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episode.3 憧憬①
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ラクリマにある孤児院のほとんどは、テレジオファミリーからの寄付金で成り立っている。
孤児院や教育機関への援助を惜しまない理由を、カリーナは子供達こそが社会の未来だからだと言っていた。
その未来を育むはずの場所に、今ばかりは死の匂いが差し迫っている。
ここはラクリマの端にある教会だ。併設された孤児院では、両親との死別や経済的な理由で親元を離れた、赤ん坊から十六歳までの子供達が常に二十人前後暮らしている。
マフィアには信心深いものが多く、カリーナも毎週この教会へと来ている。当然送迎はロレンツォがしているのだが、信仰なんてものはアルベルトにしか捧げていない彼が、聖堂に立ち入るのはこれが初めてだった。
ステンドグラスから差し込む太陽の光が、説教台の前で膝をつく司祭を厳かに浮き上がらせている。だが祈りを捧げられているのは姿の見えない神ではなく、何よりも必死に祈る司祭の顔は、今にも倒れそうな程青黒い色をしていた。
正面にカリーナが立ち塞がり、周囲を武装した構成員達に囲まれ、いつ殺されてもおかしくない状況にあるのだから当然だろう。
信者達が座る長椅子に腰掛けその様子を見ていたロレンツォは、他人事のごとく可哀想な状況だなと考えていた。
「な、なにかの誤解です、シニョリーナ・テレジオ! 私は貴方を裏切ってなどおりません!」
「誤解というなら、私がお前の忠誠心を見誤ったこと以外に存在しないと思うのだがな」
呆れたという風体でカリーナが眉を顰める。
司祭が何事か言おうと体を跳ねらせた。その瞬間、カリーナの後ろに控えていたベルナルドの瞳が細くなる。彼の持つ拳銃から甲高い発砲音が響けば、司祭が肩を抑えて悲鳴をあげた。
床に転がって痛みに喘ぐ司祭を見て、カリーナから愉悦に満ちた笑い声がもれる。
カリーナは一歩踏み出すと、うずくまる司祭の頭を優しく撫でた。その優しい眼差しや温かい手のひらは、状況さえ違えば慈愛に満ちた聖母のようだ。
「ほら、静かにしないか。男の子ならこのくらい我慢できるだろう?」
「あア、いだイいだイ! 死んでしまう! た、助けでッ、すぐに医者を呼んでぐれ!」
「聞き分けの悪いバンビーノだな。静かにしろと私は言っているんだが」
面倒くさそうに言うと、司祭の横っ面を引っ叩く。憎しみと憤怒にまみれた彼女の瞳に、司祭が怯え縮こまる様子は遠くからでもよくわかった。
「ゆるっ……ゆるしてくだひゃッ……!」
「何故私がお前を許さなければいけない。お前が許しを乞う相手は神であるべきだろう?」
カリーナは司祭の髪を掴むと、抵抗する彼を引きずって十字架の前に向かう。そうして大袈裟な程震える司祭の背中を蹴りあげると、悪辣に笑いながら拳銃を取り出した。
「さあ、懺悔の時間だ。神がお許しになれば、お前にも明日がやってくる」
「ひいッ……!」
「神に問え。お前の罪がなにで、それをお許しになるかどうか」
腹の底に響く冷徹な声だ。息をすることすら躊躇う冷たい聖堂の中、司祭は何度も言葉に詰まりながら、それでも最後の希望に縋り十字架を見上げる。
「わだっ……私は、シニョリーナの期待を裏切ってしまいッ」
「おいおい、違うだろ、バンビーノ。あんまりな嘘をついては神を怒らせてしまうだけだぞ」
「ッ私は、テレジオファミリーからお預かりした子供達を引き取り手が見つかったと偽り、殺して臓器売買に手を染めておりました! でもっ、ですがッ、私は悪くない! 全ては私を誘惑した悪魔の仕業でゅエ──」
司祭の言葉は唐突に、間抜けな調子で終わりを迎える。
グラりと傾く彼の頭には、赤黒い血を垂れ流す小さな穴があいていた。その後ろに立つカリーナの手には、硝煙が立ち込める拳銃が握られている。頬に飛んだ血肉の破片は、彼女の真っ赤な口紅と同じ色をしていた。
