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episode.9 弾圧①
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*
翌日、カリーナを見送ればロレンツォのやることはなくなってしまった。
元々カリーナのペットとして彼女について回っていただけだ。ろくな仕事もなく、日課の洗車さえ終わってしまえば後はぼんやりと時間を潰すことしか出来ない。
アルベルトについて調べる気力もわかないでいれば、ちょうど仕事がひと段落したベルナルドから酒に誘われる。カリーナがいないことで気落ちしているカルロも合わせ、二人を慰めようという優しさらしい。
いつも通りカルロの部屋に集まった三人は、小さなテーブルを囲んでポーカーに勤しんだ。ベルナルドが持ってきたウイスキーを飲みながら、カルロは面白くなさそうに眉根を寄せる。
「簡単に言っちゃえば、うちは今、いろんなとこから舐められてるんだよ」
カルロはそう言うと、レイズを宣言して二十万リラを押し出す。この強気なレイズにベルナルドが溜め息をついた。
すでに四回目のラウンドを迎え、テーブルの上には二百万リラ以上が詰まれている。お遊びの小さな金額とは言え、ロレンツォとカルロは絶対に負けてやらないと火花を散らしていた。
特にその二人が賭け金をつりあげているが、今のところカルロの一人勝ちだった。ベルナルドは堅実な勝負ばかりを繰り返しており、負けはするが大負けはしないといった具合だ。
「カモッラがうちで人攫いしてたのも、ナポリのバカマフィアが女の送還渋ったのも、うちに逆らうことに恐怖がないからだよ。それだけテレジオファミリーの力は落ちてるのさ」
「その馬鹿の代表がスタンフォードだな」
煙草をふかしていたベルナルドは、ちらりと場のカードを見ると、コールを宣言する。そんな彼らにロレンツォは眉をひそめた。
「つかなんであいつには制裁を加えないんだ?」
「スタンフォードに流れてる政治資金ならとっくに止めてるんだけどねえ。どっから金を集めてるのか、全く効いてる感じがしないんだよ。屋敷や職場への嫌がらせ、明白な脅しまでしてるんだけどこっちも一向に効果なし。家族がいたらそいつを人質にするんだけど、生憎の独身貴族ときたもんだ。もっと言うならスタンフォード自身を殺すと、後ろ盾が強すぎてすでに弱ってるうちへの良い攻撃材料を与えることにしかならない。全くもって厄介な相手すぎるよ」
ロレンツォは適当に相槌を打ちながら手元の紙幣をいじる。そんな中でベルナルドが嫌そうに手を振った。
「つってもうちを裏切る程度量のある構成員がいるとは思えねえけどな。パネッタのジジイが度の越えた馬鹿だったってだけだ。女王様の恐ろしさは残ってる構成員なら誰でも知ってるだろうよ」
「頭が身内に舐められたら組織として終わりだからねえ」
「正構成員は違ったとしても、準構成員から情報が漏れてる可能性だってあるだろう」
「おやおやロレンツォ、覚えたばっかりの言葉を正しく使えて偉いね」
カルロから小馬鹿にする笑みを向けられ腹が立つ。テーブルの下で彼の足を蹴ると、さらに強く蹴り返された。これにまた蹴り返しては蹴られを繰り返せば、「ガキみてえにはしゃぐな」とベルナルドに怒られる。
「他人事みたいに言ってるけどな、今のファミリーで一番怪しいのはお前だぜ」
「は? なんで俺がお前ら裏切らなきゃなんねえんだよ」
「間抜けな復讐者さんは察しも悪いわけ?」
呆れたふうに頬杖をつくのはカルロだ。その言葉に確かになと頷く。ロレンツォ自身としてはカリーナさえ殺せればあとはどうでもいいが、ファミリー内から見ればロレンツォ程怪しい人間もいないだろう。
