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第76話 思いは届かない
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私が怒濤に押し寄せるシャルロット嬢の感情に圧倒されて口を閉ざしていると、彼女は嘲笑う。
「どう? 生まれた時からたくさんの使用人に囲まれ、たくさんの華美な衣服や装飾品に囲まれ、贅沢な食を口にする。豪華絢爛な馬車で悠々と通学する。私の気持ちなんて分かりっこないでしょう? 分かるはずないわよね」
哀れだと思った。
人を羨み妬む気持ちが強い憎しみに変わった彼女が。
傲慢だと思った。
自分自身もまた他人を理解しようともしない彼女が。
「……そうですね。わたくしにはあなたの気持ちは分かりません」
自分が同意を求めて尋ねたのに、私がそう答えると彼女はかっと睨み付けた。私は構わず続ける。
「あなたがわたくしのことを何一つ分からないように」
「だとしても、どうせ贅沢な悩みでしょう!」
「あなたにとって取るに足りない贅沢な悩みだと取られるのならば、それも致し方ないこと。実際にその身になっていなければ、本当の意味では理解できないのですから」
感情的になる彼女と対照的に、淡々と言葉にする私に苛立ちを感じているようだ。強く握りしめて拳を作っている。
私はそれらを受け止めつつ息を吐き、静かに見つめ返した。
「けれどどんな立場の人間だとしても、人として越えてはならない一線だけは同じようにあります。あなたの苦しさや悲しみ、悔しさがどれだけ深かろうと、人を傷つけていい理由にはなりません」
「はっ。お綺麗なご高説、痛み入りますわ。下々の人間がお上に向かって泣き叫んだって、優雅に扇をあおいで高みの見物ですよね。実に羨ましいですわ」
皮肉げに口元を歪ませるシャルロット嬢を前に、誰か別人を眺めているような気分になる。
現実感が無くて、ぼんやり考えている私に対して、彼女はさらに瞳の色を強めた。
「ミーナ・グランデだってそう思ったはず」
「……ミーナ様?」
反応が鈍かった私が眉根を寄せると、彼女は新しいおもちゃを手に入れたように楽しげに笑う。
「そう。彼女が人目を避けるようにどこかの部屋に行くのを不審に思って、こっそり付いて行ったら、あなたに上から水を被せるところだったの。私が声をかけたら、驚いて水桶ごと落として危うく大惨事になるところだったけど」
「――っ!」
水桶を落とした犯人はやはりミーナ嬢。でも彼女は桶を落とすつもりはなくて、水だけ被せるつもりだったのか。もしかしたらその様子を見られたミーナ嬢は、口止めで盗難したシャルロット嬢の身代わりになった?
「結局はあなたのご高潔な言葉なんて、誰の心にも届きはしないのよ。それでもあなたは見返りもない人の思いとやらを、せいぜいありがたがって生きればいい!」
憎しみの炎が立ち上がる彼女の瞳を見て、私こそ羨ましく思った。
自分の感情の赴くままに怒って叫んで本音を漏らして、あなたこそいいわねと。
私は公爵令嬢という立場上、相手に隙を見せることは許されない。いかなる時も蝋人形のように澄ました顔で、冷静沈着に対処しなければならないのだから。
……たとえ彼女の言葉の刃が胸に深く突き刺さり、激しい痛みに呼吸が乱れても、表面だけは平然とした顔で。
ずっとそうやって生きてきたから。
でもシャルロット嬢はそれが気に入らなかったようだ。
「その澄ました顔! 私は世の中の汚いことは何も知りませんというその顔! 世の中は愛と正義で作られていますとでも言いたげな顔! 吐き気がしたわ! その顔を歪められたらどんなにいいかと願っていた。でもこんな物でできるとはね」
彼女が私のしおりを取り出したことで、はっと表情を変える私に満足そうに笑った。
「楽しかったわ。心が弾んだわ。あなたが必死の形相で走り回る様。地べたに這いずり回って探す姿」
丁度この教室は私が探していた裏庭が見える場所だ。窓際で私の様子を見ていたのかもしれない。
「……だったらもう満足なさったでしょう。返して」
「こんなお金にもならない物で喜ぶだなんて、所詮、お金に余裕がある人間の道楽ね!」
手を伸ばして要求しても返そうとしない彼女に、私は感情のこもらない声で命じる。
「返しなさいと言っているのです」
「――っ!」
私もまたシャルロット嬢に見せたことのない冷たく突き刺す瞳で見据えると、彼女は目を見張って一瞬硬直する。
「聞こえないのですか。お返しなさい」
