95 / 113
第95話 風向きは一方向
しおりを挟む
時間には限りがあるとあらためて実感して、その大切さに気付く。
私は果たしてこれまでの人生を謳歌していただろうか。
自身の手で自分の人生を華麗に散らせるために、立派な悪役令嬢になってみせると心に誓った。けれど、悪役に徹しようとすることばかりに気を取られすぎて気付かなかった。
本当に人生を華麗に散らせたいと思うなら自分の心のままに生きて、最後はそう悪くない人生だったわと笑える生き方こそが悔いなき幕引きだということを。
この世界に一欠片の悔いや未練も残してはいけない。
自分のために生きているつもりで、何かに縛られていた気がする。私はまた重要なものを見失うところだった。
限りある時間の中で、今度こそ私は私から解放されるために、一歩足を進めることにした。
「ごきげんよう」
ああ。自分の思うままに動こうと思ったけれど、やはり緊張する。
少し強ばった笑みを作りながら彼の前に立って挨拶をすると、彼は穏やかな笑みを返してくれた。
「こんにちは、ローレンスさん。寒い日が続きますね」
「そうね。毎日の朝起きが大変だわ」
取り留めの無い会話で何でもない風に装っているけれど、心臓はとくとくといつもより速い鼓動を打つ。
私はそれを聞かれまいと、持っていた物を両腕でぐっと胸に引き寄せた。
「ローレンスさんは朝に弱いんですね」
「ええ。これまでずっと家の者に叩き起こされていますの」
「本当ですか? 意外だなあ」
彼は春の日差しを思わせるような朗らかさで笑う。元々彼が持つ性格だったのだろう。
「ええ。でもこれからは毎日自分で……自分で」
ああ。こんなことをいつまでも話したいわけではなくて。
「ローレンスさん?」
言葉が詰まる私に彼は首を傾げる。
踏み出す足はほんの一歩だけ。たったの一歩だ。
私は深呼吸すると、気合いを入れるために彼をきっと睨み付けた。
「あ、あの、ムラノフさん!」
「は、はい!」
「ま、まだあれは。あ、あの勉強会は。そ、その……まだ続いているのかしら」
胸に教材を強く抱いて決死の思いで尋ねると、彼はこれまでにないくらい嬉しそうな笑顔を私に見せた。
「お言葉に甘えまして、お茶会に参加させていただこうかと思ったのですが」
学内のサロンまで足を伸ばした私は、ディアナ嬢の元まで歩みを進めた。
「お待ちしておりました、ヴィヴィアンナ様。ようこそ」
今まで表面上の付き合いしかしてこなかった私が、人と心の距離を詰めたいと考えるようになった。
何度も繰り返した人生はいつだって、悔いしか残らなかった。その分を今生こそ取り戻そう。そう考えられるようになった。
そんな自分を感慨深く思う。
これまでの人生は決して幸せではなかったけれど、私が変わるために必要なものだったのかもしれないと、今なら穏やかな気持ちで受け入れられる。
だから今この瞬間を、精一杯羽を伸ばして楽しもうと思う。
笑顔で出迎えてくれる彼女らに、私も自然と笑みが零れた。
「ヴィヴィアンナ!」
「あら、殿下。ごきげんよう」
廊下を歩いていると、殿下に声をかけられたので足を止めて礼を取る。
「書庫に行くのか? 最近、お前は何だか楽しそうにしているよな。良い本でも見付かったのか?」
「いえ。ムラノフさんの勉強会に行きます」
「……は? 勉強会? それにムラノフって、お前と並んで首位のあのギルバート・ムラノフのことか?」
「ええ」
さすがに殿下も名前を覚えたらしい。
相変わらず首位を維持している彼のせいで、同位ながら私の名前は常に二番目に位置している。横並びで記載してもらえるよう、嘆願書を出すべきか悩んでいる。
「って、おい! そいつは男だろ!」
「それが何か?」
「何かって! その男と会うから楽しそうにしているのか!?」
「あら。エミリア様」
話の途中だけれど、殿下の背後奥に彼女の姿が見えて思わず口走った。
エミリア嬢は書庫へ入るのだろうか。
彼女も殿下主宰のお茶会での騒動が効を奏したのか、今のところ平穏な学生生活を送っているようだ。
これに関しては、少しは殿下に感謝しておこう。
「ありがとうございます、殿下」
「何の話だ。話を逸らすな」
「エミリア様です」
「訳が分からない。それよりさっきの話だ、だいたい嫁入り前の、しかも婚約者がいる未婚女性が男と――」
殿下はエミリア嬢にも反応せず、説教を始めそうな気配を感じて、私は手の平を見せて言葉を遮る。
「何か勘違いされているようですね。ムラノフさんは他の学生さんに勉強を教えておられるのですよ。わたくしはそのお手伝いをしているだけです」
「お前が手伝いって、どういう風の吹き回しだ?」
「いいえ。殿下、違います。これから吹く風は一方向のみです」
私は未来に向かって真っ直ぐ指さす。
「はあ!?」
特に変わりばえのない指先の景色を見て、胡散臭そうにますます眉根を寄せた殿下だった。
私は果たしてこれまでの人生を謳歌していただろうか。
自身の手で自分の人生を華麗に散らせるために、立派な悪役令嬢になってみせると心に誓った。けれど、悪役に徹しようとすることばかりに気を取られすぎて気付かなかった。
本当に人生を華麗に散らせたいと思うなら自分の心のままに生きて、最後はそう悪くない人生だったわと笑える生き方こそが悔いなき幕引きだということを。
この世界に一欠片の悔いや未練も残してはいけない。
自分のために生きているつもりで、何かに縛られていた気がする。私はまた重要なものを見失うところだった。
限りある時間の中で、今度こそ私は私から解放されるために、一歩足を進めることにした。
「ごきげんよう」
ああ。自分の思うままに動こうと思ったけれど、やはり緊張する。
