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第103話 何がどうしてこうなった
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「おはよう」
「ごきげんよう、殿下」
殿下の顔を見るや、どくどくと速く打ち出す鼓動にも表面は平然としながら朝の挨拶を交わす。
「体は大丈夫か」
意外だ。私の体調に興味などおありだったのか。最初の一度限りでお見舞いにも訪れなかったのに。
私は腕を組んで挑発的に笑ってみせる。
「あら。わたくしの体をご心配くださるの? 殿下はわたくしに、たとえ這ってでも来いとおっしゃっていたかと」
「悪い。言い方が悪かった」
まあ、今さらそんな事はどうでもいいかもしれない。このドレスで水に流そう。あ、そうそう。お礼を言わなくては。
「ドレスですが、ありがとうございました」
私が表情を緩めてお礼を言ったからか、殿下も表情を和らげた。
「ああ。よく似合っている。本当に」
「……ありがとうございます。とても素敵なドレスです」
私の素直な答えに殿下は笑顔を浮かべ、少し沈黙すると、彼は私から視線を外して辺りに目をやる。
そこには式のために綺麗に飾り付けられた校内や、ぴんと気が引き締まる緊張感と逆にそわそわ落ち着かない雰囲気とが入り交じっており、通い慣れたはずの学院に非日常さが漂っている。
「とうとう卒業なんだな」
「ええ。寂しい気持ちになります」
殿下はこちらを見ると意外そうに眉を上げる。
「そうなのか?」
「はい。概ね満足ですが、もっと早く人との交流をしておけば良かったなと多少心残りのところもあります。ですが、それは次の人生の課題にします」
私にはきっとまた同じ月日が巡って来るだろうから。……だから、また。またお会いしましょう、殿下。
「次の人生? 何だそれ」
首を傾げる彼に私は内緒ですと唇を引いて笑った。
卒業式は粛々とした雰囲気の中、つつがなく終わった。
卒業が実感として迫ってきたのか、涙を浮かべている子もいれば、やっと終わったと肩を回したり、背伸びをしている子や、ほっと気を緩めて笑い合っている子たちもいた。
それでも皆に共通しているのは、未来への不安ももちろんあるだろうけれど、きっとそれ以上のきらきら輝く希望に満ち溢れた未来で胸を膨らませているということだろう。
私はその光の輪の中には入れない。けれどこれまでの人生とは違って、心に余裕がある気分にもなっている。待ち受ける苦難がどんなものであろうとも、これからもきっと歯を食いしばって前に進んでいける。
そんな私なりの希望を持つことができるようになったから。だから殿下の婚約破棄の言葉にも負けないで、きっと真っ直ぐ立っていられる。
……だから。だからですね。
婚約破棄宣言前に、なぜこんなことになっているのか、まったく訳が分からない。
気高く真っ直ぐに立っているはずだった私は今、床に寝転がっている。目隠しをされ、猿ぐつわを噛まされ、腕と足首に縄で縛られて。
完全に癒えていない傷や打ち身にこの体勢は辛く、呼吸はできるものの、猿ぐつわのせいで息苦しさを感じる。
唯一、布を通しても、まだ外の明るさを感じられることだけが救いだ。少々床の冷たさは感じるけれど、石造りの牢獄の底の冷たさに比べれば、木製の床は優しい温もりすら感じるくらい。
と、考えている場合ではなく。えーっと。……なぜ? またエミリア様と間違えられた? いや。そもそも、こんな軟禁事件があった記憶はない。私が彼女の代わりに落とされたから、その後の展開も変化してしまった?
疑問を心の中で投げかけてみるも、答えてくれそうな人はいない。部屋の外には見張りがいるかもしれないけれど、今、この部屋には人気が無く、おそらく私一人だからだ。
パーティー会場から化粧室に行った帰りに、誰かに背後から不意に襲われたことだけは分かっている。
まあ、ホールからそう遠く歩かされた感じはない。学内のどこかの空き教室だろうし、一生ここに閉じ込めておくわけにもいかないのだから、首謀者がいずれ現れるだろう。何よりも婚約破棄を言い渡す相手の姿が見当たらないとなると、殿下は泡食って探すに違いない。
それまでは下手に暴れず、仮眠でも取って体力を温存させておこう。殿下との戦いはこれからなのだから。
……しかし。もし発見された後にすぐ婚約破棄の流れになるのだとしたら、デザートまで辿り着かなかったことだけが悔やまれる。化粧室から戻ってきたら食べようと思っていたのに。酷い。
そう思うとイライラしてきて、とても眠るどころではなくなった。他の事を考えよう。
ところで、エミリア嬢に後ろ姿が似ていると言っても、卒業生より目立ってはならないので、参加する下級生の服装は暗黙の了解で準礼装が主となっている。
いくら何でも間違えられるはずもないと思……。
もしかして間違えられてない、とか? ――狙いは。
そこまで考えた時、扉が音を立てて開き、複数の足音が聞こえた。
助けか。それとも。
「良いご格好ね、ヴィヴィアンナ様」
誰か女性が高笑いするような声が聞こえた。
