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第8話 拉致監禁フラグ
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魔法庁の大理石張りの廊下に響くディアン革靴の音のあとに、パトリシアのヒールの音が続く。
手首を引かれるパトリシアは転ばないように小走りになりながら、ディアンの背中に向かって抗議した。
「局長! 一体どういうつもりですか!」
「……パトリシア、よくもお前……」
「ねえ、ちょっと待って」
「うるさい! いいから黙ってついて来い!」
「ねえ痛いの! お願い止まって!」
その言葉を聞いたディアンは、すぐさまその場に立ち止まった。そして肩で息をするパトリシアに気が付くと、先程の怒ったような表情から一転眉を下げ、ひどく申し訳なさそうな顔になった。
「パトリシア……すまない。少し冷静さを欠いていたようだ。その、痛かったか」
掴んでいた手をゆっくり離し、ディアンは丁寧に手首を調べる。だが、パトリシアが痛かったのはそこではない。ぶるんぶるんと豪快に揺れていた胸だ。
「大丈夫です。その、痛いのは手首ではありませんから」
「どこを痛めたんだ? ああ、足か?」
その場で跪きヒールを脱がそうとするディアンを、パトリシアは慌てて止めた。
「もう大丈夫ですから! それより局長は一体どこに行こうとしてたんですか?」
「あ? ああ、そうだな……。パトリシア、倉庫の鍵は持っているか?」
「鍵? 勿論持ってますけど、それが?」
「誰にも邪魔されない場所でゆっくり話したい。倉庫へ行こう」
そう言うとディアンは今度はパトリシアの腰を優しく抱き、まるでエスコートするように倉庫へと誘ったのだった。
備品管理局が管理する巨大な倉庫は、魔法庁の広大な敷地の鬱蒼と木が茂る一角にひっそりと佇んでいる。
苔むした分厚い石造の倉庫の内側は、天井まで届く高い棚が迷路のように立ち並び、埃を被った箱や石が所狭しと置かれている。一見どう見てもガラクタにしか見えないそれらの品の中には、この世に二つとないとされる希少品がそこかしこに隠れているのだった。
ディアンとパトリシアが倉庫に一歩足を踏み入れると、彼等の魔力に反応して壁に掲げられた魔石灯が一斉に明かりを灯した。
薄黄色の明かりに照らされた通路をディアンは知った様子で進み、古びた机と椅子を見つけると丁寧に埃を払ってからパトリシアを座らせた。そして自分はどかりと机に腰を下ろして眼鏡を外し、疲れたのか眉間を解すように揉んだ。
「……パトリシア、本気で魔法庁を辞めたいのか」
「ええ。きっかけは何であれ、もうずっと考えていたことですから」
「なぜ、と理由を聞いてもいいか」
「そうですね……、倉庫番の仕事は私でなくてもできると思うんです」
パトリシアはぽつり、ぽつりと語った。
「確かに倉庫番の仕事は楽しかったし、やりがいもあります。でも、ある日ふと考えてしまったんです。一緒に入った同期の人間がどんどん昇進していく中、私は七年たっても倉庫で埃を被ってる。……倉庫に捨てられたお荷物とか、役に立たない鼠とか、そんなことを言われるのはもう疲れました」
「……ほう、そんなことを言う奴がいたのか」
ディアンのアイスブルーの目がすっと細くなり、唇に冷酷な笑みが浮かぶ。妙な既視感と共に背筋がぞわりと冷たくなるのを感じたパトリシアは、慌てて頭を振って否定した。
「いえ、それはもういいんです。この五日間で気が済みましたから」
実の所、月曜から今日までパトリシアが魔法庁をやたら歩き回っていたのは、彼女のなりのささやかな意趣返しも兼ねていたのだ。
ある者は口を開けパトリシアに見惚れ、またある者は悔しそうに豊かに実るたわわを睨む。そんな彼等の反応に、パトリシアもずいぶんと溜飲を下げていた。
「だがお前が辛い思いをしたのは事実だろう? 気が付いてやれなくて悪かったな」
「ちょ、ちょっと局長、止めてください!」
潔く頭を下げるディアンを、パトリシアは慌てて止めた。部下が嫌味を言われたくらいで上司が頭を下げるなんて、何か違う。絶対おかしい。それに、そもそも退職届を出すきっかけはディアンのセクハラまがいの言動である。謝るならそちらを先に謝ってほしい。
「本当にもういいですから。それに、ええと……次の仕事はすごく条件がいいんです。お給料も今までよりずっと上がるし、仕事の内容も私のやりたかった分野の研究をさせてくれるそうです。だから局長が気にする必要は何もありません」
「次の仕事? もう決まってるのか?」
「ええ、アカデミーの同期の研究所です」
「リーンハルトか。あの野郎……」
長官もそうだったが、どうしてリーンハルトの研究所に誘われていることを知っているのだろう。パトリシアは訝し気に目を細めた。
しばらく何かを考えていたディアンは、おもむろにテーブルから降りた。そしてパトリシアの前で片膝を付き、真剣な眼差しで彼女を見上げた。
「パトリシア、俺がお前に辞めるなと言ったらどうする」
「え?」