スタンフォードが匂わせた裏切り者の存在は、ひとまずカリーナとこの三人だけで共有されていた。ロレンツォはその場にいたから仕方ないとして、他のカポ・レジームにも知らされていないのは慎重を期す為だろう。カリーナが島外に出るという情報も、カポ・レジームにしか伝えられていなかったから当然だ。
「でもそれを俺に直接言うってことは、お前らは俺のことを疑ってないんだろ?」
「あーその純粋無垢な目、本当に腹が立つなあ」
「ロレンツォには探りを入れても無駄だな。こいつはただの馬鹿だよ」
揃いも揃って馬鹿にされてムカつく。だが怒りを飲み込んで「リレイズ」という言葉と共に四十万リラを詰めば、「やっぱり馬鹿だ」「何も考えてねえんだよ、こいつ」と哀れまれる。散々な言われように段々怒りも感じなくなってきたくらいだ。
「ま、お前を疑ってないってのは本当だよ。スタンフォードが何度もお前に接触してるのは、構成員だけじゃなくて島民ですら知ってんだ。しかもアルベルトのことだってあるのに、スタンフォードについたところでお前には何も得がねえからな」
「こいつならそんなことも考えてなさそうだけどね」
ウイスキーグラスを揺らしながら鼻で笑うカルロは、二十万リラと共に「コール」とうたう。ベルナルドも続き、ようやく四ラウンドも終わった。
その間に考えたのは、スタンフォードがしつこく自分に接触してきた理由だ。これまで彼の意図がわからなかったが、もしこの状況を狙っていたのだとしたら?
初めのうちにスタンフォードとロレンツォの関係を警戒させ、徹底的に二人の接点を調べさせる。そうしてロレンツォの潔白が証明された後に、本当にロレンツォを引き込むつもりというのはどうだろうか。
人間は一度完璧に調べあげたものに対しては、その後警戒心が緩まる。
もしこの状況でロレンツォが裏切れば、しばらくはファミリーを騙し通せるはずだ。
ありえない想像をし終えると溜め息をつく。スタンフォードに寝返るくらいならば、カルロと仲良くした方がうんとマシだ。
「ショウダウン」
カルロの言葉と共に各自がカードを開いていく。
カルロはツーペアとストレート。
ベルナルドはハートのフラッシュ。
そしてロレンツォがワンペアのみ。
これを見ると、カルロは自分も負けているにも関わらず、「急に下手くそになって可哀想……」と本気で憐憫の目を向けてきた。だがロレンツォは悔しがることなく、煙草の吸口を噛みながらニヤリと笑う。
「ま、このゲームは負けたけど、お前の金はだいぶむしり取れたしな」
「は?」
「勝ち金は山分けってことになってんだよ」
左手をあげれば、隣に座っていたベルナルドも無表情で右手をあげる。無言で拳をあわせる二人にカルロが頭を抱えた。
「最悪……そこの二人が手を結んでるのは見抜けなかったな……」
結果一人勝ちしたベルナルドが喉の奥で笑う。ささやかな祝杯を交わしていたとき、部屋の扉が叩かれた。
カルロが答えれば、顔を青くした構成員が転がるように入ってくる。
「アンダーボス、サッキーニがやりやがった!」
「……どういうこと?」
「さっきうちの煙草工場に警察が入り込んできたんです! それだけじゃなく武器庫や売人にも警察が向かってます! あいつら、うちの一斉摘発を始めやがった!」
その言葉に彼らの顔つきが変わる。
カルロは立ち上がると、手近にあったジャケットと帽子を引っ掴んだ。
「移動中に摘発された工場の詳細を教えて。ベルナルドは見つかってない武器や薬の移動を速やかに、それから被害額を出して。お前は他のカポ・レジームを全員呼び戻した後、逮捕されたうちの構成員を全てリストにしろ。ロレンツォは俺の運転手をする栄誉をくれてやる」
