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薬師は語る、その・・・
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この世の中には、α、β、Ωの性別がある。
選ばれたものにしか与えられることのない容姿、知能を持てる。
それがアルファαというもの。
そのため、多くの民の上に立つものはα。αだから人を惹き付ける存在であった。
繁殖力が低くこの優位の遺伝子を残すためには、自分の同じ時期に誕生したΩ、運命の番のみだった。
Ωとはαの子を宿すことの出来る唯一無二の存在。
ただ、成長する時、定期的におとずれる発情期の影響でたびたび時間をさかれ、それにより遅れをとり、学力、知力が低くなり、軽視される傾向にあった。
ただ、中には想像を絶する苦労と努力の結果、自立した社会生活を過ごしているΩもいる。
最近は、人権に敏感な風潮にあり、一人ひとり、尊厳を尊重をされている。
βとは、αやΩのように繁殖に左右されるものではなく、自由の恋愛を楽しむことができる。囚われる制限もない、人間らしく人間らしい生き方のできるものであった。
よって、努力をすれば認められる。
これは昔から続く理に近いものでした。
私が産まれた時、その地域を治めていた頭領と呼ばれる位置にいた両親はとても喜んだそうです。
男の双子が生まれた場合、直後にどちらかを亡き者にするか、一生女として生きていくかを選択する。
それが、このあたりの古くからの風習でした。
先に産まれたのは兄。それからすぐに私が産まれました。
産まれた時、兄はαの象徴である金の髪。私は金色の中に黒髪の混ざる色でした。
両親はαの象徴である兄を第一子と認め、色の混ざる私を女として育てることを決めました。
兄は産まれた時から病弱でした。周りの者は兄を第一に考えるようになりました。
兄は、妹の私をとてもかわいがってくれました。
男であるが女として生きることが定められている私にも分け隔てなく接してくれたのです。
優しさを持ち、容姿も恵まれている。性格も皆の者に好まれている。
素晴らしい人には、それを支える人たちも素晴らしい人が集まるのでした。
驕ることもなく長としての教えをしっかりと学び、謙虚な姿勢で誰からも愛される聡明な子どもでした。
私も兄と同じ様に学びはしましたが、兄より目立つことはなく学術より体術が得意としました。
女と生きると定められても子どもの育て方は一緒でした。
体調を崩しやすい兄のため、兄の頼みで髪の色を変え、表の舞台に立つこともありました。
この頃、まだαともβともΩとも振り分けられることのない年齢のためとても快適だったように思います。
ある時、流行りの病が猛威を振るい数多くの民が亡くなりました。
また、まとめていく立場のものにも影響は出ていたのです。
私たちの父はとても健康的なαでした。
その父も流行りのものには勝てなかったのです。
日に日に弱っていく父。
嘆き悲しんでいる母と兄。
母はこれからを心配しました。
病弱な兄にもしものことがあったら・・・
母は私に自分の胸のウチをあけてきました。
少しでも不安が減らせたらと兄と並ぶぐらい勉学も励みました。
ただ、女と生きる定の私はしょせん、表には立つことのできない。
夜は人を不安の闇へと引き入れてくると言います。
ある日、兄が私に言いました。
何をそんなに怯えているのかと。
私は答えました。
私の出来ることは、母様や兄様の不安材料にならないこと。
頼りのない役立たずとは思われたくないと思っていました。
兄は言いました。
お前がうらやましい。
健康な体も心もすべて持ち合わせている。
女と生きるのなら誰かに嫁ぐことになる。
どうして、自分ではなかったのかと。
言われている意味が分かりませんでした。
男なのに女として、男の元へ嫁がなくてはならないのです。
どこにうらやましいことがあるのでしょう。
もし、私がαでも変わることのない定をどうして妬まれないといけないのでしょう。
その時から兄は誰もいない時、私を蔑むようになってきました。
次第に、周りの者も気づきました。
多くの人から親しまれている人物が、蔑む。
それは、それだけのことをしたのだろうと、皆が感じ取ったのでしょう。
ジワリジワリと、その蔑む負の闇は広がっていくのでした。
私は何もできませんでした。定を変えることなど誰もできないのです。
私は思いました。兄の闇は、多くの重圧からくるものだと。
受け入れることが兄のためになるのなら、それをすることも、また、私の役目。
身体的な暴力は受けてはいませんでした。精神的なものはありました。
無視されること。これはとても辛かったです。発言などもだんだんと否定されるようになっていきました。
役目だと分かっているものの、存在を認めてもらえないことは、非常に心が折れるものでした。
徐々に、人の話が聞こえなくなるようになりました。
悪意のある批評が付いて回るようになってきました。もちろん、話は作られたものでした。
とうとう臥せっていた父が亡くなりました。
臥せっている間に、代理でたっていた兄が正式に即位したのでした。
私は兄の指示により、環境の劣悪な家に隔離されるようになりました。
音を失いつつあると気づいたのは、獣に足を噛まれた時でしょう。
その家は獣を檻に入れて管理する場所でした。
隣接する獣が檻を間にしながらも噛みついてきたのです。
私はそれに気づかなかったのです。視野も狭くなっているようだと分かったのはその後でした。
暴力的なことはなかったと思っていましたが、毒などの人体に有害なものも使用されていたのでしょうか。
獣に噛みつかれたことにより、発熱が続きました。
劣悪な環境でなにも治療をされない傷は悪化をしていくのみでした。
動かそうにも体力は発熱で奪われていってしまっていました。
兄が様子を見に訪れました。久しぶり兄はとても窶れていました。
そして一方的に言ったのです。
自分はαであった。お前がαでもβでもΩでもどちらでもいい。
家畜にはそれを調べることは必要ないだろう。
他に何かを言ってたように思いましたが聞き取ることはできませんでした。
動けない私を見て、見下ろし、
もうすぐ亡き者になるものに慈悲などいらぬ。
この時、兄は何かを感じていたのでしょうか。
私は兄の役に立つことのない亡き者になるのだと頭で理解した時、保ち続けた意識を落ちていく感覚と共に兄の笑い声だけは聞き取れたのでした。
目覚めた時、私は多くの民衆の前に晒されていました。
もう、抵抗する体力もありません。
周りには、兄、母の姿がありました。
兄はいつも身ぎれいに整われている髪を振り、母は宝石をつける場所に投げつけられたものをひっかけ、
まとめあげられている髪が解けかけています。私はどのような姿にまでなっているのでしょう。
彼らは私と同じように民衆の前に晒されています。
ある者が声をあげました。
世の乱れを作った元凶に裁きを!!
母から順番に処刑台に連れていかれるようです。
私は現状を理解できませんでした。
それよりも、自分の体の異変に気付きました。
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。
人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・
人の話し声が聞こえます。
人は亡き者になっても、理解できる言葉で過ごせるのですね。
頬を叩かれる感覚がありました。そこで、私はまだ、命が尽きていないのだと知りました。
目を開けると、牢が見えました。人がいます。服の紋章が国の物であると気づきました。
民から国に裁かれることになったのだと悟りました。
すぐ近くにいた人がまた、頬を叩いてきます。力の入らない体は簡単に冷たい床へと倒れるのです。
咳がでて手を当てると口からは血が出ていました。
何回目の夜だったでしょう。ここに来てからは身体にも傷をつけられるようになりました。
彼らは何かを言って私に問うのですが、わかりません。
ですが、それも今日で終わりのようです。
国の役職についている方らしく身なりの整った方が来られて何かを言って、たずねてきます。
もう、知らないことを尋ねられるのは苦しいです。
牢から出されることとなりました。でも、私はどこに行くのでしょう。
また、晒された時のように微かに薬草の匂いがし、体が熱くなってきました。息が乱れる。
あの時より、体が熱い。だんだんと息が体全体でしないと間に合わなくなってきました。
もう、これ以上・・・私はこの時、初めて涙を流しました。
先ほどの役職につかれている方が何かを叫んでいます。そして、私の体に何かの薬を入れました。
身体が勝手にガクガクと痙攣しはじめました。
荒かった息も落ち着いてきました。
落ち着いて動けない私の体を彼はためらいもなく、抱えてどこかに向かっています。
もうずっと入浴などしていません。降ろしてもらおうにも、力が入りません。
気が付いたら、牢とは違い、上質なベッドの上で眠らされていました。
私はとっさに、ベッドから降りようとして高さがあることに気づかず、落ちてしまいました。
私は自分の体が綺麗になり、ゆったりとした服を着せられていることに気づきました。
それでも、身体を懸命に動かそうと手をつき、壁を辿って窓の外をみました。
獣に噛まれた足はもう、使えそうにありません。
草花や木々が見えました。
微かに薬草の匂いがしました。
頭の中に、薬草の何種類かが浮かびました。そのあと、急激な体の熱さと、息苦しさを感じました。
身体の力が抜け、座り込み苦しい喉をかきむしり始めてしまいました。
ドアがバン!!と、開きました。
そこには、誰かいるようです。
ただ、今の私には見ることができません。
かきむしる手を束ねられ、体にまた、薬を入れられました。
落ち着くと、座り込んだまま、周りの様子をみました。
近くには私を牢から連れ出た人。離れた場所に、もう一人、いるようです。
その人を見た瞬間、体全体が燃えるように熱くなりました。
その人は部屋に入るなり、鼻を抑えています。
年は私と同じぐらいでしょうか。
体格も私よりはるかに恵まれているのはもちろんですが、身なりの整った綺麗な人でした。
何を話しているのか聞こえません。
鼻を抑えている人が近づいてきます。
腕を前にして思わず抵抗してしまいました。
これは、裁かれるものとして取ってはならない行いでした。
痺れる頭を動かし、震える身体をおさえるように耐えました。
腕を降ろして目を閉じ、来るであろう、衝撃を待ちます。
来ないので目を開けると、先ほどの彼と話をしているようです。
近づく彼からはとても濃いにおいがします。薬の影響でしょうか。
体は熱くなりませんが、胸騒ぎが止まりません。
もう、これ以上、無理です。
体が恐怖におびえてしまい始めました。
舌を、噛みきると人は死ねると聞いたことがあります。
大きく、息を吸い込んで舌を噛もうと口を開けた瞬間。
近くにいた彼が私の口の中に自分の掌を入れてくるのが見えました。
ドアの外に向かって彼らが何かを叫んでます。
私はもう、動けません。
先ほど寝ていたベッドの上でまた寝てます。
ただし、口の中には噛み切れないように何かが入ってます。
手は両方に拘束されてかきむしらないようにしているのでしょう。
生きることも死ぬことも奪われ、私はどうすればいいのでしょう。
涙が止まりません。
定期的に食事を食べさせてくれるひとがいますが、慈悲などいりません。
最後の方法として、私は食事を拒絶しました。
とうとう、食事を取らないと今度は点滴で栄養をとるようになってしまいました。
あれからも、あの匂いがしたあと、急に体が熱くなったり息ができなかったりするたびに、薬を打たれ落ち着かせられるのでした。
身体の自由を奪われたあたりから、医者と思われる人が入れ替わって私を診察しました。
