伊十郎、参る!

よしだひろ

文字の大きさ
上 下
1 / 7
第一章 拙者、伊十郎にござる

其の一 令和の皆さん、こんにちは

しおりを挟む
 天保五年(西暦一八三五年)、江戸後期。
 その夜、佐々木伊十郎は監察の為に借りた蕎麦屋の二階から口入れ屋十兵衛の店を見張っていた。雨雲が立ち込めて辺りは暗く見えにくかった。
 すると黒装束の一団が足音を殺しながら現れた。
(お千代の言葉通り六人でござるな)
 伊十郎は繋ぎ役のお千代を買収して情報を聞いていたのだった。
 黒装束の一団は引き戸を軽く叩いた。お千代が賊を中に引き入れた。伊十郎は立ち上がると急いで口入れ屋に走った。狙いは金蔵だ。
 賊は予め用意していた合鍵で金蔵の鍵を開錠していた。伊十郎は直ちに蔵の前に姿を現した。既に一人を残して五人が蔵の中に入っているようだ。
 見張り役のその男が叫んだ。
「何者だ!」
「大人しく捕縛されよ。さすれば命は取らない」
 その声を聞いて中から仲間達が出てきた。伊十郎を見て驚いてる。
「何者だ?」
 賊は広がり伊十郎と対峙する。
「大人しく捕まる……と言う様子ではござらんな」
 その時伊十郎は背後に気配を感じた。咄嗟に刀の柄に手をかけて振り向く。と言うよりも横に飛び退いた。
 それまで伊十郎が居た場所に刀が振り落とされる。
「何者!」
 伊十郎の背後から襲ってきたその男は、左足を伊十郎の方に踏み込み振り下ろした刀を左手で切り上げた。伊十郎は刀を抜きその刃を受け止める。
「お前が伊十郎か。六人相手に一人でのりこんでくるたぁ、噂通りの凄腕だ」
「お主が現れて七人になったがな」
 その男は刀を構え直した。残りの賊はジリジリと伊十郎の退路を断つように動き始める。
 雷が鳴った。ポツポツと雨が落ちてきた。
「濡れたくはねえ」
「名前を聞いても良いかな」
「俺の名を聞いたらこの世で雨宿り出来なくなるぞ」
 二人はジリジリときっさきを近付けて行く。
「明日は蔵前のドジョウを食べに行こうと考えておる」
 その男はニヤリと笑った。男の刀が左へ傾いて同時に男が踏み込んできた。
「橘俊介だ!」
 伊十郎は刀に反応して左へ態勢をずらした。刀を引き俊介に向けて突き立てた。俊介は刀を下に落とした。そのまま振り上げて切る算段だ。
 伊十郎は刀を俊介に向けて構えたまま俊介に体当たりした。俊介は堪らず刀で伊十郎の刀を受け流した。受け流すのが精一杯だった。
 俊介は跳ね飛ばされバランスを崩したがすぐさま後ろに足を出して踏ん張った。
「はあ!」
 俊介は伊十郎の刀を跳ね除けた。一歩踏み出し反対側の足で伊十郎の腹を蹴りに行く。
「邪道」
 伊十郎は刀を縦に構え直してしゃがんだ。刀のみねに手を添えて蹴りを受けに行く。
「くっ」
 俊介は咄嗟に蹴りに行った足を左に逸らした。そのまま左周りに一回転して刀を大振りに伊十郎に斬りつける。
 伊十郎は上半身を地面に着く程屈めてそれを逸らす。その体勢のまま片手で俊介の足を斬りに行く。
 俊介は後ろに飛びのいてそれをかわす。
 二人は再び間合いを取り対峙する。伊十郎はゆっくりと立ち上がる。黒装束の一人が言った。
「俊介様!」
「お前らの敵う相手じゃねぇ。大人しく見てろ」
 雨は勢いを増して降ってきた。稲光が辺りを一瞬照らす。
「佐々木伊十郎とか言ったよな。中々の腕だ」
「よく言われる」
「少しは謙遜しやがれ」
 二人は会話する事で乱れた呼吸を整えた。相手の動きを注意深く見る。雨で視界が遮られる。
 二人はほぼ同時に上段の構えに入り斬り込んだ。
 その瞬間雷が二人の間に落ちた。鼓膜が激しく振動すると同時に目を開けていられない程の光が走った。
 伊十郎は思わず目を閉じたが、そのまま刀は振り下ろした。しかし身体中が強い痺れに襲われてそのまま気を失った。
     *
 令和元年(西暦2019年)、表参道。十時三十八分。
 金井美香はタチの悪いチンピラに絡まれて困っていた。
「辞めてください」
「いいじゃんよー。遊びに行こうぜ」
「行きません!」
 チンピラは美香の手を掴んで引っ張ろうとした。
「や、辞めて!」
 その時チンピラの肩を誰かが掴んで止めた。
「嫌がる娘を無理やり拐かすのは辞めるんだ」
 チンピラが振り向くとそこにはチョンマゲの羽織袴を着た侍が立っていた。伊十郎だ。
「何だキサマ?」
「不埒者に名乗る名は持っておらん。怪我をする前に立ち去れ」