「シィ、アンダーボス」
「カポにも伝えてきましょうか!?」
「それはベルナルドに任せる。いいね、ベルナルド」
チラリと振り返る視線にベルナルドが頷く。
今すぐカリーナを呼び戻せば、夜には戻って来れるはずだ。この際シチリア・マフィアとの交渉は後回しにせざるを得ない。
カルロは道すがらことのあらましを聞きつつ、足早に各方面への根回しに向かった。
*
テレジオファミリーの犯罪は大っぴらに行われているが、これまで摘発されなかったのは、政治家や警察との癒着が大きな理由であった。
政治資金に莫大な金が必要な彼らの援助を行い、不正選挙の手伝いをする。昔ながらの商売は、だがスタンフォードの裏切りによって流れが変わってきていた。
そもそもとして司法が本格的にマフィア撲滅に乗り出した場合、その影響が甚大であることは、一九二五年にシチリア島パレルモ県の知事となった男が証明している。
件の知事が行った、【戦争と戦闘の計画】と名付けられた程の徹底したマフィア撲滅作戦は、その名の通り苛烈を極めたのだ。
山賊掃討の為に彼らの隠れ家へ火を放ち、幹部を自首させるために妻子を人質にとる。マフィア活動基盤への執拗な監視などは、シチリア民衆をマフィア信仰の呪縛から解放しようという考えのもと行われた。
それは【道徳的浄化】とも呼ばれ、知事は不可能を可能にする男として民衆から人気があった。その反面、法の範囲を逸脱する部分も多く、国家は血と涙を撒き散らす存在というイメージを与えたことも事実である。
その後知事が力を入れつつ、結局達成することが出来なかったのは民衆への教育だ。
マフィアが根づく根源には、政府への不信感と富を与えるマフィアへの信仰があると彼は知っていた。だからこそその信仰を打ち砕き、民衆の目を覚まさせる為にも、正しい教育が必要だと考えたのだ。だがこの計画は結局達成することが出来ないまま、知事は政権の都合によりパレルモ知事を解任された。
このファシズム政権以降、国家からのマフィア弾圧は日増しに強くなっている。
カリーナはこれまでの歴史から、決して司法を敵に回さないよう気をつけてきた。
常に多額の賄賂を様々な議員や司法関係者に渡し、必要ならば家族を人質に脅迫することもあった。反マフィア派思考を持つ議員は徹底的にマークし、選挙を操って落選させることは当たり前だ。
カリーナが最も恐れていたことは、政府が敵に回ることである。そうして政府とファミリーの間で戦争が起き、島民が巻き込まれることを何より危惧していた。
決して彼女が善良な人間だとは思わないが、島民の守護者である為に金と権力が必要だと考えていることは、この頃にはロレンツォも理解していた。
「はじめまして、サッキーニ署長。ようやくお会い出来ましたね」
警察署の前で三時間粘り続けたカルロは、ようやく出てきたその男へにこやかに近づく。
カルロが隠れもせず待っている間は、警戒して出てこないだろうというのがロレンツォの考えだった。だがカルロは、サッキーニはプライドが高く、犯罪者から逃げたと思われることを嫌がる男だと分析し、ここで待っていれば絶対に堂々と出てくるはずと予想した。その分析が当たったことに驚くが、サッキーニのマフィアを舐めた軽率な行動にも呆れてしまう。
ピンと背筋を伸ばした軍人風の男は、ちらりとだけカルロを見る。後ろに控えていただけのロレンツォですら、その威圧感に押し潰されそうになった。
だがカルロは何事もないかのごとく、顔色を変えないままサッキーニの隣を歩く。
「今日は大変なご功績をあげられたそうですね。すでに島中で噂になっていますよ。例えば貴方に捕まった二十六人の家族なんて、息子達はいつ帰ってくるのかと泣いているそうです」