「な、何よ、こんなもの!」
彼女は怯んだ気持ちをすぐに立て直すと、しおりを床に叩き落として足を振り上げた。
「どう? 生まれた時からたくさんの使用人に囲まれ、たくさんの華美な衣服や装飾品に囲まれ、贅沢な食を口にする。豪華絢爛な馬車で悠々と通学する。私の気持ちなんて分かりっこないでしょう? 分かるはずないわよね」
哀れだと思った。
人を羨み妬む気持ちが強い憎しみに変わった彼女が。
傲慢だと思った。
自分自身もまた他人を理解しようともしない彼女が。
「……そうですね。わたくしにはあなたの気持ちは分かりません」
自分が同意を求めて尋ねたのに、私がそう答えると彼女はかっと睨み付けた。私は構わず続ける。
「あなたがわたくしのことを何一つ分からないように」
「だとしても、どうせ贅沢な悩みでしょう!」
「あなたにとって取るに足りない贅沢な悩みだと取られるのならば、それも致し方ないこと。実際にその身になっていなければ、本当の意味では理解できないのですから」
感情的になる彼女と対照的に、淡々と言葉にする私に苛立ちを感じているようだ。強く握りしめて拳を作っている。
私はそれらを受け止めつつ息を吐き、静かに見つめ返した。
「けれどどんな立場の人間だとしても、人として越えてはならない一線だけは同じようにあります。あなたの苦しさや悲しみ、悔しさがどれだけ深かろうと、人を傷つけていい理由にはなりません」
「はっ。お綺麗なご高説、痛み入りますわ。下々の人間がお上に向かって泣き叫んだって、優雅に扇をあおいで高みの見物ですよね。実に羨ましいですわ」
皮肉げに口元を歪ませるシャルロット嬢を前に、誰か別人を眺めているような気分になる。
現実感が無くて、ぼんやり考えている私に対して、彼女はさらに瞳の色を強めた。
「ミーナ・グランデだってそう思ったはず」
「……ミーナ様?」
反応が鈍かった私が眉根を寄せると、彼女は新しいおもちゃを手に入れたように楽しげに笑う。
「そう。彼女が人目を避けるようにどこかの部屋に行くのを不審に思って、こっそり付いて行ったら、あなたに上から水を被せるところだったの。私が声をかけたら、驚いて水桶ごと落として危うく大惨事になるところだったけど」
「――っ!」
水桶を落とした犯人はやはりミーナ嬢。でも彼女は桶を落とすつもりはなくて、水だけ被せるつもりだったのか。もしかしたらその様子を見られたミーナ嬢は、口止めで盗難したシャルロット嬢の身代わりになった?
「結局はあなたのご高潔な言葉なんて、誰の心にも届きはしないのよ。それでもあなたは見返りもない人の思いとやらを、せいぜいありがたがって生きればいい!」
憎しみの炎が立ち上がる彼女の瞳を見て、私こそ羨ましく思った。
自分の感情の赴くままに怒って叫んで本音を漏らして、あなたこそいいわねと。
私は公爵令嬢という立場上、相手に隙を見せることは許されない。いかなる時も蝋人形のように澄ました顔で、冷静沈着に対処しなければならないのだから。
……たとえ彼女の言葉の刃が胸に深く突き刺さり、激しい痛みに呼吸が乱れても、表面だけは平然とした顔で。
ずっとそうやって生きてきたから。
でもシャルロット嬢はそれが気に入らなかったようだ。
「その澄ました顔! 私は世の中の汚いことは何も知りませんというその顔! 世の中は愛と正義で作られていますとでも言いたげな顔! 吐き気がしたわ! その顔を歪められたらどんなにいいかと願っていた。でもこんな物でできるとはね」
彼女が私のしおりを取り出したことで、はっと表情を変える私に満足そうに笑った。
「楽しかったわ。心が弾んだわ。あなたが必死の形相で走り回る様。地べたに這いずり回って探す姿」
丁度この教室は私が探していた裏庭が見える場所だ。窓際で私の様子を見ていたのかもしれない。
「……だったらもう満足なさったでしょう。返して」
「こんなお金にもならない物で喜ぶだなんて、所詮、お金に余裕がある人間の道楽ね!」
手を伸ばして要求しても返そうとしない彼女に、私は感情のこもらない声で命じる。
「返しなさいと言っているのです」
「――っ!」
私もまたシャルロット嬢に見せたことのない冷たく突き刺す瞳で見据えると、彼女は目を見張って一瞬硬直する。
「聞こえないのですか。お返しなさい」
「な、何よ、こんなもの!」
彼女は怯んだ気持ちをすぐに立て直すと、しおりを床に叩き落として足を振り上げた。
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