助けではなかったらしい。しかも狙いは……私だったようだ。
「ごきげんよう、殿下」
殿下の顔を見るや、どくどくと速く打ち出す鼓動にも表面は平然としながら朝の挨拶を交わす。
「体は大丈夫か」
意外だ。私の体調に興味などおありだったのか。最初の一度限りでお見舞いにも訪れなかったのに。
私は腕を組んで挑発的に笑ってみせる。
「あら。わたくしの体をご心配くださるの? 殿下はわたくしに、たとえ這ってでも来いとおっしゃっていたかと」
「悪い。言い方が悪かった」
まあ、今さらそんな事はどうでもいいかもしれない。このドレスで水に流そう。あ、そうそう。お礼を言わなくては。
「ドレスですが、ありがとうございました」
私が表情を緩めてお礼を言ったからか、殿下も表情を和らげた。
「ああ。よく似合っている。本当に」
「……ありがとうございます。とても素敵なドレスです」
私の素直な答えに殿下は笑顔を浮かべ、少し沈黙すると、彼は私から視線を外して辺りに目をやる。
そこには式のために綺麗に飾り付けられた校内や、ぴんと気が引き締まる緊張感と逆にそわそわ落ち着かない雰囲気とが入り交じっており、通い慣れたはずの学院に非日常さが漂っている。
「とうとう卒業なんだな」
「ええ。寂しい気持ちになります」
殿下はこちらを見ると意外そうに眉を上げる。
「そうなのか?」
「はい。概ね満足ですが、もっと早く人との交流をしておけば良かったなと多少心残りのところもあります。ですが、それは次の人生の課題にします」
私にはきっとまた同じ月日が巡って来るだろうから。……だから、また。またお会いしましょう、殿下。
「次の人生? 何だそれ」
首を傾げる彼に私は内緒ですと唇を引いて笑った。
卒業式は粛々とした雰囲気の中、つつがなく終わった。
卒業が実感として迫ってきたのか、涙を浮かべている子もいれば、やっと終わったと肩を回したり、背伸びをしている子や、ほっと気を緩めて笑い合っている子たちもいた。
それでも皆に共通しているのは、未来への不安ももちろんあるだろうけれど、きっとそれ以上のきらきら輝く希望に満ち溢れた未来で胸を膨らませているということだろう。
私はその光の輪の中には入れない。けれどこれまでの人生とは違って、心に余裕がある気分にもなっている。待ち受ける苦難がどんなものであろうとも、これからもきっと歯を食いしばって前に進んでいける。
そんな私なりの希望を持つことができるようになったから。だから殿下の婚約破棄の言葉にも負けないで、きっと真っ直ぐ立っていられる。
……だから。だからですね。
婚約破棄宣言前に、なぜこんなことになっているのか、まったく訳が分からない。
気高く真っ直ぐに立っているはずだった私は今、床に寝転がっている。目隠しをされ、猿ぐつわを噛まされ、腕と足首に縄で縛られて。
完全に癒えていない傷や打ち身にこの体勢は辛く、呼吸はできるものの、猿ぐつわのせいで息苦しさを感じる。
唯一、布を通しても、まだ外の明るさを感じられることだけが救いだ。少々床の冷たさは感じるけれど、石造りの牢獄の底の冷たさに比べれば、木製の床は優しい温もりすら感じるくらい。
と、考えている場合ではなく。えーっと。……なぜ? またエミリア様と間違えられた? いや。そもそも、こんな軟禁事件があった記憶はない。私が彼女の代わりに落とされたから、その後の展開も変化してしまった?
疑問を心の中で投げかけてみるも、答えてくれそうな人はいない。部屋の外には見張りがいるかもしれないけれど、今、この部屋には人気が無く、おそらく私一人だからだ。
パーティー会場から化粧室に行った帰りに、誰かに背後から不意に襲われたことだけは分かっている。
まあ、ホールからそう遠く歩かされた感じはない。学内のどこかの空き教室だろうし、一生ここに閉じ込めておくわけにもいかないのだから、首謀者がいずれ現れるだろう。何よりも婚約破棄を言い渡す相手の姿が見当たらないとなると、殿下は泡食って探すに違いない。
それまでは下手に暴れず、仮眠でも取って体力を温存させておこう。殿下との戦いはこれからなのだから。
……しかし。もし発見された後にすぐ婚約破棄の流れになるのだとしたら、デザートまで辿り着かなかったことだけが悔やまれる。化粧室から戻ってきたら食べようと思っていたのに。酷い。
そう思うとイライラしてきて、とても眠るどころではなくなった。他の事を考えよう。
ところで、エミリア嬢に後ろ姿が似ていると言っても、卒業生より目立ってはならないので、参加する下級生の服装は暗黙の了解で準礼装が主となっている。
いくら何でも間違えられるはずもないと思……。
もしかして間違えられてない、とか? ――狙いは。
そこまで考えた時、扉が音を立てて開き、複数の足音が聞こえた。
助けか。それとも。
「良いご格好ね、ヴィヴィアンナ様」
誰か女性が高笑いするような声が聞こえた。
助けではなかったらしい。しかも狙いは……私だったようだ。
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