それから点滴に、何かの薬も混ざるようになりました。
数日たつと、視野が広がり始めました。
そのまた数日、今度は人の話を聞くことができるようになりました。
同時に、獣に噛みつかれた場所を治す処置をしてもらいました。
そこで、自分の置かれている状況が理解できました。
牢から出されて1か月がたったころです。
私は今、軍の関係者が入る病院にいます。
保護されたようです。
なぜ、このような配慮を・・・
教えてくださった方は、全て真実の事だと。受け入れる覚悟を・・・と。
国には、各都市の状況を随時監視をする機関がある。
そこから情報で流行り病により頭領の交代が行われた場所で、政情の乱れが生じた。
民からは不満が沸き起こり、クーデターの可能性があると。
国が軍の派遣を指示し事態を鎮圧しようと現場にきたころには事態は最悪な方向に向かっていた。
民の集まる中心には、先程まで権力を振り回していた者の姿と、同じようにはみられない者が晒されていた。
報告では母親と息子とあったが、3人は話が違う。
民の声に混ざるかのように、晒されている身なりのよさげな者が声を荒げた。
我は、仕立て上げられた者である。真実の権力者はあやつなり。
声を聞いた者たちは、色んな声を上げた。
軍は3人を拘束し尋問をすることを決めた。
国の中心部に移される中で、民から嘆願書が出されていた。
ただ、3人には同じ尋問が行われた。
真実を調べるのは容易だった。
嘆願書としては、身なりの整っていないものが蔑まれるようになっていた弟だと。
ただし、外見は女性のように見える。
それだけではない。国へと移動する途中、発情期の症状が確認された。
偽りの度合いが酷く兄と母親は、生涯牢の住人となることが決まった。
身体の衰弱が激しいため、意識が朦朧として結局、弟からは何も聞き出せなかった。
弟の罪がないとわかり療養のため、そして保護のため軍の施設に移された。
療養のため寝かされた部屋で目覚め、今に至る。
成長期の極度のストレスと栄養不足のため、発達が遅れ、不安定になっているようで急に身体が熱くなったり呼吸が乱れるのは発情の症状。
未発達の器官があるため、今後の経過をみるとのこと。
検査でΩと確定診断され発情を抑える抑制剤を緊急処置として使った。
自殺防止のためやむ終えず拘束処置をとったが落ち着けば検討される。
医師の診断による診断結果が出たことで視覚の麻痺をとる中和剤を点滴に混ぜた。
足が壊死し始めていたため、研究機関に依頼し、治験で再生を行っている。
聴力の回復のため、ストレスを和らげる安定剤を投与した。
私のために数多くの配慮をしていただいたようで感謝を伝えました。
ただ、罪人の家族である事には間違いなく、的確な判断を求めるのが筋と言うものでしょう。
亡き者にされる命だったのです。
私は答えました。
違える事のない判断をお願いします。私はそれに従いましょう。自ら命を絶つことは致しません。
私の答えは悩ませるものだったのでしょう。
しばらくして、私の今後について話がありました。
この時、私は18の年になりました。
発達の遅れのせいで見た目は3歳から4歳ぐらい幼く見えるのでしょう。
体力が回復するまで施設に留まること。その間に、今後の生きていく手段を身につけること。
憶えている限りの自分の生い立ちを話すこと。あの地域では女と扱われたが他のところでは
男となるだろう。どうするのか、施設を出るまでに考えるようにと。
最後に、未発達の器官の経過を見ること。
それからは、体力回復のためにたくさんの栄養をつけるように食事を義務付けられました。
診断をしていただいた医師の方に、質問をしました。
同じ人をみたり、ある匂いを嗅ぐと身体の状態が違和感があると。
医師は慌てました。
多くの番の症例として、匂いに反応し、発情が止まらなくなる。これは、運命の番の特例である。
初耳でした。匂いが関係するものだと。
この施設に運命の番がいるのかもしれないと。
これに私は怯えました。
一刻も早く、この場所を離れなければ。
αは有能で知的です。罪人の家族であるΩが、運命の番だと知ったら。
運命の番と知られる前に、どうにかしなければ。
改善策があればと、文献を読み漁りました。
そこで知ったのです。
抑制剤の摂取と避妊薬。
この組み合わせで、βのように発情期に振り回されることもなく生きていける。
この方法には、色々と身体に負担がありました。
発達の遅れと内臓に大きく損傷を与えるものでした。
その物を手に入れるには、お金が必要でした。ただ、私には何もありません。
お金になるものと、珍しい色の髪をお金に換えました。
高額で買って頂いたので当分は薬に困らないでしょう。
腰の下まであった髪は肩のところまでになりました。髪は生きている限り伸びます。
こうして、βとして生きる手段を手に入れ、発情期を起こさない生活を手に入れました。
ただ、医師から処方されている抑制剤もあり、服用を管理されていました。
自分で手に入れた薬は見つからないよう隠しておきました。
施設の中の庭で過ごしていると、またあの匂いがしました。
やはり同じ人でした。
ただ、薬を飲み始めて身体は反応しなくなりました。
何事もなく過ごすことができました。
一刻も早い技術の習得に幼少の時の努力が実りました。
身寄りのない子供を集めた孤児院の職員として働けるようになったのです。
子どもと関わることはありませんでしたが、なんでも慣れることが一番の近道です。
こうして、Ωとしてではなく、βとして生きていける。
そう思っていたのでしたが、施設を出る前までに生い立ちを話をすることをずっと避けていました。
最後の日の夜、こちらに来た時にお世話になった方が来られました。
決心したことを伝えました。ただ、孤児院でお世話になると。そして、生い立ちを語りました。
彼はじっと聞いていました。表情も変えず淡々と。
こちらも同情などいりません。生まれていたことをなかったものにはできません。
運命というものは人の生に関係するものでもあるのです。
話をしておわりました。こんなに話をするなど、いつぶりだったでしょう。
明日からは子どもたちと一緒に過ごすのです。
話を終えて、彼は言いました。
あなたはまだ出れない。健康に問題が残っている。Ωと診断された結果は変わらない。
発情期の周期がわからないΩを野放しにするのは、犯罪を増やす原因にもなりかねる。
匂いに反応したと医師から聞いた。あれからどう過ごしているのか。
未発達の器官の経過を見ることを忘れているようであるが、どういうことなのか。
私は答えました。
どうかこれ以上、何も聞かないでいただきたいのです。
自分で掴めそうな幸せの場所をどうか取り上げないでくださいと。
勝手なことは私もわかっています。
ただ、罪人の身内であるΩである私をもし、運命の番が拒絶をしたら・・・
縋りたい気持ちもありました。でも、それ以上に拒絶を恐れるのです。
誰も、私の境遇を理解することはできないでしょう。
胸の内を話すことはありません。
しばらく静かにしていた彼が話しだしました。
運命の番であるΩを探して生きていたαもいるのだと。
運命のΩが生きている限り、そのαは求めるだろう。
もし、そのαに見つかったらあなたはどう行動するのだと。
孤児院で働く身寄りのないΩ。強引に番にされるだろう。
拒否などできない。
ここにいる間は、軍が守る。
私は咄嗟に言いました。
これ以上、苦しみたくないと思うのはいけませんか。死ぬことも許されなかったのです。
身体が震えてきました。
涙が止まりません。
突然、体が痛み出しました。
この痛さは耐えれそうにありません。
鼻から血が流れているのに気づきました。
咳が出てきました。
体の内からこみ上げてくるものがありました。
耐えることができず、手で受けました。血の塊がありました。
急激に体の力が抜けていくの感じました。
目の前の彼もさすがに表情をゆがめました。そして、扉の外に声をかけたのです。
私が気づいたとき、ベッドにいました。
医師が
どうして、勝手に薬を飲んだのかと問いました。
運命の番を探されるのが怖かった。
探されてまで出会わなければならない運命など私には必要ないと。
医師はため息をつき言いました。
今回の出血は、薬の影響でした。調べた結果、妊娠する器官の一部損壊。他も多数、損傷が見られた。
損傷は、時間が解決してくれるだろう。
損壊となれば、話は違う。壊れたものは今の段階では医学が追い付いていない。
Ωの特徴はαの子どもを宿すこと。
薬が抜けて発情期の有無を確認してまた対応を検討すると。
私は言いました。
これでもう、Ωの私を必要とするαなどいないでしょう。
あれから数日、何をするにも、監視がつき、自由に行動をすることが制限されました。
いつ訪れるかわからない発情の気配を逃さないように。
あるとき、恐れていたことが起こりました。
その日は、軍の施設で年に何度かある会議のため、人が慌しくしていました。
幹部が視察をするとのことで、施設内を巡回することなったのです。
図書館での読書のため移動する私の前と後ろには監視の人がいました。
ふと、どこからか、あの薬草の匂いがするのです。
薬を絶った反動で、過敏になった私の体は、その微かな匂いで動けなくなりました。
身体の熱さは増すばかり、呼吸も荒くなってきました。
監視の人が、急いで私を部屋へ運びました。
閉じ込めて中からは開かないようにされました。
この時、まともな発情期を私は経験するのでした。
抑える薬を与えられることもされず、かすかに感じる心を乱す匂いに、どうすればいいのかわかりませんでした。
身体の熱さは内側に深く深く潜っていくようでした。
男としての象徴は熱を持ち、その部分からは何かでてきています。
後ろもドクドクと疼きが止まらず、少し体に何かが触れると過敏に反応しました。
微かに匂う程度だったものは、徐々に濃いにおいになっていきます。
自分ではこの溜まった熱の発散の仕方がわからず、とうとう、涙を流し始めました。
閉じ込められているドアの向こうで騒がしくなっているのを私は気づきませんでした。
身体の熱により、汗をかき、体で息をし、過敏に反応するこの姿をどう収めるか、シーツの一部を体に巻き、出てくるものを擦り付け、また、こすりつけ続けた。
扉が強行に開けられ、中に誰か入ってきた。
入ってきたのは、やはりあの匂いを纏う男だった。
彼は鼻を抑え、片手に抑制剤を持っている。
そして、彼は言いました。
やはりあなただったのですね。運命。
彼の声を聴いた瞬間、頭の中が痺れました。
運命。
私は、彼に手を差し伸べました。避けようとして避けることのできなかったこの出会い。
理性のある私なら、もっと別のことをしていたでしょう。
だが、本能の暴走にも近い状態の私を誰も止めることはできなかったのです。
彼に縋るようにつき自分の身体を自ら開くようなことをしました。彼は周りの人間に言いました。
これからしばらく籠る。
そのあとは、覚えていません。
ただ、気づいたときは、体の熱は収まっていました。
閉じ込められていた部屋ではなく、とても気品のあるそして趣味のいい部屋でした。
知らないところです。この部屋に連れてこられたことを覚えていません。
部屋には私だけでした。
不安が襲いました。
扉を開けようと立ち上がりました。
足の間から後ろの場所から何かが音をたてて出てきました。
ゾクゾクとして指で確かめました。
白いものでした。
少し血が混ざっていました。
自分の身体をみました。
何も来ていない身体は腹が少し膨らみ、触れてみると後ろから流れるものが増えました。
私は混乱しました。腹の膨らみは何なのか。
運命と呼ばれたことは覚えていました。番とはと考え、私は咄嗟に、自分の項を触りました。
触れるとズキズキと疼きを持ち、まだ熱を纏っている、傷がありました。
私は血の気が引きました。
これは、何?
