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一度目の人生
第3話 彼の黒い瞳
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「それで? 君は?」
「何でしょうか」
「勘が鈍いな。ちゃんと結婚準備をしているのかと聞いているんだ」
王太子殿下は面倒そうにため息をつくが、私たちは以心伝心できるほどの仲ではないだろうにと思う。
「はい」
幼い頃より厳しい教育を受けてきた。それは現在も続いている。
「語学や社交術やダンスの技術を磨くだけでなく、政務の仕事もちゃんとできるんだろうな」
王妃として求められるのは、主にお世継ぎを産むことや国際親善、民との交流や慈善活動だ。もちろん国王の不在時、ご病気の時など代理で公務にかかわることはあるが、政務の仕事にまでは口出さないもののはず。それをも補助しろと言うのだろうか。
もっとも殿下の婚約者となるために、同世代の女性より抜きんでた教養が必要だと色々なものを叩き込まれてきたので、やれと言われれば処理することはできると思うが。
「はい」
「そうか。ならいい」
さすがに政務を放り出して、完全に私に押し付ける気でいるとは思えないが、確認してくることに一抹の不安を覚える。
おそらく結婚しても仮面の夫婦になるだけだろう。この国では側室を持つことは許されていないが、愛妾を持つことは公的に認められていて、現国王にも公妾がいる。王妃はそれを黙認する代わりにご自身も愛人を囲っているという話がある。
私も形だけ正妃に据え置かれて、愛妾を王室に迎え入れるのかもしれない。ならば私も愛人を持つことが許されるのだろうか。
ぼんやりくだらないことを考えながら無意識にバーナード卿を見ると、彼の高潔そうな目と合って、私は慌てて視線をそらした。
「ああ、そうだ。妹のエレーヌの誕生日祝賀晩餐会だが、君の家族も招待していると思うが」
「はい。ご招待いただきありがとうございます。家族みな、光栄に思っております」
「ああ。君の妹君、リーチェ嬢、だったかな? 彼女に婚約者はいたか?」
リーチェは母親違いの妹だ。母が亡くなった年の私が七歳の時に、義母と共に五歳のリーチェが家に入った。
「いえ。おりません」
義母がたくさんの候補者を挙げているが、リーチェはまだ個人的に誰かと会ったことがない様子である。
「そうか。ならばこのバーナード卿を彼女のエスコート役に付かせる」
「え? なぜ、でしょうか」
王太子殿下の意外な言葉に動揺してしまい、思いのほか、少し声がかすれてしまったかもしれない。
「彼女に婚約者はいないのだろう?」
「はい。ですから従弟のマクレインにお願いしたのです」
「そうか。だが、マクレインとは確かローマン子爵家の息子だろう。バーナードは今、私の護衛騎士に就いているが、父君の爵位は君のところと同じ侯爵だ。いずれ侯爵位を引き継ぐ彼のほうが、妹君に箔が付くというものだ」
とっさにバーナード卿を見たが、何物にも染まらない彼の黒い瞳には揺らぎの一つも見えない。
私は膝の上で震える手を力強く握りしめる。
「わたくしの一存ではお答えしかねます。持ち帰って相談いたします」
「この程度も一存で決められないとはな。それで果たして王太子妃が務まるのか?」
王太子殿下は鼻を鳴らした。
「申し訳ございません」
「まあいい。では私はもう行く。君はゆっくりお茶を楽しんでいけばいい」
一人でどうやって楽しめと言うのか。虚しいだけだ。
「いえ。わたくしももう失礼いたします。本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました」
王太子殿下が立ち上がったので、私もまた立ち上がって礼を取った。
「そうか。ではバーナード。アリシア嬢を馬車まで見送れ」
「承知いたしました」
「あ……ありが」
王太子殿下はさっさと立ち上がり、手を上げて声をかけた私に振り返りもせずに歩いて行く。私は一つ息を吐くと手を下ろした。一方、バーナード卿はテーブルを回って私の側にやって来た。
「アリシア様、馬車までお送りいたします」
「ありがとうございます」
バーナード卿は先ほどのように無駄口一つ叩かず、ただ私の一歩後ろに控える。
「バーナード卿」
私は足を止めると振り返り、彼に声をかけた。そうすれば彼の美しい黒い瞳の中にただ私だけが映し出される。
「はい。何でしょうか」
リーチェのエスコート役を引き受けるのですか。
そんな問いかけをしたところで何になると言うのだろうか。彼は王太子殿下が命じたことには逆らわない。彼の言葉は肯定の言葉、ただ一つなのだから。
「妹のエスコート役になっていただくことになりましたら、どうぞよろしくお願いいたします」