「私は応えた。その罪は死を持って償えと」
声色には侮蔑が滲みながらも、その横顔はどこまでも冷淡だ。人を一人殺した後とは思えない冷ややかさに、さすが女王様だと内心で嘲笑う。
カリーナは拳銃をしまうと、司祭への興味を失ったように近くの長椅子へ腰掛けた。周囲の構成員達は手際よく死体の処理を始め、その輪から外れたベルナルドだけがカリーナへ近づく。
「死体はどうする? いつも通りその辺に捨てておくか?」
「いや、その男はミンチにでもして海に流せ。教会の子供達が死体を見てトラウマになるとかなわん。それよりこいつの裏に誰がいたかわかったのか?」
カリーナの問いにベルナルドが首を振る。
その仕草を見て、カリーナは苛立たしそうに背中を丸めた。
「卑怯で卑屈で臆病者だったこいつが、単独で臓器売買なんて行っていたとは思えない。絶対に協力者か、こいつを唆した馬鹿がいるはずだ」
「こいつが行方不明の方にも噛んでるかと思ったが、そっちのあても外れちまったしな。調査もまたやり直しだぜ」
煙草に火をつけながらボヤくベルナルドには、心底面倒くさいという感情が滲んでいた。
ロレンツォに詳細は教えられていないが、カリーナや構成員達の話を聞きかじると、どうやらこの司祭こそが最近頻発している行方不明事件の犯人だとしてテレジオファミリーは疑っていたらしい。
だが彼が商品としていた臓器の持ち主は全て孤児院にいた子供達であり、行方不明とはまた別の事件と判明したのだ。
子供達に肩入れしすぎるきらいがあるカリーナは、司祭が自分を裏切って孤児の臓器を売買していたことより、子供達を食い物にしていたことじたいに怒り狂っていた。
どうにもこの女と出会ってから、カリーナへのイメージが狂い続けていると、なんとも言えない気持ちになる。
カリーナ・テレジオとは、躊躇うことなく弱者を踏みつける、冷酷無情な女王様であるべきではないのか。
「私は先に戻るから、後始末はベルナルドに任せる。ロレンツォ、お前は私について来い」
「よろしいので? 孤児院の子供達に遊んでくれとせがまれていたでしょう」
ここへたどり着いてすぐのことを思い出しながら言う。
礼拝以外にも孤児院の様子を見に何度か来ていたカリーナは、子供達にかなり懐かれている様子であった。無邪気に遊んでくれと騒いでいた彼らに、困った顔をしながらも嬉しそうだったカリーナの横顔は、ラクリマの町で見たものと同じだった。
カリーナも司祭への用事が終わったら遊んでやると言ったことを思い出したのか、難しげに眉をひそめる。だがすぐに溜め息をついて立ち上がると、真っ直ぐに聖堂の入口へと向かっていった。
「死臭のするまま子供達の前に出たくない。それくらいの乙女心は察しろ」
「はあ、そうですか。頬に死人の血肉をつけたままの女性に、乙女心なんてものが存在するとは思いませんでした」
「な!? この馬鹿! そういう時は黙ってハンカチを差し出すものだろうが!」
「おろしたてのハンカチを汚したくなかったものですから」
真っ赤になって騒ぎ立てるカリーナへ素知らぬ顔で言う。その様子を見ていたベルナルドは、「痴話喧嘩ならよそでしてくれ」と呆れていた。
つい先程人が死んだとは思えぬ雰囲気のまま、カリーナと共に屋敷へ戻る。だがそのご主人様と言えば、屋敷につくとすぐに「私は仕事があるからお前は酒でも飲んでいろ」と書斎にこもってしまったのだ。
急に暇を与えられたロレンツォは、仕方なく屋敷の中を散歩する。ロレンツォを嫌っている構成員達は遠巻きに殺意を向けてはくるが、何かしらの危害を加えてくる雰囲気はない。
その視線全てを煩わしいと無視しつつ暇つぶしのタネを探していれば、人のいなくなった廊下の奥で、二人の影が話し込んでいる姿に気づく。
一人は遠目からでもわかるスタイルの良さで、すぐにカルロとわかった。小うるさいあの男と遭遇してしまったことに顔をしかめる。
もう一人は背の低い老人だ。七十近い相貌のわりに、彼の背中はピンと伸ばされている。品のいい色合いのスーツもあわせ、ロレンツォの毛嫌いする金持ち連中と同じ匂いがした。
「あれ、ロレンツォじゃないか」
さっさとこの場から逃げようと踵を返しかけていた背中に、カルロの声が飛んでくる。自分のことを嫌っているくせに話しかけるんじゃないとイラついた。
このまま無視してもよかったが、その場合後から面倒くさい。カリーナに告げ口されて説教されるのも面倒だった。
仕方なく足を戻すと、彼らに向かいながら片手をあげる。「よう、シスコンお義兄様」と露悪的に笑えば、カルロの浮かべる笑顔に小さなヒビが入った。
「こんなところで何してるの? まさかアルベルトを真似て、売れそうなうちの情報でも集めてるわけじゃないよね」
「はっ、また兄貴の話かよ。お前、口で言う割には兄貴のことが大好きだよな」
「気色の悪いことを言わないでくれるかな。あんな馬鹿の信者はロレンツォとベルナルドだけで十分だよ」
心底侮蔑する声色には、同時にロレンツォへの妬みも感じる気がした。
ベルナルドが言っていた。カルロとアルベルトは、アンダーボスと構成員という関係だけではないはずだと。何せアルベルトを警察に潜入させるきっかけを作ったのはカルロであり、死にかけたアルベルトの願いを叶えたのもカルロなのだ。
だがカルロが時おり見せるアルベルトへの侮蔑と怒りの感情は紛れもないものに見え、ことさら彼らの間に横たわる過去がわからなくなる。
「アルベルト……ということは、彼が例の?」
ふとカルロの隣にいた男が尋ねてきた。値踏みする視線に不快感を覚えながらも、ふてぶてしい仕草で腰を曲げる。
「はじめまして、シニョーレ。偉大なるカポのペットとして飼われております、ロレンツォ・ゴッティと申します」
「ああ、やはりそうか。私は顧問のパネッタだ。構成員の不満を解消するのも私の仕事だからね、何か困ったことがあればいつでも私に相談しなさい」
「お言葉はありがたいですが、俺はカポのお気に入りなだけで、正式な構成員ではありませんから」
チラリとカルロを見ながら微笑めば、露骨な殺意を向けられる。自分でカリーナのお気に入りなどと言うのは複雑な気持ちになったが、この反応が愉快で仕方ない。
火花を散らす二人を眺めていたパネッタは、不意にロレンツォへ片手を差し出した。握手だろうかと反射的に握り返せば、彼は穏やかな仕草でロレンツォの耳に顔を近づけてくる。
「君も敵が多くて大変だな」
小さく囁かれた言葉は、意味深な響きを持っていた。この屋敷ではロレンツォが異物であり、警戒と猜疑を向けられていることは誰もが知っている。それを今さら口にした意味とはなんだろうか。
眉をひそめ、どういうことか問いかけようとする。だがそれより早く離れたパネッタは、また薄く笑いながらカルロを振り返った。
「それじゃあカルロ、例の件はまた後ほど」
「カリーナには挨拶していかないの?」
「私はカポに嫌われているからね。わざわざ虎の尾を踏みに行く必要もないさ」
そう言って肩をすくめるパネッタに、ではどんな用事で屋敷に来たのだろうかと気になった。
とは言え問いただすほど興味のあることでもないので、踵を返したパネッタを黙って見送る。そこでふと、パネッタを見送っていたカルロの顔を見た。
見て、息をのみ、たまらずに一歩足を引く。
「……何て顔してんだよ、お前」
思わずもれでた声に、驚いた顔が振り返る。
意味がわからないとひそめられた眉に、無自覚だったのかとまた驚いた。
あんな、ロレンツォにさえ向けてきたことがないような、ドロドロに煮えたぎった冷たい殺意の浮かぶ目をしていながら、無自覚であったというのか。
警戒の体勢をとるロレンツォに首を傾げたまま、カルロは何でもなさそうに片手をあげる。事実、この時にはもう、周囲すら引きずり込みかねないあの殺気は消えていた。そうしていつも通りの調子で笑いながら、カルロもパネッタが消えた方とは逆に足を向ける。
「じゃあね、ロレンツォ。くれぐれも馬鹿な真似はするんじゃないよ」
それだけを言い残し、カルロも姿を消す。
正体のわからない気持ち悪さだけが、ロレンツォの喉奥に残った。
ラクリマにある孤児院のほとんどは、テレジオファミリーからの寄付金で成り立っている。
孤児院や教育機関への援助を惜しまない理由を、カリーナは子供達こそが社会の未来だからだと言っていた。
その未来を育むはずの場所に、今ばかりは死の匂いが差し迫っている。
ここはラクリマの端にある教会だ。併設された孤児院では、両親との死別や経済的な理由で親元を離れた、赤ん坊から十六歳までの子供達が常に二十人前後暮らしている。
マフィアには信心深いものが多く、カリーナも毎週この教会へと来ている。当然送迎はロレンツォがしているのだが、信仰なんてものはアルベルトにしか捧げていない彼が、聖堂に立ち入るのはこれが初めてだった。
ステンドグラスから差し込む太陽の光が、説教台の前で膝をつく司祭を厳かに浮き上がらせている。だが祈りを捧げられているのは姿の見えない神ではなく、何よりも必死に祈る司祭の顔は、今にも倒れそうな程青黒い色をしていた。
正面にカリーナが立ち塞がり、周囲を武装した構成員達に囲まれ、いつ殺されてもおかしくない状況にあるのだから当然だろう。
信者達が座る長椅子に腰掛けその様子を見ていたロレンツォは、他人事のごとく可哀想な状況だなと考えていた。
「な、なにかの誤解です、シニョリーナ・テレジオ! 私は貴方を裏切ってなどおりません!」
「誤解というなら、私がお前の忠誠心を見誤ったこと以外に存在しないと思うのだがな」
呆れたという風体でカリーナが眉を顰める。
司祭が何事か言おうと体を跳ねらせた。その瞬間、カリーナの後ろに控えていたベルナルドの瞳が細くなる。彼の持つ拳銃から甲高い発砲音が響けば、司祭が肩を抑えて悲鳴をあげた。
床に転がって痛みに喘ぐ司祭を見て、カリーナから愉悦に満ちた笑い声がもれる。
カリーナは一歩踏み出すと、うずくまる司祭の頭を優しく撫でた。その優しい眼差しや温かい手のひらは、状況さえ違えば慈愛に満ちた聖母のようだ。
「ほら、静かにしないか。男の子ならこのくらい我慢できるだろう?」
「あア、いだイいだイ! 死んでしまう! た、助けでッ、すぐに医者を呼んでぐれ!」
「聞き分けの悪いバンビーノだな。静かにしろと私は言っているんだが」
面倒くさそうに言うと、司祭の横っ面を引っ叩く。憎しみと憤怒にまみれた彼女の瞳に、司祭が怯え縮こまる様子は遠くからでもよくわかった。
「ゆるっ……ゆるしてくだひゃッ……!」
「何故私がお前を許さなければいけない。お前が許しを乞う相手は神であるべきだろう?」
カリーナは司祭の髪を掴むと、抵抗する彼を引きずって十字架の前に向かう。そうして大袈裟な程震える司祭の背中を蹴りあげると、悪辣に笑いながら拳銃を取り出した。
「さあ、懺悔の時間だ。神がお許しになれば、お前にも明日がやってくる」
「ひいッ……!」
「神に問え。お前の罪がなにで、それをお許しになるかどうか」
腹の底に響く冷徹な声だ。息をすることすら躊躇う冷たい聖堂の中、司祭は何度も言葉に詰まりながら、それでも最後の希望に縋り十字架を見上げる。
「わだっ……私は、シニョリーナの期待を裏切ってしまいッ」
「おいおい、違うだろ、バンビーノ。あんまりな嘘をついては神を怒らせてしまうだけだぞ」
「ッ私は、テレジオファミリーからお預かりした子供達を引き取り手が見つかったと偽り、殺して臓器売買に手を染めておりました! でもっ、ですがッ、私は悪くない! 全ては私を誘惑した悪魔の仕業でゅエ──」
司祭の言葉は唐突に、間抜けな調子で終わりを迎える。
グラりと傾く彼の頭には、赤黒い血を垂れ流す小さな穴があいていた。その後ろに立つカリーナの手には、硝煙が立ち込める拳銃が握られている。頬に飛んだ血肉の破片は、彼女の真っ赤な口紅と同じ色をしていた。
「私は応えた。その罪は死を持って償えと」
声色には侮蔑が滲みながらも、その横顔はどこまでも冷淡だ。人を一人殺した後とは思えない冷ややかさに、さすが女王様だと内心で嘲笑う。
カリーナは拳銃をしまうと、司祭への興味を失ったように近くの長椅子へ腰掛けた。周囲の構成員達は手際よく死体の処理を始め、その輪から外れたベルナルドだけがカリーナへ近づく。
「死体はどうする? いつも通りその辺に捨てておくか?」
「いや、その男はミンチにでもして海に流せ。教会の子供達が死体を見てトラウマになるとかなわん。それよりこいつの裏に誰がいたかわかったのか?」
カリーナの問いにベルナルドが首を振る。
その仕草を見て、カリーナは苛立たしそうに背中を丸めた。
「卑怯で卑屈で臆病者だったこいつが、単独で臓器売買なんて行っていたとは思えない。絶対に協力者か、こいつを唆した馬鹿がいるはずだ」
「こいつが行方不明の方にも噛んでるかと思ったが、そっちのあても外れちまったしな。調査もまたやり直しだぜ」
煙草に火をつけながらボヤくベルナルドには、心底面倒くさいという感情が滲んでいた。
ロレンツォに詳細は教えられていないが、カリーナや構成員達の話を聞きかじると、どうやらこの司祭こそが最近頻発している行方不明事件の犯人だとしてテレジオファミリーは疑っていたらしい。
だが彼が商品としていた臓器の持ち主は全て孤児院にいた子供達であり、行方不明とはまた別の事件と判明したのだ。
子供達に肩入れしすぎるきらいがあるカリーナは、司祭が自分を裏切って孤児の臓器を売買していたことより、子供達を食い物にしていたことじたいに怒り狂っていた。
どうにもこの女と出会ってから、カリーナへのイメージが狂い続けていると、なんとも言えない気持ちになる。
カリーナ・テレジオとは、躊躇うことなく弱者を踏みつける、冷酷無情な女王様であるべきではないのか。
「私は先に戻るから、後始末はベルナルドに任せる。ロレンツォ、お前は私について来い」
「よろしいので? 孤児院の子供達に遊んでくれとせがまれていたでしょう」
ここへたどり着いてすぐのことを思い出しながら言う。
礼拝以外にも孤児院の様子を見に何度か来ていたカリーナは、子供達にかなり懐かれている様子であった。無邪気に遊んでくれと騒いでいた彼らに、困った顔をしながらも嬉しそうだったカリーナの横顔は、ラクリマの町で見たものと同じだった。
カリーナも司祭への用事が終わったら遊んでやると言ったことを思い出したのか、難しげに眉をひそめる。だがすぐに溜め息をついて立ち上がると、真っ直ぐに聖堂の入口へと向かっていった。
「死臭のするまま子供達の前に出たくない。それくらいの乙女心は察しろ」
「はあ、そうですか。頬に死人の血肉をつけたままの女性に、乙女心なんてものが存在するとは思いませんでした」
「な!? この馬鹿! そういう時は黙ってハンカチを差し出すものだろうが!」
「おろしたてのハンカチを汚したくなかったものですから」
真っ赤になって騒ぎ立てるカリーナへ素知らぬ顔で言う。その様子を見ていたベルナルドは、「痴話喧嘩ならよそでしてくれ」と呆れていた。
つい先程人が死んだとは思えぬ雰囲気のまま、カリーナと共に屋敷へ戻る。だがそのご主人様と言えば、屋敷につくとすぐに「私は仕事があるからお前は酒でも飲んでいろ」と書斎にこもってしまったのだ。
急に暇を与えられたロレンツォは、仕方なく屋敷の中を散歩する。ロレンツォを嫌っている構成員達は遠巻きに殺意を向けてはくるが、何かしらの危害を加えてくる雰囲気はない。
その視線全てを煩わしいと無視しつつ暇つぶしのタネを探していれば、人のいなくなった廊下の奥で、二人の影が話し込んでいる姿に気づく。
一人は遠目からでもわかるスタイルの良さで、すぐにカルロとわかった。小うるさいあの男と遭遇してしまったことに顔をしかめる。
もう一人は背の低い老人だ。七十近い相貌のわりに、彼の背中はピンと伸ばされている。品のいい色合いのスーツもあわせ、ロレンツォの毛嫌いする金持ち連中と同じ匂いがした。
「あれ、ロレンツォじゃないか」
さっさとこの場から逃げようと踵を返しかけていた背中に、カルロの声が飛んでくる。自分のことを嫌っているくせに話しかけるんじゃないとイラついた。
このまま無視してもよかったが、その場合後から面倒くさい。カリーナに告げ口されて説教されるのも面倒だった。
仕方なく足を戻すと、彼らに向かいながら片手をあげる。「よう、シスコンお義兄様」と露悪的に笑えば、カルロの浮かべる笑顔に小さなヒビが入った。
「こんなところで何してるの? まさかアルベルトを真似て、売れそうなうちの情報でも集めてるわけじゃないよね」
「はっ、また兄貴の話かよ。お前、口で言う割には兄貴のことが大好きだよな」
「気色の悪いことを言わないでくれるかな。あんな馬鹿の信者はロレンツォとベルナルドだけで十分だよ」
心底侮蔑する声色には、同時にロレンツォへの妬みも感じる気がした。
ベルナルドが言っていた。カルロとアルベルトは、アンダーボスと構成員という関係だけではないはずだと。何せアルベルトを警察に潜入させるきっかけを作ったのはカルロであり、死にかけたアルベルトの願いを叶えたのもカルロなのだ。
だがカルロが時おり見せるアルベルトへの侮蔑と怒りの感情は紛れもないものに見え、ことさら彼らの間に横たわる過去がわからなくなる。
「アルベルト……ということは、彼が例の?」
ふとカルロの隣にいた男が尋ねてきた。値踏みする視線に不快感を覚えながらも、ふてぶてしい仕草で腰を曲げる。
「はじめまして、シニョーレ。偉大なるカポのペットとして飼われております、ロレンツォ・ゴッティと申します」
「ああ、やはりそうか。私は顧問のパネッタだ。構成員の不満を解消するのも私の仕事だからね、何か困ったことがあればいつでも私に相談しなさい」
「お言葉はありがたいですが、俺はカポのお気に入りなだけで、正式な構成員ではありませんから」
チラリとカルロを見ながら微笑めば、露骨な殺意を向けられる。自分でカリーナのお気に入りなどと言うのは複雑な気持ちになったが、この反応が愉快で仕方ない。
火花を散らす二人を眺めていたパネッタは、不意にロレンツォへ片手を差し出した。握手だろうかと反射的に握り返せば、彼は穏やかな仕草でロレンツォの耳に顔を近づけてくる。
「君も敵が多くて大変だな」
小さく囁かれた言葉は、意味深な響きを持っていた。この屋敷ではロレンツォが異物であり、警戒と猜疑を向けられていることは誰もが知っている。それを今さら口にした意味とはなんだろうか。
眉をひそめ、どういうことか問いかけようとする。だがそれより早く離れたパネッタは、また薄く笑いながらカルロを振り返った。
「それじゃあカルロ、例の件はまた後ほど」
「カリーナには挨拶していかないの?」
「私はカポに嫌われているからね。わざわざ虎の尾を踏みに行く必要もないさ」
そう言って肩をすくめるパネッタに、ではどんな用事で屋敷に来たのだろうかと気になった。
とは言え問いただすほど興味のあることでもないので、踵を返したパネッタを黙って見送る。そこでふと、パネッタを見送っていたカルロの顔を見た。
見て、息をのみ、たまらずに一歩足を引く。
「……何て顔してんだよ、お前」
思わずもれでた声に、驚いた顔が振り返る。
意味がわからないとひそめられた眉に、無自覚だったのかとまた驚いた。
あんな、ロレンツォにさえ向けてきたことがないような、ドロドロに煮えたぎった冷たい殺意の浮かぶ目をしていながら、無自覚であったというのか。
警戒の体勢をとるロレンツォに首を傾げたまま、カルロは何でもなさそうに片手をあげる。事実、この時にはもう、周囲すら引きずり込みかねないあの殺気は消えていた。そうしていつも通りの調子で笑いながら、カルロもパネッタが消えた方とは逆に足を向ける。
「じゃあね、ロレンツォ。くれぐれも馬鹿な真似はするんじゃないよ」
それだけを言い残し、カルロも姿を消す。
正体のわからない気持ち悪さだけが、ロレンツォの喉奥に残った。
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