「ふざけるな」
 チンピラは伊十郎に殴りかかろうとした。しかし顔を殴られて地面に吹き飛んだのはチンピラの方だった。瞬殺だった。
 伊十郎は素早く刀を抜くとチンピラの頭をみねで打った。チンピラはその場で力無く崩れ落ちた。
「怪我は無いか?」
 美香はあまりの事に驚きながらも震えながら答えた。
「あ、ありがとうございます」
「拙者は佐々木伊十郎と申す者。一つ伺ってもいいかな?」
(伺いたい事があるのはこっちだよ)
 しかしそれを顔に出さずに美香は頷いた。
「ここは一体どこでござるか? 江戸の町にいたはずなのだが」
「こ、ここは表参道ですが」
「表参道? するとこの辺りに神社でもござるのか?」
 美香は伊十郎の出立ちや言葉遣いにとても違和感を感じていた。
「明治神宮がありますよ。明治天皇が祀られています」
「明治天皇? 誰だそれは?」
「明治時代の天皇陛下ですよ」
「明治時代? 今は天保ではないか」
 美香は天保が何だか分からなかった。
「え、今は令和ですよ。ちょっと待って下さい」
 美香はもしやと思ってスマホを取り出して天保を調べてみた。それは江戸時代に存在した元号だった。
 美香はありえない事を考えた。
(もしかしてタイムスリップ?)
「あの、もしかしてあなたは江戸時代の人ですか?」
 自分で言ってて恥ずかしかった。言った後、もしかしてこれはユーチューバーが仕組んだ企画かと疑い辺りに撮影してる人がいないか確認した。
「江戸時代? いや、江戸には住んでいたが江戸時代と言うのは聞いた事がない」
「何かの撮影かドッキリですか?」
「サツエイカドッキリとは何でござるか? 拙者まだそれを食した事はござらん」
 美香はそれでも辺りを注意深く探してみた。辺りには誰もいない。
(上。上か? 上からドローンとかで撮ってるのか?)
「何をキョロキョロしてるでござるか。拙者深川に帰りたいのだが、ここがどこなのか全く分からんので、出来ればソナタに案内してもらいたいのだが」
「深川? 深川って門前仲町とか富岡八幡宮がある、あの深川ですか?」
「おお! そうじゃそうじゃ。その深川じゃ。ここから遠いのか?」
「うーん。地下鉄で日本橋に行って東西線に乗り換えれば二十分位かなぁ」
「中々先程から難解な言葉を発しおる。日本橋は分かるがあとは何を言っておるのか分からんのだが」
 美香はこの男が本当にタイムスリップしてきたのかと信じ始めた。これがもしテレビか何かの撮影だったとしても体面上放って帰るわけには行かない。
「笑わないで聞いて欲しいんだけど」
「何でござるか?」
「あのね、あなたは江戸時代の過去から令和の今にタイムスリップしてきたのよ」
「なるほど」
「戸惑わないの?」
「何を言ってるのか分からないからどうやら外国にいると言うことかな?」
 美香は江戸時代の人に理解できるわけないかと納得した。
「違うのよ。ここは同じ日本なんだけどあなたはあなたが住んでいた時よりも凄く未来に来てしまっているのよ」
「日本? 日本という外国か?」
(江戸時代には『日本』というワードは無かったのか)
「いい。あなたがいたのはテンポー? だったっけ?」
「うむ、天保五年じゃ」
 美香はスマホで元号を調べた。天保、弘化、嘉永……。
「そして慶応四年に大政奉還があったの。そして明治になって、大正、昭和があり、平成が終わって今は令和なのよ」
「大政奉還? なんじゃそれは?」
「将軍様が政治の全権を天皇に返したのよ」
「なんと! そんなバカな!」
「今はその事を議論しても意味ないの。あなたは、えーと二百年以上未来の世界に来てしまったのよ」
「つまり今は拙者が暮らしていた天保よりも二百年後の世界と言う事か?」
 理解してもらえたと思い美香は胸を撫で下ろした。
「そう、そうよ!」
 伊十郎は暫く考え込んだ。
「で、どうやって元の時代に戻ればいいんじゃ?」
「私に聞かれても分からないよ」
「それは困る。詳しくは言えんが拙者はお奉行より特命を受けておるのだ」
「そう言われても……」
「まあ、よい。取り敢えずは深川の邸宅へ帰りたい」
「何言ってるのよ。あなたがいた時よりも二百年も経ってるのよ。あなたの家なんてもうとっくに無くなってるわよ」
「なに! ならば拙者は当座の間どこで暮らせばよいのじゃ」
 美香は不憫に思った。
「仕方ないからウチに来る?」
「そんなご迷惑かけるわけにはいかん」
