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第94話 少しでも長く希望ある未来を
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「おはようございます、ヴィヴィアンナ様!」
明るいけれど、くぐもったようなユーナの声が響いた。
冬の休みも明け、学院に通う日々が始まっている。
しかし、冬の休みが明けたからといって何だと言うのか。冬はまだ明けていない。
長く厳しい寒さを乗り越えるため、動物たちは本能的に身の危険を回避する術を習得しているというのに、寒くても動こうとする人間とは何と愚かな生き物だろう。
一方で、人間は未知なるものを学び、覚え、理解し、それらを生かすことができる生き物でもある。ならば、動物たちの生きるための知恵にのっとり、森の熊さんが目覚める頃まで冬眠すべきであ――。
「おはようございます。ヴィヴィアンナ様、朝ですよ! 起きてくださーい」
布団を引っぺがされ、明瞭でとりわけ元気な声がもう一つ上がったと思った瞬間、私の体は容赦なくごろごろと回されてベッドから落とされた……。
「ユーナ、あなたは朝から元気ね……」
床に落とされた先でもシーツを身にまといつつ、彼女を恨めしそうに見上げる。
「はい! 元気でございますよ!」
私の嫌味っぽい言い方も彼女は軽く流してくる。
「そう。羨ましいわね。わたくしは極度に寒さに弱いから、冬ごもりいたしますわ。春まで起こさないでちょうだい。後は頼んだわね」
シーツをより多く引き寄せて身に巻き付ける。
「まあ。ヴィヴィアンナ様ったら、ご冗談を。皆様、もうご準備はお済みですよ。ヴィヴィアンナ様も早くご準備なさらないと」
「……お母様も?」
「ええ。もちろん奥様もです。めって、怒られちゃいますよ!」
ユーナの言葉は可愛らしいが、実際のお母様から受ける極寒の視線を思い出して、ぶるりと身体を震わせる。薄手のシーツではその寒さは到底防げない。
「……起きます」
私は渋々と立ち上がった。
「おはようございます」
部屋に入ると、ユーナの言葉通り既に皆が席に着いていた。
「おはよう。お寝坊さんだね、ヴィヴィアンナ」
「おはよう、ヴィヴィアンナ」
お父様とお兄様は朝の爽やかさに相応しい和やかな笑顔で迎えてくれる。
一方で。
「ヴィヴィアンナ、早くお座りなさい」
「……はい」
「あなたはいつも遅いわね」
極寒の眼差しで迎えてくれるお母様の視線から逃れるように、少し笑って慌てて座る。
寒さは苦手。でも朝はもっと苦手なんです。これだけは何回人生を繰り返しても克服することはできない。
私が席に着いたところを見て、お母様は追撃してくる。
「あなたも今年で卒業でしょう。ましてあなたはルイス殿下の婚約者なのよ。今のままでは嫁がせるのは不安だわ」
「まあまあ。ヴィヴィアンナも自覚を持って頑張っていますよ」
お兄様は苦笑しながら私を擁護してくれる。さらにお父様からの援護も続く。
「そうだよ。ヴィヴィアンナは私たちの子だ。いざという時はやれる子だよ」
「あなたまで」
お母様はお父様の言葉に少し呆れたような表情を浮かべる。そのお母様にお父様も優しい笑顔を見せた。
「それにね、ヴィクトリア。こうして皆が揃って食事ができるのも、あと少しのことなんだ。ヴィヴィアンナが王家に嫁いでしまったら、そう容易くこの家に戻ってくることはできなくなるだろう。だから今という時間を大切にして、朝の食事を明るく楽しいものにしよう」
お父様の言葉にはっとする。
寂しさももちろん含まれているけれど、何よりもお父様にとってそれは希望に満ちあふれた未来を思い描いているのだろう。
けれど実際訪れるであろうその先は、決して明るい展望ではないことを私は知っている。
「……そうですね。その通りだわ」
お母様は頬に手をやって、私と良く似た顔の取り澄ました表情を和らげた。
「そうだよ。楽しい食事の場にしましょう」
「では、この幸せを授けてくださる神の恵みに感謝しよう」
皆、知らないから。私に訪れる未来を知らないから笑顔でいられる。
だから。
「……わたくしも。わたくしも明日からはユーナに頼らないで、ちゃんと起きるようにいたします」
「うん。良い心がけだね」
「はい。ですからお父様に一つお願い事がございます」
「ん? 現金だねぇ」
そう言ってお父様は苦笑し、私はふふと唇の上で笑いを返す。
「まあ、いい。言ってごらん」
「実は――」
