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episode.7 帰還①

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 たった一度だけ踏み込んだことのある屋敷の地下室に、また足を踏み入れるなど思ってもいなかった。
 ただしあのときはロレンツォが痛めつけられる側だったが、今度は痛めつける側に立っている。それが何ともおかしな感覚に陥らせた。
 部屋の中央には、椅子に縛られたパネッタが、さらに左右から構成員によって押さえつけられている。天を仰ぐよう顔を固定された彼の歯を、厳ついペンチを握ったベルナルドが引き抜いていく。
 パネッタがジタバタと手足を暴れさせる度にベルナルドが高笑いをあげた。あいつもこんな風に楽しそうな笑顔をするんだなと、他人事のように考える。

「あはは、いい顔じゃねえかクソジジイ!」
「ガあッ! やべ、やべで、いだいだいいッ……!」
「お前にはまだ死なれちゃ堪んねえんだ。もっと元気だしな、おじいちゃん。これまでの鬱憤はじっくり晴らさせてもらうぜ」

 躊躇いなくパネッタの腹へ膝蹴りが打ち込まれる。彼が唾を撒き散らしながらのたうち回れば、ベルナルドがパネッタの前髪を掴んで乱暴に顔を持ち上げた。
 彼の顔はまるでゾンビのように無惨な仕上がりだ。歯は欠け、瞼は腫れ上がり、涙や鼻水、血でぐちゃぐちゃになっていた。そこにはコンシリエーレとしての威厳など微塵もない。
 酷い有様なのは顔だけではない。簡単に治療されたパネッタの指は、一センチずつ削られた・・・・せいで、指がほとんど存在しなかった。痛みで死なない程度の鎮痛剤やドラッグが打たれているとは言え、その痛みは壮絶だろう。
 この拷問は半日近く行われている。そろそろ休憩をいれなければパネッタが持たないはずだ。ベルナルドだって爛々と瞳を輝かせているが、さすがに疲れが見え始めている。いい加減止めに入るべきか。
 そう思ったとき、背後の階段から人が降りてくる気配があった。視線を向ければ、帰還したばかりの女王様が、カルロを連れて悠々と闊歩かっぽしてくる。三週間前となにも変わらない凛とした姿に、自然と胸を撫でおろした。

「やあ、愛しのベルナルドとの逢瀬を楽しんでるか、パネッタ」
「か、カリーナ……!」
「起訴寸前まで留置所にいたからな。久しぶりのシャバを楽しもうとあれこれ予定していたんだが……まさか戻ってきてすぐ、こんなところへ来なければいけないなど思ってもいなかったよ」

 皮肉げにつりあげられた頬に、パネッタの脅えが一段と深まったことがわかる。

「ま、待っりゅくれ……! わた、私は無実だ! き、きき君を裏切っ、てなんが、ッいない!」
「おやおや、まだお遊びが足りなかったか?」
「わがっ、わがった! なんでも話ずがら、せめでっこの悪魔はどごがにやっでぐれ!」
「あはは! この前までベルナルドを天女などと崇めていたくせに、いたぶられたらすぐさま手のひらを返すか! ずいぶんと滑稽だな、パネッタ!」

 腹を抱えて笑うカリーナは心底楽しそうだった。そんな彼女の為に、カルロが古びた椅子を持ってくる。
 カリーナはパネッタの前に座ると、もったいぶった仕草で足を組んだ。真っ赤なドレスの間から、艶かしい足が覗く。その足で頬杖をつき、誘うような美しい笑顔を浮かべた。

「逢瀬に飽きたのなら、少し私と話をしようか。お前だって自分がどうしてボロをだしたのか気になるだろう」

 その質問にパネッタが答えるより早く、「まず初めに」とうたった。元々会話など求めておらず、これはただカリーナの独白でしかないのだ。

「私は警察に話を通したうえでわざと留置所へと行ったんだ。目的は二つ。一つ目はお前を油断させ、この機会に溜め込んでいた金を回収するためだ。私が捕まるや否や、すぐに裏の口座から金を引き出していたな。それはすでにご返却いただいている」
「なっ……!」
「二つ目が、警察にいるお前の協力者を炙り出すためだ。留置所でも手厚い待遇をしてもらっていたからな。お前の息がかかった、私を監視するものや殺そうとするものを見つけ出すことは簡単だった」

 カリーナが殺されかけた、という言葉に、室内の空気が一気に冷える。肌を切り裂く殺気は、ロレンツォやカルロ、他の構成員達までが放っているものだ。その空気にあてられ、パネッタがみっともなく悲鳴をあげる