「お前が彼らとの関係を吐けばすぐにでも釈放されるだろうさ」
「彼らとは良き隣人であることをお話すれば釈放されるんですか? 貴方は素晴らしく良識的な警察官だ!」
この言葉に、サッキーニは不愉快だと鼻を鳴らす。そうしてさっさと自分の車へ乗ろうと運転席のドアを開けた。
だが笑顔のカルロが勢いよく扉を蹴る。「まだお話があるのですが」と、扉を蹴りつけたままサッキーニの顔を覗き込んだ。
「本日は謝罪に参ったのです」
「謝罪とは、お前が足蹴にした車についてか?」
「いいえ。もっと重要な、命に関わることです」
「……」
「スタンフォードごときに何ができると放置した結果、貴方まで巻き込むことになってしまいました。そのせいでこれから貴方の身に起きることについて、どうかお気をつけください。テレジオファミリーを敵に回すと凄惨なる死が訪れる呪いが、この島にはかかっていますから」
カルロは足を下ろすと、ロレンツォに向かって片手を差し出す。無言で一枚の小切手を渡せば、それをサッキーニの胸に押しつけた。
サッキーニは決してそれを受け取ろうとせず、鋭い眼光でカルロを睨む。だがカルロも臆することなく、受け取れとばかりにサッキーニの胸を押した。
「これは僅かばかりのお見舞金です。先程お話した御家族にも用意したのですが、うちでは理不尽に犯罪へ巻き込まれた方や、良き犯罪者の身内には見舞金を用意するようにしております」
「俺は巻き込まれる側と、犯罪者の身内とどちらになる脚本だ?」
「それはこれからの貴方次第かと。島の外からいらっしゃった貴方はご存知ないかもしれませんが、この島の男達は大変血の気が多くございます。巻き込まれる前に島を離れることが賢明かと」
「殺害予告として受け取ろうか。そこに警察署があるから連行するにも手間をとらん」
「まさか! これは将来良き友人となれるサッキーニ署長へのご忠告です。必要ならばうちから護衛もお貸し致しますよ」
カルロは小切手をサッキーニのポケットに押し込むと、流れる仕草で後ろに下がる。そうして帽子を深く被り直し、キザっぽく腰を曲げた。
「さようなら、サッキーニ署長。これが最期のご挨拶とならないことを祈っております」
そう言ってこちらを睨むサッキーニを残し、カルロは足早に自分の車に戻る。
彼について行きながら、相も変わらず性格が悪い奴だと溜め息をついた。
翌日、カリーナを見送ればロレンツォのやることはなくなってしまった。
元々カリーナのペットとして彼女について回っていただけだ。ろくな仕事もなく、日課の洗車さえ終わってしまえば後はぼんやりと時間を潰すことしか出来ない。
アルベルトについて調べる気力もわかないでいれば、ちょうど仕事がひと段落したベルナルドから酒に誘われる。カリーナがいないことで気落ちしているカルロも合わせ、二人を慰めようという優しさらしい。
いつも通りカルロの部屋に集まった三人は、小さなテーブルを囲んでポーカーに勤しんだ。ベルナルドが持ってきたウイスキーを飲みながら、カルロは面白くなさそうに眉根を寄せる。
「簡単に言っちゃえば、うちは今、いろんなとこから舐められてるんだよ」
カルロはそう言うと、レイズを宣言して二十万リラを押し出す。この強気なレイズにベルナルドが溜め息をついた。
すでに四回目のラウンドを迎え、テーブルの上には二百万リラ以上が詰まれている。お遊びの小さな金額とは言え、ロレンツォとカルロは絶対に負けてやらないと火花を散らしていた。
特にその二人が賭け金をつりあげているが、今のところカルロの一人勝ちだった。ベルナルドは堅実な勝負ばかりを繰り返しており、負けはするが大負けはしないといった具合だ。
