婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里

文字の大きさ
上 下
77 / 113

第77話 手の痛みなど

しおりを挟む
「やめろ!」

 突如、見知った人の怒声が聞こえてきたけれど、すでに時は遅し。
 シャルロット嬢に叩き落とされたしおりを庇うために、咄嗟に跪いて置いた私の手には彼女の足が振り下ろされた後だった。

「――っ!」

 鈍い痛みが走る。
 彼女もまさか私が身を挺してまで本気で庇うとは思わなかったのだろう。動揺したようで、すぐに私の手から足を上げた。

「お前、何をしている!」
「あ、わ、私! こ、こんなつもりでは」

 なぜかここに駆けつけてきた殿下・・が彼女に詰問しようとしたけれど、一瞬の隙を縫って駆け抜けていった。

「おい、待て! ――っ」

 一人の女の子も取り押さえられないなんて。間抜けね、殿下。
 こんな時なのに、いえ、こんな時だからこそ、いつもの日常のようなものを取り戻したかったのかもしれない。そんな風に思う。

 追いかけようとした殿下だったけれど、床に片膝をつく私を気にして伸ばした手を下ろすと、自ら屈み込んで私と視線を合わせた。

「ヴィヴィアンナ、大丈夫か!?」
「……ええ。殿下はなぜここに?」
「帰ろうと思ったが、お前の所の馬車がまだ止まっていたから気になったんだ。お前の様子もおかしかったし。それで校内に引き返したら、この教室にいるかもと教えられた」

 もしかしてオーブリーさんのことだろうか。

「立ち聞きは悪いと思ったが、何だか険悪な様子だったから心配で。今の、シャルロット何とかだろ。お前の友達の」

 もう友達ではないのかもしれない。それどころか、私がそう思いたかっただけで、最初から友達ではなかったのかもしれない。

「踏まれたように見えたけど、大丈夫なのか?」

 何も答えられない私を気遣ってか、彼が話を変えて視線を落とすと、そこには私の手の内に収まりきれなかったしおりが少し顔を出していた。

「――おい、手が赤くなっているぞ! それにまさかこれを庇って踏まれたのか? 俺が渡した物だからか?」
「い、いえ。別に。そういうわけでは。邪険に扱っていると思われるのは心外だったからですわ」

 素っ気なく答えると、殿下は少しだけ笑った。

「……立てるか? 医務室に行こう」
「大丈夫です。手の痛みなんて感じません」

 だって胸の痛みの大きさに比べれば、それはあまりにも些細なものだったから。
 自嘲すると、殿下は私の髪をくしゃりと乱しながら頭を抱き寄せる。

 私は、いつの間にか雨足が強くなった窓の外に思いを寄せて、自分の気持ちを洗い流してもらうために目を伏せた。


「ありがとうございます」

 簡単に手当をしてもらった私は医務室を出る。そして帰宅するために、校舎前で待機している馬車まで殿下と同行することにした。
 校内にはまだちらほら学生の姿が見受けられる。

「そんな簡易なものでいいのか?」

 殿下が私の手を見て、眉をひそめた。

「ええ。骨が折れているわけではありませんし、あまり大袈裟にすると、慌てふためき、事をさらに大きくする人間がおりますので」

 馬車の中で待っているユーナのことをふと思う。今も遅いわとやきもきしているかもしれない。

「ああ。うちにもそういう奴がいるから気持ちは分かる」

 殿下は少し遠い目をした。
 彼の所にも男版ユーナがいるようだ。同病相憐れむ。

「さて。怪我も大した事がないようだし」
「はい?」

 コホンと咳払いする殿下に私は首を傾げた。すると彼はこちらに手を伸ばして、私の両頬を引っ張った。

「いたっ!?」
「何かあれば俺に言えと約束したはずだが?」

 私が驚きで目を丸くするとすぐにその手は離された。ただし、口元だけ笑ってこちらを睨み付ける姿勢は変わらない。

「……申し訳ありません。けれどさすがに殿下に頂いた物を無くしたとまでは」

 さらにそれがこの事態にまで発展するとは、予想がつかなかった。
 そう続けると殿下は気まずそうに頬を掻く。

「あれぐらいのことで馬鹿だなとか、ちょっと嬉しかっ――いや、言いたいことは色々あって、何とも複雑すぎるが、とにかく俺のせいで悪かった」
「なぜ殿下が謝罪なさるのですか?」
「え? いや。何でだろう。……何となく」
「はあ」

 気のない返事を返すと、殿下はもう一つ大きな咳払いをした。

「ところでこの件についてだが、本当に俺は何もしなくていいのか」

 さすがにあの状況下では殿下に詳しい事情を追求されて、答えざるを得なかった。まだミーナ嬢側からのことは分かっていないので、彼女のことは除いてだけれど。

「ええ。わたくしが始めたことですから。わたくしが最後まで責任を持ちます」
「そうか」
「……結局」

 私はくすりと小さく笑う。

「結局、殿下のおっしゃる通りでしたね。わたくしはこれまで色んな人を見てきたつもりでしたが」

 人が私を上辺でしか見なかったように、私もまた表面でしか人を見ていなかったのだろう。
 彼女が落としていったハンカチを握りしめる。

「ヴィヴィアンナ……」

 殿下は慰めるように、私の肩にその温かい手を置いた。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」  五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。  他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です> 【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】 今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?

悪役令嬢、資産運用で学園を掌握する 〜王太子?興味ない、私は経済で無双する〜

言諮 アイ
ファンタジー
異世界貴族社会の名門・ローデリア学園。そこに通う公爵令嬢リリアーナは、婚約者である王太子エドワルドから一方的に婚約破棄を宣言される。理由は「平民の聖女をいじめた悪役だから」?——はっ、笑わせないで。 しかし、リリアーナには王太子も知らない"切り札"があった。 それは、前世の知識を活かした「資産運用」。株式、事業投資、不動産売買……全てを駆使し、わずか数日で貴族社会の経済を掌握する。 「王太子?聖女?その程度の茶番に構っている暇はないわ。私は"資産"でこの学園を支配するのだから。」 破滅フラグ?なら経済で粉砕するだけ。 気づけば、学園も貴族もすべてが彼女の手中に——。 「お前は……一体何者だ?」と動揺する王太子に、リリアーナは微笑む。 「私はただの投資家よ。負けたくないなら……資本主義のルールを学びなさい。」 学園を舞台に繰り広げられる異世界経済バトルロマンス! "悪役令嬢"、ここに爆誕!

処理中です...