「じゃあどうするのよ」
「どこかに空き家はないのか? 武蔵野辺りには荒地がたくさんあろうに」
 美香は武蔵野がどこだか分からなかったが呆れて言った。
「もう。よく考えて。あなたのいた時代から二百年も経ってるんだってば! 今は人口も増えてるし空き家なんてもんはないの」
「人口とはなんぞ?」
「いいから付いてきて。それから私は金井美香。よろしくね」
 美香は地面に伸びているチンピラを迂回して大通りに向かった。伊十郎は刀を鞘に収めると黙って後に続いた。
 大通りに出ると車道に車がたくさん走っていた。
「拙者がこの世界に来てから気になっているのだがそこかしこを動いているあのヘンテコな形の籠みたいものはなんじゃ?」
「車の事をいってるの? あれは車って言って人が中に乗って動かすものよ。そうねえ。江戸時代で言うと馬とか籠とかそんな感じかしら」
「車とな。大八車みたいなものか」
 美香は表参道の端の青山通りとの交差点に来た。地下鉄に降りる階段があった。そこをスタスタ降りてゆく。伊十郎は不思議に思いながら一緒に降りて行った。
「それにしても賑わっておるのう? 二百年後は大盛況じゃな」
「江戸時代の人口に比べたら爆発的に増えてるからね」
「またじゃ。人口とはなんなんじゃ?」
「住んでる人の数の事を人口って言うのよ」
 美香は駅に来た。美香は自分の家に伊十郎を連れて行くつもりだった。表参道から美香の住む浦安までの切符の値段を調べた。そして券売機で切符を買った。
「何やら銭のような物を入れておったな。そして紙切れが出てきたがどうなっておるのだ?」
「いちいち説明してたらキリがないから後で教えてあげるから、今はこの切符を持って」
 美香は切符を伊十郎に手渡した。自動改札まで来て説明する。
「この機械のここに切符を入れるとそこから出てくるからそれを取って前へ進んで」
「ここか」
 伊十郎は恐る恐る切符を投入口に入れた。切符はまるで吸い込まれるように伊十郎の手から離れ、ガチャガチャ音がしたかと思うと少し前から顔を出した。
「それをもう一度取って前へ進んで」
 伊十郎は恐る恐る切符を取ると改札の中に入った。それを確認すると美香はSuicaを取り出して改札にタッチして中に入った。
「これは一体何の儀式じゃ? 拙者は切符とか言う物を入れたのに美香殿は何故入れずに通ったのじゃ?」
「私はSuicaなの」
「スイカか。しかしまだ夏ではないのだが」
 そう来ると思ってた美香は構わずに先に進んだ。ホームに出るとたくさんの人が並んでいた。
「皆礼儀正しく並んでおるの。口入れ屋か何かか?」
「地下鉄に乗るのよ」
「地下鉄?」
「すぐに来るから見てて」
 するとホームのアナウンスが流れた。そしてトンネルの奥の方から電車の轟音が聞こえてきた。
「なんじゃ、この音は?」
 伊十郎は途端に不安になってきた。轟音はどんどん大きくなる。
「美香殿。慌てなさるな。この音が何かは分からぬが拙者が必ず守ってみせるゆえ」
「落ち着くのはあなた。これは地下鉄の音なの。ほらアレを見て」
 美香はトンネルを指差した。地下鉄の電車が見えてきた。伊十郎はヘッドライトの眩しさに驚いた。
「な、なんじゃあれは!」
「だから地下鉄だってば! 恥ずかしいから騒がないで」
 地下鉄の電車が目の前を通り過ぎて行く。ブレーキがかかり徐々に速度が落ちてゆく。
「ほら、よく見て。中に人が乗ってるでしょ? これに乗って移動するのよ」
 伊十郎はもう訳が分からなくなっていた。電車が止まりドアが開く。中に乗っていた乗客が降りるとホームに並んでいた客が乗り込んだ。伊十郎もそれを見て同じように乗り込んだ。
「シートが空いてるから座りましょう」
 美香はシートに座った。伊十郎は刀を腰から外して同じく座った。するとドアが閉まった。
「罠だ! 美香殿。閉じ込められてしもうた!」
「違うのよ。これから動くから扉が閉まっただけよ」
 と、電車はゆっくりと動き始めた。伊十郎は驚きとワクワクする気持ちになった。
「こ、これは!」
 程なくして電車はトンネルに入り景色は見えなくなった。
     *
 東西線がトンネルから出ると伊十郎は興奮して立ち上がって言った。
「美香殿。ご覧下され! 外の景色が見えますぞ!」
「ハイハイ。綺麗だねー」
 美香はもううんざりしていた。
(部屋に連れて行くのは早とちりだったかな?)
「見慣れぬものがたくさん並んでおる。絶景かな絶景かな」
 電車は大きな江戸川に掛かる橋を渡った。
「大きな川ですぞ。何と言う川なのかのう?」
「江戸川よ」
「江戸川? するとここはもう江戸の外れか」
 美香は地理に詳しくなかったのでなんと答えれば良いのか分からずに黙っていた。
「それにしてもこの地下鉄と言う乗り物は驚きでござるな。江戸の町にこれがあったらみんな喜ぶことこの上ない」
 電車は程なくして浦安駅に着いた。伊十郎が改札機に切符を入れるとゲートは開くのだが切符が出て来なかった。乗り換えの時は出てきたのに今度は切符が出てこないのを見て伊十郎は立ち止まった。
「どうしたの?」
「切符を待っておる」
「あ、切符は出てこないよ。ここまでだから」
「何故じゃ! 美香殿は切符を買ったと言っておったではないか。人が買った物を奪い取るのは盗人と同じじゃ」
「何言ってるの?」
「おのれ!」
 伊十郎は刀を抜いて上段に構えた。
「ちょっと待って! 切符はもういいの! いいから早く出て」
 不審に思った駅員が駆け寄ってきた。
「どうしました?」
 美香は慌てて説明した。
「あ、この人とんでもないど田舎に住んでて交通の仕組みがいまいち分かってないだけです。大丈夫です」
 美香はSuicaを改札機にタッチして伊十郎を押しながら出て行った。伊十郎は渋々刀を納めた。
「もう驚かせないでよ」
「何故止めたのじゃ。盗人にはそれなりの罰を与えんといかん」
 美香は自分が住むマンションまで電車の仕組みを説明しながら歩いた。伊十郎は何となく納得していた。
 美香の住むマンションはオートロックだ。エントランスにあるコンソールにキーを挿して回すと自動ドアが開く。
(きっと驚くぞ)
 しかし伊十郎は落ち着いていた。勝手に開くドアは改札の扉や地下鉄の扉を見ていたので既に慣れていた。
「ここを進めばよいのかな?」
 美香は何故か悔しかった。
(エレベーターは驚くに違いない)
 美香の部屋に着いて中に入ると伊十郎は驚いて言った。
「美香殿は旦那様はいないのか?」
「いないわよ」
「ではご両親とお暮らしか?」
「一人暮らしよ?」
「そ、それはいかん。嫁入り前の女子の部屋に入るなど」
(え? 今更? でも時代的にはそうなるか)
「今はね、男女でシェアハウスするような時代なの。そう言うの全然気にしないから」
「そう言う訳にはいかん。拙者は失礼する」
 美香は反論した。
「そう言ってもあなたどうやって暮らすつもり。あ、じゃあこうする? あなたはベランダで生活してみたら?」
「ベランダ?」
「部屋の外にある空間よ」
 美香は実際にベランダを見せた。美香の暮らすマンションのベランダは一般のそれよりも少し広く設計されている。
「テントと寝袋があれば生活できるでしょ」
 美香はテントと寝袋の事を説明してソロキャンプの動画をユーチューブで見せた。
「即席の小屋と簡易布団でござるな」
「これを買いに行きましょう」
 美香は伊十郎を連れてスポーツ用品店に行く事にした。いつもは自転車で行く距離なのだが、伊十郎もいるし帰りは荷物にもなるし自転車は諦めて歩く事にした。
 歩きながら伊十郎はあちこち珍しい目で見ていた。
「時に美香殿。二百年後のこの町には武士はおらぬのか?」
「武士なんていないわよ」
 その時美香はハッとした。伊十郎が持っている刀。本物だとしたら銃刀法違反と言うことになる。
「ねえ、その刀もしかして本物?」
「本物とはどう言う事じゃ? まさか美香殿は拙者の刀を竹光たけみつだと思っておるのか?」
「そうじゃないのよ。今の時代刀や拳銃は所持しちゃ行けない事になってるのよ」
「何? ではどうやって身を守るのじゃ?」
 美香は色々説明した。日本では警察が治安を守っている事や一般人は武器を持っていない事。伊十郎は渋々その事実を受け入れた。
 美香はネット通販サイトを開いた。そして木刀を検索した。
「取り敢えず木刀買っておくからそれで我慢してよね」
「致し方あるまい」
 二人は再び歩き出した。
     *
 スポーツ用品店で一人用の小さなテントと寝袋を見た。伊十郎は初めて見るものばかり、使い方も分からない物ばかりで半分混乱、半分ワクワクしていた。手頃なテントと寝袋を買った。
 帰りは荷物を乗せてタクシーで帰ってきた。案の定伊十郎は興奮して騒ぎっぱなしだった。
「これで良し。テントは簡易的に留めて重石を乗せてるだけだけど雨風は凌げるでしょ」
 美香はテントの使い方や寝袋の使い方を伊十郎に教えた。伊十郎に取ってファスナーはとても不思議に思ったらしく、何度も開け閉めして楽しんでいた。
「これは誠に面白うござるな。不思議な作りをしておる」
「そ、良かったね。じゃあ私は部屋の中にいるから何かあったらいつでも呼んでね」
「かたじけない」
 伊十郎はテントの中に入り、まだファスナーを開け閉めしていた。美香は伊十郎に現代の知識をどう教えるべきか悩んでいた。何か図鑑のような物を見せれば少しは勉強になると思ったが、図鑑など持っていない。タブレットパソコンを使って世の中の事を覚えさせるにしても、伊十郎はとてもタブレットなど使えないだろう。
(そもそもどうすれば元の江戸時代に帰す事が出来るのだろうか)
 無駄とは思ったが美香はスマホでタイムスリップについて調べ始めた。
 その時伊十郎が窓ガラスを開けて入ってきた。
「美香殿。申し訳ないのだが喉が渇いてしもうた。何か飲む物を恵んでくださらんか」
「麦茶で良い?」
「かたじけない」
 美香はスマホをテーブルに置いてキッチンに移動した。冷蔵庫から五百ミリリットルの麦茶のペットボトルを取り出す。
「時に美香殿。度々美香殿が触っているこの小さな札。これは何でござるか?」
 美香はペットボトルを伊十郎に手渡しながら答えた。
「これはスマホと言って電話したり何かを調べたり写真を撮ったりするものよ」
 美香はカメラを起動して伊十郎を撮影した。そしてそれを伊十郎に見せた。
「なんと! 拙者が鏡写しになっておる!」
「これは写真って言うのよ」
 動画を見せたらどうなってしまうのかと半ば面白くなってきた。
 伊十郎は写真を見たままペットボトルの蓋を引っ張った。しかし引っ張っても開かないので更に強く引っ張った。
「これは相当固く栓がしておるのお。開かないでござる」
 美香は伊十郎の手からペットボトルを取り返して蓋を捻って開けた。
「これは捻って回して開けるのよ」
「変わった水筒でござるなぁ」
「水筒じゃないの。ペットボトルって言うのよ」
 伊十郎はペットボトルを口に当てお茶を飲んだ。
「美香殿。その札、調べ物が出来ると仰られたのう。一つ調べて欲しい人物がおる」
「人物?」
「橘俊介と申す悪党じゃ」
「橘俊介? 聞いたことないわね」
 美香は念の為スマホで調べてみた。しかしそれらしい情報は見つからなかった。
「無いわね。歴史上の人物なの?」
「歴史上と言うか拙者が追ってる人物でござるよ」
(そんなの見つかるはず無いよ)
「現代の人ならいざ知らず、二百年も前の人の事なんて載ってるわけないわよ」
「そうなのか」
 美香は伊十郎にタブレットパソコンの使い方を教えれば自分で色々調べるかもしれないと考えた。しかしいきなりさまざまな事を詰め込んでも可哀想かと思い考え直した。
(おいおい教えて行けばいいよね)
     *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...