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episode.11 復讐①

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 ロレンツォを襲った男は、カポ・レジームの一人が雇った殺し屋だと判明した。元々ロレンツォの存在を目の敵にしていたカポ・レジームは、噂に後押しされる形で邪魔なロレンツォを殺そうとしたのだ。
 ベルナルドの店で襲われたのは、全くの偶然だと言う。カポ・レジームは若くして同じ地位にいるベルナルドを、──さらには彼の過去の仕事・・・・・も相まって──嫌悪していた。それを知っていた殺し屋が、ロレンツォをあの店で殺せればベルナルドの責任問題になり、雇い主のご機嫌をとれたうえあわよくばさらに金をふんだくれると独断行動に出たのだ。
 ロレンツォがあの日カジノに行かず、殺し屋と偶然会うことがなければ、少なくともベルナルドに迷惑をかけることはなかったのかと思う。そう思うと少し申し訳なくはあるが、直に謝ってやろうという気にはならなかった。
 さらに言うと、サッキーニが殺されて一週間程、そんなことを気にする余裕は残っていなかった。
 何故ならステラルクス島の至る所でテレジオファミリーの構成員が襲われる事件が相次いでいるのだ。
 犯人は弱小犯罪組織であったり、マフィアの抗争に巻き込まれた市民の家族であったり、テレジオファミリーの庇護から外れていた人々だったりする。
 カリーナのペットであるロレンツォが襲われたことをきっかけに、これまで黙っていることしかできなかった、テレジオファミリーへ恨みを持つ人々が動き始めたのだ。
 島民のほとんどはこの波に動揺していた。彼らにとってテレジオファミリーとは島の守護者だ。支配の中にも慈悲があり、守護があり、権威や金への信仰があった。
 だがテレジオファミリーに不満を持つ人々が現実で形となって現れたことにより、彼らの信仰が揺るぎ始める。
 この暴動を沈める力は、テレジオファミリーには微塵も残っていなかった。代わりにスタンフォードが警察と協力し、暴動の鎮圧に当たる。スタンフォードが報復すら恐れない正義の象徴となることに、そう時間はかからなかった。
 この時、確かに音がしていた。テレジオファミリーの権威が落ち、島の守護者が入れ替わる音が。


 夜遅くに煙草を切らしていたことを思い出したロレンツォは、億劫に思いながらも買い出しに出かけた。ついでにカルロの好きなワインも買い、この後彼の部屋へ行くつもりでいる。理由はもちろん、アルベルトの話と、スタンフォードと会っていた理由を聞く為だ。
 出かける時は小雨だった空が、戻る頃には土砂降りに変わっていた。叩きつける風もあわさり、嵐とそう変わらない。夏には滅多に雨が降らないこの地域で、こんな天気は珍しかった。
 屋敷に戻ると、カリーナの執務室から明かりがもれていることに気づく。あのワーカーホリックは、ここ最近はいつにも増して仕事にのめり込んでいる。
 ロレンツォは何となく、執務室に足を向けた。本当は今すぐ部屋に戻って、雨で冷えた体を温めたい。濡れたスーツも急いで手入れをしなければ駄目になってしまう。だがどうしても、今の彼女が追い詰められて弱気になっていないか気になったのだ。
 執務室の前で足を止めれば、中から話し声が聞こえてきた。話し声、というより言い争っている風に聞こえる。声の主はカリーナと、過保護なアンダーボスだ。
 二人が声を荒らげて争うのは珍しかった。どうしたのだろうかと眉をひそめれば、一際甲高くカリーナが叫ぶ。

「うるさい、お前の言い訳なんか知るか! お前はいつもそうだ! 私の為という言葉が免罪符になるとでも思ってるのか!? いつもいつも私の為と言って、どれだけの人間を巻き込んできた!」
「落ち着いて、カリーナ。俺は、」
「黙れ! お前との約束は守ってやる、だがそれだけだ! 今すぐ私の屋敷から出て行け!」

