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蜜月編
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「……ここですか?」
「ええそうですよ。こちらで間違いありません」
マリッサに案内されやってきたミミナは、目の前の小屋を見て首を傾げた。
大通りから数ブロック離れた裏路地に建つ小屋は、もはや廃屋といったほうが正しいかもしれない。あちこちに罅の入った外壁に色褪せた木枠から外れそうな扉は、少しでも乱暴に扱ったらすぐに壊れてしまいそうだ。
(おかしいわね、たしか今日は一日執務室にいるってロルフは言ってたのに。急な用事で外出した可能性もあるけど……)
「あの、本当にロルフはここにいるんですよね?」
「はあ、まったく手のかかること」
「えっ? あっ、キャアッ!」
やれやれといった様子でふうに首を振ったマリッサは、扉の前で立ち止まったミミナの手を掴み建物の中に入れる。
乱暴に背中を押され床に倒れ込んだミミナは、小屋の中に立ち込める複数の匂いに気がついた。
(これは……オオカミ族とイヌ族の匂い……?)
どうやらここは使われていない倉庫のようだ。壊れた屋根から漏れた光が薄暗い部屋の中を照らしている。
やがて暗さに慣れたミミナの目が、小屋の中央に立つ男女の姿を捕らえた。
「ずいぶん遅かったじゃない、マリッサ。待ちくたびれちゃったわ」
「申し訳ありません、お嬢様。巣穴から出すのに思った以上に手間取りました」
「まあ、やっぱりウサギは臆病者なのね」
マリッサがお嬢様と呼んだのは、声の感じからするとまだ若い女性のようだ。
大きなつばの帽子を被っているため顔ははっきり見えないが、綺麗に巻かれた銀色の髪が肩で揺れている。帽子と同じ鮮やかなブルーのワンピースは、いかにも仕立てがよさそうだ。
「あの、あなた達は……?」
「私? 私はロルフ様の正統な婚約者よ」
「婚約者?」
「アルジェリーナ様はオオカミ族の中でも古い血統を守る、由緒正しい一族のご令嬢です。本来でしたらミミナさんがお目にかかれるような方ではないのですよ」
「そんな方が私になんの用ですか?」
「用? まさか! あなたなんかに用はないわ。用があるとしたらロルフ様ですわ」
アルジェリーナは器用に片方の眉を上げた。
「あのロルフ様の番がウサギ族だなんて、私は絶対認めませんのよ。いったいどのような手練手管を使ったのか知りませんけど、その身体で籠絡したのは違いないでしょう?」
「手管って、いったいなんの話をしてるんですか?」
「あなたはロルフ様の秘書に応募してきたと聞いてますわ。違って?」
「それは……間違いありません」
あの日のことを思い出したミミナの頬がぱっと赤く染まる。まさかハーレムメンバーの審査だと勘違いしていたとは、口が裂けても言えないだろう。
「ねえマリッサ、あの面接の日になにが大変なことがあったのでしょう? 教えてくれるかしら」
「はい。あの日、面接に訪れたのはオオカミ族以外にはライオン族、ヒョウ族、そしてクマ族といった優秀な方ばかりが集まっておりました。面接は途中まで滞りなく進んでおりましたが、最後で予期せぬトラブルがあったのです。なんでもとある女性が面接中に倒れたとかで、大騒ぎになったのです」
「私も聞いたわ。部屋に入った候補者がなかなか出てこなかったとか」
「その通りです。族長代理補佐のクリスがかなり慌てていましたから、あの日あの場にいた獣人はみな知っているでしょう」
「え……?」
それを聞いたミミナの顔が今度は真っ青になる。あの日部屋の中でナニがあったかは、ミミナが一番よく知っているのだ。
(あの時は結局二戦目に突入して、最後は私が疲れて眠っちゃったのよね。目が覚めたら真っ暗になってて、ロルフは初めてなのに無理をさせたって凄く慌ててたっけ……。やだ、そうよね。面接なのにあんな時間まで部屋から出てこなかったら、みんな不審に思うに決まってるわ。どうして今まで気がつかなかったのかしら。恥ずかしい!)