番うときは項を噛むのは知っていました。
今、私の項にあるものはまさしく、その後ではないだろうか。
私はなんということをしてしまったのでしょう。後悔をしました。
流れ落ちるものをシーツでふき取り、部屋の汚れもふき取りました。
番った彼は私の愚かな行いに惑わされたのだろう。
何の価値もないΩを番にすることはαを苦しめる要因となるものでしょう。
どうすればいいのか戸惑っていたらドアが開きました。
入ってきたのは彼でした。
私は床に頭を擦り付けました。
そして言ったのです。
申し訳ございません。愚かな行いをしました。
お許しください。
お許しください。
震える身体を止めように止めれず、ガタガタと震わしました。
彼が言いました。
それはどういう意味かと。
私は答えました。
価値のない私が番として選ばれたこと。
出会うことを避けていたと。
でも、失敗をしてしまったこと。
子どもを身ごもる機能が一部損壊しているのです。
今すぐ解消をしてください。
そして遠くに捨て去って下さい。
彼は、
わかったと言い、傷が乾いてもいない私の項をまた噛んで番を解消しました。
彼も後悔をしていたのでしょう。
それからの記憶は、朧気です。
服を着させられ、乗り物に乗り、森の奥まで連れてこられたことは覚えています。
気づいたときには、森の奥に捨て置かれていました。
この時、私は二十歳を迎える直前でした。
森の中は危険な獣などはいなく、多少、配慮があってこの場所だったのでしょう。
2日森の中を歩きまわりました。
兄に蔑まれる前、活発だった私はよく、森を探検していました。
懐かしく思います。
奥深くどこまでも続く木々の柱に私の心はとても穏やかでした。
3日目の朝、小川を見つけました。
大きいものではなくさらさらと流れる水の中に歩き疲れた足をそっといれました。
座れる場所を探し、しばらくそこで周りを見渡しました。
見上げると木々の葉の間から日の光が入ってきて、その光が小川の水面で煌めくカーテンのように散っていきます。
川の上流を見ていると、微かに煙が見えます。
誰かいるのでしょうか。
歩みを進め向かっていくと、家がありました。
その家には煙突があり煙はそこから出ていたのでした。
私はその家の前に行き、ドアをノックしました。
少し音が小さかったようで大きめにもう一回しました。
中から年配の女性の声がしました。
私は
驚かせてすみません。いきなりの質問で申し訳ないのですが、ここはどこでしょうか?
扉が開き、中からは老婦人がでてきました。
私はもう一度同じことを繰り返し言い伝えました。
老婦人は、少し私の様子をみて、
中にお入り
と言って招きいれてくれました。
家の中は、窓辺に薬草、本棚には本と薬草の瓶。
彼女は言いました。
その格好であんたいつから居たんだい。
私は3日ほどいたと答えました。
たくさん歩きましたので身体は温まり寒さを感じることはありませんでしたが、彼女に言われて自分がかなり薄着だったのに気づきました。
彼女は暖炉の近くに私を座らせ温かなハーブのお茶を飲ませてくれました。
ハーブですね。それも、かなり香りが高いように感じます。とてもおいしいです。
私は心の落ち着く香りで満たされました。
老婦人は
あんた少しは知識があるのかい。話し方からして育ちは良さそうだね。
何があったのかは知らないが、行くところがないならしばらく、私の家にいるかい?
なんて願ってもいない誘いでしょう。ありがたくお願いしました。
老婦人の名前は、ミディ。
ミディさんと呼び、部屋の説明をしていただきました。
使っていない部屋を私の寝床とし着る服も何枚か貸してくれました。
あんた、ところで男かい。女かい。
ミディさんの問いに私は自分のことを話しました。
事情により年齢と成長があっておらず、幼く見えるが、二十歳まじかであること。
男であるが女として育てられたこと、そしてΩであること。
ミディさんの感想はこうでした。
はるか遠い場所にその風習がある地域があると聞いたことがあるが、まだ、今も続いていたのだね。
私はβだ。このあたりには誰も住んでいないから心配はいらないよ。
あんたも大変だね。男のΩだ。しかも育ちは女として。私はどっちであんたを見ればいいのかい。
私は答えました。
男のΩでお願いすると。
ただ、Ωなので発情期があるのでそのあたりは、そっとしておいてくれと。
ミディさんの仕事は薬草をうる薬師のようなものでした。
旦那さんと一緒に住んでいたようですが、早くに亡くなってずっと森の奥で住んでいるようでした。
地域により薬草だけを売ったり、調合して薬を作ったり。
若いころは産婆をしていたそうです。
家の近くの広場にいろいろな薬草が植えられていました。
薬草な幼いころ、森で遊んでいるときに身に付いた知識と、書物で生活に取り入れれるものは知っていました。
私はミディさんにお願いしました。
私に薬学の知識を教えてください。生活を成り立つために必要な調合方法を教えてください。
ミディさんは快く引き受けてくれました。
ある程度知識があったのも、薬草を見分けることができるのもよかったのかもしれません。
生活をしていくなかで、私は自分の身につけるものが足りないことに気づきました。
ミディさんが、
旦那の物でよかったら着てみるかい?
そう言って出された服は私の体にはとても大きいものでした。
こりゃ、直しが必要だね。教えるからあんたがおやり。
そう言って、薬草の知識のほかに、服の直し方を教えてもらうことになりました。
生活のことも、知らないことがたくさんあり、少しずつではありましたが住む力を身につけていっていました。
1か月でしょうか。
日々の暮らしにも慣れて食事の用意をしているときでした。
食べ物の温まる匂いを嗅いで、急にむせるように吐き気を覚えました。
少し、疲れたのかと思い、休まるためのハーブを取りに行こうとしました。
畑に近い場所で今度は腹部が痛み出しました。
お腹から下腹のあたりにかけて何かに引っ張られるような感覚がしました。
ふと、股の辺りが濡れていることに気づきました。
発情期?でも、体は熱くありません。
むしろ、痛みにより体は徐々に温度を下げているようでした。
濡れたところを触れた手が赤く染まっているのに気が付きました。
私はミディさんを呼びました。
呼びかけに応じてきたミディさんが、私の様子を見ました。
とりあえず、家まで戻り、様子を見ます。
あんた、発情期がここに住んでから1度も来ていないだろう。Ωの発情期は1か月には一回はくるものだ。
私が知っている限り来ていないようだ。出血をしているので、体を見させてもらう。
そう言って、ミディさんは汚れた服も変えつつ、私の身体を調べました。
私の身体は、妊娠の傾向があるそうです。
頭が真っ白になりました。
ミディさんも私の異変に気が付いたのでしょう。
尋ねられました。
これはまだ、知らないこともあるんだろうね。
どうする?
話をするかい?
私はあんたの判断を尊重するよ。
ただし、今の状態は正直、危ない。
このままだと流れるだろうね。
しばらく安静だ。歩くことは極力控えること。
私は、ミディさんに話しました。
軍の施設であったことを。
番解消の傷もあったことは彼女も気づいていましたが、何も聞かれていませんでした。
私は言いました。
私は、あの運命の番と呼ばれる方を苦しめたくはありません。
まず、あの方が誰なのかも私は知らないのです。
あの場所で私は誰の名前も知りません。
ですが、この授かった命にも運命を感じます。この未熟な私の元に来ることの意味を。
ミディさん、私は産めることなら産みたいです。よろしいでしょうか?
