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第53話 王位継承者である殿下からの言葉
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「ごきげんよう、殿下」
「ああ。さっきのはボールド男爵令嬢か」
彼女の後ろ姿を追うように、視線を前に向けながら彼は尋ねてきた。
「……ボルドー男爵令嬢です」
「そう言っただろ」
「言っておりません。殿下は本当に人の名前を覚えるのが苦手ですね」
「苦手というか、興味がないものは覚えない主義なんだよ」
私は彼のいい加減さにため息をつく。
これから彼が国の頂点に立った時の先行きが不安だ。
「国はたくさんの人々に支えられて成り立っているのですから、国王は民に寄り添うべきです。殿下も国王となる者ならば、もう少し周りの人間に興味を――」
「分かった分かった。今日はお前の説教を聞きに来たわけじゃない」
殿下はうるさそうに手で制した。
私だって彼の教育者でもないのだから、こんな風に説教したいわけではないのだ。思わずむっと口を尖らせてしまった。
「それでは何ですか?」
「場所を移して少しいいか?」
促されて私たちは空き教室へと足を運び、すぐ近くの椅子に座る。
辺りに人気が無いことを確認して、殿下が口火を切った。
「さっきのボール……男爵令嬢のことだが」
「はい。ボルドー男爵令嬢ですね」
もはや覚える気がないでしょう。
少し呆れながら私は訂正すると、殿下はこほんと一つ咳払いすると瞳を真剣なものに変える。同時に空気が変わったことに私の心にも緊張感が高まった。
「ああ。彼女の身元はしっかりしているのか」
「ですから男爵令嬢だと」
「それは聞いた。だが、彼女は確かな人物か?」
「はい?」
「人間性は? 身辺は綺麗か? 経済生活は?」
続けざまに尋ねてくる殿下に私は眉根を寄せた。
「いや。仮にある程度の領有地があったとしても男爵と言えば、貴族でも末席だ」
「一体何が言いたいのです」
とうとう苛立った私に、殿下は腕を組むと一つ大きく息を吐いた。
「公爵家のお前と釣り合うとは思わない。本来ならば、付き合う人間は自分と近しい階級であるのが好ましいはずだ」
つまりシャルロット嬢とは付き合うなと、そういうことが言いたいのか。
「わたくしの交友関係にまで、殿下に口を出される覚えは――」
「口を出す権利ならある。お前は一人の人間である前に、王位第一継承者である俺の婚約者として振る舞うべきだからだ」
殿下は私の言葉を遮って、強い視線で私を制した。
「――っ!」
これまで殿下にここまで強く自分の立場に準ずるよう押しつけられたことはなく、動揺で反論の言葉を失ってしまう。いや。そもそも反論など初めからできるはずもない。彼の言葉が何よりも正しいのだから。
貴族に限らず、地位が低い者が上の者に取り入ろうとする姿はどこでも起こっている。そして地位が高い者が彼らと付き合って何か問題が起こった場合、どうしても足を引っ張られて汚点となる。
近い階級同士が人付き合いするのは、互いに牽制し合いつつも身辺を綺麗にしておこうと考えるからだろう。
すっかり口を閉ざして立ち尽くす私に殿下は瞳の色を弱めた。
「無理を強いているのは分かっている。だけどお前も公爵家の娘として育ってきたのなら分かるだろう」
「……はい。重々承知しております」
「何も下位の人間と付き合うなとまでは言っているわけじゃない。人を選べと言っている」
殿下はきっとシャルロット嬢の噂を耳にしているのだろう。
私はいつの間にか俯いていた顔を上げて殿下を見つめた。
「彼女は潔白だと言っています。……もちろんそれを証明する術はありませんが」
「一体何の事を言っているのか分からないが、俺が聞いた噂とは違うようだな」
「え?」
殿下が聞いた噂とは違う? ではどんな噂を耳にしたと言うのだろう。
「お前はもう少し彼女について知る必要があるようだ」
「殿下は一体、彼女のどんな――」
「どうせ俺が言っても素直に聞きはしないだろうから、自分で確かめたらどうだ」
私の性格を読んだ上で言葉を遮ったのが少しだけ気に障る。いや、気に障っている場合ではないのだろうけれど。
「もし殿下の耳に入った彼女の噂が事実無根であるならば、何の問題もないわけですね」
「本当にそうであればな」
今の殿下の言葉一つ、挑発的に聞こえてしまう自分はきっと冷静ではないのだろう。落ち着かなければ。
私は一つ大きく深呼吸した。
「分かりました。もしシャルロット様が思っていたような人物ではなかった場合、殿下に従います」