 怒鳴り声と共に、何かを投げる音がした。ここを立ち去らなければと思うが、それより早く扉が開かれる。出てきたカルロは、驚いた顔でロレンツォを見た。
 すぐさま渋く眉根を寄せた彼は、「……カリーナを頼む」とだけ言い残し歩いて行く。カルロからカリーナを頼むなんて言われたのは初めてだ。それなのに遠ざかる背中は、驚く程毅然と伸ばされている。
 ロレンツォはしばらく呆然とその場に立ちすくんだが、閉じられた扉の向こうが気になった。軽くノックをするが返事は返ってこない。無遠慮だと思いつつ扉を開ければ、カリーナはこちらに背を向け、机に両手をついていた。
 俯いた彼女の足元では、花瓶や書類などが散乱している。カリーナの名前を呼びつつ近づいた。返事がないことに諦め、黙って書類を拾う。そんなロレンツォの耳に、か細いうめき声が聞こえた。

「悪い、ロレンツォ……」
「……これくらい構いませんが、二人が喧嘩するなんて珍しいですね」

 ロレンツォの言葉にカリーナの肩が揺れる。痛ましい笑い声に言葉を噤んだ。

「はは、これが喧嘩なんてものなわけがあるか。あいつは薄汚い嘘つきの裏切り者だ。二度とこの屋敷には踏み込ません」

 カリーナは振り返ると、机に腰を預けながらにこやかに笑う。
 いつもの気丈な笑い方だ。誰の反抗も、抵抗も、裏切りも許さない。この島の絶対的な女王様がそこにいた。

「それよりロレンツォ、どうしてずぶ濡れなんだ」

 眉をひそめたカリーナは、風邪をひくぞと呟く。早く部屋に戻れという彼女に、何も考えぬまま近づいた。
 怒りに任せてカリーナの腕を掴む。ビクリと震えたカリーナは、恐怖に彩られる顔でロレンツォを見上げた。「やめろ……」とか細く訴えられるが、短く否定を告げる。
 何があったのかとか、カルロが裏切り者とはどういうことかとか、本当は聞きたいことがたくさんあった。
 だが何よりも、彼女が強気な仮面の下に隠した弱さが許せなかったのだ。彼女の心をくじこうとするものを、何としても取り除きたかった。そうでなければ、カリーナには殺してやる価値なんて存在しない。

「俺は貴方を殺したい。同じくらい、貴方と死にたいんです」
「やめろ、ロレンツォ……!」
「もう、いいんじゃないですか。カポは十分頑張りました。いい加減楽になっていいんです。貴方が死ぬ時はロマンチックにしてくれというから、色々考えたんです。神が見守らない教会でも、夜の星が瞬く海でも。貴方が望むなら俺はどんなことでも用意します。だから全てを捨てて、早く俺を選んでください」
「違うんだ、ロレンツォ! 私はっ、お前にも、カルロにも、酷いことをしたから……お前に殺されては、やれないんだッ……!」

 カリーナは顔を抑えると、喉の奥で声を噛み殺す。だが何よりもロレンツォを動揺させたのは、その言葉だった。
 自分に殺されるわけにはいかなくなっただと? あれだけロレンツォに殺されることを望み、誓いまでたてたというのに?
 いったいどうしたというのか。気が変わったことも全て、カルロとの口論が関係しているというのか。
 急いで質問しようとした時、窓の外がピカリと光った。カーテンの隙間から青光りする光が部屋を照らす。遅れて鼓膜をつんざく程の音が響いた。
 とうとう雷まで鳴り出したかと驚く。さらに驚いたのは、雷が鳴った瞬間、目の前のカリーナが短い悲鳴をあげたことだ。