だから私も今の時間を大事にして、少しでも長く希望ある未来を皆に夢見てもらいたいと思った。
明るいけれど、くぐもったようなユーナの声が響いた。
冬の休みも明け、学院に通う日々が始まっている。
しかし、冬の休みが明けたからといって何だと言うのか。冬はまだ明けていない。
長く厳しい寒さを乗り越えるため、動物たちは本能的に身の危険を回避する術を習得しているというのに、寒くても動こうとする人間とは何と愚かな生き物だろう。
一方で、人間は未知なるものを学び、覚え、理解し、それらを生かすことができる生き物でもある。ならば、動物たちの生きるための知恵にのっとり、森の熊さんが目覚める頃まで冬眠すべきであ――。
「おはようございます。ヴィヴィアンナ様、朝ですよ! 起きてくださーい」
布団を引っぺがされ、明瞭でとりわけ元気な声がもう一つ上がったと思った瞬間、私の体は容赦なくごろごろと回されてベッドから落とされた……。
「ユーナ、あなたは朝から元気ね……」
床に落とされた先でもシーツを身にまといつつ、彼女を恨めしそうに見上げる。
「はい! 元気でございますよ!」
私の嫌味っぽい言い方も彼女は軽く流してくる。
「そう。羨ましいわね。わたくしは極度に寒さに弱いから、冬ごもりいたしますわ。春まで起こさないでちょうだい。後は頼んだわね」
シーツをより多く引き寄せて身に巻き付ける。
「まあ。ヴィヴィアンナ様ったら、ご冗談を。皆様、もうご準備はお済みですよ。ヴィヴィアンナ様も早くご準備なさらないと」
「……お母様も?」
「ええ。もちろん奥様もです。めって、怒られちゃいますよ!」
ユーナの言葉は可愛らしいが、実際のお母様から受ける極寒の視線を思い出して、ぶるりと身体を震わせる。薄手のシーツではその寒さは到底防げない。
「……起きます」
私は渋々と立ち上がった。
「おはようございます」
部屋に入ると、ユーナの言葉通り既に皆が席に着いていた。
「おはよう。お寝坊さんだね、ヴィヴィアンナ」
「おはよう、ヴィヴィアンナ」
お父様とお兄様は朝の爽やかさに相応しい和やかな笑顔で迎えてくれる。
一方で。
「ヴィヴィアンナ、早くお座りなさい」
「……はい」
「あなたはいつも遅いわね」
極寒の眼差しで迎えてくれるお母様の視線から逃れるように、少し笑って慌てて座る。
寒さは苦手。でも朝はもっと苦手なんです。これだけは何回人生を繰り返しても克服することはできない。
私が席に着いたところを見て、お母様は追撃してくる。
「あなたも今年で卒業でしょう。ましてあなたはルイス殿下の婚約者なのよ。今のままでは嫁がせるのは不安だわ」
「まあまあ。ヴィヴィアンナも自覚を持って頑張っていますよ」
お兄様は苦笑しながら私を擁護してくれる。さらにお父様からの援護も続く。
「そうだよ。ヴィヴィアンナは私たちの子だ。いざという時はやれる子だよ」
「あなたまで」
お母様はお父様の言葉に少し呆れたような表情を浮かべる。そのお母様にお父様も優しい笑顔を見せた。
「それにね、ヴィクトリア。こうして皆が揃って食事ができるのも、あと少しのことなんだ。ヴィヴィアンナが王家に嫁いでしまったら、そう容易くこの家に戻ってくることはできなくなるだろう。だから今という時間を大切にして、朝の食事を明るく楽しいものにしよう」
お父様の言葉にはっとする。
寂しさももちろん含まれているけれど、何よりもお父様にとってそれは希望に満ちあふれた未来を思い描いているのだろう。
けれど実際訪れるであろうその先は、決して明るい展望ではないことを私は知っている。
「……そうですね。その通りだわ」
お母様は頬に手をやって、私と良く似た顔の取り澄ました表情を和らげた。
「そうだよ。楽しい食事の場にしましょう」
「では、この幸せを授けてくださる神の恵みに感謝しよう」
皆、知らないから。私に訪れる未来を知らないから笑顔でいられる。
だから。
「……わたくしも。わたくしも明日からはユーナに頼らないで、ちゃんと起きるようにいたします」
「うん。良い心がけだね」
「はい。ですからお父様に一つお願い事がございます」
「ん? 現金だねぇ」
そう言ってお父様は苦笑し、私はふふと唇の上で笑いを返す。
「まあ、いい。言ってごらん」
「実は――」
だから私も今の時間を大事にして、少しでも長く希望ある未来を皆に夢見てもらいたいと思った。
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