「俺はゆくゆくはお前を備品管理局の次長にするつもりだった。給料も上げる。仕事の内容もお前の希望に添うように検討しよう。……俺にはお前が必要なんだ」
手首を引かれるパトリシアは転ばないように小走りになりながら、ディアンの背中に向かって抗議した。
「局長! 一体どういうつもりですか!」
「……パトリシア、よくもお前……」
「ねえ、ちょっと待って」
「うるさい! いいから黙ってついて来い!」
「ねえ痛いの! お願い止まって!」
その言葉を聞いたディアンは、すぐさまその場に立ち止まった。そして肩で息をするパトリシアに気が付くと、先程の怒ったような表情から一転眉を下げ、ひどく申し訳なさそうな顔になった。
「パトリシア……すまない。少し冷静さを欠いていたようだ。その、痛かったか」
掴んでいた手をゆっくり離し、ディアンは丁寧に手首を調べる。だが、パトリシアが痛かったのはそこではない。ぶるんぶるんと豪快に揺れていた胸だ。
「大丈夫です。その、痛いのは手首ではありませんから」
「どこを痛めたんだ? ああ、足か?」
その場で跪きヒールを脱がそうとするディアンを、パトリシアは慌てて止めた。
「もう大丈夫ですから! それより局長は一体どこに行こうとしてたんですか?」
「あ? ああ、そうだな……。パトリシア、倉庫の鍵は持っているか?」
「鍵? 勿論持ってますけど、それが?」
「誰にも邪魔されない場所でゆっくり話したい。倉庫へ行こう」
そう言うとディアンは今度はパトリシアの腰を優しく抱き、まるでエスコートするように倉庫へと誘ったのだった。
備品管理局が管理する巨大な倉庫は、魔法庁の広大な敷地の鬱蒼と木が茂る一角にひっそりと佇んでいる。
苔むした分厚い石造の倉庫の内側は、天井まで届く高い棚が迷路のように立ち並び、埃を被った箱や石が所狭しと置かれている。一見どう見てもガラクタにしか見えないそれらの品の中には、この世に二つとないとされる希少品がそこかしこに隠れているのだった。
ディアンとパトリシアが倉庫に一歩足を踏み入れると、彼等の魔力に反応して壁に掲げられた魔石灯が一斉に明かりを灯した。
薄黄色の明かりに照らされた通路をディアンは知った様子で進み、古びた机と椅子を見つけると丁寧に埃を払ってからパトリシアを座らせた。そして自分はどかりと机に腰を下ろして眼鏡を外し、疲れたのか眉間を解すように揉んだ。
「……パトリシア、本気で魔法庁を辞めたいのか」
「ええ。きっかけは何であれ、もうずっと考えていたことですから」
「なぜ、と理由を聞いてもいいか」
「そうですね……、倉庫番の仕事は私でなくてもできると思うんです」
パトリシアはぽつり、ぽつりと語った。
「確かに倉庫番の仕事は楽しかったし、やりがいもあります。でも、ある日ふと考えてしまったんです。一緒に入った同期の人間がどんどん昇進していく中、私は七年たっても倉庫で埃を被ってる。……倉庫に捨てられたお荷物とか、役に立たない鼠とか、そんなことを言われるのはもう疲れました」
「……ほう、そんなことを言う奴がいたのか」
ディアンのアイスブルーの目がすっと細くなり、唇に冷酷な笑みが浮かぶ。妙な既視感と共に背筋がぞわりと冷たくなるのを感じたパトリシアは、慌てて頭を振って否定した。
「いえ、それはもういいんです。この五日間で気が済みましたから」
実の所、月曜から今日までパトリシアが魔法庁をやたら歩き回っていたのは、彼女のなりのささやかな意趣返しも兼ねていたのだ。
ある者は口を開けパトリシアに見惚れ、またある者は悔しそうに豊かに実るたわわを睨む。そんな彼等の反応に、パトリシアもずいぶんと溜飲を下げていた。
「だがお前が辛い思いをしたのは事実だろう? 気が付いてやれなくて悪かったな」
「ちょ、ちょっと局長、止めてください!」
潔く頭を下げるディアンを、パトリシアは慌てて止めた。部下が嫌味を言われたくらいで上司が頭を下げるなんて、何か違う。絶対おかしい。それに、そもそも退職届を出すきっかけはディアンのセクハラまがいの言動である。謝るならそちらを先に謝ってほしい。
「本当にもういいですから。それに、ええと……次の仕事はすごく条件がいいんです。お給料も今までよりずっと上がるし、仕事の内容も私のやりたかった分野の研究をさせてくれるそうです。だから局長が気にする必要は何もありません」
「次の仕事? もう決まってるのか?」
「ええ、アカデミーの同期の研究所です」
「リーンハルトか。あの野郎……」
長官もそうだったが、どうしてリーンハルトの研究所に誘われていることを知っているのだろう。パトリシアは訝し気に目を細めた。
しばらく何かを考えていたディアンは、おもむろにテーブルから降りた。そしてパトリシアの前で片膝を付き、真剣な眼差しで彼女を見上げた。
「パトリシア、俺がお前に辞めるなと言ったらどうする」
「え?」
「俺はゆくゆくはお前を備品管理局の次長にするつもりだった。給料も上げる。仕事の内容もお前の希望に添うように検討しよう。……俺にはお前が必要なんだ」
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