この時、私は20歳になったばかりでした。
あんたも、若いのに色々とあったんだね。
それじゃ、ちょっと巷では手に入れられないものを作れるように教えておこうかな。
そう言って、彼女は一冊の古いノートを渡してきました。
これはね、ダンナが書き残したものでね。
Ωの人間の抑制剤を薬草で作る方法、
避妊薬を作る方法、
そしてαの抑制剤を作る方法。
秘伝だよ。
このあたりではβが多いのでもう、古くから使うことのないものだったんだけどね。
これはあんたが知るべきものだよ。渡しておく。
薬草で、Ωやαのものが作れるのなら、副作用の少ない薬草はとても価値のあるものだろう。
一人ひとりの体に合わせて、配分も変えることで、安定した生活を送ることができるだろう。
安静にしている間は、頂いたノートを見て頭に叩き込みました。
身近に咲いている薬草で副作用の少ない薬ができる。
施設で手に入れたものは内臓を痛める副作用がありましたから、薬草の奥深さはすごいと思いました。
安静時の私のすることは、服の直しとノートの勉強でした。
2日置きにミディさんに身体を見てもらう生活が何日か続きました。
安定したみたいだけど、薬草を調合することは認めます。
ただし、負担になるような重いもの、激しい運動。
そうね、走ったり飛んだり、飛び降りたり。転ぶ時も、お腹と腰を守るようにしなさい。
なんだかすごいことを要求されていますが、わかりました。
ノートの薬が作れるようになっただけでも、あんたは一人で生きていけるだろうね。
時間はたっぷりあるんだ。しっかり感覚を覚えなさい。
本当に何から何までミディさんにはお世話になっている。
ありがとうございます。
私はお礼を言いました。
親の温かさとはこういうものでしょうか?私も、産んでからはこのようになれるのでしょうか。
子どもが宿って生まれるまでの時間は、母親になるための覚悟と責任感を育てるためだそうです。
吐き気は妊娠の兆候でありつわりでした。普段の好みが嫌いになっていくのは、不思議な感覚でした。
徐々に、腹部も膨らみ始め、体の至る所で、妊婦の姿になっていきました。
入る服をどうしようか悩んでいると、
妊婦服は私の普段着で十分だろう。あんた、少しは自分から言いなさい。
ミディさん、それは言いづらいです。ミディさんは妊婦さんではありませんが、体に丸みがあります。
私は、この明るいミディさんが大好きになりました。
はい。
と、照れるように笑ってしまいました。
!!!!!
あんた!!笑ったじゃない!!いい顔するわねぇ。
驚かれたことに驚きです。
私はずっと笑っていなかったようです。
ミディさんは泣いてくれました。
あんた!もう、私の子どもになりなさい。20歳超えたんでしょう。なら、何でも自分で選べるからね。
私をあんたのお母さんにしなさい。
嬉しいものです。ミディさんから言われるなんて。
はい。お母さん、よろしくお願いします。
泣き、笑い、顔はぐちゃぐちゃです。お母さんは私の頭を撫でて、そっと抱きしめてくれました。
20歳のある日、優しい母ができました。
穏やかな生活を送ることができた妊婦生活も終わりが近づいてきました。
寒い日の夜、私は母さんの元で子ども産みました。
とても元気な産声を上げて母さんを喜ばしていました。
髪の色は金色と番の彼の色である銀色でした。
子どもはすくすくと育ちました。
親の姿を見ているのでしょう。とても思いやりのある子どもに育ちました。
私も育児をしながら、ノートの薬を作り、それを路銀に変えて生活を支えていました。
徐々に固定客も付き、遠くの街からも注文が入るようになりました。
番の解消と子どもの出産を経験した私は、自分の作った薬のおかげで安定した生活を送ることができていました。
愛情を与えてくれたお母さんが病で倒れ、そしてアッという間に亡くなりました。
私たちはとても悲しみました。
この時、私は25歳でした。子どもは5歳になる前でした。
母は最後に言いました。
この家をお前たちが住んでいけばいいさ。
最後に、薬草畑の横のお父さんの隣に私を連れて行ってちょうだい。
生前、母の好きだった薬草を墓の周りに植えました。
これからは2人で生きていく。
私は子どもに言いました。
この家に住むことになるが、おまえにもいろいろと分担をしてもらわないといけない。
それでも、私は母さんの残したこの家を守りたい。
子どもはいいました。
母様のそばに一緒にいます。
勉強は母様が教えてくれます。
おばあちゃまは私に薬の売り方を教えてくれました。
お金の計算もできます。
お客さんの名前も、注文のことも覚えてます。母様の役にたてるよう、頑張ります。
この子は私の知らないところで、お母さんから多くのことを教えてもらっていたようです。
改めて、感謝でいっぱいになりました。
それからは、薬草づくりは私が、売りにいくことは子どもがしました。
裕福ではありませんでしたが、貧乏でもありませんでした。
薬草のない時期には服の直しの仕事もして過ごしていました。
2人の穏やかな生活が続きました。
私が30歳になる頃でしょうか。
この頃の私は、発達の遅れがあってももう、成人した大人にみられるようになりました。
他人からの意見ではありません。我が子の意見ではありますが。
人の前には出ることは私はありませんでした。βの多い地域でΩは目立ちます。
森の奥、人が立ち入ることを避ける場所にあった我が家に、ある日、来客がありました。
その日は、子どもが薬を売りに行く日で家には私しかいませんでした。
人が近づくと知らせが鳴る罠が反応しました。
家の中が見えないように窓を閉じました。
顔を見せなくても対応できるよう細工をしているドアに前もって厳重に鍵を掛けました。
ドアをノックする音が聞こえました。
様子を見ます。
次は大きめに音が鳴りました。
昔、私がこの家を訪れた時を思い出しました。
緊張のやわらぎか、つい、応えてしまいました。
ドアの向こうでは男性が一人いるようです。
彼は言いました。
こちらは、Ω、αの抑制剤を薬草で作っている薬師の家だと聞いた。
事情でどうしても、必要である。話だけでも、聞いてもらえないだろうか?
私は答えました。
どちら様か存じませんが、この家に来られても、お答えすることはございません。
薬師の薬は、売りに出ている薬師に尋ねてください。
お引き取りを願います。
彼は大きくため息をつき、
分かった
と答えました。
その後、しばらくしてから罠の知らせで帰っていったのがわかりました。
その日の夜、子どもに尋ねました。
客で男の人はいないかと。
子どもは笑いながら言いました。
たくさんいるよ。
今日のことをどう説明したらいいでしょう。
もう少し聞いてみました。
ため息をつく男の人はいないかと。
子どもは少し考えてから言いました。
最近、薬の話を知って、藁にもすがる思いで来たという人が一人いる。
ただ、この薬はすぐに手に入るものではないことを知ってもらうために、まだ、様子を見ている。と。
様子を見るとはどういうことか。
母様の薬は貴重なので簡単に入ったんじゃ、価値が下がるだろう。
これはおばあちゃまからの教えさ。
相手の本気を見るには、相手をしっかり待たすこと。
お母さんの商売上手はしっかりと受け継がれているようです。
私は今日、あったことを子どもに話をしました。
子どもはすぐに言いました。
でも、この家に迷うことなくただりつけるってすごいよ。
同じ人なら、朝に一度、姿を見て、この森に入って家まで来たとしたら、それはすごいことだと思うよ。
そうだった。この家は簡単に見つけることはできない。
森に慣れている私ですら2日はさまよって見つけたものだ。
この子が家を教えるということはしないだろう。
では、どうして、この家を見つけることができるのか。
私を捨て去った人、そして私の匂い。
・・・・運命。
でも、私は話をしたとき、何も感じなかった。
自分の作った抑制剤の効果もあるだろうが、番を解消しても運命は運命。
黙ってしまった私を心配して明るく話を変えようとしてくれた子どもは次のことを言った。
でもさ、その様子を見ている人って、髪の色が似てるんだよね。一瞬、父親かなって思った。
だけど、あの人なんだろう、すごく辛そうだった。
すごく体調が悪そうだった。元気だったら、かなり綺麗な人だと思う。
!!!!!!
もし、あの時の運命の番なら。話が少しずつ、つながっていくようでした。
私はもう一人では考えれませんでした。子どもに話しました。
大きくなったとは言え、まだまだ、子ども。
その子どもに自分の生まれる前に起ったことを知らせるのは残酷です。
慎重に言葉を選んで話をしました。
母様。おばあちゃまが教えてくれたよ。
だから、全部知っている。
もし、あの人が父親だとしても、自分からは何もしないし、問われても知らないと通すよ。
おばあちゃまとの約束だし。
私は心配でした。もし、この子を奪われたら・・・
勝手に子どもを産んでいることを知られたら、それこそ、疫病神のような存在になるでしょう。
それに、頭のいい子です。
髪の色は金色と銀色の混ざりはあるものの、容姿も整っている。
Ωの私が生んだのですからその子どもはαであるでしょう。
手元に残る幸せを奪われたら、私は生きていけないでしょう。
特に、気を付けるようにと2人で話をおさめ、日々を過ごしていきました。
それからも、例の彼は薬を売りに出かけた子どもの元に来ては、追い返されているようです。
子どもも、何気ない、世間話を彼とするようになり、情報を聞き出そうとしています。
子どもはどうも、物語の主人公になった気分でわくわくとしています。
話を教えてくれることは色々ありました。
王族出身で兄弟の多さで子どものいない軍の幹部の養子になった。軍の関係する地位についている。
αの抑制剤を長年に渡り摂取したため、体調に影響が出始めている。
若いころは自分の環境に不満があり、荒れていたが今はその元気も湧いてこない。
さすがにこのまま薬を取り続けるとあと、数年で動けなくなるだろう。
そのため、噂で副作用の少ない、良質な抑制剤の話を聞いてやってきた。
話を聞いて、ただ、そうだったのだと思いました。それだけです。
子どもは続けました。
どうする?薬を渡す?
