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第60話 ディアナ・ブランシェ侯爵令嬢という人間
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ディアナ嬢は目を伏せて静かにお茶を一口飲むと、カップを置いて私を見た。
「そうですわね。確かに今の世界をただ受け入れるだけではなく、それに異を唱える世の中であっても良いかもしれません。けれど、それでも遵守すべきこともあるかと思います。特にこの学舎においては」
「遵守すべきこと」
「ええ」
ディアナ嬢はシャルロット嬢を一瞥し、また私に視線を戻す。
「ここは社交界の場ではなく、より素晴らしい淑女となるための教育の場であり、わたくしたちはそれらを学ぶ未熟な者として謙虚な姿であるべきです。そう思われませんか」
「ええ。とても素晴らしいお考えです」
「そうですか。でしたら、わたくしがシャルロット様をお呼び立てしたのはご理解いただけますわね?」
私がシャルロット嬢に視線を向けると、彼女の怯えたような表情が見えた。
やはり胸元の首飾りのことだろうか。しかし、もし違うことだとしたらやぶ蛇になるだけだから、とりあえずとぼけてみせよう。
「と、おっしゃいますと?」
小首を傾げると、ディアナ嬢はぴくりと眉を上げた。
私の演技はわざとらしかったと見える。
「彼女の胸元をご覧になっても、そうおっしゃるの?」
……申し訳ございません。苛つかせてしまいました。
ディアナ嬢に促された私は再びシャルロット嬢を見て、初めて気付いたように声を上げてみせる。
「まあ。そういうことでしたのね。少し装飾品が目立ちますわ」
「お分かりいただいたようね」
「ええ。けれど一応校則では、装飾品を禁止してはおりませんので、自分の判断によるところが大きいかと」
他の方はどうかしらと何気なく辺りを見回すと、皆が皆、一斉に顔を背けたり、胸元や耳元を隠したり、俯いたりと静かさの中に騒然とした雰囲気になった。
……今度は周りの方に申し訳のないことをしてしまいました。危害を加えるためのものではないことだけは、ご理解いただけると嬉しいなと心の中で願う。
ディアナ嬢は私の興味を引き戻すためと自分の正当さを主張するために、こほんと一つ咳払いした。
「限度というものがありますわ。先ほども申し上げた通り、ここは華やかに着飾る場ではありません。教育の場です」
彼女の言葉は何一つ間違っていない。黒を黒だと主張するだけで、白を黒だと押しつけているわけではない。
先日の囲みの印象が強かったせいで、私こそ彼女を誤解していた。彼女はきわめて誠実な人柄だ。だからもちろん反論する言葉なんてあるはずもない。むしろ彼女の高潔さに惚れ惚れとする。
「そうですね。ディアナ様のおっしゃる通りだわ」
「……そ、そうですか」
尊敬の念すら含む笑みを浮かべて頷くと、彼女は拍子抜けしたように目を瞬かせ、再び小さく咳払いすると居心地が悪そうに目を泳がせた。
私はシャルロット嬢を見る。
「シャルロット様、申し訳ございません。今朝お会いした時に、わたくしがもう少し気を配るべきでした」
「い、いえ! わ、私、わたくしも。頂いた物でしたから、つい嬉しくなって身に付けて来てしまいました。これからは気をつけたいと思います。申し訳ございません、ディアナ様」
「わ、分かっていただければいいの」
シャルロット嬢は素直に謝り、ディアナ嬢もそれをすぐに許したことで場は収まり、周りの空気も同時にほっと緩んだような気がした。
ディアナ嬢は侯爵令嬢であることに自負を持っていて、周りに示しをつけるために常に正しくあろうとするのだろう。そして相手が素直に過ちを認め、反省すれば許す度量を持っている。
そんな女性だからこそ、彼女には人が集まるのだ。取り巻きなんて言葉は、彼女には無礼だった。
私自身もディアナ嬢の性格をもっとよく知っていれば、士気高揚せずに肩の力を抜いて来られたのになと、まさにその肩を下ろしたその時。
