伊十郎、参る!

よしだひろ

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第一章 拙者、伊十郎にござる

其の三 事情聴取とスパゲチー

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 翌日美香は仕事に出掛けるために支度をしていた。ベランダで伊十郎は筋トレをしていた。伊十郎は徐ろに中に入ってきて美香に言った。
「美香殿も体を動かしてみんか? 気持ちいいぞ」
「伊十郎。昨日話したでしょ。私はこれから仕事なの。家を空けるからね」
「ならば拙者も同行しよう。仕事を手伝うぞ」
「あなたには無理だから自由にしてて。家から出る時は鍵を忘れないでね。何かあったら私のスマホに電話するのよ」
 美香はバタバタと忙しそうだった。
「じゃあ行くから。あとはよろしくね」
 そう言うと行ってしまった。伊十郎はベランダに出て外を眺めた。見慣れぬ街並みではあったが高いところから世の中を眺めるのは初めてなので楽しかった。
 再び筋トレをして過ごした。喉が渇いた。美香に教えてもらった冷蔵庫を開けてみる。
「この水筒、ペトルボトルと言ったかのう。これは誠に面白い」
 喉を潤していると電話が鳴った。伊十郎はビクッとしたが落ち着いて電話に出た。
「もしもし」
「俺だよ俺。困ったことになったんだよ」
 電話の向こうの声は泣きそうな声だった。
「どうしたのじゃ?」
「お金が入ったバックを無くしちゃって。今日中に振り込まないと会社クビになっちゃうよ」
「打首か! それは一大事じゃ。拙者にできる事があれば言うてくれ」
「三百万。三百万持ってきてくれないか?」
「どこに持っていけば良い?」
「駅前に会社の人が行くから渡して欲しい。スマホの番号言うから駅前に着いたら電話してよ」
 そう言うと男は電話番号を言い始めた。
「ちょっと待つのじゃ。うーん」
 伊十郎は美香が電話の横に置いてある鉛筆でメモ用紙に番号を書いていたことを思い出した。鉛筆で紙に試し書きしてみて書けることを確認した。
「よし。もう一度言うのじゃ。ふむふむ。ゼロとは何だ? 丸? 丸の次は八。丸。五、七……」
 伊十郎は電話番号を漢字でメモした。電話を終えると伊十郎は外へ出た。美香に鍵は二箇所と言われていたのでちゃんと二箇所閉めた。
 三百万の意味も駅前がどこかも伊十郎には分からなかったが伊十郎には案があった。
(こう言う困った時こそお巡りさんに相談じゃ)
 外に出ると伊十郎は適当に辺りを歩いてお巡りさんを探した。フラフラ行くうちに伊十郎は交番を見つけた。
(富士見交番。確か番屋だったな。ここならば岡っ引きが詰めているだろう)
 伊十郎は交番の前に立った。窓ガラスなので中の様子がよく見えた。中にはお巡りさんが二人何かをしていたが、すぐに伊十郎に気が付いた。
 伊十郎はドアをスライドして開き中に入った。
「お勤めご苦労でござる」
「こんにちは。どうしました?」
 お巡りさんは伊十郎の出立ち、特に木刀を差していることを訝しく思い警戒した。
「実は今困っておる者がおってな。助けて欲しいのじゃ」
 伊十郎は電話の件を話して聞かせた。お巡りさんはすぐにそれが詐欺だと分かった。
「ちょっとお兄さん。それは振り込め詐欺ですよ」
「振り込め詐欺とな? 拙者騙されたのか?」
「どこの誰とも知らない人から三百万も要求されて不思議に思わなかったんですか?」
「そもそも三百万とはなんぞ?」
 お巡りさんは互いに顔を見合わせた。
「取り敢えずその聞いた番号を教えてもらえる?」
 伊十郎はメモした紙を出した。しかしそれは美香の電話番号だった。
「おお。それは違う秘密の暗号じゃ」
 すぐに詐欺師が伝えてきた番号をメモした紙を取り出して見せた。
「丸、八、丸? あー、丸ってのはゼロの事だな。中島。この番号本署に連絡しておいてくれ」
「分かりました、尾関さん」
 中島と呼ばれたお巡りさんは電話をかけた。尾関と呼ばれたお巡りさんは伊十郎をカウンターの中の机に呼びこんで椅子に座るように促した。
「この珍妙な腰掛けは、座るに易し守るに難しじゃのう」
