしと掻くと、仕方ないとばかりにこちらを睨み付けて素早く私に耳打ちした。

「お前じゃなきゃ、駄目なんだよ。……これ以上はまた二人の時にな」
「――っ!」
「納得したか? よし。納得したな? じゃあ、ほら」

 照れくささを隠すためにふて腐れたような顔をした殿下が、私の方へと手を伸ばした。

「ここに婚姻を結ぶと二人で発表しよう」

 これまで終わりの見えない世界で、ずっとがむしゃらに走り続けてきた。全てはこの日のために、自分を見つめ直す過程が必要だったのだろうか。ここでようやくその足を止め、幸せになって――良いのだろうか。
 そんな風に考えていると、思考を遮るように一つの叫び声が上がった。

「ヴィヴィアンナ様ぁ!」

 ……その声は。彼女がなぜここに。

「わたくしユーナは、お約束通りこの目でヴィヴィアンナ様のご婚姻を見届けに参りましたよ!」

 視線をやるとハンカチで目元を押さえているユーナの姿があった。横では、婚姻を見届けなければ絶対にお嫁に行かないといってきかなかったんですと苦笑する侍従もいた。

 ユーナったら、最初から旦那様に呆れられたらどうするのと苦笑していると、それを皮切りに周りから次々と祝福の声がかかり、拍手が巻き起こった。

「ヴィヴィアンナ様、おめでとうざいます!」
「おめでとうございます!」
「ご結婚、おめでとうございます!」

 エミリア嬢やディアナ嬢、オーブリーさんにムラノフさんなどこれまで関わってきた人も、そうでない人も皆、笑顔で祝福してくれている光景に私は涙ぐんだ。
 方向性は間違っていたかもしれない。けれど、私のこれまでの行動は決して無駄ではなかったのだと。

「ほら、ヴィヴィアンナ。皆も待っているだろ。手を」
「……はい!」

 涙で歪んでも、殿下のいつものような少し拗ねた表情に私は笑みが零れた。

 今なら。
 今なら自分の気持ちをもう素直に口にしてもいい……ですよね。
 私は殿下へと自分の手を伸ばしながら、口を開く。

「殿下」
「うん?」
「わ、わたくし。わたくし、ずっと殿下に言いたかったことが――」

 そう口にした時。

 ――ピシッ。

 どこかでガラスにヒビが入るような音が聞こえた。
 なぜか幸せな気持ちが一気に霧散し、不安に駆られる。

「どうした?」
「い、今、何か音が」

 ――ピシリッ。

「ほ、ほら。また!」
「ヴィヴィアンナ?」

 何も感じ取っておらず笑顔のままの殿下。
 慌てて周りを見渡しても、誰もこの音に気付いた者がいないようで、ただ私の行動を微笑ましそうに見つめているばかりだ。
 けれど私の心臓はドクドクと高鳴り、警鐘を鳴らしている。

「で、殿下。ここは危険です。すぐにここを離れましょう!」

 私が彼の腕に手をかけた瞬間。

 ――パリィーンッ!

「きゃあああっ!?」

 突き抜けるような決定的な高い音が響いた。
 その瞬間。

 目の前の殿下の笑顔も、皆が喜ぶ表情も、華やかな会場も、全ての光景が儚く。



 砕け散った。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」  五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。  他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です> 【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】 今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?

処理中です...