「さて、では次に、どうしてお前が裏切り者と分かったかという話だな。カモッラは慎重に商品の選定をしていたようだが、先日はようやくボロを出してくれた。ずっと餌として撒いていた女に食いついてくれたんだ」
「えざ……なん、て……」
「覚えてないか? ステラルクス内でも騒動になっただろう。レグッツォーニ署長の娘が拐われた、とな」

 にんまりと笑うカリーナに、パネッタが愕然とする。
 レグッツォーニの娘は、テレジオファミリーの準構成員アソシエーテだ。ロレンツォがその事実を知ったのは、つい最近のことである。オメルタによって隠されてきた彼女の正体は、カリーナやカルロ、一部のカポ・レジームしか知らされていなかった。
 レグッツォーニの娘は拐われる間際、カリーナへ誘拐方法などのメモを残した。だがそれ以降連絡が途絶え、行方がわからなくなっていたのだ。
 これまでパネッタが怪しいと思いつつ確信が得られていなかったカリーナは、三ヶ月前からとある作戦を実行中であった。それがパネッタの策略に陥ったと思い込ませ、隙をついて証拠を集めるというものだ。
 カモッラとの会合は、カルロと共に潜り込ませていた幽霊男の手引きで、向こうから提案してくるよう仕向けさせた。その会合の中でカリーナと、あわよくばカモッラのボスを拘束させる算段だったのだ。
 だが想定外の事態が起きた。もちろんマリオが幽霊男を射殺したことである。
 あれはカリーナへの牽制か、はたまたカルロを動揺させ真意を確かめるためか。結局のところはわかっていない。何故なら答えを吐き出させる前に、カルロによってカモッラのボスは殺されたからだ。
 カリーナという女は、後始末が面倒になるとわかっていても、部下をみすみす目の前で殺されたことに対して罪滅ぼしを選ぶ人間である。カルロはそれをよく知っているからこその行動だった。
 とにかく、すでに警察へ手を回していたカリーナは、この逮捕に殺人罪のみの容疑をかけさせ、留置ギリギリまで粘ることを選んだ。現行犯逮捕ではない殺人罪のみであればどうとでもなると判断してだ。起訴まで時間がかかっているのは、カポの逮捕に際し、警察が慎重を期しているという印象操作にもぬかりなかった。
 カリーナが捕まり一週間後、ようやくレグッツォーニの娘から二度目の連絡が来た。
 曰く、自分はカモッラに拐われた。本土で情婦として売り物にされているから早く助けに来て欲しい。裏でカモッラを手引きしていたのは、コンシリエーレだという証拠も手に入れたと。
 これを警察経由で聞いた独房のカリーナが、組織内から裏切り者が出たうえに、他組織にファミリーの尊厳を踏みにじられたと荒れ狂う姿は簡単に想像できた。
 次にもうひとつの計画の要は、カルロの裏切りである。
 カリーナはロレンツォを雇い始めてすぐ、カルロにパネッタへ寝返るフリをさせた。あっさりとカルロを受け入れたパネッタに、カリーナは一瞬だけ罠を警戒したが、落ち目の男が焦っただけと気づいた時には鼻白んでいた。
 こうしてパネッタの懐に忍びこんだカルロは、時間をかけてあらゆる不正の証拠を集めた。裏金や彼の息がかかった議員、警察、本土の組織、忠実な構成員など。あまりにも多いその数に、カリーナが嘆いたことは言うまでもないだろう。
 カリーナが望むのは、彼女だけが独裁者として君臨する王国だ。自分に並ぶほどの権力を許すはずがない。
 この全ての膿を一斉に吐き出させなければいけないと考えたカリーナが、客船での取引を計画させた。
 メインの獲物はもちろんパネッタだ。この計画で徹底的にパネッタの権力を削ぎ落とすつもりだった。
 まず客船はパネッタの名義で手配し、裏の商談もパネッタ主催で集めている。客はパネッタ繋がりの小児性愛者ペドフィリアで、誰もが財政界やスポーツ界などと繋がりある大物ばかりだった。
 恩を売るために全員内々で釈放させているが、彼らがぺドフィリアであることは特大のスキャンダルだ。一度は捕まったことが世間にバレることを恐れ、彼らもしばらくは大人しくなるだろう。さらにファミリーとしても、大物達の弱みを握れるのだから一石二鳥であった。
 次にわざわざ少年少女の斡旋業を選んだ説明の前に、カルロが用意した新しい取引先、チェルレッティについて話す必要がある。まずチェルレッティとは、先代と繋がりのあった蛆虫うじむしの中の蛆虫だ。
 この男はステラルクスの女子供を安く買い叩き、ドラッグ漬けにして数ヶ月で殺してはまた新しい商品を買う。さらには依存性の高い薬物をマッテオに流し、急速に島を腐敗させた張本人であった。
 カリーナがカポとなって以降繋がりはないが、チェルレッティに恨みを持つ島民は多い。その代表がベルナルド・スコッティだ。
 もはやわざわざ明言するまでもないだろうが、幼少の頃、彼は商品として売り買いされていたらしい。その恨みつらみを晴らすため、チェルレッティとパネッタの二人は絶対に自分が制裁を加えると言ってきかなかった。カルロの無茶な潜入に頷いたのも、チェルレッティを殴り飛ばせる可能性があったからだ。
 ベルナルドの悲惨な幼少期について、今は関係がないので割愛する。とにかくチェルレッティは、ステラルクスの嫌われ者なのだ。
 ここで話を戻すが、アメリカでこそ金持ちの小児愛好は珍しくない。だがこの国でマフィアが手を染めるとなれば大騒ぎとなる。シチリアの大物マフィアであるチェルレッティにとっては、ことさらの醜聞だ。
 コーサ・ノストラとカモッラの繋がりができるまで、賭博と売春は名誉ある男の仕事ではないと嫌悪されていた。それも最近では緩みつつあるが、シチリアでは、本土以上に売春斡旋への目は白い。だと言うのにもし、チェルレッティが間抜けに共同経営先の縄張りで捕まったうえ、子供の売春斡旋業などをしていたとなれば恥晒しもいいところだ。
 憎いチェルレッティをただ殺すのではなく、醜聞をきせたうえで捕まえさせ、組織からも見放させる画策をしたカルロは間違いなく性格が悪い。
 つい数時間前に聞かされたばかりの一連の計画を、カリーナはうっとりとした口調で語り終える。
 「とは言え」、とカリーナ。もったいぶる仕草で肩をすくめた。