私は答えました。
薬を渡してもらうようにと。
それと、同時に、私は子どもと一緒に薬を売りにでるようにしました。
フードをかぶり見えないようにして、人と会うことを慣れていきました。
私の薬はΩもαも惑わさない奇跡の薬を言われているそうです。
最近では、この薬を飲んで安定したΩが、βを心を通わし、幸せになったと大きく噂になったそうです。
物語もできたと。吟遊詩人が色々と流していると。
なんだか、自分で照れてしまいました。
例の彼は薬がなくなる頃に、来る固定客になりました。ただ、こちらが運命の番だとは気づいていません。
私も何もいいません。知らなくていいことです。
運命に左右されることで、幸せにも不幸せにもなります。そこに一つ選択肢が生まれたのです。
心を通わし幸せになる人生を。
それから、私も子どもと親しくしてもらっていた方と縁があり、夫婦になりました。
その方はαでした。
私の閉ざした心を長く待って受け入れ、Ωではありますが、心も通わすことができました。
今では、薬のつくり方、薬草の育て方は子どもに引き継がれています。
番の解消により、体は運命ではなくても受け入れてくれました。
私たちは心を交わした番となり、みんなからも祝福をしていただけました。
今、子どもを身ごもるには少し高齢ではありますが、お腹に愛の結晶がいます。
私はこれからも一生、幸せであれ・・・
そう、思いながら庭の薬草を眺めながらそっと、お腹を撫でるのでした。
選ばれたものにしか与えられることのない容姿、知能を持てる。
それがアルファαというもの。
そのため、多くの民の上に立つものはα。αだから人を惹き付ける存在であった。
繁殖力が低くこの優位の遺伝子を残すためには、自分の同じ時期に誕生したΩ、運命の番のみだった。
Ωとはαの子を宿すことの出来る唯一無二の存在。
ただ、成長する時、定期的におとずれる発情期の影響でたびたび時間をさかれ、それにより遅れをとり、学力、知力が低くなり、軽視される傾向にあった。
ただ、中には想像を絶する苦労と努力の結果、自立した社会生活を過ごしているΩもいる。
最近は、人権に敏感な風潮にあり、一人ひとり、尊厳を尊重をされている。
βとは、αやΩのように繁殖に左右されるものではなく、自由の恋愛を楽しむことができる。囚われる制限もない、人間らしく人間らしい生き方のできるものであった。
よって、努力をすれば認められる。
これは昔から続く理に近いものでした。
私が産まれた時、その地域を治めていた頭領と呼ばれる位置にいた両親はとても喜んだそうです。
男の双子が生まれた場合、直後にどちらかを亡き者にするか、一生女として生きていくかを選択する。
それが、このあたりの古くからの風習でした。
先に産まれたのは兄。それからすぐに私が産まれました。
産まれた時、兄はαの象徴である金の髪。私は金色の中に黒髪の混ざる色でした。
両親はαの象徴である兄を第一子と認め、色の混ざる私を女として育てることを決めました。
兄は産まれた時から病弱でした。周りの者は兄を第一に考えるようになりました。
兄は、妹の私をとてもかわいがってくれました。
男であるが女として生きることが定められている私にも分け隔てなく接してくれたのです。
優しさを持ち、容姿も恵まれている。性格も皆の者に好まれている。
素晴らしい人には、それを支える人たちも素晴らしい人が集まるのでした。
驕ることもなく長としての教えをしっかりと学び、謙虚な姿勢で誰からも愛される聡明な子どもでした。
私も兄と同じ様に学びはしましたが、兄より目立つことはなく学術より体術が得意としました。
女と生きると定められても子どもの育て方は一緒でした。
体調を崩しやすい兄のため、兄の頼みで髪の色を変え、表の舞台に立つこともありました。
この頃、まだαともβともΩとも振り分けられることのない年齢のためとても快適だったように思います。
ある時、流行りの病が猛威を振るい数多くの民が亡くなりました。
また、まとめていく立場のものにも影響は出ていたのです。
私たちの父はとても健康的なαでした。
その父も流行りのものには勝てなかったのです。
日に日に弱っていく父。
嘆き悲しんでいる母と兄。
母はこれからを心配しました。
病弱な兄にもしものことがあったら・・・
母は私に自分の胸のウチをあけてきました。
少しでも不安が減らせたらと兄と並ぶぐらい勉学も励みました。
ただ、女と生きる定の私はしょせん、表には立つことのできない。
夜は人を不安の闇へと引き入れてくると言います。
ある日、兄が私に言いました。
何をそんなに怯えているのかと。
私は答えました。
私の出来ることは、母様や兄様の不安材料にならないこと。
頼りのない役立たずとは思われたくないと思っていました。
兄は言いました。
お前がうらやましい。
健康な体も心もすべて持ち合わせている。
女と生きるのなら誰かに嫁ぐことになる。
どうして、自分ではなかったのかと。
言われている意味が分かりませんでした。
男なのに女として、男の元へ嫁がなくてはならないのです。
どこにうらやましいことがあるのでしょう。
もし、私がαでも変わることのない定をどうして妬まれないといけないのでしょう。
その時から兄は誰もいない時、私を蔑むようになってきました。
次第に、周りの者も気づきました。
多くの人から親しまれている人物が、蔑む。
それは、それだけのことをしたのだろうと、皆が感じ取ったのでしょう。
ジワリジワリと、その蔑む負の闇は広がっていくのでした。
私は何もできませんでした。定を変えることなど誰もできないのです。
私は思いました。兄の闇は、多くの重圧からくるものだと。
受け入れることが兄のためになるのなら、それをすることも、また、私の役目。
身体的な暴力は受けてはいませんでした。精神的なものはありました。
無視されること。これはとても辛かったです。発言などもだんだんと否定されるようになっていきました。
役目だと分かっているものの、存在を認めてもらえないことは、非常に心が折れるものでした。
徐々に、人の話が聞こえなくなるようになりました。
悪意のある批評が付いて回るようになってきました。もちろん、話は作られたものでした。
とうとう臥せっていた父が亡くなりました。
臥せっている間に、代理でたっていた兄が正式に即位したのでした。
私は兄の指示により、環境の劣悪な家に隔離されるようになりました。
音を失いつつあると気づいたのは、獣に足を噛まれた時でしょう。
その家は獣を檻に入れて管理する場所でした。
隣接する獣が檻を間にしながらも噛みついてきたのです。
私はそれに気づかなかったのです。視野も狭くなっているようだと分かったのはその後でした。
暴力的なことはなかったと思っていましたが、毒などの人体に有害なものも使用されていたのでしょうか。
獣に噛みつかれたことにより、発熱が続きました。
劣悪な環境でなにも治療をされない傷は悪化をしていくのみでした。
動かそうにも体力は発熱で奪われていってしまっていました。
兄が様子を見に訪れました。久しぶり兄はとても窶れていました。
そして一方的に言ったのです。
自分はαであった。お前がαでもβでもΩでもどちらでもいい。
家畜にはそれを調べることは必要ないだろう。
他に何かを言ってたように思いましたが聞き取ることはできませんでした。
動けない私を見て、見下ろし、
もうすぐ亡き者になるものに慈悲などいらぬ。
この時、兄は何かを感じていたのでしょうか。
私は兄の役に立つことのない亡き者になるのだと頭で理解した時、保ち続けた意識を落ちていく感覚と共に兄の笑い声だけは聞き取れたのでした。
目覚めた時、私は多くの民衆の前に晒されていました。
もう、抵抗する体力もありません。
周りには、兄、母の姿がありました。
兄はいつも身ぎれいに整われている髪を振り、母は宝石をつける場所に投げつけられたものをひっかけ、
まとめあげられている髪が解けかけています。私はどのような姿にまでなっているのでしょう。
彼らは私と同じように民衆の前に晒されています。
ある者が声をあげました。
世の乱れを作った元凶に裁きを!!
母から順番に処刑台に連れていかれるようです。
私は現状を理解できませんでした。
それよりも、自分の体の異変に気付きました。
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。
人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・
人の話し声が聞こえます。
人は亡き者になっても、理解できる言葉で過ごせるのですね。
頬を叩かれる感覚がありました。そこで、私はまだ、命が尽きていないのだと知りました。
目を開けると、牢が見えました。人がいます。服の紋章が国の物であると気づきました。
民から国に裁かれることになったのだと悟りました。
すぐ近くにいた人がまた、頬を叩いてきます。力の入らない体は簡単に冷たい床へと倒れるのです。
咳がでて手を当てると口からは血が出ていました。
何回目の夜だったでしょう。ここに来てからは身体にも傷をつけられるようになりました。
彼らは何かを言って私に問うのですが、わかりません。
ですが、それも今日で終わりのようです。
国の役職についている方らしく身なりの整った方が来られて何かを言って、たずねてきます。
もう、知らないことを尋ねられるのは苦しいです。
牢から出されることとなりました。でも、私はどこに行くのでしょう。
また、晒された時のように微かに薬草の匂いがし、体が熱くなってきました。息が乱れる。
あの時より、体が熱い。だんだんと息が体全体でしないと間に合わなくなってきました。
もう、これ以上・・・私はこの時、初めて涙を流しました。
先ほどの役職につかれている方が何かを叫んでいます。そして、私の体に何かの薬を入れました。
身体が勝手にガクガクと痙攣しはじめました。
荒かった息も落ち着いてきました。
落ち着いて動けない私の体を彼はためらいもなく、抱えてどこかに向かっています。
もうずっと入浴などしていません。降ろしてもらおうにも、力が入りません。
気が付いたら、牢とは違い、上質なベッドの上で眠らされていました。
私はとっさに、ベッドから降りようとして高さがあることに気づかず、落ちてしまいました。
私は自分の体が綺麗になり、ゆったりとした服を着せられていることに気づきました。
それでも、身体を懸命に動かそうと手をつき、壁を辿って窓の外をみました。
獣に噛まれた足はもう、使えそうにありません。
草花や木々が見えました。
微かに薬草の匂いがしました。
頭の中に、薬草の何種類かが浮かびました。そのあと、急激な体の熱さと、息苦しさを感じました。
身体の力が抜け、座り込み苦しい喉をかきむしり始めてしまいました。
ドアがバン!!と、開きました。
そこには、誰かいるようです。
ただ、今の私には見ることができません。
かきむしる手を束ねられ、体にまた、薬を入れられました。
落ち着くと、座り込んだまま、周りの様子をみました。
近くには私を牢から連れ出た人。離れた場所に、もう一人、いるようです。
その人を見た瞬間、体全体が燃えるように熱くなりました。
その人は部屋に入るなり、鼻を抑えています。
年は私と同じぐらいでしょうか。
体格も私よりはるかに恵まれているのはもちろんですが、身なりの整った綺麗な人でした。
何を話しているのか聞こえません。
鼻を抑えている人が近づいてきます。
腕を前にして思わず抵抗してしまいました。
これは、裁かれるものとして取ってはならない行いでした。
痺れる頭を動かし、震える身体をおさえるように耐えました。
腕を降ろして目を閉じ、来るであろう、衝撃を待ちます。
来ないので目を開けると、先ほどの彼と話をしているようです。
近づく彼からはとても濃いにおいがします。薬の影響でしょうか。
体は熱くなりませんが、胸騒ぎが止まりません。
もう、これ以上、無理です。
体が恐怖におびえてしまい始めました。
舌を、噛みきると人は死ねると聞いたことがあります。
大きく、息を吸い込んで舌を噛もうと口を開けた瞬間。
近くにいた彼が私の口の中に自分の掌を入れてくるのが見えました。
ドアの外に向かって彼らが何かを叫んでます。
私はもう、動けません。
先ほど寝ていたベッドの上でまた寝てます。
ただし、口の中には噛み切れないように何かが入ってます。