 伊十郎は木刀を抜いて椅子に座った。尾関巡査部長は奥に一度消えて、冷えた麦茶を持ってきて伊十郎に差し出した。
「これはこれはかたじけない」
「いえいえ。所でお兄さん。お名前は?」
「佐々木伊十郎でござる」
「住所は?」
「住所?」
「住んでる所」
「深川の武家屋敷じゃが故あって今は美香殿の所にお世話になっておる」
「美香殿? その人とはどう言う関係なの?」
「ゆきずりの関係じゃ」
 尾関巡査部長は話を聞いていて揶揄われているのかと思い始めた。
「その木刀はいつも持ち歩いてるの?」
「うむ。本来なら刀を持ち歩きたいのだがどうやらそれはいけないことのようなので美香殿が木刀を買ってくれたのじゃ」
「木刀もね、場合によってはいけないんですよー」
 伊十郎は麦茶を一口飲んだ。するとその美味しさに驚いた。
「この麦茶は格別の味がするのう! どちらの麦茶じゃ?」
「ありがとね。普通にその辺で売ってる麦茶ですよ」
 中島巡査が話しかけてきた。
「尾関さん。本署に報告したらすぐに駅前に囮捜査員を派遣してくれるそうです」
「おお、そうか。佐々木さん、詐欺師捕まえて見せますからね」
「よろしく頼み申す。実は拙者も与力でな。今は故あって仕事の内容は詳しく言えんがお主らお巡りさんとは親しみが持てる」
 尾関巡査部長は不思議だった。話をしていると言葉遣いなど不審な点はあるものの、何でも素直に話をしてくれる。しかし電話番号を秘密の暗号と言ったり木刀を持っていたり仕事は秘密だったり、この佐々木と言う男は何者なのか?
「ねえ、佐々木さん。単刀直入に聞くね。あなた何者なの?」
「今申したであろう。与力の佐々木伊十郎である。あ、そうか。美香殿が言っていたが、拙者はお巡りさんと関わると面倒な事になるんだそうじゃ」
 一気に伊十郎への不信感が上がった。
「どう言う事かな?」
「詳しくは分からんが、拙者がお巡りさんの世話になると組織から狙われるらしい」
 怪しさはマックスになった。尾関巡査部長は慎重に質問して行く事にした。
「免許か何か持ってるかな?」
「拙者、皆川流免許皆伝でござる」
「いや、そうじゃなくてね」
 尾関巡査部長はとても不思議だった。揶揄われているようなのだがこの佐々木という男、どうやら話している事に嘘はないようなのだ。秘密の暗号と言われた番号にかけてみようと思った。
「佐々木さん。この電話番号に電話してみていいですか?」
「ふふふ、お主らにその暗号が解けるのなら解いてみるが良い」
「番号にかけちゃいますからね、いいですね?」
「構わんよ、解けるものならな」
 尾関巡査部長は中島巡査に、その番号に連絡するよう伝えた。
「あ、もしもし。こちら浦安警察の中島と申します。美香さんの携帯ですか?」
 それを聞いて伊十郎は驚きを隠せなかった。
「いとも簡単に暗号を解きよった!」
 そしてすぐに大笑いした。
「あっぱれじゃ! さすが二百年後の与力じゃのう」
「二百年後?」
「はい、はい。佐々木さんがね、交番に来てですね。ええ。いや、詐欺に引っかかりそうになってまして。いえ、そちらは問題ないのですが……」
 中島巡査は事の成り行きを美香に説明した。暫くして中島巡査は受話器を置いた。
「大至急迎えに来るみたいです」
「佐々木さん。あなたとの話はどうもチグハグなんですよ。あなたが嘘を言ってるようには思えないんですが、言ってることの意味が分からない」
「同じ与力同士、腹を割って話をしようぞ」
「その与力ってのも江戸時代の話でしょ? 我々は与力じゃなくて警官ですよ」
「そう言えば今は天保ではなくて、えーと、れいわとか申す時代らしいのう」
 中島巡査が耐えかねて言った。
「あんたからかってるの?」
「からかってなどおらぬ。拙者はどうやら二百年後のこの世の中に迷い込んでしまったようなのじゃ」
 尾関巡査部長と中島巡査は顔を見合わせた。
     *
 美香は全ての仕事を放り投げた。上司に生理痛が酷くて仕事にならないので早退させてほしいと嘘をついた。
 のんびり電車でなど移動してられない。美香は会社の前でタクシーを拾うと浦安駅まで頼んだ。
「なるべく急ぎでお願いします」
 タクシーが発進すると美香は伊十郎がいる富士見交番の位置を検索した。美香の家の近くだ。