「……ああ」
殿下は一瞬だけ苦そうな表情をして目を伏せた。
「ああ。さっきのはボールド男爵令嬢か」
彼女の後ろ姿を追うように、視線を前に向けながら彼は尋ねてきた。
「……ボルドー男爵令嬢です」
「そう言っただろ」
「言っておりません。殿下は本当に人の名前を覚えるのが苦手ですね」
「苦手というか、興味がないものは覚えない主義なんだよ」
私は彼のいい加減さにため息をつく。
これから彼が国の頂点に立った時の先行きが不安だ。
「国はたくさんの人々に支えられて成り立っているのですから、国王は民に寄り添うべきです。殿下も国王となる者ならば、もう少し周りの人間に興味を――」
「分かった分かった。今日はお前の説教を聞きに来たわけじゃない」
殿下はうるさそうに手で制した。
私だって彼の教育者でもないのだから、こんな風に説教したいわけではないのだ。思わずむっと口を尖らせてしまった。
「それでは何ですか?」
「場所を移して少しいいか?」
促されて私たちは空き教室へと足を運び、すぐ近くの椅子に座る。
辺りに人気が無いことを確認して、殿下が口火を切った。
「さっきのボール……男爵令嬢のことだが」
「はい。ボルドー男爵令嬢ですね」
もはや覚える気がないでしょう。
少し呆れながら私は訂正すると、殿下はこほんと一つ咳払いすると瞳を真剣なものに変える。同時に空気が変わったことに私の心にも緊張感が高まった。
「ああ。彼女の身元はしっかりしているのか」
「ですから男爵令嬢だと」
「それは聞いた。だが、彼女は確かな人物か?」
「はい?」
「人間性は? 身辺は綺麗か? 経済生活は?」
続けざまに尋ねてくる殿下に私は眉根を寄せた。
「いや。仮にある程度の領有地があったとしても男爵と言えば、貴族でも末席だ」
「一体何が言いたいのです」
とうとう苛立った私に、殿下は腕を組むと一つ大きく息を吐いた。
「公爵家のお前と釣り合うとは思わない。本来ならば、付き合う人間は自分と近しい階級であるのが好ましいはずだ」
つまりシャルロット嬢とは付き合うなと、そういうことが言いたいのか。
「わたくしの交友関係にまで、殿下に口を出される覚えは――」
「口を出す権利ならある。お前は一人の人間である前に、王位第一継承者である俺の婚約者として振る舞うべきだからだ」
殿下は私の言葉を遮って、強い視線で私を制した。
「――っ!」
これまで殿下にここまで強く自分の立場に準ずるよう押しつけられたことはなく、動揺で反論の言葉を失ってしまう。いや。そもそも反論など初めからできるはずもない。彼の言葉が何よりも正しいのだから。
貴族に限らず、地位が低い者が上の者に取り入ろうとする姿はどこでも起こっている。そして地位が高い者が彼らと付き合って何か問題が起こった場合、どうしても足を引っ張られて汚点となる。
近い階級同士が人付き合いするのは、互いに牽制し合いつつも身辺を綺麗にしておこうと考えるからだろう。
すっかり口を閉ざして立ち尽くす私に殿下は瞳の色を弱めた。
「無理を強いているのは分かっている。だけどお前も公爵家の娘として育ってきたのなら分かるだろう」
「……はい。重々承知しております」
「何も下位の人間と付き合うなとまでは言っているわけじゃない。人を選べと言っている」
殿下はきっとシャルロット嬢の噂を耳にしているのだろう。
私はいつの間にか俯いていた顔を上げて殿下を見つめた。
「彼女は潔白だと言っています。……もちろんそれを証明する術はありませんが」
「一体何の事を言っているのか分からないが、俺が聞いた噂とは違うようだな」
「え?」
殿下が聞いた噂とは違う? ではどんな噂を耳にしたと言うのだろう。
「お前はもう少し彼女について知る必要があるようだ」
「殿下は一体、彼女のどんな――」
「どうせ俺が言っても素直に聞きはしないだろうから、自分で確かめたらどうだ」
私の性格を読んだ上で言葉を遮ったのが少しだけ気に障る。いや、気に障っている場合ではないのだろうけれど。
「もし殿下の耳に入った彼女の噂が事実無根であるならば、何の問題もないわけですね」
「本当にそうであればな」
今の殿下の言葉一つ、挑発的に聞こえてしまう自分はきっと冷静ではないのだろう。落ち着かなければ。
私は一つ大きく深呼吸した。
「分かりました。もしシャルロット様が思っていたような人物ではなかった場合、殿下に従います」
「……ああ」
殿下は一瞬だけ苦そうな表情をして目を伏せた。
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