「それ、本当に人から頂いた物なのかしら」
声を上げたのはミーナ・グランデ伯爵令嬢だった。
……しまった。気を抜くのには早かった。
「そうですわね。確かに今の世界をただ受け入れるだけではなく、それに異を唱える世の中であっても良いかもしれません。けれど、それでも遵守すべきこともあるかと思います。特にこの学舎においては」
「遵守すべきこと」
「ええ」
ディアナ嬢はシャルロット嬢を一瞥し、また私に視線を戻す。
「ここは社交界の場ではなく、より素晴らしい淑女となるための教育の場であり、わたくしたちはそれらを学ぶ未熟な者として謙虚な姿であるべきです。そう思われませんか」
「ええ。とても素晴らしいお考えです」
「そうですか。でしたら、わたくしがシャルロット様をお呼び立てしたのはご理解いただけますわね?」
私がシャルロット嬢に視線を向けると、彼女の怯えたような表情が見えた。
やはり胸元の首飾りのことだろうか。しかし、もし違うことだとしたらやぶ蛇になるだけだから、とりあえずとぼけてみせよう。
「と、おっしゃいますと?」
小首を傾げると、ディアナ嬢はぴくりと眉を上げた。
私の演技はわざとらしかったと見える。
「彼女の胸元をご覧になっても、そうおっしゃるの?」
……申し訳ございません。苛つかせてしまいました。
ディアナ嬢に促された私は再びシャルロット嬢を見て、初めて気付いたように声を上げてみせる。
「まあ。そういうことでしたのね。少し装飾品が目立ちますわ」
「お分かりいただいたようね」
「ええ。けれど一応校則では、装飾品を禁止してはおりませんので、自分の判断によるところが大きいかと」
他の方はどうかしらと何気なく辺りを見回すと、皆が皆、一斉に顔を背けたり、胸元や耳元を隠したり、俯いたりと静かさの中に騒然とした雰囲気になった。
……今度は周りの方に申し訳のないことをしてしまいました。危害を加えるためのものではないことだけは、ご理解いただけると嬉しいなと心の中で願う。
ディアナ嬢は私の興味を引き戻すためと自分の正当さを主張するために、こほんと一つ咳払いした。
「限度というものがありますわ。先ほども申し上げた通り、ここは華やかに着飾る場ではありません。教育の場です」
彼女の言葉は何一つ間違っていない。黒を黒だと主張するだけで、白を黒だと押しつけているわけではない。
先日の囲みの印象が強かったせいで、私こそ彼女を誤解していた。彼女はきわめて誠実な人柄だ。だからもちろん反論する言葉なんてあるはずもない。むしろ彼女の高潔さに惚れ惚れとする。
「そうですね。ディアナ様のおっしゃる通りだわ」
「……そ、そうですか」
尊敬の念すら含む笑みを浮かべて頷くと、彼女は拍子抜けしたように目を瞬かせ、再び小さく咳払いすると居心地が悪そうに目を泳がせた。
私はシャルロット嬢を見る。
「シャルロット様、申し訳ございません。今朝お会いした時に、わたくしがもう少し気を配るべきでした」
「い、いえ! わ、私、わたくしも。頂いた物でしたから、つい嬉しくなって身に付けて来てしまいました。これからは気をつけたいと思います。申し訳ございません、ディアナ様」
「わ、分かっていただければいいの」
シャルロット嬢は素直に謝り、ディアナ嬢もそれをすぐに許したことで場は収まり、周りの空気も同時にほっと緩んだような気がした。
ディアナ嬢は侯爵令嬢であることに自負を持っていて、周りに示しをつけるために常に正しくあろうとするのだろう。そして相手が素直に過ちを認め、反省すれば許す度量を持っている。
そんな女性だからこそ、彼女には人が集まるのだ。取り巻きなんて言葉は、彼女には無礼だった。
私自身もディアナ嬢の性格をもっとよく知っていれば、士気高揚せずに肩の力を抜いて来られたのになと、まさにその肩を下ろしたその時。
「それ、本当に人から頂いた物なのかしら」
声を上げたのはミーナ・グランデ伯爵令嬢だった。
……しまった。気を抜くのには早かった。
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