(もう、何で振り込め詐欺なんかに……)
 美香はイライラした。富士見交番までの数十分がとても長く感じた。
 交番前でタクシーを降り走るように交番に駆け込んだ。
「申し訳ございません!」
 中に入るなり大きな声で謝った。その声を聞いて伊十郎が立ち上がって美香に手を振った。
「おお、美香殿。今尾関殿と中島殿に拙者の過去の活躍について話していたところじゃ」
「あなたが美香さんですか?」
「はい。ウチの伊十郎がご迷惑おかけしまして」
 尾関巡査部長は笑顔で答えた。
「いやいや、迷惑など。振り込め詐欺の捜査にも進展が見られましたし……」
「美香殿、申し訳ござらん。拙者知らぬ間に詐欺に引っかかる所じゃった。尾関殿が止めてくださらんかったらどうなっていたことか」
「まあ、取り敢えずこちらにお座りください」
 美香も中に通された。尾関巡査部長は事の経緯いきさつを美香に話して聞かせた。一通り話した後真顔になった。
「所でこちらの佐々木さん。天保五年から現代にやってきたと主張してるのですが、それは一体……?」
「そ、それは……」
「こちらも調書を作成する関係でね、関係者の身元を明らかにしておかないとならんのですわ」
 美香は返答に困った。中島巡査が言った。
「本当に過去からタイムスリップしてきてるなら、専門の研究機関に預けて調査してもらうべきです!」
 美香は返答に困った。中島巡査は続ける。
「タイムスリップなんて物理学上大発見だ! それに歴史学的にも佐々木さんは貴重なサンプルだ」
 尾関巡査部長は中島巡査を制した。
「言い過ぎだぞ……美香さん。もしかして佐々木さんは記憶に障害があるのとは違いますか?」
「え?」
「何かの事故に巻き込まれた。その時身分証の類を紛失してしまった。同時に記憶も無くしてしまった。親族である美香さんの事だけは覚えていて美香さんを頼った。そうとは違いますか?」
 美香はどう答えればいいのか分からなかった。
「尾関さん。でも佐々木さんの話はちゃんと辻褄があってたでしょう? それに……」
「やめるんだ中島。もしお前が二百年後の未来へタイムスリップしてしまい訳もわからず詐欺に引っかかり露頭に迷っていた時、研究機関のサンプルにされたらどうだ?」
「そ、それは……」
「それにほんとうにタイムスリップなんて信じているのか? 調書にそう書くつもりか?」
「確かに」
「今私が言ったことが真実なのだ。美香さん、しかしあなたの身元はちゃんと示してもらいますよ」
「は、はい」
 美香は取り敢えず保険証を出して名前と住所、電話番号などを伝えた。
「今日の所は帰ってもらって大丈夫ですよ。佐々木さんも時々遊びに来てください」
「良いのかなぁ」
 美香は深くお辞儀をして交番を後にした。家まではすぐだ。道すがら伊十郎に言った。
「もう、何で振り込め詐欺なんかに」
「かたじけない。まさか電話を使った詐欺があるとは思わなんだ」
 美香は頭に来ていたが伊十郎を責めても仕方ないと思った。深呼吸して気持ちを入れ替えて話題を変えた。
「このまま帰るのも何だからケーキでも食べて帰ろうか?」
「ケーキ? 何でござるか?」
「付いてくれば分かるわよ」
 二人は駅前の喫茶店に入った。席に着くと美香が店員に注文した。
「チョコケーキとチーズケーキ、コーヒーと紅茶をお願いします」
「かしこまりました」
 ケーキが運ばれてくるまでの間、美香はケーキについて説明した。程なくしてケーキと飲み物が運ばれてきた。
「これがケーキでござるか」
「フォークで、こうやって食べるのよ」
 美香は自分のチーズケーキにフォークを入れて一口分削ぎ取って食べて見せた。伊十郎はそれに倣ってチョコケーキを食べてみた。
「これは! 何と甘味な!」
「美味しいでしょ」
「このような美味いものがこの世にあるのか」
 伊十郎はパクパク食べたのであっという間に無くなってしまった。
「満足じゃ……ん、そうじゃ。これを高橋殿にも食べさせてあげたい。土産に包んでもらうよう頼んでみよう」
「高橋殿?」
 美香は思い出した。伊十郎にエレベーターの乗り方を教えている時に出会った老婆だ。
「そこな娘よ、ちょっとこい。拙者が今しがた食したケーキなるものを土産に包んでくれ」
