婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました

樹里

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第77話 手の痛みなど

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「やめろ!」

 突如、見知った人の怒声が聞こえてきたけれど、すでに時は遅し。
 シャルロット嬢に叩き落とされたしおりを庇うために、咄嗟に跪いて置いた私の手には彼女の足が振り下ろされた後だった。

「――っ!」

 鈍い痛みが走る。
 彼女もまさか私が身を挺してまで本気で庇うとは思わなかったのだろう。動揺したようで、すぐに私の手から足を上げた。

「お前、何をしている!」
「あ、わ、私! こ、こんなつもりでは」

 なぜかここに駆けつけてきた殿下・・が彼女に詰問しようとしたけれど、一瞬の隙を縫って駆け抜けていった。

「おい、待て! ――っ」

 一人の女の子も取り押さえられないなんて。間抜けね、殿下。
 こんな時なのに、いえ、こんな時だからこそ、いつもの日常のようなものを取り戻したかったのかもしれない。そんな風に思う。

 追いかけようとした殿下だったけれど、床に片膝をつく私を気にして伸ばした手を下ろすと、自ら屈み込んで私と視線を合わせた。

「ヴィヴィアンナ、大丈夫か!?」
「……ええ。殿下はなぜここに?」
「帰ろうと思ったが、お前の所の馬車がまだ止まっていたから気になったんだ。お前の様子もおかしかったし。それで校内に引き返したら、この教室にいるかもと教えられた」

 もしかしてオーブリーさんのことだろうか。

「立ち聞きは悪いと思ったが、何だか険悪な様子だったから心配で。今の、シャルロット何とかだろ。お前の友達の」

 もう友達ではないのかもしれない。それどころか、私がそう思いたかっただけで、最初から友達ではなかったのかもしれない。

「踏まれたように見えたけど、大丈夫なのか?」

 何も答えられない私を気遣ってか、彼が話を変えて視線を落とすと、そこには私の手の内に収まりきれなかったしおりが少し顔を出していた。

「――おい、手が赤くなっているぞ! それにまさかこれを庇って踏まれたのか? 俺が渡した物だからか?」
「い、いえ。別に。そういうわけでは。邪険に扱っていると思われるのは心外だったからですわ」

 素っ気なく答えると、殿下は少しだけ笑った。

「……立てるか? 医務室に行こう」
「大丈夫です。手の痛みなんて感じません」

 だって胸の痛みの大きさに比べれば、それはあまりにも些細なものだったから。
 自嘲すると、殿下は私の髪をくしゃりと乱しながら頭を抱き寄せる。

 私は、いつの間にか雨足が強くなった窓の外に思いを寄せて、自分の気持ちを洗い流してもらうために目を伏せた。


「ありがとうございます」

 簡単に手当をしてもらった私は医務室を出る。そして帰宅するために、校舎前で待機している馬車まで殿下と同行することにした。
 校内にはまだちらほら学生の姿が見受けられる。

「そんな簡易なものでいいのか?」

 殿下が私の手を見て、眉をひそめた。

「ええ。骨が折れているわけではありませんし、あまり大袈裟にすると、慌てふためき、事をさらに大きくする人間がおりますので」

 馬車の中で待っているユーナのことをふと思う。今も遅いわとやきもきしているかもしれない。

「ああ。うちにもそういう奴がいるから気持ちは分かる」

 殿下は少し遠い目をした。
 彼の所にも男版ユーナがいるようだ。同病相憐れむ。

「さて。怪我も大した事がないようだし」
「はい?」

 コホンと咳払いする殿下に私は首を傾げた。すると彼はこちらに手を伸ばして、私の両頬を引っ張った。

「いたっ!?」
「何かあれば俺に言えと約束したはずだが?」

 私が驚きで目を丸くするとすぐにその手は離された。ただし、口元だけ笑ってこちらを睨み付ける姿勢は変わらない。

「……申し訳ありません。けれどさすがに殿下に頂いた物を無くしたとまでは」

 さらにそれがこの事態にまで発展するとは、予想がつかなかった。
 そう続けると殿下は気まずそうに頬を掻く。

「あれぐらいのことで馬鹿だなとか、ちょっと嬉しかっ――いや、言いたいことは色々あって、何とも複雑すぎるが、とにかく俺のせいで悪かった」
「なぜ殿下が謝罪なさるのですか?」
「え? いや。何でだろう。……何となく」
「はあ」

 気のない返事を返すと、殿下はもう一つ大きな咳払いをした。

「ところでこの件についてだが、本当に俺は何もしなくていいのか」

 さすがにあの状況下では殿下に詳しい事情を追求されて、答えざるを得なかった。まだミーナ嬢側からのことは分かっていないので、彼女のことは除いてだけれど。

「ええ。わたくしが始めたことですから。わたくしが最後まで責任を持ちます」
「そうか」
「……結局」

 私はくすりと小さく笑う。

「結局、殿下のおっしゃる通りでしたね。わたくしはこれまで色んな人を見てきたつもりでしたが」

 人が私を上辺でしか見なかったように、私もまた表面でしか人を見ていなかったのだろう。
 彼女が落としていったハンカチを握りしめる。

「ヴィヴィアンナ……」

 殿下は慰めるように、私の肩にその温かい手を置いた。
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