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序章
監禁
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母親に殴られた痛みと笙真くんの声がこれは夢ではないと、私に教える。
これは現実なのだと。
磐井笙真は磐井公泰の三つ子の弟で、小学校の入学式の一週間前に誘拐された。
誘拐犯は結局捕まらず、磐井家は犯人に総額二億円近く支払ったのではないかと推測されていた。
誘拐犯はお金を振り込め詐欺に似た手口で銀行口座に身代金を振り込ませた。それも一度ではなく何度も何度も振り込ませたのだ。
何も知らない受け子が口座のお金を引きだして主犯に渡していたとされている。身代金が手に入らない時は、磐井笙真を殺すと脅していたため警察も思うように受け子を追跡できなかった。
そして誘拐に便乗した振り子詐欺も起こり、警察は誘拐とは関係のない振り込め詐欺に振り回されてしまったのだ。
しびれを切らしたのか、はたまた本物誘拐犯の受け子かわからず、警察は受け子を逮捕したことがあった。しかし、受け子は所詮トカゲのしっぽで誘拐の主犯までたどり着くことができなかった。
身代金の受け取りに失敗したからなのか、それとも捜査の手がいよいよ自分たちに及ぶと恐れたのか、主犯たちは誘拐から八か月後に磐井笙真を殺害した。
殺されたときの磐井笙真の年齢は、わずか七歳だった。
殺害後、磐井笙真は変死体となって発見される。詳しい殺害時刻もわからないほどに時間が経ってから。
この隣の部屋で殺害され、長い間遺体は放置されるのだ。
異臭に気づいた近所住人が不審に思い警察に通報し、遺体が発見された。
そして、主犯は逮捕されることなく事件は迷宮入りとなったのだ。
もし、もしもこれが本当に夢でないのなら私は彼を、磐井笙真を、公泰の弟を助けられるのかもしれない。
彼は私にたった一度だけ助けを求めたことがあった。
「悪い人に閉じ込められてるの」と震える声で私に伝えたことがあった。
私はそれを母親に話したが母親は関わろうとはせず、死ぬほど殴られたのだ。
その様子を彼はきっと聞いていたに違いない。もう二度と私に助けを求めることはなかった。
もしかしたら、私に話した翌日に笙真くんは殺されたのかもしれない。だって、この会話が笙真くんと話した最後の会話だったから。
もし、私がこの家を出る勇気があり外の世界の人に助けを求めて入れば、彼は助かったかもしれないと、ずっと考えていた。
この頃の私は、家の外に出ようと考えたことすらなかった。
物覚えついてから一度も、アパートの外の世界に出たことなんてなかったからだ。
私が勇気をだしていれば、磐井笙真は助かり公泰もあんな寂しそうな目をすることがなかったのかもしれない。
公泰をあんな風にしたのは私なのだ。
私が笙真くんを助けられなかったから。私のせいだ。
「どうしたの?まだ、お母さん起きてるの?」
頭を横に振った私は、相手に見えないことに気が付く。
「ううん、今寝たところ」
「よかった。今日のピアノすごかったね。まるで本物のピアニストかと思った」
「…ありがとう」
笙真くんの声は透き通っていて、怖い押し入れの中だというのにいつも私を安心させてくれたこと思い出す。
だから、公泰の声も好きだったのかな?声と言うよりも話し方がとても似ているのだ。はきはきと自分の意見を言う、2人が。
「君のお母さんも悪い奴なの?僕を閉じ込めているのは悪い奴なんだ」
私は笙真くんの言葉に息ができなくなり、鼓動が大きく跳ねるのを感じた。
ダメ!ダメ!まだ、ダメ!
「僕ね、悪い人に閉じ込められてるの」
2度目の震えた囁き声は、私には死刑を告げる警報音のようにこだましていた。
私に残されている時間はとても少ない。早く、早く笙真くんを助け出さないと。
公泰が!笙真くんが!また…!
「悪い奴いるの?」
「今は出かけてるみたい」
出かけているなら、今がチャンスかもしれない。
「笙真君は逃げられないの?」
「手と足を縛られてるからダ逃げられないんだ。何度もバンドを切ろうとしてるんだけど、無理みたいだ。それに逃げられるならとっくに逃げてるよ」
「もし、私がそのバンドを切ったら逃げられるかな?」
「多分、逃げられると思う」
「そしたら、私があなたを助けてあげる」
シンと静まり返り、隣の部屋から物音が聞こえなくなる。
もしかしたら笙真君は私を信じられないのかもしれない。
「お外に出る勇気でたの?」
前に、外は怖いと話したのを覚えていてくれていたのだ。
怖いと怯える私を、笙真君は優しく励ましてくれた。外の世界には面白いものがいっぱいあるのだと。電車や飛行機、ゲーム、そして犬というカワイイ生き物もいると教えてくれた。
この頃の私は電車や車など、笙真君の話してくれたものが何一つわからなかった。だから、笙真くんが話してくれる外世界が大好きたった。が、ボロアパートの玄関の扉の前に立つと震えて開けることができなかったのだ。
「一緒に遊んでくれるんでしょ?」
笙真くんはいつか外の世界で一緒に遊ぼうと言ってくれたこともあったのだ。
「…でも大丈夫なの?お母さんに怒られない?」
彼が私を気遣う。
大人を経験した私と違って正真正銘の七歳児だというのに、冷静で育ちの良さを感じることできる。だから、誘拐犯は笙真くんをすぐには殺さず生かしていたのかもしれない。言うとおりに大人しくしていたから。
「外に出ようが、ここで大人しくしていようが、お母さんが私を殴るのは一緒でしょ?」
少し考えたのか、間が空いて「そうなのかも…」と返事が返ってきた。
「ボクのお母さんはとっても優しんだ。だから、きっと君のこともすっごく褒めてくれるよ」
あなたのお母様は前世であまり私のことよく思っていなかったので、それはあまり期待できないなと思わず苦笑いしてしまう。
「…一つ、聞いてもいい?」
笙真くんの少し戸惑うように尋ねる。
「君の名前を教えて?」
その当たり前の問いかけに、私は答えを持ち合わせていなかった。
以前は保護された児童養護施設の名前からそのまま譲り受けた名前を名乗っていた。しかし、今はまだその名前を名乗ることはできない。
「…」
私は名前を名乗ることができないことに恥ずかしさと、悔しさで黙ってしまう。
この頃の私は、みんなが当たり前に持っていたものを私は持っていなかったのだ。
名前も、誕生日も、戸籍さえも。
保護され優しそうな児童相談所の女性職員に名前を尋ねられたときも、私は答えることができなかった。
その優しそうな女性は、「お母さんはあなたのことをなんて呼んでいたの?」とまるで迷子の子に尋ねるように尋ねた。
その時の私の返事を聞いた時の女性の顔を今でもはっきりと覚えている。
その時、私は自分が母親にとって本当にどういった存在なのかを再認識したのだ。
「…ごめん。教えたくないならいいんだ」
黙りこくった私に笙真くんが謝まり、私はますますみじめになる。
笙真くんはきっとここから救出されたら、夢に描いたような温かい家族が待っている。お金持ちで、優しい両親が揃っていて、仲の良い兄弟までいるのだ。
私にはないすべてを持っている。
私の中の心が少しずつ黒く塗りつぶされていくように感じた。
私はその黒いものを振り払うように、頭を激しく降った。
私はなぜ、七歳の子供に本気で嫉妬しているのだろうか?どこまで醜くなる気なの?
「違うの…。私、名前ないの」
私の言葉に、笙真君が驚いている様子が壁越しでも伝わってくる。
「ボクたちの犬でもあるのに?」
子供が残酷というのはこういうことなのだろう。
悪意がない分だけ、人の心にまっすぐに突き刺さる。
普段なら、大人の私なら絶対に泣かないのに、私は母親がいることも忘れてワンワンと泣き出してしまった。
笙真君の謝る声が聞こえても私の目から涙は泊まる様子がない。
「うるさい!」
母親が押し入れの扉に何かを投げ、押し入れの扉がバン!と大きな音を立てて激しく揺れる。
そのショックのせいなのか、母親に怒られる恐怖が勝ったのかわからないが、とにかく私の涙は止まった。
そして、私たちの会話も。
これは現実なのだと。
磐井笙真は磐井公泰の三つ子の弟で、小学校の入学式の一週間前に誘拐された。
誘拐犯は結局捕まらず、磐井家は犯人に総額二億円近く支払ったのではないかと推測されていた。
誘拐犯はお金を振り込め詐欺に似た手口で銀行口座に身代金を振り込ませた。それも一度ではなく何度も何度も振り込ませたのだ。
何も知らない受け子が口座のお金を引きだして主犯に渡していたとされている。身代金が手に入らない時は、磐井笙真を殺すと脅していたため警察も思うように受け子を追跡できなかった。
そして誘拐に便乗した振り子詐欺も起こり、警察は誘拐とは関係のない振り込め詐欺に振り回されてしまったのだ。
しびれを切らしたのか、はたまた本物誘拐犯の受け子かわからず、警察は受け子を逮捕したことがあった。しかし、受け子は所詮トカゲのしっぽで誘拐の主犯までたどり着くことができなかった。
身代金の受け取りに失敗したからなのか、それとも捜査の手がいよいよ自分たちに及ぶと恐れたのか、主犯たちは誘拐から八か月後に磐井笙真を殺害した。
殺されたときの磐井笙真の年齢は、わずか七歳だった。
殺害後、磐井笙真は変死体となって発見される。詳しい殺害時刻もわからないほどに時間が経ってから。
この隣の部屋で殺害され、長い間遺体は放置されるのだ。
異臭に気づいた近所住人が不審に思い警察に通報し、遺体が発見された。
そして、主犯は逮捕されることなく事件は迷宮入りとなったのだ。
もし、もしもこれが本当に夢でないのなら私は彼を、磐井笙真を、公泰の弟を助けられるのかもしれない。
彼は私にたった一度だけ助けを求めたことがあった。
「悪い人に閉じ込められてるの」と震える声で私に伝えたことがあった。
私はそれを母親に話したが母親は関わろうとはせず、死ぬほど殴られたのだ。
その様子を彼はきっと聞いていたに違いない。もう二度と私に助けを求めることはなかった。
もしかしたら、私に話した翌日に笙真くんは殺されたのかもしれない。だって、この会話が笙真くんと話した最後の会話だったから。
もし、私がこの家を出る勇気があり外の世界の人に助けを求めて入れば、彼は助かったかもしれないと、ずっと考えていた。
この頃の私は、家の外に出ようと考えたことすらなかった。
物覚えついてから一度も、アパートの外の世界に出たことなんてなかったからだ。
私が勇気をだしていれば、磐井笙真は助かり公泰もあんな寂しそうな目をすることがなかったのかもしれない。
公泰をあんな風にしたのは私なのだ。
私が笙真くんを助けられなかったから。私のせいだ。
「どうしたの?まだ、お母さん起きてるの?」
頭を横に振った私は、相手に見えないことに気が付く。
「ううん、今寝たところ」
「よかった。今日のピアノすごかったね。まるで本物のピアニストかと思った」
「…ありがとう」
笙真くんの声は透き通っていて、怖い押し入れの中だというのにいつも私を安心させてくれたこと思い出す。
だから、公泰の声も好きだったのかな?声と言うよりも話し方がとても似ているのだ。はきはきと自分の意見を言う、2人が。
「君のお母さんも悪い奴なの?僕を閉じ込めているのは悪い奴なんだ」
私は笙真くんの言葉に息ができなくなり、鼓動が大きく跳ねるのを感じた。
ダメ!ダメ!まだ、ダメ!
「僕ね、悪い人に閉じ込められてるの」
2度目の震えた囁き声は、私には死刑を告げる警報音のようにこだましていた。
私に残されている時間はとても少ない。早く、早く笙真くんを助け出さないと。
公泰が!笙真くんが!また…!
「悪い奴いるの?」
「今は出かけてるみたい」
出かけているなら、今がチャンスかもしれない。
「笙真君は逃げられないの?」
「手と足を縛られてるからダ逃げられないんだ。何度もバンドを切ろうとしてるんだけど、無理みたいだ。それに逃げられるならとっくに逃げてるよ」
「もし、私がそのバンドを切ったら逃げられるかな?」
「多分、逃げられると思う」
「そしたら、私があなたを助けてあげる」
シンと静まり返り、隣の部屋から物音が聞こえなくなる。
もしかしたら笙真君は私を信じられないのかもしれない。
「お外に出る勇気でたの?」
前に、外は怖いと話したのを覚えていてくれていたのだ。
怖いと怯える私を、笙真君は優しく励ましてくれた。外の世界には面白いものがいっぱいあるのだと。電車や飛行機、ゲーム、そして犬というカワイイ生き物もいると教えてくれた。
この頃の私は電車や車など、笙真君の話してくれたものが何一つわからなかった。だから、笙真くんが話してくれる外世界が大好きたった。が、ボロアパートの玄関の扉の前に立つと震えて開けることができなかったのだ。
「一緒に遊んでくれるんでしょ?」
笙真くんはいつか外の世界で一緒に遊ぼうと言ってくれたこともあったのだ。
「…でも大丈夫なの?お母さんに怒られない?」
彼が私を気遣う。
大人を経験した私と違って正真正銘の七歳児だというのに、冷静で育ちの良さを感じることできる。だから、誘拐犯は笙真くんをすぐには殺さず生かしていたのかもしれない。言うとおりに大人しくしていたから。
「外に出ようが、ここで大人しくしていようが、お母さんが私を殴るのは一緒でしょ?」
少し考えたのか、間が空いて「そうなのかも…」と返事が返ってきた。
「ボクのお母さんはとっても優しんだ。だから、きっと君のこともすっごく褒めてくれるよ」
あなたのお母様は前世であまり私のことよく思っていなかったので、それはあまり期待できないなと思わず苦笑いしてしまう。
「…一つ、聞いてもいい?」
笙真くんの少し戸惑うように尋ねる。
「君の名前を教えて?」
その当たり前の問いかけに、私は答えを持ち合わせていなかった。
以前は保護された児童養護施設の名前からそのまま譲り受けた名前を名乗っていた。しかし、今はまだその名前を名乗ることはできない。
「…」
私は名前を名乗ることができないことに恥ずかしさと、悔しさで黙ってしまう。
この頃の私は、みんなが当たり前に持っていたものを私は持っていなかったのだ。
名前も、誕生日も、戸籍さえも。
保護され優しそうな児童相談所の女性職員に名前を尋ねられたときも、私は答えることができなかった。
その優しそうな女性は、「お母さんはあなたのことをなんて呼んでいたの?」とまるで迷子の子に尋ねるように尋ねた。
その時の私の返事を聞いた時の女性の顔を今でもはっきりと覚えている。
その時、私は自分が母親にとって本当にどういった存在なのかを再認識したのだ。
「…ごめん。教えたくないならいいんだ」
黙りこくった私に笙真くんが謝まり、私はますますみじめになる。
笙真くんはきっとここから救出されたら、夢に描いたような温かい家族が待っている。お金持ちで、優しい両親が揃っていて、仲の良い兄弟までいるのだ。
私にはないすべてを持っている。
私の中の心が少しずつ黒く塗りつぶされていくように感じた。
私はその黒いものを振り払うように、頭を激しく降った。
私はなぜ、七歳の子供に本気で嫉妬しているのだろうか?どこまで醜くなる気なの?
「違うの…。私、名前ないの」
私の言葉に、笙真君が驚いている様子が壁越しでも伝わってくる。
「ボクたちの犬でもあるのに?」
子供が残酷というのはこういうことなのだろう。
悪意がない分だけ、人の心にまっすぐに突き刺さる。
普段なら、大人の私なら絶対に泣かないのに、私は母親がいることも忘れてワンワンと泣き出してしまった。
笙真君の謝る声が聞こえても私の目から涙は泊まる様子がない。
「うるさい!」
母親が押し入れの扉に何かを投げ、押し入れの扉がバン!と大きな音を立てて激しく揺れる。
そのショックのせいなのか、母親に怒られる恐怖が勝ったのかわからないが、とにかく私の涙は止まった。
そして、私たちの会話も。
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