 美香は慌てて付け加えた。
「あ、チョコレートケーキテイクアウトで一つ。お願いできますか?」
(誰がお金を払うのよ)
 二人は店を後にしてマンションに帰ってきた。
「高橋殿はどこに住んでおるのじゃ?」
「確かに三〇何ちゃらって言ってたから三階ね」
 二人は三階に着くと高橋さんの家を探した。伊十郎は呆れたように言った。
「同じ長屋なのにどこに住んでるか分からんのか?」
「同じ長屋って言ってもね、この長屋だけで三十世帯もあるのよ。把握できるわけないじゃない」
 丁度高橋さんの家の前に来た。美香は良いのかなぁと思いつつインターフォンを鳴らした。
「六〇二の金井です。お裾分け持ってきました」
 すぐにドアが開いて先日の老婆が現れた。
「おお、高橋殿。実は物凄く甘味な食べ物を発見してのう。お持ち致した」
「あ、駅前の喫茶店のチョコケーキです。お口に合うか分かりませんが伊十郎が是非にと言うので」
「まあ、ありがとうね。甘いものは大好きよ。良かったら上がっていかない?」
「いや、拙者達はお土産を持参しただけなれば、本日はこれにてご免」
「あらそう?」
 伊十郎はそう言うと頭を下げて一礼してからエレベーターホールに向かった。美香も会釈して伊十郎を追った。
「本当は長屋のみんなの分配りたかったのだがな」
 伊十郎は笑顔でそう言った。
(だからそのお金誰が払うんだよ)
 美香は家に戻ると電話機の設定を変更した。美香のスマホからの入電の場合、表示部に美香と表示させるようにしたのだ。そして実際に電話をかけて伊十郎に見せた。
「いい? ここに美香って書かれてる時は電話に出て。それ以外の時は電話に出なくていいからね」
「心得た……しかしケーキとは誠に甘味な食べ物だのう」
     *
 次の週末も、伊十郎の社会勉強の為に散歩をしようと美香は考えていた。家の鍵をかけて二人は出かけた。
 大通りを歩いていると前方に何やら人だかりが出来ていた。二人は近付いてみた。
「規制線が張られてるわね」
「規制線?」
「ここから先には入っちゃダメって言う線よ。ほら黄色いテープ、帯が張られてるでしょ?」
 人だかりの前方に黄色のテープが張られていて中に入れないようになっている。伊十郎はそこに尾関巡査部長を見つけた。伊十郎は近付いた。
「尾関殿。これは一体?」
「おや、佐々木さん。実はこの先のコンビニで強盗立て篭り事件が起きてましてね」
「コンビニ?」
「小さなお店の事で何でも売ってるんですよ。強盗はその店の店員を人質に立てこもってるんですよ」
 暫くするとコンビニの前に車が止まった。中から運転手が出てきて近くにいる警官の元に走って逃げた。
「犯人に告ぐ。車は用意した。人質を解放してくれ」
「うるせー! 指図するな」
 美香は怖くなって言った。
「伊十郎。巻き込まれたら嫌だから行きましょう」
「いや、しかし……」
 美香は伊十郎の腕を引っ張って強引に連れ出そうとした。
 その時犯人が人質を連れて出てきた。嫌がる人質を無理やり車の中に押し込んで自分も運転席に入った。
「あやつが強盗でござるな」
 車は急発進した。車道を一直線にこちらへ向かってくる。
 伊十郎は咄嗟に美香の手を解き、車道に飛び出して車の前に仁王立ちした。
「伊十郎! 何してるの!」
 車は速度を緩めるどころか加速して伊十郎に突っ込んでくる。野次馬達は固唾を飲んで事の成り行きを見守った。中にはスマホで撮影している人もいた。
 伊十郎は微動だにせず車の動きに集中した。車は伊十郎を跳ねるつもりのようで、真っ直ぐに突っ込んできた。
 次の瞬間、伊十郎は木刀の柄に手を掛けたかと思うと半歩左へ身を動かし、同時に木刀を抜いた。
「は、早い!」
 伊十郎の木刀を抜く速さは一般人の目には止まらなかった。
 車が伊十郎の横をすり抜けるその瞬間、伊十郎は木刀を運転席に突き刺した。伊十郎は素早く木刀から手を離す。
 車は大きく左に曲がり、中央分離帯の柵に激突。エアバックが開き止まった。伊十郎はゆっくり車の運転席に近付く。美香が慌てて駆け寄ってくる。伊十郎が窓から突き出た木刀を抜くと窓ガラスが崩れ落ちた。木刀の先端には血が付いていた。
「安心せい。急所は外しておいた」