少し強ばった笑みを作りながら彼の前に立って挨拶をすると、彼は穏やかな笑みを返してくれた。
「こんにちは、ローレンスさん。寒い日が続きますね」
「そうね。毎日の朝起きが大変だわ」
取り留めの無い会話で何でもない風に装っているけれど、心臓はとくとくといつもより速い鼓動を打つ。
私はそれを聞かれまいと、持っていた物を両腕でぐっと胸に引き寄せた。
「ローレンスさんは朝に弱いんですね」
「ええ。これまでずっと家の者に叩き起こされていますの」
「本当ですか? 意外だなあ」
彼は春の日差しを思わせるような朗らかさで笑う。元々彼が持つ性格だったのだろう。
「ええ。でもこれからは毎日自分で……自分で」
ああ。こんなことをいつまでも話したいわけではなくて。
「ローレンスさん?」
言葉が詰まる私に彼は首を傾げる。
踏み出す足はほんの一歩だけ。たったの一歩だ。
私は深呼吸すると、気合いを入れるために彼をきっと睨み付けた。
「あ、あの、ムラノフさん!」
「は、はい!」
「ま、まだあれは。あ、あの勉強会は。そ、その……まだ続いているのかしら」
胸に教材を強く抱いて決死の思いで尋ねると、彼はこれまでにないくらい嬉しそうな笑顔を私に見せた。
「お言葉に甘えまして、お茶会に参加させていただこうかと思ったのですが」
学内のサロンまで足を伸ばした私は、ディアナ嬢の元まで歩みを進めた。
「お待ちしておりました、ヴィヴィアンナ様。ようこそ」
今まで表面上の付き合いしかしてこなかった私が、人と心の距離を詰めたいと考えるようになった。
何度も繰り返した人生はいつだって、悔いしか残らなかった。その分を今生こそ取り戻そう。そう考えられるようになった。
そんな自分を感慨深く思う。
これまでの人生は決して幸せではなかったけれど、私が変わるために必要なものだったのかもしれないと、今なら穏やかな気持ちで受け入れられる。
だから今この瞬間を、精一杯羽を伸ばして楽しもうと思う。
笑顔で出迎えてくれる彼女らに、私も自然と笑みが零れた。
「ヴィヴィアンナ!」
「あら、殿下。ごきげんよう」
廊下を歩いていると、殿下に声をかけられたので足を止めて礼を取る。
「書庫に行くのか? 最近、お前は何だか楽しそうにしているよな。良い本でも見付かったのか?」
「いえ。ムラノフさんの勉強会に行きます」
「……は? 勉強会? それにムラノフって、お前と並んで首位のあのギルバート・ムラノフのことか?」
「ええ」
さすがに殿下も名前を覚えたらしい。
相変わらず首位を維持している彼のせいで、同位ながら私の名前は常に二番目に位置している。横並びで記載してもらえるよう、嘆願書を出すべきか悩んでいる。
「って、おい! そいつは男だろ!」
「それが何か?」
「何かって! その男と会うから楽しそうにしているのか!?」
「あら。エミリア様」
話の途中だけれど、殿下の背後奥に彼女の姿が見えて思わず口走った。
エミリア嬢は書庫へ入るのだろうか。
彼女も殿下主宰のお茶会での騒動が効を奏したのか、今のところ平穏な学生生活を送っているようだ。
これに関しては、少しは殿下に感謝しておこう。
「ありがとうございます、殿下」
「何の話だ。話を逸らすな」
「エミリア様です」
「訳が分からない。それよりさっきの話だ、だいたい嫁入り前の、しかも婚約者がいる未婚女性が男と――」
殿下はエミリア嬢にも反応せず、説教を始めそうな気配を感じて、私は手の平を見せて言葉を遮る。
「何か勘違いされているようですね。ムラノフさんは他の学生さんに勉強を教えておられるのですよ。わたくしはそのお手伝いをしているだけです」
「お前が手伝いって、どういう風の吹き回しだ?」
「いいえ。殿下、違います。これから吹く風は一方向のみです」
私は未来に向かって真っ直ぐ指さす。
「はあ!?」
特に変わりばえのない指先の景色を見て、胡散臭そうにますます眉根を寄せた殿下だった。
10
お気に入りに追加
582
あなたにおすすめの小説


妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です>
【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】
今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?

悪役令嬢、資産運用で学園を掌握する 〜王太子?興味ない、私は経済で無双する〜
言諮 アイ
ファンタジー
異世界貴族社会の名門・ローデリア学園。そこに通う公爵令嬢リリアーナは、婚約者である王太子エドワルドから一方的に婚約破棄を宣言される。理由は「平民の聖女をいじめた悪役だから」?——はっ、笑わせないで。
しかし、リリアーナには王太子も知らない"切り札"があった。
それは、前世の知識を活かした「資産運用」。株式、事業投資、不動産売買……全てを駆使し、わずか数日で貴族社会の経済を掌握する。
「王太子?聖女?その程度の茶番に構っている暇はないわ。私は"資産"でこの学園を支配するのだから。」
破滅フラグ?なら経済で粉砕するだけ。
気づけば、学園も貴族もすべてが彼女の手中に——。
「お前は……一体何者だ?」と動揺する王太子に、リリアーナは微笑む。
「私はただの投資家よ。負けたくないなら……資本主義のルールを学びなさい。」
学園を舞台に繰り広げられる異世界経済バトルロマンス!
"悪役令嬢"、ここに爆誕!
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる