上 下
35 / 50

35

しおりを挟む
それから翼の父と母を弔うことができ、翼が三葉邸での生活にも慣れた頃、拓人が三葉邸を訪れた。
拓人とは、しばらく離れて過ごしてはいたが、彼の用意したスマホと、眼鏡で何も不便なことはなかった。

だが、その時間は、世間での自分の存在、そして、自分を見つめる時間にもなっていった。



翼の眼鏡姿を初めて見た彰たちは、その変わりっぷりに驚いた。
「眼鏡をかけると、本当に地味になるわね」
―…
そうなのだ。
母親譲りのこの顔は、何かと目立つ。
ただ、眼鏡をかけて髪型などを変えるだけで雰囲気は変わってくる。

今、翼は、眼鏡をかけているので、一見、普通の男だ。
もっと、本格的に女を目指していたら、一番に声帯を手術していた。
今は、しなくてよかったと思っている。

三葉邸の庭を翼と拓人はゆっくりと散歩をしている。
風の吹く音、葉の揺れる音。
翼の心を少しずつ癒してくれていた。

「翼、一緒に暮らさないか…?」
拓人のその気持ちが嬉しかった。

少しずつ、日常生活に慣れるために、彰たちの手伝いをして感覚を取り戻していった。
それ以前、花街に入るまでは一人ですべてをしていたのだ。
あっと言う間に、彰と同じレベルまでできるようになった。

三葉邸の中は、限られた人の中で、過ごせて、翼は守られている。
でも、拓人と一緒に住むようになると‥‥
簡単には、答えることができなかった。
「…嬉しいです。

 でも、拓人さんを困らせる原因になるのではと…。
 そう思うと、一緒に暮らすことはやめた方がいいと思います。

 このままでは、いけませんか?」
翼は、その先の言葉を震える声で言う。

自分の想いを悟られないように、明るく振る舞った。
「今、ここでこうやって一緒に過ごす。
 会うこともできるでは、ないですか。

 私を幸せにするという願いは、もう叶いましたよ」
翼は微笑みながら答える。

ただ、拓人にとって、その言葉は、簡単に予想できた言葉だった。
翼の口調を聴けばわかる。
この言葉は、本当の翼の言葉でない。
誰かを傷つけることがないように、慎重に選んでいる偽りの姿だ。
心が近づいたと思えば、離れていく。
鮫島が与えていた薬の影響で、不安定な翼の精神状態。

だが、翼はそんな状態を隠そうと、偽りを並べて安定を繕っている。
驚きもしない。
ただ、想像するより、翼の口から出てくるとダメージが大きかった。
「…それは、時に会いにきて話をする程度の付き合いでいいっていうことか?」
拓人の怒りを含んだ言葉に、翼は慌てて否定する。
「…違いますっ!
 そうではなくて…時に、気にかけてもらえるだけで…それで十分です。
 もう、これ以上、望むべきではありません」
翼は、足元の石を見つめ、自分の気持ちを伝える。
「…まだ、勇気がでないか?」
拓人の言葉に小さく翼は頷く。
心が震える。
でも、伝えなければ…
「...いつか、私の存在が邪魔になるときが来ます。
 男でもない、女でもない。
 そんな者が、あなたの傍にいるべきではないのです。

 邪魔だと思った時…
 それまででよければ…
 その時までなら...お願いします」
揺るがない翼の目。
あの頃の自信のない目ではない。
拓人は、翼の気持ちも分かった。

でも、そんな訪れることのないことを心配して、不安がられるのは、もっと許せないと思った。
「…どうすれば、翼は不安にならない?
 教えてくれ…
 俺は翼がいいんだ」
―!
嬉しいと思う。
それと同時に、そこまで自分にこだわる理由がわからなかった。
幼い頃から、自分への評価の低い翼にとって、自分はなにもない、異物のように思っていた。
拓人さんのそばにいても、幸せは限られた時間しかないだろう。
「仕事を…したいのです」
―?
「...それで、いいのか?」
拓人の返事は、その事を軽んじているように聞こえる。
でも、翼にとって、とても重大なことだった。
女になるつもりだった雪柳のころに花街で可能な限り身につけたものは、全て無駄になったようなものだった。

でも、こんな不完全な自分に何が出来るのだろうか。

自分が外に出て、人目に就く仕事をついたとしても、好奇の目がついて回るだろう。
そんな環境に、拓人まで巻き込むつもりはなかった。

「男として生きるに必要なものを身につけたい」
拓人は、翼の願いを聞いて...いい表情をしなかった。
「...翼、翼は働く必要なんてないんだよ?」

じっと視線を転がっている石を見つめ、翼は胸の中で答えを出そうとする。
「…働いていたら、自分が生きているって思えるかもしれない。
 男だとか、女だとか考えなくてもいいかと…」

翼の言葉をどこまで本音が混ざっているのか、わからなくなる時がある。
でも、その微かなサインを見逃さないようにしていかなければ、翼を元の翼に戻すことができないともわかっていた。
「働くことは、一緒に住んでいく中で考えてもいい。
 何をしたいのか、何が足りないかも、わかるのではないのか?

 必要なら、学べばいい。
 足りないのなら補えばいい。

 俺は、翼を本当の翼に戻したいんだ」

拓人の言葉に、胸が熱くなる。
そこまでの想いを語らせるぐらい自分には何があるのだろう。
混乱していく翼は、顔を歪めながら、拓人に尋ねた。
「…どこまでが、本当の俺ですか?」
―?!
拓人は、その言葉に躓いた。
どこまで…

拓人の、戸惑いを察した翼は、クスクスと笑う。
「クスクス…
 拓人さん、もう、諦めてください。
 私に、何を求めているのですか?
 身体は元に戻らない。
 こんな歪んだ考え方をしている自分にも、正直、嫌気がさしているんです。

 そんな俺を、あなたは、全て引き受けて何をするつもりなんですか?」
翼が放った言葉。
それこそが、本当の翼の心の中に翼の言葉に近かった。
不安定な自分も、つい、拓人の方に揺らいでしまう考え方も、そのすべてが苦しかった。

先を誰かと一緒に歩む将来など、翼にはなかった。

翼の言葉に、拓人は、動揺を隠せずにいた。
―翼と一緒にいるだけで、あの頃の想いも満たされる。
それを望むことは、いけないことなのか…

【何を求めている?】
俺は、何を求めているのか?
翼にどうあって欲しいのか…

「翼さん、身体が冷えますよ」
―!!!
気配も一切消したままの鈴宮が、拓人と翼の背後から声をかけた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ファッシネイション~白き魔法少女は蜜色に染まる~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:9

【R-18】俺、門番なんですが!?王様!?【本編完結】

REN
BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:492

ソウルアンリーシュ ~女体化チートで異世界ハーレム生活?!~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:22

聖剣を引っこ抜いたら、姿が女になっていた!?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:47

ジャンヌ・ダルク伝説~彼の地にて英雄と呼ばれた元青年~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:17

【R18】女の子にさせないで。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:68

【R18】ダイブ〈AV世界へ堕とされたら〉

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:163pt お気に入り:610

君は今日から美少女だ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:23

処理中です...