「カポ……?」

 いぶかしむ目を向ける。カリーナはガタガタと震え、無意識のままロレンツォにすがりついてきた。蒼白な顔色は今にも倒れそうだ。

「もしかして雷が怖いんですか?」

 そんな馬鹿なという思いで尋ねる。だがカリーナは弱々しい仕草でロレンツォの服を掴むばかりだ。
 この女に怖いものがあるなんて誰が信じられる。しかもそれが雷だなんて。
 あまりにも意外すぎる発見に、くすぶっていた怒りやら不信感やらが吹き飛んでしまった。
 恐る恐る抱いた肩は、想像よりもずっと華奢だ。この肩にファミリーや島民を守るという重責がのしかかり続けていたのか。
 本当は、もっと前から気づいてはいたのだ。
 カリーナは普通の人間で、気丈なカポとしての振る舞いは身を守る為の仮面でしかないと。
 ただの人間で、偽ることでしか己を守れない、ありふれ普通の生き物だ。
 守りたいものを守る為に、彼女は強くならざる得なかった。

「ロレンツォ、カーテンを閉めろ。窓もだ」
「閉めてますよ。こんな嵐の日に開けるバカなんざそういないでしょう」

 反射的に憎まれ口を叩く。頭を撫でていた手の下で、カリーナがキッと顔を上げかける。だがその瞬間カーテンの隙間から稲妻が走り、カリーナは悲鳴と共にロレンツォの胸に顔を埋めた。
 細い肩をかき抱く。今ならば殺せるはずだ。彼女の気が変わろうと関係ない。カリーナを殺していいのは自分だけだ。
 殺すんだ、殺すんだ。殺すならば、絶対に、今しかない。今ならば嵐が全てを隠してくれる。

「ロレンツォ」

 不意にカリーナが囁く。懐の銃を意識していたロレンツォは、必要以上にビクついてしまった。
 嵐の音にかき消されそうな、弱々しい声だ。
 小さな拳でロレンツォのスーツを握りしめた。

「お前だけは、私に嘘をつかないでくれ。カルロみたいに、お前だけは、私を裏切るなよ」

 カリーナの顔が、チラリとだけ覗いた。青ざめた頬を、一筋の滴が流れている。
 その刹那、一際大きな雷が落ちた。
 ピカッと世界が眩く発光する。
 暗闇に二人の影が浮かび上がった。
 彼らを酷い嵐が飲み込んでいく。

「……嘘を、つくなとか。裏切るなとか。さっき俺達だけの誓いを破ると言った人が、どうしてそんなことを言えるんですか」

 ロレンツォはカリーナの肩を押すと、苦痛に歪む笑みを浮かべた。そんな顔を見て、カリーナはハッと目を丸める。涙が浮かんだ瞳は不安に揺れていた。

「ち、違うんだ、ロレンツォ! 私はッ!」
「俺はっ、貴方の慈悲も愛も人生もいらない! ただカポの命が欲しいんだ! 貴方と死ぬしか俺は救われないんだよッ!」

 そう叫ぶと、カリーナの細い首に指をかける。親指で気道を押せば、苦しげなうめき声が聞こえた。目を剥いたカリーナは抵抗するようにロレンツォの腕に爪をたてる。だがロレンツォは決して力を緩めなかった。
 怒りに任せ力を込める。カリーナが一際深く呻いた。酸素を求める唇が微かに動く。確かに、ロレンツォと、自分の名前を転がした。
 その瞬間目の前が真っ白になる。わけも分からない衝動に背筋が貫かれた。腕を離せば、崩れ落ちたカリーナが何度も咳き込む。カリーナは首元を抑えながら、狼狽えるロレンツォを見上げた。

「ごめっ、ろれんつ……」
「……ッ!」
「ごめ、ん……、本当にッ……! ごめんな、ロレンツォ……!」

 泣きじゃくるカリーナは、壊れた人形のように謝ってくる。
 何に謝ってるんだと怒りたくなった。
 ロレンツォに殺されてくれないことか。心中を許してくれないことか。ロレンツォの歪んだ愛を受け取ってくれないことか。
 分からないが、ロレンツォの目からも涙が溢れてくる。地面に手をつく彼女を見ながら、グシャグシャと髪をかきあげた。真っ青な顔で荒く息をするカリーナに、なんてことをしてしまったのだという後悔ばかりがせりあがる。
 いつだって、気がついた時には遅すぎる。
 自分達はすでに、抜けられない嵐に飲み込まれていた。
 この物語にハッピーエンドが訪れないことが、この時に決定づけられてしまう。
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