手は両方に拘束されてかきむしらないようにしているのでしょう。
生きることも死ぬことも奪われ、私はどうすればいいのでしょう。
涙が止まりません。
定期的に食事を食べさせてくれるひとがいますが、慈悲などいりません。
最後の方法として、私は食事を拒絶しました。
とうとう、食事を取らないと今度は点滴で栄養をとるようになってしまいました。
あれからも、あの匂いがしたあと、急に体が熱くなったり息ができなかったりするたびに、薬を打たれ落ち着かせられるのでした。
身体の自由を奪われたあたりから、医者と思われる人が入れ替わって私を診察しました。
それから点滴に、何かの薬も混ざるようになりました。
数日たつと、視野が広がり始めました。
そのまた数日、今度は人の話を聞くことができるようになりました。
同時に、獣に噛みつかれた場所を治す処置をしてもらいました。
そこで、自分の置かれている状況が理解できました。
牢から出されて1か月がたったころです。
私は今、軍の関係者が入る病院にいます。
保護されたようです。
なぜ、このような配慮を・・・
教えてくださった方は、全て真実の事だと。受け入れる覚悟を・・・と。
国には、各都市の状況を随時監視をする機関がある。
そこから情報で流行り病により頭領の交代が行われた場所で、政情の乱れが生じた。
民からは不満が沸き起こり、クーデターの可能性があると。
国が軍の派遣を指示し事態を鎮圧しようと現場にきたころには事態は最悪な方向に向かっていた。
民の集まる中心には、先程まで権力を振り回していた者の姿と、同じようにはみられない者が晒されていた。
報告では母親と息子とあったが、3人は話が違う。
民の声に混ざるかのように、晒されている身なりのよさげな者が声を荒げた。
我は、仕立て上げられた者である。真実の権力者はあやつなり。
声を聞いた者たちは、色んな声を上げた。
軍は3人を拘束し尋問をすることを決めた。
国の中心部に移される中で、民から嘆願書が出されていた。
ただ、3人には同じ尋問が行われた。
真実を調べるのは容易だった。
嘆願書としては、身なりの整っていないものが蔑まれるようになっていた弟だと。
ただし、外見は女性のように見える。
それだけではない。国へと移動する途中、発情期の症状が確認された。
偽りの度合いが酷く兄と母親は、生涯牢の住人となることが決まった。
身体の衰弱が激しいため、意識が朦朧として結局、弟からは何も聞き出せなかった。
弟の罪がないとわかり療養のため、そして保護のため軍の施設に移された。
療養のため寝かされた部屋で目覚め、今に至る。
成長期の極度のストレスと栄養不足のため、発達が遅れ、不安定になっているようで急に身体が熱くなったり呼吸が乱れるのは発情の症状。
未発達の器官があるため、今後の経過をみるとのこと。
検査でΩと確定診断され発情を抑える抑制剤を緊急処置として使った。
自殺防止のためやむ終えず拘束処置をとったが落ち着けば検討される。
医師の診断による診断結果が出たことで視覚の麻痺をとる中和剤を点滴に混ぜた。
足が壊死し始めていたため、研究機関に依頼し、治験で再生を行っている。
聴力の回復のため、ストレスを和らげる安定剤を投与した。
私のために数多くの配慮をしていただいたようで感謝を伝えました。
ただ、罪人の家族である事には間違いなく、的確な判断を求めるのが筋と言うものでしょう。
亡き者にされる命だったのです。
私は答えました。
違える事のない判断をお願いします。私はそれに従いましょう。自ら命を絶つことは致しません。
私の答えは悩ませるものだったのでしょう。
しばらくして、私の今後について話がありました。
この時、私は18の年になりました。
発達の遅れのせいで見た目は3歳から4歳ぐらい幼く見えるのでしょう。
体力が回復するまで施設に留まること。その間に、今後の生きていく手段を身につけること。
憶えている限りの自分の生い立ちを話すこと。あの地域では女と扱われたが他のところでは
男となるだろう。どうするのか、施設を出るまでに考えるようにと。
最後に、未発達の器官の経過を見ること。
それからは、体力回復のためにたくさんの栄養をつけるように食事を義務付けられました。
診断をしていただいた医師の方に、質問をしました。
同じ人をみたり、ある匂いを嗅ぐと身体の状態が違和感があると。
医師は慌てました。
多くの番の症例として、匂いに反応し、発情が止まらなくなる。これは、運命の番の特例である。
初耳でした。匂いが関係するものだと。
この施設に運命の番がいるのかもしれないと。
これに私は怯えました。
一刻も早く、この場所を離れなければ。
αは有能で知的です。罪人の家族であるΩが、運命の番だと知ったら。
運命の番と知られる前に、どうにかしなければ。
改善策があればと、文献を読み漁りました。
そこで知ったのです。
抑制剤の摂取と避妊薬。
この組み合わせで、βのように発情期に振り回されることもなく生きていける。
この方法には、色々と身体に負担がありました。
発達の遅れと内臓に大きく損傷を与えるものでした。
その物を手に入れるには、お金が必要でした。ただ、私には何もありません。
お金になるものと、珍しい色の髪をお金に換えました。
高額で買って頂いたので当分は薬に困らないでしょう。
腰の下まであった髪は肩のところまでになりました。髪は生きている限り伸びます。
こうして、βとして生きる手段を手に入れ、発情期を起こさない生活を手に入れました。
ただ、医師から処方されている抑制剤もあり、服用を管理されていました。
自分で手に入れた薬は見つからないよう隠しておきました。
施設の中の庭で過ごしていると、またあの匂いがしました。
やはり同じ人でした。
ただ、薬を飲み始めて身体は反応しなくなりました。
何事もなく過ごすことができました。
一刻も早い技術の習得に幼少の時の努力が実りました。
身寄りのない子供を集めた孤児院の職員として働けるようになったのです。
子どもと関わることはありませんでしたが、なんでも慣れることが一番の近道です。
こうして、Ωとしてではなく、βとして生きていける。
そう思っていたのでしたが、施設を出る前までに生い立ちを話をすることをずっと避けていました。
最後の日の夜、こちらに来た時にお世話になった方が来られました。
決心したことを伝えました。ただ、孤児院でお世話になると。そして、生い立ちを語りました。
彼はじっと聞いていました。表情も変えず淡々と。
こちらも同情などいりません。生まれていたことをなかったものにはできません。
運命というものは人の生に関係するものでもあるのです。
話をしておわりました。こんなに話をするなど、いつぶりだったでしょう。
明日からは子どもたちと一緒に過ごすのです。
話を終えて、彼は言いました。
あなたはまだ出れない。健康に問題が残っている。Ωと診断された結果は変わらない。
発情期の周期がわからないΩを野放しにするのは、犯罪を増やす原因にもなりかねる。
匂いに反応したと医師から聞いた。あれからどう過ごしているのか。
未発達の器官の経過を見ることを忘れているようであるが、どういうことなのか。
私は答えました。
どうかこれ以上、何も聞かないでいただきたいのです。
自分で掴めそうな幸せの場所をどうか取り上げないでくださいと。
勝手なことは私もわかっています。
ただ、罪人の身内であるΩである私をもし、運命の番が拒絶をしたら・・・
縋りたい気持ちもありました。でも、それ以上に拒絶を恐れるのです。
誰も、私の境遇を理解することはできないでしょう。
胸の内を話すことはありません。
しばらく静かにしていた彼が話しだしました。
運命の番であるΩを探して生きていたαもいるのだと。
運命のΩが生きている限り、そのαは求めるだろう。
もし、そのαに見つかったらあなたはどう行動するのだと。
孤児院で働く身寄りのないΩ。強引に番にされるだろう。
拒否などできない。
ここにいる間は、軍が守る。
私は咄嗟に言いました。
これ以上、苦しみたくないと思うのはいけませんか。死ぬことも許されなかったのです。
身体が震えてきました。
涙が止まりません。
突然、体が痛み出しました。
この痛さは耐えれそうにありません。
鼻から血が流れているのに気づきました。
咳が出てきました。
体の内からこみ上げてくるものがありました。
耐えることができず、手で受けました。血の塊がありました。
急激に体の力が抜けていくの感じました。
目の前の彼もさすがに表情をゆがめました。そして、扉の外に声をかけたのです。
私が気づいたとき、ベッドにいました。
医師が
どうして、勝手に薬を飲んだのかと問いました。
運命の番を探されるのが怖かった。
探されてまで出会わなければならない運命など私には必要ないと。
医師はため息をつき言いました。
今回の出血は、薬の影響でした。調べた結果、妊娠する器官の一部損壊。他も多数、損傷が見られた。
損傷は、時間が解決してくれるだろう。
損壊となれば、話は違う。壊れたものは今の段階では医学が追い付いていない。
Ωの特徴はαの子どもを宿すこと。
薬が抜けて発情期の有無を確認してまた対応を検討すると。
私は言いました。
これでもう、Ωの私を必要とするαなどいないでしょう。
あれから数日、何をするにも、監視がつき、自由に行動をすることが制限されました。
いつ訪れるかわからない発情の気配を逃さないように。
あるとき、恐れていたことが起こりました。
その日は、軍の施設で年に何度かある会議のため、人が慌しくしていました。
幹部が視察をするとのことで、施設内を巡回することなったのです。
図書館での読書のため移動する私の前と後ろには監視の人がいました。
ふと、どこからか、あの薬草の匂いがするのです。
薬を絶った反動で、過敏になった私の体は、その微かな匂いで動けなくなりました。
身体の熱さは増すばかり、呼吸も荒くなってきました。
監視の人が、急いで私を部屋へ運びました。
閉じ込めて中からは開かないようにされました。
この時、まともな発情期を私は経験するのでした。
抑える薬を与えられることもされず、かすかに感じる心を乱す匂いに、どうすればいいのかわかりませんでした。
身体の熱さは内側に深く深く潜っていくようでした。
男としての象徴は熱を持ち、その部分からは何かでてきています。
後ろもドクドクと疼きが止まらず、少し体に何かが触れると過敏に反応しました。
微かに匂う程度だったものは、徐々に濃いにおいになっていきます。
自分ではこの溜まった熱の発散の仕方がわからず、とうとう、涙を流し始めました。
閉じ込められているドアの向こうで騒がしくなっているのを私は気づきませんでした。
身体の熱により、汗をかき、体で息をし、過敏に反応するこの姿をどう収めるか、シーツの一部を体に巻き、出てくるものを擦り付け、また、こすりつけ続けた。
扉が強行に開けられ、中に誰か入ってきた。
入ってきたのは、やはりあの匂いを纏う男だった。
彼は鼻を抑え、片手に抑制剤を持っている。
そして、彼は言いました。
やはりあなただったのですね。運命。
彼の声を聴いた瞬間、頭の中が痺れました。
運命。
私は、彼に手を差し伸べました。避けようとして避けることのできなかったこの出会い。
理性のある私なら、もっと別のことをしていたでしょう。
だが、本能の暴走にも近い状態の私を誰も止めることはできなかったのです。
彼に縋るようにつき自分の身体を自ら開くようなことをしました。彼は周りの人間に言いました。
これからしばらく籠る。
そのあとは、覚えていません。
ただ、気づいたときは、体の熱は収まっていました。
閉じ込められていた部屋ではなく、とても気品のあるそして趣味のいい部屋でした。
知らないところです。この部屋に連れてこられたことを覚えていません。
部屋には私だけでした。
不安が襲いました。
扉を開けようと立ち上がりました。
足の間から後ろの場所から何かが音をたてて出てきました。
ゾクゾクとして指で確かめました。
白いものでした。
少し血が混ざっていました。
自分の身体をみました。
何も来ていない身体は腹が少し膨らみ、触れてみると後ろから流れるものが増えました。
私は混乱しました。腹の膨らみは何なのか。
運命と呼ばれたことは覚えていました。番とはと考え、私は咄嗟に、自分の項を触りました。
触れるとズキズキと疼きを持ち、まだ熱を纏っている、傷がありました。
私は血の気が引きました。
これは、何?