「カモッラがうちで人攫いしてたのも、ナポリのバカマフィアが女の送還渋ったのも、うちに逆らうことに恐怖がないからだよ。それだけテレジオファミリーの力は落ちてるのさ」
「その馬鹿の代表がスタンフォードだな」
煙草をふかしていたベルナルドは、ちらりと場のカードを見ると、コールを宣言する。そんな彼らにロレンツォは眉をひそめた。
「つかなんであいつには制裁を加えないんだ?」
「スタンフォードに流れてる政治資金ならとっくに止めてるんだけどねえ。どっから金を集めてるのか、全く効いてる感じがしないんだよ。屋敷や職場への嫌がらせ、明白な脅しまでしてるんだけどこっちも一向に効果なし。家族がいたらそいつを人質にするんだけど、生憎の独身貴族ときたもんだ。もっと言うならスタンフォード自身を殺すと、後ろ盾が強すぎてすでに弱ってるうちへの良い攻撃材料を与えることにしかならない。全くもって厄介な相手すぎるよ」
ロレンツォは適当に相槌を打ちながら手元の紙幣をいじる。そんな中でベルナルドが嫌そうに手を振った。
「つってもうちを裏切る程度量のある構成員がいるとは思えねえけどな。パネッタのジジイが度の越えた馬鹿だったってだけだ。女王様の恐ろしさは残ってる構成員なら誰でも知ってるだろうよ」
「頭が身内に舐められたら組織として終わりだからねえ」
「正構成員は違ったとしても、準構成員から情報が漏れてる可能性だってあるだろう」
「おやおやロレンツォ、覚えたばっかりの言葉を正しく使えて偉いね」
カルロから小馬鹿にする笑みを向けられ腹が立つ。テーブルの下で彼の足を蹴ると、さらに強く蹴り返された。これにまた蹴り返しては蹴られを繰り返せば、「ガキみてえにはしゃぐな」とベルナルドに怒られる。
「他人事みたいに言ってるけどな、今のファミリーで一番怪しいのはお前だぜ」
「は? なんで俺がお前ら裏切らなきゃなんねえんだよ」
「間抜けな復讐者さんは察しも悪いわけ?」
呆れたふうに頬杖をつくのはカルロだ。その言葉に確かになと頷く。ロレンツォ自身としてはカリーナさえ殺せればあとはどうでもいいが、ファミリー内から見ればロレンツォ程怪しい人間もいないだろう。
スタンフォードが匂わせた裏切り者の存在は、ひとまずカリーナとこの三人だけで共有されていた。ロレンツォはその場にいたから仕方ないとして、他のカポ・レジームにも知らされていないのは慎重を期す為だろう。カリーナが島外に出るという情報も、カポ・レジームにしか伝えられていなかったから当然だ。
「でもそれを俺に直接言うってことは、お前らは俺のことを疑ってないんだろ?」
「あーその純粋無垢な目、本当に腹が立つなあ」
「ロレンツォには探りを入れても無駄だな。こいつはただの馬鹿だよ」
揃いも揃って馬鹿にされてムカつく。だが怒りを飲み込んで「リレイズ」という言葉と共に四十万リラを詰めば、「やっぱり馬鹿だ」「何も考えてねえんだよ、こいつ」と哀れまれる。散々な言われように段々怒りも感じなくなってきたくらいだ。
「ま、お前を疑ってないってのは本当だよ。スタンフォードが何度もお前に接触してるのは、構成員だけじゃなくて島民ですら知ってんだ。しかもアルベルトのことだってあるのに、スタンフォードについたところでお前には何も得がねえからな」
「こいつならそんなことも考えてなさそうだけどね」
ウイスキーグラスを揺らしながら鼻で笑うカルロは、二十万リラと共に「コール」とうたう。ベルナルドも続き、ようやく四ラウンドも終わった。
その間に考えたのは、スタンフォードがしつこく自分に接触してきた理由だ。これまで彼の意図がわからなかったが、もしこの状況を狙っていたのだとしたら?