顔を赤くしたり青くしたりと忙しないミミナを、アルジェリーナはまるで汚いものでも見るように一瞥した。
「ロルフ様は今までどんな女性にも興味を示さない高潔な方だったの。それが初対面なのに結婚を決めるなんて、あの日、あなたが色仕掛けで迫って責任を取れとでも言ったのではなくて?」
「そんな、違います! 色仕掛けだなんて、そんなことしてません!」
むしろ身体で堕として責任を取ると迫ったのはロルフである。ミミナは激しく頭を振った。
「あら白々しい。とぼけないでちょうだい。けれどそれはもうどうでもいいの。どうせあなたはロルフ様に離婚されるんですもの」
「おい、無駄話はそれくらいでいいだろう。さっきからそいつのフェロモンに当てられて、こっちはもう我慢できないんだ」
「あら、ごめんなさいね」
「ミミナさん、この二人はあなたにとても興味があるそうです。せっかくですから三人でゆっくり相互理解を深めてはいかがでしょう」
アルジェリーナとマリッサの後ろから姿を現したのは、大きな耳を垂らしたイヌ族の男達だった。二人はミミナを見てニヤリと唇を歪めた。
「この子が噂のうさぎちゃんか。へへ、悪くないな」
「ああ、こんなに発情した匂いをまき散らしてるんだ。さぞかし淫乱なんだろうよ」
「あらあら、やっぱりウサギが多情だっていうのは本当なのね。ロルフ様という相手がいながら余所の雄に反応するなんて、最低だわ」
「そんな! 違います!」
「私達オオカミ族は、相手の浮気を絶対に許さないわ。きっとあなたはロルフ様に離婚されるでしょうね」
「……っ!」
身の危険を感じ急いで身体を起こそうとしたミミナは、突然に襲った眩暈に再び両手を床についた。
(やだ、なんでこんな時に眩暈が……でも、そういえば朝から体調がおかしかったっけ)
身体が熱い。酒精の高い酒を飲んだ時のように頬が火照り、喉がひりつくような渇きを訴える。グルグル回る視界にミミナがはあと溜息をつくと、その様子を見たイヌ族の男達は思わず生唾を呑み込んだ。
実はこれらの症状は、発情期を迎えた獣人に見られる典型的な身体の変化である。
だが今まで明確に発情状態を自覚したことのないミミナにとっては未知の症状であり、そのためミミナはは自分の身体の変化に戸惑っていた。
(どうして……身体が熱くて……怖い……私、どうなっちゃうの……?)
床に蹲るように手をつきふるふると震えるミミナを見て、アンジェリーナは嘲るように笑った。
「お嬢様、邪魔になるといけません。我々はおいとまいたしましょう」
「そうね。自分の番が不貞を働いたと知ったら、ロルフ様はどれだけ悲しまれるかしら。ああ、なんてお可哀想なロルフ様! 私が慰めてさしあげないと!」
「待って行かないで……!」
ミミナの目の前で無情にも小屋の扉が閉ざされようとした次の瞬間、地を這うような低い声が響いた。
「────待て」
「ええそうですよ。こちらで間違いありません」
マリッサに案内されやってきたミミナは、目の前の小屋を見て首を傾げた。
大通りから数ブロック離れた裏路地に建つ小屋は、もはや廃屋といったほうが正しいかもしれない。あちこちに罅の入った外壁に色褪せた木枠から外れそうな扉は、少しでも乱暴に扱ったらすぐに壊れてしまいそうだ。
(おかしいわね、たしか今日は一日執務室にいるってロルフは言ってたのに。急な用事で外出した可能性もあるけど……)
「あの、本当にロルフはここにいるんですよね?」
「はあ、まったく手のかかること」
「えっ? あっ、キャアッ!」
やれやれといった様子でふうに首を振ったマリッサは、扉の前で立ち止まったミミナの手を掴み建物の中に入れる。
乱暴に背中を押され床に倒れ込んだミミナは、小屋の中に立ち込める複数の匂いに気がついた。
(これは……オオカミ族とイヌ族の匂い……?)