「チェルレッティはナポリじゃ有名な大物だ。テレジオファミリーといえ、おいそれと手出しはできない。だがこれも、今ならお前が罪を被ってくれると来た」

 カリーナは頬杖をついたまま、指先で唇をなぞる。真っ赤な口紅が指につかないことが至極不思議だった。

「筋書きはこうだ。チェルレッティが病気・・なのは有名で、それについては組織も頭を抱えていた。それでも最近は大人しくなっていたのに、悪友のパネッタがまた悪い犯罪に誘い始めた。そのせいであのチェルレッティは現行犯逮捕、組織に汚名がこびりついた。これについてはチェルレッティの組織やナポリにも手を回しているし、情報も操作しているから問題ない。これでひとまず、ステラルクスの嫌われ者は刑務所行きも間違いないし、同居人の名誉ある男達に可愛がってももらえるだろう」

 次に、とカリーナが笑う。
 もはやパネッタは呻くことすらしない。

「うちを裏切ってくれた見せしめとして、お前の妻と娘夫婦、孫は生きたまま生皮を剥ぎ、指を削り落とし、視神経を直接愛撫あいぶしながらなぶり殺す。その死体はラクリマの広場に放置する手筈だ。おや、では肝心のお前はどうしようか」
「……」
「すでにチェルレッティの組織とは交渉済みだ。向こうもチェルレッティを警察に売った・・・お前への制裁は、ファミリーのメンツにかけて行いたいらしい。お前を生きて差し出す代わりに、売り飛ばされた女達を買い戻して島へ戻すことを約束してくれた。自分のケツを自分で拭けるんだから幸せものだなあ、お前は」
「……わだしは……なにもわるぐない……」
「歳をとるとは哀れなことだな。自分の終わりも理解できないのか」

 全てを語り終えたことで興味が失せたのか、もはやどうでもいいといったふうに立ち上がる。
 カルロはベルナルドの肩を叩き、上に戻れと指示を出していた。パネッタへの制裁はこれで終わりだ。殺してしまうわけにはいかないから仕方ないのだが、ベルナルドは不満げである。

「数時間後にはお前の身柄を渡す手筈になっている。さようならアッディオ、パネッタ。残りの時間をより良く過ごせ」

 この言葉を最後に、なんの未練もなく背中を向ける。
 ステラルクス中を巻き込んだ、テレジオファミリーの醜聞も一旦の幕を閉じた。
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