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episode.10 賭博①

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 シチリア・マフィアとの話し合いを急いでまとめたカリーナは、次の日の早朝に戻ってきた。だが屋敷はカリーナ帰還よりも、新たに起きた事件で騒然としていた。
 マフィアの島。警察と犯罪組織。弾圧と報復。
 それが意味するところは、血と銃弾の飛び交う戦争だ。
 事件が起きたのは昨晩二十三時過ぎのことだ。被害者はサッキーニと彼の家族である。
 護衛の警察官が常駐する自宅で、彼は家族と休日前の夜を楽しんでいた。仕事柄バカンスにいけないかわりに、子供達と映画を観ていたらしい。
 そこに一台の高級車が現れる。玄関前に止まった車には、三人の男達が乗っていた。彼らは軽機関銃を二つ取り出すと、道路からサッキーニ宅へ向かいデタラメに銃弾を放ったのだ。
 数分に及ぶ狙撃の後、彼らは軽機関銃一丁とカトレフ二丁を持ってサッキーニ宅に押し入る。そうして居合わせた警官二人、サッキーニ本人と妻子の三人、計五人を銃殺したのだ。
 この事件を聞いて、誰もがカルロの仕業だと疑った。だが事件の第一報を聞いたカルロは顔を青ざめ、すぐさまスタンフォードのもとへ向かった。
 カルロはこの件に関するテレジオファミリーの関与を否定したが、誰もが信じなかった。実際犯人はテレジオファミリーとは関係のない、マフィア弾圧への煽りを受けた弱小組織の仕業だった。
 だがこれを機に、政府とテレジオファミリーの確執は確かなものとなる。事件発生直後から、テレジオファミリーの屋敷周囲では、物々しい警察官達がこれみよがしに監視を始めていた。

「何を考えてるんですか、カポ」

 執務室で頭を抱えたカリーナは、ロレンツォの言葉に顔を上げる。苛立ちに任せて爪を噛むせいで、赤いマニキュアがずいぶんと剥がれ落ちていた。
 カリーナは戻ってくるとすぐ、カポ・レジームとの会議にもロレンツォを出席させた。それはさすがにと方々から渋面を向けられたが、あのカリーナが他人の意見など聞くはずがない。
 場違いな会議に出席させられたロレンツォは、そのまま執務室にこもるカリーナに付き従い、手慰めにと本棚の整理を行っていた。
 チラリとロレンツォを見たカリーナは鼻を鳴らす。そうして忌々しいとばかりに、指先で机を叩いた。

「サッキーニの次の署長が誰になるかわからんからな。今のうちに警察に話を通して、出来るだけ私達に都合のいい男を寄越してもらう」
「俺が聞きたかったのはそういうことじゃないんですが……というかそんなこと出来るんですか?」
「無理ではないさ。司法関係者をゆする為の材料は揃っている。政界と持ちつ持たれつの関係を続けてきたのが、本来のマフィアの姿だ。ただ反マフィアの流れが強まっている情勢を考えると、どこまでこの手が使えるかはわからんがな」
「はあ、さすがはテレジオファミリーですね」

 思ってもないことを言えば、カリーナの機嫌がことさら悪くなる。頬杖をついた彼女は、露悪的に口角をつりあげた。

「で、本当は何が言いたかったんだ?」
「俺のことです。最近はこれみよがしに側に置いてばかりいるでしょう。以前は会合や食事会等の運転手代わりくらいでした。それが同じベッドに引き込み、息抜きのお供に付き添わせ、挙げ句の果てに部外者の俺をカポ・レジームとの会議にまで同席させる始末だ」
「ロレンツォは部外者じゃなく私のペットだろう」
「どっちでも構いませんよ。度が過ぎているというのは同じことです」

 言いながら、カルロの顔がチラいて億劫になる。そのうち嫉妬深い彼に殺される気がした。
 ロレンツォが言いたいことを理解したのか、カリーナは喉の奥でクツクツと笑う。偽悪的な笑みのまま、楽しげにロレンツォを見上げてきた。

「可愛がられるのが不満なのか? 面倒な奴だ」
「そういうわけじゃありませんが、カポは極端なんです」
「文句ばかりだな、ロレンツォは。そこが可愛くもあるんだが」

 にんまりと歪む瞳に嫌気がさす。
 出会って四ヶ月以上。相変わらず自分は、可愛く賢いペットのままだ。

「お前を連れ回しているのは、証人になって欲しいからだ」
「証人、ですか」
「私が死んだ後、テレジオファミリーがどんな組織で、私がどんな人物だったかを語り継ぐ人間がいるだろう。構成員では贔屓目がでるし、その点ロレンツォなら辛辣に評価してくれるはずだからな」