番うときは項を噛むのは知っていました。
今、私の項にあるものはまさしく、その後ではないだろうか。
私はなんということをしてしまったのでしょう。後悔をしました。
流れ落ちるものをシーツでふき取り、部屋の汚れもふき取りました。
番った彼は私の愚かな行いに惑わされたのだろう。
何の価値もないΩを番にすることはαを苦しめる要因となるものでしょう。
どうすればいいのか戸惑っていたらドアが開きました。
入ってきたのは彼でした。
私は床に頭を擦り付けました。
そして言ったのです。
申し訳ございません。愚かな行いをしました。
お許しください。
お許しください。
震える身体を止めように止めれず、ガタガタと震わしました。
彼が言いました。
それはどういう意味かと。
私は答えました。
価値のない私が番として選ばれたこと。
出会うことを避けていたと。
でも、失敗をしてしまったこと。
子どもを身ごもる機能が一部損壊しているのです。
今すぐ解消をしてください。
そして遠くに捨て去って下さい。
彼は、
わかったと言い、傷が乾いてもいない私の項をまた噛んで番を解消しました。
彼も後悔をしていたのでしょう。
それからの記憶は、朧気です。
服を着させられ、乗り物に乗り、森の奥まで連れてこられたことは覚えています。
気づいたときには、森の奥に捨て置かれていました。
この時、私は二十歳を迎える直前でした。
森の中は危険な獣などはいなく、多少、配慮があってこの場所だったのでしょう。
2日森の中を歩きまわりました。
兄に蔑まれる前、活発だった私はよく、森を探検していました。
懐かしく思います。
奥深くどこまでも続く木々の柱に私の心はとても穏やかでした。
3日目の朝、小川を見つけました。
大きいものではなくさらさらと流れる水の中に歩き疲れた足をそっといれました。
座れる場所を探し、しばらくそこで周りを見渡しました。
見上げると木々の葉の間から日の光が入ってきて、その光が小川の水面で煌めくカーテンのように散っていきます。
川の上流を見ていると、微かに煙が見えます。
誰かいるのでしょうか。
歩みを進め向かっていくと、家がありました。
その家には煙突があり煙はそこから出ていたのでした。
私はその家の前に行き、ドアをノックしました。
少し音が小さかったようで大きめにもう一回しました。
中から年配の女性の声がしました。
私は
驚かせてすみません。いきなりの質問で申し訳ないのですが、ここはどこでしょうか?
扉が開き、中からは老婦人がでてきました。
私はもう一度同じことを繰り返し言い伝えました。
老婦人は、少し私の様子をみて、
中にお入り
と言って招きいれてくれました。
家の中は、窓辺に薬草、本棚には本と薬草の瓶。
彼女は言いました。
その格好であんたいつから居たんだい。
私は3日ほどいたと答えました。
たくさん歩きましたので身体は温まり寒さを感じることはありませんでしたが、彼女に言われて自分がかなり薄着だったのに気づきました。
彼女は暖炉の近くに私を座らせ温かなハーブのお茶を飲ませてくれました。
ハーブですね。それも、かなり香りが高いように感じます。とてもおいしいです。
私は心の落ち着く香りで満たされました。
老婦人は
あんた少しは知識があるのかい。話し方からして育ちは良さそうだね。
何があったのかは知らないが、行くところがないならしばらく、私の家にいるかい?
なんて願ってもいない誘いでしょう。ありがたくお願いしました。
老婦人の名前は、ミディ。
ミディさんと呼び、部屋の説明をしていただきました。
使っていない部屋を私の寝床とし着る服も何枚か貸してくれました。
あんた、ところで男かい。女かい。
ミディさんの問いに私は自分のことを話しました。
事情により年齢と成長があっておらず、幼く見えるが、二十歳まじかであること。
男であるが女として育てられたこと、そしてΩであること。
ミディさんの感想はこうでした。
はるか遠い場所にその風習がある地域があると聞いたことがあるが、まだ、今も続いていたのだね。
私はβだ。このあたりには誰も住んでいないから心配はいらないよ。
あんたも大変だね。男のΩだ。しかも育ちは女として。私はどっちであんたを見ればいいのかい。
私は答えました。
男のΩでお願いすると。
ただ、Ωなので発情期があるのでそのあたりは、そっとしておいてくれと。
ミディさんの仕事は薬草をうる薬師のようなものでした。
旦那さんと一緒に住んでいたようですが、早くに亡くなってずっと森の奥で住んでいるようでした。
地域により薬草だけを売ったり、調合して薬を作ったり。
若いころは産婆をしていたそうです。
家の近くの広場にいろいろな薬草が植えられていました。
薬草な幼いころ、森で遊んでいるときに身に付いた知識と、書物で生活に取り入れれるものは知っていました。
私はミディさんにお願いしました。
私に薬学の知識を教えてください。生活を成り立つために必要な調合方法を教えてください。
ミディさんは快く引き受けてくれました。
ある程度知識があったのも、薬草を見分けることができるのもよかったのかもしれません。
生活をしていくなかで、私は自分の身につけるものが足りないことに気づきました。
ミディさんが、
旦那の物でよかったら着てみるかい?
そう言って出された服は私の体にはとても大きいものでした。
こりゃ、直しが必要だね。教えるからあんたがおやり。
そう言って、薬草の知識のほかに、服の直し方を教えてもらうことになりました。
生活のことも、知らないことがたくさんあり、少しずつではありましたが住む力を身につけていっていました。
1か月でしょうか。
日々の暮らしにも慣れて食事の用意をしているときでした。
食べ物の温まる匂いを嗅いで、急にむせるように吐き気を覚えました。
少し、疲れたのかと思い、休まるためのハーブを取りに行こうとしました。
畑に近い場所で今度は腹部が痛み出しました。
お腹から下腹のあたりにかけて何かに引っ張られるような感覚がしました。
ふと、股の辺りが濡れていることに気づきました。
発情期?でも、体は熱くありません。
むしろ、痛みにより体は徐々に温度を下げているようでした。
濡れたところを触れた手が赤く染まっているのに気が付きました。
私はミディさんを呼びました。
呼びかけに応じてきたミディさんが、私の様子を見ました。
とりあえず、家まで戻り、様子を見ます。
あんた、発情期がここに住んでから1度も来ていないだろう。Ωの発情期は1か月には一回はくるものだ。
私が知っている限り来ていないようだ。出血をしているので、体を見させてもらう。
そう言って、ミディさんは汚れた服も変えつつ、私の身体を調べました。
私の身体は、妊娠の傾向があるそうです。
頭が真っ白になりました。
ミディさんも私の異変に気が付いたのでしょう。
尋ねられました。
これはまだ、知らないこともあるんだろうね。
どうする?
話をするかい?
私はあんたの判断を尊重するよ。
ただし、今の状態は正直、危ない。
このままだと流れるだろうね。
しばらく安静だ。歩くことは極力控えること。
私は、ミディさんに話しました。
軍の施設であったことを。
番解消の傷もあったことは彼女も気づいていましたが、何も聞かれていませんでした。
私は言いました。
私は、あの運命の番と呼ばれる方を苦しめたくはありません。
まず、あの方が誰なのかも私は知らないのです。
あの場所で私は誰の名前も知りません。
ですが、この授かった命にも運命を感じます。この未熟な私の元に来ることの意味を。
ミディさん、私は産めることなら産みたいです。よろしいでしょうか?