 警官達が駆け寄って来るのが見えた。美香は慌てた。
「逃げるのよ、伊十郎」
「何故じゃ?」
「いいから」
 再び美香は伊十郎の腕を取って走り出した。
「あ! 待ちなさい」
 美香は隣りの通りに出るとタクシーを拾って逃げた。警官も追うのを諦めた。
(ああ、この先どうしたらいいの)
 美香はとんでもない事になって気が動転していた。尾関巡査部長はどうしたものかと考えあぐねていた。
 美香は取り敢えず家に帰ろうと、タクシーの運転手に住所を伝えた。すぐ近くなのでタクシーの運転手は驚いていた。
 マンションの前でタクシーを降りるとエントランスには尾関巡査部長と中島巡査が待っていた。美香はギクリとした。
「逃げちゃまずいですよー」
 尾関巡査部長は困ったように言った。しかし中島巡査は興奮気味に言った。
「佐々木さん! やりますね」
「確かに見事な腕ですが、困りましたなぁ」
「何が困ることがあるのじゃ」
 美香はとにかく謝った。
「申し訳ありません。申し訳ありません」
「ここでは何だから交番まで」
 一同は富士見交番に移動した。道すがら犯人は腕に怪我を負ったが命に別状はないと連絡を受けた。人質も興奮状態ではあるが問題ないようだ。
 交番に着くと取り敢えず机に座った。
「どう処理しましょうかね」
「もうこうなったら本当の事を言うしかないですよ。本署でも佐々木さんの話はタイムスリップの事を除いて話してるし」
「なんとか穏便に処理できませんか?」
 美香は懇願した。しかし伊十郎は状況を理解出来ずにいた。
「何を揉めておるのじゃ? 下手人も捕まえたし人質も無事。なんの問題もござらん」
「隠し通せる自信は全くありません」
 尾関巡査部長は伊十郎の言葉を無視して美香に言った。
「捜査本部も立ち上がってて県警本部から刑事も来ています。ごまかしは効かないでしょう」
「でも信じては貰えないんじゃ」
 その時交番の扉が開いて一人の警官が入ってきた。そして奧に伊十郎の姿を見て驚いた。
「あ! さっきの男じゃないですか!」
 尾関巡査部長はもう隠しきれないと観念した。
 程なくして伊十郎は本署に事情を聞くという形で連れて行かれた。
 伊十郎と美香は重要参考人として任意で事情聴取を別々の部屋で受けていた。美香はもう本当の事を話すしかないと観念して、伊十郎との事を全て正直に話した。但し伊十郎との出会い、今までの経緯いきさつを話しただけで伊十郎がタイムスリップしてきたと言う事は言わなかった。
 美香は比較的すぐに解放された。美香は伊十郎の聴取が終わるのを警察署の中で待っていた。
 しかし伊十郎の方は中々聴取が終わらなかった。伊十郎も全てを正直に話しているのだが、美香の話をそのまま話してしまい、自分が二百年前の時代からやってきたと言ってしまった為だ。
 警察としては、初めはただ伊十郎の身元を調べておきたいだけだったのだが、二百年前から来たなどと言い出してしまったので、それをそのまま受け入れる訳には行かなかった。
 伊十郎は何か薬物をやっているのかと疑われた。また木刀とは言え武器を所持していた事もそのまま開放という訳には行かなかった。
 結局伊十郎が解放されたのは午後二時になる頃だった。
「おお、美香殿。ここにおったか」
「ここにおったかじゃないわよ。大丈夫だったの?」
「大丈夫でござるが、この時代の与力は中々拙者の言葉を信じてくれんのう」
(当たり前だよ)
 取り敢えずお昼ご飯を食べて家に帰ろうということになった。
 近くのファミリーレストランに入った。美香は店員にナポリタンを二つ頼んだ。
 暫くしてナポリタンが二つ運ばれてきた。
「これは……うどんの一種でござるか?」
「これはスパゲティと言う食べ物よ」
「スパゲチー……」
 伊十郎は恐る恐る食べてみた。口の中に広がるケチャップの味がとても美味しく感じた。
「美味いでござる! これがスパゲチー!」
「もう、恥ずかしいから大きな声を出さないで!」
 伊十郎はあっという間にナポリタンを平らげた。
「江戸の人たちからすると令和の食べ物はみんなご馳走ね」
 二人は食事を終えて店を出た。
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