初めのうちにスタンフォードとロレンツォの関係を警戒させ、徹底的に二人の接点を調べさせる。そうしてロレンツォの潔白が証明された後に、本当にロレンツォを引き込むつもりというのはどうだろうか。
人間は一度完璧に調べあげたものに対しては、その後警戒心が緩まる。
もしこの状況でロレンツォが裏切れば、しばらくはファミリーを騙し通せるはずだ。
ありえない想像をし終えると溜め息をつく。スタンフォードに寝返るくらいならば、カルロと仲良くした方がうんとマシだ。
「ショウダウン」
カルロの言葉と共に各自がカードを開いていく。
カルロはツーペアとストレート。
ベルナルドはハートのフラッシュ。
そしてロレンツォがワンペアのみ。
これを見ると、カルロは自分も負けているにも関わらず、「急に下手くそになって可哀想……」と本気で憐憫の目を向けてきた。だがロレンツォは悔しがることなく、煙草の吸口を噛みながらニヤリと笑う。
「ま、このゲームは負けたけど、お前の金はだいぶむしり取れたしな」
「は?」
「勝ち金は山分けってことになってんだよ」
左手をあげれば、隣に座っていたベルナルドも無表情で右手をあげる。無言で拳をあわせる二人にカルロが頭を抱えた。
「最悪……そこの二人が手を結んでるのは見抜けなかったな……」
結果一人勝ちしたベルナルドが喉の奥で笑う。ささやかな祝杯を交わしていたとき、部屋の扉が叩かれた。
カルロが答えれば、顔を青くした構成員が転がるように入ってくる。
「アンダーボス、サッキーニがやりやがった!」
「……どういうこと?」
「さっきうちの煙草工場に警察が入り込んできたんです! それだけじゃなく武器庫や売人にも警察が向かってます! あいつら、うちの一斉摘発を始めやがった!」
その言葉に彼らの顔つきが変わる。
カルロは立ち上がると、手近にあったジャケットと帽子を引っ掴んだ。
「移動中に摘発された工場の詳細を教えて。ベルナルドは見つかってない武器や薬の移動を速やかに、それから被害額を出して。お前は他のカポ・レジームを全員呼び戻した後、逮捕されたうちの構成員を全てリストにしろ。ロレンツォは俺の運転手をする栄誉をくれてやる」
「シィ、アンダーボス」
「カポにも伝えてきましょうか!?」
「それはベルナルドに任せる。いいね、ベルナルド」
チラリと振り返る視線にベルナルドが頷く。
今すぐカリーナを呼び戻せば、夜には戻って来れるはずだ。この際シチリア・マフィアとの交渉は後回しにせざるを得ない。
カルロは道すがらことのあらましを聞きつつ、足早に各方面への根回しに向かった。
*
テレジオファミリーの犯罪は大っぴらに行われているが、これまで摘発されなかったのは、政治家や警察との癒着が大きな理由であった。
政治資金に莫大な金が必要な彼らの援助を行い、不正選挙の手伝いをする。昔ながらの商売は、だがスタンフォードの裏切りによって流れが変わってきていた。
そもそもとして司法が本格的にマフィア撲滅に乗り出した場合、その影響が甚大であることは、一九二五年にシチリア島パレルモ県の知事となった男が証明している。
件の知事が行った、【戦争と戦闘の計画】と名付けられた程の徹底したマフィア撲滅作戦は、その名の通り苛烈を極めたのだ。
山賊掃討の為に彼らの隠れ家へ火を放ち、幹部を自首させるために妻子を人質にとる。マフィア活動基盤への執拗な監視などは、シチリア民衆をマフィア信仰の呪縛から解放しようという考えのもと行われた。
それは【道徳的浄化】とも呼ばれ、知事は不可能を可能にする男として民衆から人気があった。その反面、法の範囲を逸脱する部分も多く、国家は血と涙を撒き散らす存在というイメージを与えたことも事実である。
その後知事が力を入れつつ、結局達成することが出来なかったのは民衆への教育だ。
マフィアが根づく根源には、政府への不信感と富を与えるマフィアへの信仰があると彼は知っていた。だからこそその信仰を打ち砕き、民衆の目を覚まさせる為にも、正しい教育が必要だと考えたのだ。だがこの計画は結局達成することが出来ないまま、知事は政権の都合によりパレルモ知事を解任された。
このファシズム政権以降、国家からのマフィア弾圧は日増しに強くなっている。
カリーナはこれまでの歴史から、決して司法を敵に回さないよう気をつけてきた。