この時、私は20歳になったばかりでした。
あんたも、若いのに色々とあったんだね。
それじゃ、ちょっと巷では手に入れられないものを作れるように教えておこうかな。
そう言って、彼女は一冊の古いノートを渡してきました。
これはね、ダンナが書き残したものでね。
Ωの人間の抑制剤を薬草で作る方法、
避妊薬を作る方法、
そしてαの抑制剤を作る方法。
秘伝だよ。
このあたりではβが多いのでもう、古くから使うことのないものだったんだけどね。
これはあんたが知るべきものだよ。渡しておく。
薬草で、Ωやαのものが作れるのなら、副作用の少ない薬草はとても価値のあるものだろう。
一人ひとりの体に合わせて、配分も変えることで、安定した生活を送ることができるだろう。
安静にしている間は、頂いたノートを見て頭に叩き込みました。
身近に咲いている薬草で副作用の少ない薬ができる。
施設で手に入れたものは内臓を痛める副作用がありましたから、薬草の奥深さはすごいと思いました。
安静時の私のすることは、服の直しとノートの勉強でした。
2日置きにミディさんに身体を見てもらう生活が何日か続きました。
安定したみたいだけど、薬草を調合することは認めます。
ただし、負担になるような重いもの、激しい運動。
そうね、走ったり飛んだり、飛び降りたり。転ぶ時も、お腹と腰を守るようにしなさい。
なんだかすごいことを要求されていますが、わかりました。
ノートの薬が作れるようになっただけでも、あんたは一人で生きていけるだろうね。
時間はたっぷりあるんだ。しっかり感覚を覚えなさい。
本当に何から何までミディさんにはお世話になっている。
ありがとうございます。
私はお礼を言いました。
親の温かさとはこういうものでしょうか?私も、産んでからはこのようになれるのでしょうか。
子どもが宿って生まれるまでの時間は、母親になるための覚悟と責任感を育てるためだそうです。
吐き気は妊娠の兆候でありつわりでした。普段の好みが嫌いになっていくのは、不思議な感覚でした。
徐々に、腹部も膨らみ始め、体の至る所で、妊婦の姿になっていきました。
入る服をどうしようか悩んでいると、
妊婦服は私の普段着で十分だろう。あんた、少しは自分から言いなさい。
ミディさん、それは言いづらいです。ミディさんは妊婦さんではありませんが、体に丸みがあります。
私は、この明るいミディさんが大好きになりました。
はい。
と、照れるように笑ってしまいました。
!!!!!
あんた!!笑ったじゃない!!いい顔するわねぇ。
驚かれたことに驚きです。
私はずっと笑っていなかったようです。
ミディさんは泣いてくれました。
あんた!もう、私の子どもになりなさい。20歳超えたんでしょう。なら、何でも自分で選べるからね。
私をあんたのお母さんにしなさい。
嬉しいものです。ミディさんから言われるなんて。
はい。お母さん、よろしくお願いします。
泣き、笑い、顔はぐちゃぐちゃです。お母さんは私の頭を撫でて、そっと抱きしめてくれました。
20歳のある日、優しい母ができました。
穏やかな生活を送ることができた妊婦生活も終わりが近づいてきました。
寒い日の夜、私は母さんの元で子ども産みました。
とても元気な産声を上げて母さんを喜ばしていました。
髪の色は金色と番の彼の色である銀色でした。
子どもはすくすくと育ちました。
親の姿を見ているのでしょう。とても思いやりのある子どもに育ちました。
私も育児をしながら、ノートの薬を作り、それを路銀に変えて生活を支えていました。
徐々に固定客も付き、遠くの街からも注文が入るようになりました。
番の解消と子どもの出産を経験した私は、自分の作った薬のおかげで安定した生活を送ることができていました。
愛情を与えてくれたお母さんが病で倒れ、そしてアッという間に亡くなりました。
私たちはとても悲しみました。
この時、私は25歳でした。子どもは5歳になる前でした。
母は最後に言いました。
この家をお前たちが住んでいけばいいさ。
最後に、薬草畑の横のお父さんの隣に私を連れて行ってちょうだい。
生前、母の好きだった薬草を墓の周りに植えました。
これからは2人で生きていく。
私は子どもに言いました。
この家に住むことになるが、おまえにもいろいろと分担をしてもらわないといけない。
それでも、私は母さんの残したこの家を守りたい。
子どもはいいました。
母様のそばに一緒にいます。
勉強は母様が教えてくれます。
おばあちゃまは私に薬の売り方を教えてくれました。
お金の計算もできます。
お客さんの名前も、注文のことも覚えてます。母様の役にたてるよう、頑張ります。
この子は私の知らないところで、お母さんから多くのことを教えてもらっていたようです。
改めて、感謝でいっぱいになりました。
それからは、薬草づくりは私が、売りにいくことは子どもがしました。
裕福ではありませんでしたが、貧乏でもありませんでした。
薬草のない時期には服の直しの仕事もして過ごしていました。
2人の穏やかな生活が続きました。
私が30歳になる頃でしょうか。
この頃の私は、発達の遅れがあってももう、成人した大人にみられるようになりました。
他人からの意見ではありません。我が子の意見ではありますが。
人の前には出ることは私はありませんでした。βの多い地域でΩは目立ちます。
森の奥、人が立ち入ることを避ける場所にあった我が家に、ある日、来客がありました。
その日は、子どもが薬を売りに行く日で家には私しかいませんでした。
人が近づくと知らせが鳴る罠が反応しました。
家の中が見えないように窓を閉じました。
顔を見せなくても対応できるよう細工をしているドアに前もって厳重に鍵を掛けました。
ドアをノックする音が聞こえました。
様子を見ます。
次は大きめに音が鳴りました。
昔、私がこの家を訪れた時を思い出しました。
緊張のやわらぎか、つい、応えてしまいました。
ドアの向こうでは男性が一人いるようです。
彼は言いました。
こちらは、Ω、αの抑制剤を薬草で作っている薬師の家だと聞いた。
事情でどうしても、必要である。話だけでも、聞いてもらえないだろうか?
私は答えました。
どちら様か存じませんが、この家に来られても、お答えすることはございません。
薬師の薬は、売りに出ている薬師に尋ねてください。
お引き取りを願います。
彼は大きくため息をつき、
分かった
と答えました。
その後、しばらくしてから罠の知らせで帰っていったのがわかりました。
その日の夜、子どもに尋ねました。
客で男の人はいないかと。
子どもは笑いながら言いました。
たくさんいるよ。
今日のことをどう説明したらいいでしょう。
もう少し聞いてみました。
ため息をつく男の人はいないかと。
子どもは少し考えてから言いました。
最近、薬の話を知って、藁にもすがる思いで来たという人が一人いる。
ただ、この薬はすぐに手に入るものではないことを知ってもらうために、まだ、様子を見ている。と。
様子を見るとはどういうことか。
母様の薬は貴重なので簡単に入ったんじゃ、価値が下がるだろう。
これはおばあちゃまからの教えさ。
相手の本気を見るには、相手をしっかり待たすこと。
お母さんの商売上手はしっかりと受け継がれているようです。
私は今日、あったことを子どもに話をしました。
子どもはすぐに言いました。
でも、この家に迷うことなくただりつけるってすごいよ。
同じ人なら、朝に一度、姿を見て、この森に入って家まで来たとしたら、それはすごいことだと思うよ。
そうだった。この家は簡単に見つけることはできない。
森に慣れている私ですら2日はさまよって見つけたものだ。
この子が家を教えるということはしないだろう。
では、どうして、この家を見つけることができるのか。
私を捨て去った人、そして私の匂い。
・・・・運命。
でも、私は話をしたとき、何も感じなかった。
自分の作った抑制剤の効果もあるだろうが、番を解消しても運命は運命。
黙ってしまった私を心配して明るく話を変えようとしてくれた子どもは次のことを言った。
でもさ、その様子を見ている人って、髪の色が似てるんだよね。一瞬、父親かなって思った。
だけど、あの人なんだろう、すごく辛そうだった。
すごく体調が悪そうだった。元気だったら、かなり綺麗な人だと思う。
!!!!!!
もし、あの時の運命の番なら。話が少しずつ、つながっていくようでした。
私はもう一人では考えれませんでした。子どもに話しました。
大きくなったとは言え、まだまだ、子ども。
その子どもに自分の生まれる前に起ったことを知らせるのは残酷です。
慎重に言葉を選んで話をしました。
母様。おばあちゃまが教えてくれたよ。
だから、全部知っている。
もし、あの人が父親だとしても、自分からは何もしないし、問われても知らないと通すよ。
おばあちゃまとの約束だし。
私は心配でした。もし、この子を奪われたら・・・
勝手に子どもを産んでいることを知られたら、それこそ、疫病神のような存在になるでしょう。
それに、頭のいい子です。
髪の色は金色と銀色の混ざりはあるものの、容姿も整っている。
Ωの私が生んだのですからその子どもはαであるでしょう。
手元に残る幸せを奪われたら、私は生きていけないでしょう。
特に、気を付けるようにと2人で話をおさめ、日々を過ごしていきました。
それからも、例の彼は薬を売りに出かけた子どもの元に来ては、追い返されているようです。
子どもも、何気ない、世間話を彼とするようになり、情報を聞き出そうとしています。
子どもはどうも、物語の主人公になった気分でわくわくとしています。
話を教えてくれることは色々ありました。
王族出身で兄弟の多さで子どものいない軍の幹部の養子になった。軍の関係する地位についている。
αの抑制剤を長年に渡り摂取したため、体調に影響が出始めている。
若いころは自分の環境に不満があり、荒れていたが今はその元気も湧いてこない。
さすがにこのまま薬を取り続けるとあと、数年で動けなくなるだろう。
そのため、噂で副作用の少ない、良質な抑制剤の話を聞いてやってきた。
話を聞いて、ただ、そうだったのだと思いました。それだけです。
子どもは続けました。
どうする?薬を渡す?
私は答えました。
薬を渡してもらうようにと。
それと、同時に、私は子どもと一緒に薬を売りにでるようにしました。
フードをかぶり見えないようにして、人と会うことを慣れていきました。
私の薬はΩもαも惑わさない奇跡の薬を言われているそうです。
最近では、この薬を飲んで安定したΩが、βを心を通わし、幸せになったと大きく噂になったそうです。
物語もできたと。吟遊詩人が色々と流していると。
なんだか、自分で照れてしまいました。
例の彼は薬がなくなる頃に、来る固定客になりました。ただ、こちらが運命の番だとは気づいていません。
私も何もいいません。知らなくていいことです。
運命に左右されることで、幸せにも不幸せにもなります。そこに一つ選択肢が生まれたのです。
心を通わし幸せになる人生を。
それから、私も子どもと親しくしてもらっていた方と縁があり、夫婦になりました。
その方はαでした。
私の閉ざした心を長く待って受け入れ、Ωではありますが、心も通わすことができました。
今では、薬のつくり方、薬草の育て方は子どもに引き継がれています。
番の解消により、体は運命ではなくても受け入れてくれました。
私たちは心を交わした番となり、みんなからも祝福をしていただけました。
今、子どもを身ごもるには少し高齢ではありますが、お腹に愛の結晶がいます。
私はこれからも一生、幸せであれ・・・
そう、思いながら庭の薬草を眺めながらそっと、お腹を撫でるのでした。
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