「……かしこまりました」
微笑んだ私が踵を返して前を歩けば、きっともう彼の瞳に私は映らない。
「何でしょうか」
「勘が鈍いな。ちゃんと結婚準備をしているのかと聞いているんだ」
王太子殿下は面倒そうにため息をつくが、私たちは以心伝心できるほどの仲ではないだろうにと思う。
「はい」
幼い頃より厳しい教育を受けてきた。それは現在も続いている。
「語学や社交術やダンスの技術を磨くだけでなく、政務の仕事もちゃんとできるんだろうな」
王妃として求められるのは、主にお世継ぎを産むことや国際親善、民との交流や慈善活動だ。もちろん国王の不在時、ご病気の時など代理で公務にかかわることはあるが、政務の仕事にまでは口出さないもののはず。それをも補助しろと言うのだろうか。
もっとも殿下の婚約者となるために、同世代の女性より抜きんでた教養が必要だと色々なものを叩き込まれてきたので、やれと言われれば処理することはできると思うが。
「はい」
「そうか。ならいい」
さすがに政務を放り出して、完全に私に押し付ける気でいるとは思えないが、確認してくることに一抹の不安を覚える。
おそらく結婚しても仮面の夫婦になるだけだろう。この国では側室を持つことは許されていないが、愛妾を持つことは公的に認められていて、現国王にも公妾がいる。王妃はそれを黙認する代わりにご自身も愛人を囲っているという話がある。
私も形だけ正妃に据え置かれて、愛妾を王室に迎え入れるのかもしれない。ならば私も愛人を持つことが許されるのだろうか。
ぼんやりくだらないことを考えながら無意識にバーナード卿を見ると、彼の高潔そうな目と合って、私は慌てて視線をそらした。
「ああ、そうだ。妹のエレーヌの誕生日祝賀晩餐会だが、君の家族も招待していると思うが」
「はい。ご招待いただきありがとうございます。家族みな、光栄に思っております」
「ああ。君の妹君、リーチェ嬢、だったかな? 彼女に婚約者はいたか?」
リーチェは母親違いの妹だ。母が亡くなった年の私が七歳の時に、義母と共に五歳のリーチェが家に入った。
「いえ。おりません」
義母がたくさんの候補者を挙げているが、リーチェはまだ個人的に誰かと会ったことがない様子である。
「そうか。ならばこのバーナード卿を彼女のエスコート役に付かせる」
「え? なぜ、でしょうか」
王太子殿下の意外な言葉に動揺してしまい、思いのほか、少し声がかすれてしまったかもしれない。
「彼女に婚約者はいないのだろう?」
「はい。ですから従弟のマクレインにお願いしたのです」
「そうか。だが、マクレインとは確かローマン子爵家の息子だろう。バーナードは今、私の護衛騎士に就いているが、父君の爵位は君のところと同じ侯爵だ。いずれ侯爵位を引き継ぐ彼のほうが、妹君に箔が付くというものだ」
とっさにバーナード卿を見たが、何物にも染まらない彼の黒い瞳には揺らぎの一つも見えない。
私は膝の上で震える手を力強く握りしめる。
「わたくしの一存ではお答えしかねます。持ち帰って相談いたします」
「この程度も一存で決められないとはな。それで果たして王太子妃が務まるのか?」
王太子殿下は鼻を鳴らした。
「申し訳ございません」
「まあいい。では私はもう行く。君はゆっくりお茶を楽しんでいけばいい」
一人でどうやって楽しめと言うのか。虚しいだけだ。
「いえ。わたくしももう失礼いたします。本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました」
王太子殿下が立ち上がったので、私もまた立ち上がって礼を取った。
「そうか。ではバーナード。アリシア嬢を馬車まで見送れ」
「承知いたしました」
「あ……ありが」
王太子殿下はさっさと立ち上がり、手を上げて声をかけた私に振り返りもせずに歩いて行く。私は一つ息を吐くと手を下ろした。一方、バーナード卿はテーブルを回って私の側にやって来た。
「アリシア様、馬車までお送りいたします」
「ありがとうございます」
バーナード卿は先ほどのように無駄口一つ叩かず、ただ私の一歩後ろに控える。
「バーナード卿」
私は足を止めると振り返り、彼に声をかけた。そうすれば彼の美しい黒い瞳の中にただ私だけが映し出される。
「はい。何でしょうか」
リーチェのエスコート役を引き受けるのですか。
そんな問いかけをしたところで何になると言うのだろうか。彼は王太子殿下が命じたことには逆らわない。彼の言葉は肯定の言葉、ただ一つなのだから。
「妹のエスコート役になっていただくことになりましたら、どうぞよろしくお願いいたします」
「……かしこまりました」
微笑んだ私が踵を返して前を歩けば、きっともう彼の瞳に私は映らない。
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