どうやらここは使われていない倉庫のようだ。壊れた屋根から漏れた光が薄暗い部屋の中を照らしている。
やがて暗さに慣れたミミナの目が、小屋の中央に立つ男女の姿を捕らえた。
「ずいぶん遅かったじゃない、マリッサ。待ちくたびれちゃったわ」
「申し訳ありません、お嬢様。巣穴から出すのに思った以上に手間取りました」
「まあ、やっぱりウサギは臆病者なのね」
マリッサがお嬢様と呼んだのは、声の感じからするとまだ若い女性のようだ。
大きなつばの帽子を被っているため顔ははっきり見えないが、綺麗に巻かれた銀色の髪が肩で揺れている。帽子と同じ鮮やかなブルーのワンピースは、いかにも仕立てがよさそうだ。
「あの、あなた達は……?」
「私? 私はロルフ様の正統な婚約者よ」
「婚約者?」
「アルジェリーナ様はオオカミ族の中でも古い血統を守る、由緒正しい一族のご令嬢です。本来でしたらミミナさんがお目にかかれるような方ではないのですよ」
「そんな方が私になんの用ですか?」
「用? まさか! あなたなんかに用はないわ。用があるとしたらロルフ様ですわ」
アルジェリーナは器用に片方の眉を上げた。
「あのロルフ様の番がウサギ族だなんて、私は絶対認めませんのよ。いったいどのような手練手管を使ったのか知りませんけど、その身体で籠絡したのは違いないでしょう?」
「手管って、いったいなんの話をしてるんですか?」
「あなたはロルフ様の秘書に応募してきたと聞いてますわ。違って?」
「それは……間違いありません」
あの日のことを思い出したミミナの頬がぱっと赤く染まる。まさかハーレムメンバーの審査だと勘違いしていたとは、口が裂けても言えないだろう。
「ねえマリッサ、あの面接の日になにが大変なことがあったのでしょう? 教えてくれるかしら」
「はい。あの日、面接に訪れたのはオオカミ族以外にはライオン族、ヒョウ族、そしてクマ族といった優秀な方ばかりが集まっておりました。面接は途中まで滞りなく進んでおりましたが、最後で予期せぬトラブルがあったのです。なんでもとある女性が面接中に倒れたとかで、大騒ぎになったのです」
「私も聞いたわ。部屋に入った候補者がなかなか出てこなかったとか」
「その通りです。族長代理補佐のクリスがかなり慌てていましたから、あの日あの場にいた獣人はみな知っているでしょう」
「え……?」
それを聞いたミミナの顔が今度は真っ青になる。あの日部屋の中でナニがあったかは、ミミナが一番よく知っているのだ。
(あの時は結局二戦目に突入して、最後は私が疲れて眠っちゃったのよね。目が覚めたら真っ暗になってて、ロルフは初めてなのに無理をさせたって凄く慌ててたっけ……。やだ、そうよね。面接なのにあんな時間まで部屋から出てこなかったら、みんな不審に思うに決まってるわ。どうして今まで気がつかなかったのかしら。恥ずかしい!)
顔を赤くしたり青くしたりと忙しないミミナを、アルジェリーナはまるで汚いものでも見るように一瞥した。
「ロルフ様は今までどんな女性にも興味を示さない高潔な方だったの。それが初対面なのに結婚を決めるなんて、あの日、あなたが色仕掛けで迫って責任を取れとでも言ったのではなくて?」
「そんな、違います! 色仕掛けだなんて、そんなことしてません!」
むしろ身体で堕として責任を取ると迫ったのはロルフである。ミミナは激しく頭を振った。
「あら白々しい。とぼけないでちょうだい。けれどそれはもうどうでもいいの。どうせあなたはロルフ様に離婚されるんですもの」
「おい、無駄話はそれくらいでいいだろう。さっきからそいつのフェロモンに当てられて、こっちはもう我慢できないんだ」
「あら、ごめんなさいね」
「ミミナさん、この二人はあなたにとても興味があるそうです。せっかくですから三人でゆっくり相互理解を深めてはいかがでしょう」
アルジェリーナとマリッサの後ろから姿を現したのは、大きな耳を垂らしたイヌ族の男達だった。二人はミミナを見てニヤリと唇を歪めた。
「この子が噂のうさぎちゃんか。へへ、悪くないな」
「ああ、こんなに発情した匂いをまき散らしてるんだ。さぞかし淫乱なんだろうよ」
「あらあら、やっぱりウサギが多情だっていうのは本当なのね。ロルフ様という相手がいながら余所の雄に反応するなんて、最低だわ」
「そんな! 違います!」
「私達オオカミ族は、相手の浮気を絶対に許さないわ。きっとあなたはロルフ様に離婚されるでしょうね」
「……っ!」
身の危険を感じ急いで身体を起こそうとしたミミナは、突然に襲った眩暈に再び両手を床についた。
(やだ、なんでこんな時に眩暈が……でも、そういえば朝から体調がおかしかったっけ)
身体が熱い。酒精の高い酒を飲んだ時のように頬が火照り、喉がひりつくような渇きを訴える。グルグル回る視界にミミナがはあと溜息をつくと、その様子を見たイヌ族の男達は思わず生唾を呑み込んだ。
実はこれらの症状は、発情期を迎えた獣人に見られる典型的な身体の変化である。
だが今まで明確に発情状態を自覚したことのないミミナにとっては未知の症状であり、そのためミミナはは自分の身体の変化に戸惑っていた。
(どうして……身体が熱くて……怖い……私、どうなっちゃうの……?)
床に蹲るように手をつきふるふると震えるミミナを見て、アンジェリーナは嘲るように笑った。
「お嬢様、邪魔になるといけません。我々はおいとまいたしましょう」
「そうね。自分の番が不貞を働いたと知ったら、ロルフ様はどれだけ悲しまれるかしら。ああ、なんてお可哀想なロルフ様! 私が慰めてさしあげないと!」
「待って行かないで……!」
ミミナの目の前で無情にも小屋の扉が閉ざされようとした次の瞬間、地を這うような低い声が響いた。
「────待て」
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