 その言い方はまるで、テレジオファミリーの終わりを予言するかのようだった。
 テレジオファミリーが壊滅した後も、カリーナが愛して守ろうとしたテレジオファミリーを、湾曲することなく誰かに伝え残して欲しい。そんな思いを汲み取り、たまらず眉をひそめる。

「俺を飼ってることと言い、カポは死にたがりの願望でもあるんですか?」
「ふふ、今日のロレンツォは質問が多いな」
「世界の全てがわずらわしいというなら、今すぐ殺して差し上げましょうか。あの世に俺と二人きりでおもむけば、貴方の心を悩ませるものは一切なくなりますよ」

 真剣な声で囁けば、カリーナの目が丸められる。「私と死んでくれるのか?」と尋ねる彼女に、そう言えばそのことを口にしたのは初めてだと気がついた。

「ふふ、嬉しいお誘いだが遠慮しておくよ」
「そうですか、残念です」
「頼むから、私を殺してもロレンツォは死んでくれるなよ。たとえ私の後を追ってきても、心中なんて阿呆を企てる奴とは口を聞いてやらないからな」

 瞳を細めて笑うカリーナは、どこか複雑そうな雰囲気を含んでいた。その顔に何も言えないまま、会話が終わってしまう。



 ロレンツォに対する構成員の空気が変わった、というのは、数日前から気がついていた。
 腫れ物に触るようだった彼らの態度は、最近ではあからさまな嫌悪が滲んでいる。挙げ句の果てには明瞭な敵意を向けられることすらあった。
 遠巻きに聞こえる「スタンフォードの犬」や「裏切り者」という言葉に全てを理解する。
 箝口令かんこうれいが敷かれていたスタンフォードの内通者がいるという話は、その日のうちに全ての構成員が知ることとなっていた。
 出どころは、ロレンツォと一緒にあの場で護衛を担当した噂好きの構成員だ。カリーナから口止めされていただろうに、あっという間にその噂を触れ回った口の軽さに呆れてしまう。
 彼へ処罰がくだったかまでは知らないが、この噂を聞いた構成員達は、カルロやベルナルドと同じようにロレンツォを疑った。
 それ自体は構わないし、マフィアにどう思われめも気にしない。ただアルベルトの調査をやりにくくなるのだけは面倒だった。

「お前に話すことなんざ何もねえよ」

 訪れたカジノクラブの店員へ声をかけただけでこの反応だ。ロレンツォを冷たくあしらった彼は、舌打ちを残し客の間に消えていく。その後ろ姿に溜め息がもれた。
 クラブ通りに存在する、テレジオファミリーが経営するこのカジノはホテルの最上階にある。富裕層向けのカジノにはあらゆるゲームがあり、着飾った金持ちがポーカーやスロットなどに興じていた。
 ロレンツォがこんな場所にいるのは、アルベルトがここの常連だったという話を聞いたからだ。四年も前のことだから当時のことを知っているスタッフも少ないだろうと思っていたが、それ以前の問題だ。カジノのスタッフすらロレンツォの噂を聞いているのかと嫌気がさす。
 手当り次第に声をかけてまわったが、全てのスタッフに袖を振られる。仕方なくバーカウンターに向かえば、バーテンすらすげない対応で酒を投げてきた。
 テーブルにこぼれた酒を勿体ないと思いつつ、フロアを見渡しながら酒を飲む。そうすれば隣で飲んでいた男がニヤニヤと笑いながらロレンツォを覗き込んできた。

「よお、色男。見てたぜ、ずいぶんとここの店員に嫌われてるみたいじゃねえか」
「俺が男前だからって妬いてんだろうさ」
「はは、違いねえや」

 軽快に笑う男をチラリと見た。
 真新しいハイブランドのスーツや腕時計を身につけており、いかにも下品な男という雰囲気が滲んでいた。
 男は機嫌よく笑いながら、ロレンツォへと身を乗り出してくる。香ってくる香水も、やはりハイブランドのものだ。

「お前さん、さっきから店員に何を聞こうとしてるんだ?」
「知り合いについて聞きたいことがあってな。アンタはここの常連なのか?」
「ああ、五年前から通ってるよ。他のカジノにも行くことはあるが、ここが一番居心地よくてな」

 下卑た笑みに眉根を寄せるが、不快感は飲み込んで言葉を続ける。
 「それなら」とロレンツォ。男はなんでも聞いてくれとばかりに笑った。

「アルベルト・ゴッティを知ってるか? 四年前にテレジオファミリーに殺された男だ」
「アルベルト……? ああ、知ってるよ! テレジオファミリーのヤク盗んだ馬鹿だろう! 俺が通い始めた時期には常連だったからな。いっつもクスリでラリってて、負けがかさむ度に怒鳴り散らしてたなあ。あれじゃあ幸運の女神にもそっぽを向かれるってもんさ」