常に多額の賄賂を様々な議員や司法関係者に渡し、必要ならば家族を人質に脅迫することもあった。反マフィア派思考を持つ議員は徹底的にマークし、選挙を操って落選させることは当たり前だ。
カリーナが最も恐れていたことは、政府が敵に回ることである。そうして政府とファミリーの間で戦争が起き、島民が巻き込まれることを何より危惧していた。
決して彼女が善良な人間だとは思わないが、島民の守護者である為に金と権力が必要だと考えていることは、この頃にはロレンツォも理解していた。
「はじめまして、サッキーニ署長。ようやくお会い出来ましたね」
警察署の前で三時間粘り続けたカルロは、ようやく出てきたその男へにこやかに近づく。
カルロが隠れもせず待っている間は、警戒して出てこないだろうというのがロレンツォの考えだった。だがカルロは、サッキーニはプライドが高く、犯罪者から逃げたと思われることを嫌がる男だと分析し、ここで待っていれば絶対に堂々と出てくるはずと予想した。その分析が当たったことに驚くが、サッキーニのマフィアを舐めた軽率な行動にも呆れてしまう。
ピンと背筋を伸ばした軍人風の男は、ちらりとだけカルロを見る。後ろに控えていただけのロレンツォですら、その威圧感に押し潰されそうになった。
だがカルロは何事もないかのごとく、顔色を変えないままサッキーニの隣を歩く。
「今日は大変なご功績をあげられたそうですね。すでに島中で噂になっていますよ。例えば貴方に捕まった二十六人の家族なんて、息子達はいつ帰ってくるのかと泣いているそうです」
「お前が彼らとの関係を吐けばすぐにでも釈放されるだろうさ」
「彼らとは良き隣人であることをお話すれば釈放されるんですか? 貴方は素晴らしく良識的な警察官だ!」
この言葉に、サッキーニは不愉快だと鼻を鳴らす。そうしてさっさと自分の車へ乗ろうと運転席のドアを開けた。
だが笑顔のカルロが勢いよく扉を蹴る。「まだお話があるのですが」と、扉を蹴りつけたままサッキーニの顔を覗き込んだ。
「本日は謝罪に参ったのです」
「謝罪とは、お前が足蹴にした車についてか?」
「いいえ。もっと重要な、命に関わることです」
「……」
「スタンフォードごときに何ができると放置した結果、貴方まで巻き込むことになってしまいました。そのせいでこれから貴方の身に起きることについて、どうかお気をつけください。テレジオファミリーを敵に回すと凄惨なる死が訪れる呪いが、この島にはかかっていますから」
カルロは足を下ろすと、ロレンツォに向かって片手を差し出す。無言で一枚の小切手を渡せば、それをサッキーニの胸に押しつけた。
サッキーニは決してそれを受け取ろうとせず、鋭い眼光でカルロを睨む。だがカルロも臆することなく、受け取れとばかりにサッキーニの胸を押した。
「これは僅かばかりのお見舞金です。先程お話した御家族にも用意したのですが、うちでは理不尽に犯罪へ巻き込まれた方や、良き犯罪者の身内には見舞金を用意するようにしております」
「俺は巻き込まれる側と、犯罪者の身内とどちらになる脚本だ?」
「それはこれからの貴方次第かと。島の外からいらっしゃった貴方はご存知ないかもしれませんが、この島の男達は大変血の気が多くございます。巻き込まれる前に島を離れることが賢明かと」
「殺害予告として受け取ろうか。そこに警察署があるから連行するにも手間をとらん」
「まさか! これは将来良き友人となれるサッキーニ署長へのご忠告です。必要ならばうちから護衛もお貸し致しますよ」
カルロは小切手をサッキーニのポケットに押し込むと、流れる仕草で後ろに下がる。そうして帽子を深く被り直し、キザっぽく腰を曲げた。
「さようなら、サッキーニ署長。これが最期のご挨拶とならないことを祈っております」
そう言ってこちらを睨むサッキーニを残し、カルロは足早に自分の車に戻る。
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2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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