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中等部一年

宿泊学習③

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 お昼休みを終えた私たちは、男女に別れ作業をしていた。

男子生徒はテント張りと飯盒炊爨を、女子生徒は夕飯のカレー作りだ。

 男子は二手に分かれ、テント張りは公泰くんの指示の下に協力し合ってクラス分のテントを張っている。

 公泰くんの叔父、克之くんのお父さんがアウトドア好きだ。そのため、磐井一族はよくキャンプをする。なので、公泰くんはテント張りに慣れているのだ。

 公泰くんは少し風が強いからペグを二本使ってX字にしようと指示を出し、ペグを打つ姿はさまになっている。

 揃いの胡蝶学院と左胸に刺繍されたピンクのエプロンを着て、料理を開始する。

 女子はというと天音さんが中心となり、楽しそうに大量の野菜を切っている。

 グループの輪に入りづらい私は、離れた水道で汚れた食器などを洗う。

 そこに気遅れた様子の真由美さんが合流する。

 水道はお湯が出ず、食器に付いた泡を流し続けていると手が冷たくなり指先が悴む。キャンプの水道は雪解け水の地下水を使用しているため、普段の水道水よりも芯から冷たい。

 指を息で温めているところに、ライスクッカーを持った笙真くんがやって来る。

「友達ができたみたいだね」

 笙真くんは天使の笑顔を浮かべ、真由美さんはその笑顔を見て耳まで赤くしている。

「うん」

「よかった」

 笙真くんの口調に少し違和感があり、笙真くんを見るが笙真くんはいつもと変わらない様子でお米を洗っている。

「どうしてキャンプと言えばみんなでカレーなんだろうね」

「ん~、カレーのルー使えば失敗が少ないからかな?」

「BBQが良かったなぁ」

「それだと、簡単すぎるからじゃない?」

「克忠おじさんのせいでキャンプ飽きているから、片付けが簡単なカップラーメンでいいのに」

 笙真くんの言葉に真由美さんが笑う。

「本当に磐井家でもカップラーメン食べるんですか?」

「キャンプの時くらいしか食べさせてもらえないけどね。四ママがうるさいんだ」

 克忠おじさんというのは克之くんのお父様で、四ママというのは三つ子、雅臣くん、克之くん、聡介くんのお母様たちの総合的呼び方だ。

「それに慣れた人の飯盒炊爨は美味しいけど、ぼくたちの班のはね…。」

「でも、笙真くん慣れてるでしょ?」

「えっ?ぼくに公泰みたいに仕切れって?」

 ムリムリと笙真くんが首を振る。

「やろうと思えば、できるくせに」

 笙真くんがいるからか、自然に話が盛り上がり三人で楽しく話していると、冷たい声が場を凍らせる。

「紫音さん」

 振り返るとお洒落なボタニカル柄の三角巾姿の天音さんが険しい表情で立っていた。

「さぼっているなら、あなたもこちらでお肉を切ったらどう?」

「あっ!紫音は包丁は…」

 笙真くんがかばってくれるが、そのことにさらに腹を立てた天音さんが割り込む。

「笙真さんは黙っていてください。これはうちのクラスの問題ですから」

 天音さんは私に無理やり包丁を持たせようとするが、私は包丁を持つことができない。

 包丁を持つと、あの時の―。

 人を刺した時の感触を思い出してしまうから。

 少し水で塗れた取っ手が、あの男の刺し傷から伝う血を連想させる。

 自分の呼吸が徐々に早くなるのを感じ、異変を察知した笙真くんが私を抱きしめる。

 笙真くんの持っていたライスクッカーが床に落ち、綺麗に洗ったお米が飛び散る。

 目から涙が出るほど苦しい。息が吸えない。空気が全くない。

 額から脂汗が滲み、笙真くんに縋りつく手が震え汗でびっしょりになる。心臓がどきどきと、すごい速さで脈を打つ。

「大丈夫だよ、紫音。息できているし、空気もあるよ。ゆっくり、ゆっくりだよ。紫音、ゆっくり浅く息を吐いてごらん。」

 笙真くんの声を頼りに、浅くゆっくりと呼吸をすることを意識する。

 集まってきた生徒たちに、公泰くんが散るようにと指示を出す。

「集まらないで!過剰に反応すると、紫音が不安がるから!侑大、ご飯焦げてるよ!」

 マジで!と素っ頓狂な声を出す侑大くんに小さな笑いが出る。

 少しして落ち着いた私は、保健室の先生に連れられて宿泊施設のベッドで休むこととなった。

 楽しんでいて宿泊学習が一気にぐちゃぐちゃになり、息が苦しいのも相まって私の目からは涙がポロポロとこぼれる。

 笙真くんの手を握る力が強くなる。

「大丈夫だよ、紫音。ぼくがいるから」

 ほんの少しだけ戻った力で笙真くんの手を握り返した。

 確かに、二人でいれば私たちは大丈夫だ。
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