 その言い方に激昂げっこうしかけた。殴りかかる寸前で衝動を押し止め、さらに質問を続ける。

「アルベルトについて知ってることを全部教えてくれ」
「知ってることつっても、話したことはほとんどなくてな。ただ目立つ男ではあったよ。何せこんな高級カジノで常時ラリってる馬鹿ってのはそういないし、勝った時は気前よく店にいる客全員に酒を奢ったりしてたからな。まあ、それもごく稀で、ほとんどは負けてたよ。他の客からもよくカモにされてたが、あの金はどっから出てきてたのかねえ」

 思い出すように喋る男は、嘘を言っている風ではなかった。
 五年前というなら、アルベルトの謎の外泊が増えて一年後のことである。その時には常連になっていたということは、少なくともこの時期からドラッグを服用し、カジノにハマっていたということか。

「ヤク盗んだのも、カジノの負け取り戻す為にしでかしたんじゃねえかって話だぜ」
「テレジオファミリーのクスリを盗んで、テレジオファミリーへの負けを払おうってか? そりゃあずいぶんと間抜けな話じゃねえか」
「ヤク中に間抜けもクソもねえよ。そういうことを考える頭もドロドロに溶けちまって、目先のことしか考えられなくなっちまうもんさ。特にあいつが消える前なんざ、目も当てられねえ程の有り様になってたからな」

 哀れみ深く頭を振られ口をつぐむ。それ以上何も言わずにいれば、次は自分の番だとばかりに瞳を輝かせてきた。

「それでお前さんは、どうしてアルベルトについて調べてんだよ。何でここの奴らにそう嫌われてんだ?」
「やめとけ、好奇心は猫も殺すぜ」

 ロレンツォは手元の酒を飲み干すと、テーブルに紙幣を置く。話の礼だと短く言い、男に背を向けた。
 その瞬間、男の体がバネのように跳ねる。ギラつく瞳に変わった男は、バーカウンターに置かれていたアイスピックを奪い取った。
 バーテンが止めるより早く、鋭利なアイスピックがロレンツォの首裏を貫こうとする。
 だがロレンツォは緩やかに身をかがめると、流れる仕草で男の腕を掴む。男の腕を捻りあげると、体当たりする要領で腕の下に肩を沈めた。そうして綺麗に一本背負いを決め、男を床に打ちつける。
 背中を強打して呻く男の腹を躊躇いなく蹴りあげた。これに悲鳴をあげる男からアイスピックを奪い取る。

「ったく、奇襲しようってんならもっと殺気は隠せ。スラム街のガキでもお前より上手く襲ってくるぞ」
「ぐあア!」

 逃げられないようにと男の太ももにアイスピックを突き刺す。目を剥いて痛みに暴れる男の顎を「うるせえ」と蹴りあげれば、周りにいた客やスタッフが騒然としだした。
 逃げ惑う客の奥からは、銃を構えたスタッフが現れる。男の腹を足蹴にしつつ、彼らには敵意がないことを示すつもりで両手をあげた。だがスタッフ達の警戒心は、男ではなくロレンツォに向けられている。

「な、何をしてる!」
「襲われたからやり返しただけだっての。それより電話借りていか? カポにこのこと報告したいんだが」
「その必要はねえよ」

 聞き慣れた声は、男達の奥から聞こえてきた。
 群衆が割れ、愛らしいかんばせに呆れを浮かべた男が現れる。ベルナルドは周りのスタッフに銃をおろせと命じると、そのまま近くのスタッフに小声で話しかけた。

「そいつは縛り上げて倉庫にでも放り込んでろ。客には詫びの酒を、BGMは五番に変えて、ディーラーには赤字覚悟で甘くしていいと指示しとけ。俺も後から客に挨拶回りするが、何事もなかったように振る舞えよ」

 その様子にここが彼の店であることを理解する。元々この店を管理していた幹部カポ・レジームが最近変わったことは知っていたが、それがまさかベルナルドだったなんて。
 こんなことなら初めからベルナルドに話を聞けば良かったと後悔する。

「ロレンツォは俺とバックヤードに来い。お前にも騒ぎの責任はとってもらわなきゃなんねえからな」
「俺は悪くないだろ」
「店で流血沙汰おこしといて阿呆言うんじゃねえよ」

 何て酷い言いがかりだと怒る間に、テキパキと騒動の片付けが進んでいく。痛いと騒ぐ男は、スタッフによって裏に運ばれていった。
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