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序章

五年後

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 五年後の四月。
 
 今日は私立胡蝶学院中等部の入学式だ。

 私は磐井夫妻の希望で磐井家が代々通っている胡蝶学院に進学することとなった。

 胡蝶学院は幼稚園から大学まである総合学園で、磐井グループを大企業まで成長させた公泰の祖父である磐井壮権が創立した学院だ。

 歴史はないが企業の胡蝶と呼ばれるほど人気なのだ。

 そのため生徒たちは財界のご子息、ご息女が多く通っている。

 誰もがしる有名私立学校に私が通うことなんて、前の人生では考えられないことだ。

 母親は私の出生証明書を提出しておらず私を家に閉じ込めていたので、私が小学校に通い始めたのは8歳、小学校三年生からだった。そのため、勉強についていくことができず、小学校では保健室登校、中学校では不登校ぎみとなり、高校は児童福祉施設の定員の関係で中退した。

 私がセレブ校に通うこととなったら、前の人生の悪友はなんというだろうか。

 幼稚園や小学部からの内部生が100名なのに対し、中等部からの外部生はわずか30名しかいない。秋になれば帰国子女枠で10名追加されるが、外部生は内部生と比べると少ないため胡蝶学院になじむことができるか今から心配だった。

 胡蝶学院の制服は紺色のジャケットに白のワイシャツ、ハイウエストの紫のバーバリーチェックのスカートだ。

 スタイルが良く見えると評判の制服に身を包む。

高等部になると蝶に見立てたリボンを胸に飾るのだ。

姿見の前でくるりと回り、スカートがふわりと浮かぶ。

鏡の前に見える自分はきちんとどこかのご令嬢に見える。

制服を着替え終えた私は、笙真くんが整えてくれた髪形が崩れていないか確認する。

笙真くんがセットしてくれた髪形は、簡単なポニーテールだったがイイ感じの後れ毛がとてもおしゃれだ。髪ゴムはイニシャルヘアゴムだ。

笙真くんは私のスタイリストみたいに着る服から靴、髪形、持ち物まで細かく選んでくれる。このヘアゴムも笙真くんがプレゼントしてくれた。

ファッションに疎い私はとても感謝していた。

まぁ、笙真くんが選んだコーディネートと私が選んだコーディネートの差が良くわからないが。

笙真くんはセンスがいいと評判なので任せておけば問題ないだろう。

先ほどまで感じていた不安が嘘のように、私は軽やかな足取りで階下のリビングへと向かう。

リビングには祥子奥様が朝食後の紅茶をすでに楽しんでいた。

奥様も中等部の入学式に出席する予定となっているが、入学式の前に美容院に行き髪をセットアップしてもらう予定となっている。

 私はリビングの入り口で奥様に頭を下げて挨拶する。

「おはようござます」

「おはよう、紫音さん。思った通り胡蝶の制服が良く似合っているわ」

 まるで女王のような優雅なしぐさで紅茶のカップを置いて、こちらを見る奥様は年齢を感じさせないほどに美しい。

 私はおずおずと食卓へと座る。

 公泰くんと笙真くんは内部生のため、外部生である私よりも登校時間が1時間も早いためすでに家を出ていた。

 用意してもらった朝食を食べながら、時計を気にする。

 侑大くんがまだ起きてこないのだ。

 侑大くんも私と同じく、中等部から胡蝶学院に通う。幼稚園と小等部の入学試験に失敗した侑大くんは中等部の入学試験に受かり、晴れて三つ子が胡蝶学院に揃うこととなった。

 イライラしている私を奥様は穏やかに笑う。

「侑ちゃん、まだ起きてこないわね」

 間に合うかしら?と、あまり心配していない奥様に断り席を立ち、私は侑大くんの部屋へと向かう。

 侑大くんの部屋をノックすると、意外にも侑大くんから返事があった。

「起きてるよ!紫音!」

 私は断りもなく部屋のノブを回す。

 侑大くんは姿見の前で一生懸命ネクタイを結んでいるところだった。ネクタイは不格好に崩れており、ノットの部分がものすごく小さくなっている。一生懸命にネクタイを結ぶ姿が可愛らしい。

 侑大くんの背は公泰くん達と比べるとはるかに低く、私よりも少し小さい。

 公泰くんと笙真くんは私にすると兄のような存在だが、三つ子の末っ子は弟のような存在だ。

 私は半ベソをかいている侑大くんからネクタイを優しく奪い取ると、公泰で練習したネクタイの腕を披露し綺麗にネクタイを結ぶ。

「練習しなさいって、言ったのに」

「練習しなくても簡単にできると思ったんだよ」

 不貞腐れる侑大くんはやはり私にとって誕生日の早い弟のような存在だった。



 運転手付きの車で、胡蝶学院の門まで連れられる。

 胡蝶学院には送迎用の車のためのロータリーが門の近くに設けられている。

 通学時間が遅いのは外部新入生のみだったので、ロータリーに止められている車は思ったよりも少なかった。

 葉桜のトンネルを見知った人物が颯爽と歩いている。

「樹くん!」

 渡辺樹は磐井家の前運転手の息子だ。誘拐事件が原因でうつ病を患ってしまった父親の代わりに、磐井夫妻が保護者代わりとなっていた。

 樹くんも磐井夫妻の要望で胡蝶学院の中等部入学試験を受け、無事に合格した仲間だった。が、優等生の樹くんは私と違い特待生として胡蝶学院に迎えられた。

 樹くんは私たちが来るのを待つ。

「樹も一緒に車に乗ればよかったのに」

「いえ、私は使用人の息子ですので。侑大さまとお嬢様と一緒の車に乗ることはできません」

 樹くんの突き放した言い方に、侑大くんの肩がしょんぼりと落ちる。

 侑大くんがついた嘘で笙真くんが誘拐され、運転手だった樹くんの父親は犯人の一味ではないかと疑われ警察の取り調べを受けたのだ。報道でも運転手の男性が容疑者として挙がっていると報道されたこともある。

 もしかしたら樹くんは侑大のことを…。

 私たちは気まずい沈黙のまま昇降口へと向かう。

 胡蝶学院は土足のままで校内に入ってよいため、靴箱が用意されていない。

 胡蝶学院の昇降口はちょっとしたホールのようで吹き抜けが広く、中央に大きな途中で左右に別れた屈曲階段があった。

 階段の踊り場に新入生のクラス分けの表が貼ってあった。

 胡蝶学院のクラスは牡丹、菊、桜、桔梗と別れている。

 私のクラスは牡丹で、公泰くんと同じクラスだった。

 侑大くんと樹くんが同じ桜クラスで、笙真くんは菊クラスだ。

 磐井グループ御三家の名前もクラス分けの中にあった。

 人生をやり直して公泰との関係は変わってしまったが、御三家の三人との関係は以前とあまり変わらなかった。そのことに少し安堵を覚えている自分もいた。

 玄関ホールの階段を登り切ったところで、階段の手すりに腰掛けた笙真くんの姿があった。

 笙真くんの肩まで伸びた髪は私と同じイニシャルのヘアゴムで一つに縛られている、いつもなら平気なことが今日は少し恥ずかしく感じられた。

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